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カネミ油症事件の経過
1)ダーク油事件;カネミ油症事件は予見できなかったのか 1968(昭和43)年2月20日ごろ、鹿児島県日置郡のブロイラー養鶏団地を
はじめ九州、四国、中国など西日本各地で奇病が発生した。鶏が急に元気が なくなり、食欲がなくなり、産卵しなくなり、体に浮腫が来、呼吸困難がき て口を開けて斃死した。その数は推定190万羽から210万羽といわれている。 連絡を受けた鹿児島県畜産課は家畜保健衛生所九州支場に原因究明を依頼 した。まず、死んだ鶏の解剖の結果、肝臓壊死、腎臓の尿細管拡張、腹水、 胸水、心囊水腫、浮腫、皮下浸潤、出血などの所見が明らかになり、ブロイ ラー大量斃死の原因は中毒であることが明らかになった。 3月14日県畜産課は農林省福岡肥飼料検査所に対して「原因は配合飼料に
あると考えられる」と報告した。この配合飼料を製造したのは東急エビス産 業の九州工場と林兼産業の下関工場の2社だけであった。 検査所の聞き取りでは東急エビス産業側は奇病発生の原因となった配合
飼料は二製品で、これらの二製品が他の製品と違うところは、北九州小倉区 東港町のカネミ倉庫の米ぬか油を製造する過程で副生するダーク油を材料に 使っていたことである」と述べている。さらに、このダーク油や飼料を鶏に 直接与えると鶏は全く同じような症状を示した。すなわち、3月の中旬には 鶏奇病の原因はカネミ倉庫のダーク油であることは明らかになった。検査所 は3月15日、農林省畜産局流通飼料課に報告し、16日には二社に飼料の回収 を命じた。3月18日には東急エビス中央研究所ではダーク油による動物実験 を開始している。それによると、2月7日、14日に出荷したダーク油にのみ 毒性があることが分かっている。 3月22日、飼料課長ほか係員たちは、カネミ倉庫の本社工場を立ち入り調
査した。そして、カネミ倉庫の加藤三之輔社長に確かめたところ「ライスオ イルは飲むことが出来ます。私も飲んでいますが、何の異常もありません。 大丈夫です」と答えたという。ダーク油を製造する工程や製品の出荷状況な どについてはかなり詳しく事情聴取をしたらしいが、肝心の人が口にする米 ぬか油については追求されなかった。実際、患者の中には健康や美容によい という宣伝によって、飲用していた者がいたのである。保健所から勧められ たという者もいた。 5月には農林省家畜衛生試験場の小華和忠や勝屋茂美らはこれらの飼料を ひな鶏に食べさせて同じ症状が発症することを確認している。後でわかった ことだが、ダーク油には1300ppm のカネクロール400が含まれていた。 6月14日、問題の配合飼料とダーク油を使って農林省家畜衛生試験場で 行った再現試験の結果が検査所に報告された。それによると「原因はダーク 油の原料である油脂が変質したために起こった中毒である」というもので あった。この時、詳しい原料の化学的分析(たとえば、ガスクロマトグラフ によるなど)を行うべきであった。人の口に入れるものであるから一片の通
知と警告だけで済ませないで、さらなる経過観察を注意深く続けるべきで あった。 当時、アメリカでは同じような鶏の水腫病(chick edema disease)
が多発し、‘60年代には多くの報告がアメリカの畜産関係専門書に報告され、 ある種の有機塩素系化合物が原因であることが推定されていたのである。す なわち、アメリカのCantrellらによって水腫病の原因はヘキサクロロベンゾ -P-ダイオキシンと同定されていたという。さらに、1956年にはハンブルグ大 学の皮膚科研究グループがダイオキシン類は塩素痤瘡を作ることを明らかに していた。1967年にすでに、Jensen(スエーデン)も環境中にPCB を発見 していた。すなわち、注意深く関係の専門家たちがその気になればいくつか の重要な情報はあったのだった。 この時、その鶏卵や汚染鶏を食べた者がどうなったかの調査もない。また
死んだ鶏の80%前後が地中に埋められたとみられる。それらは環境汚染を 起こしてはいないのか、決して腐敗しない化学物質だから現在も残留してい て厄介なはずである。 ダーク油の汚染が指摘された3月下旬から油症が発覚した10月までの約半 年間に国、北九州、カネミは何らかの対策がとれたはずであった。しかし、 何かの対策がとられた形跡はない。 九大油症研究班の倉恒匡徳は「ダーク油事件は油症事件が報道される約
8ヶ月も前に発生していたのである。鶏の病気は人に深刻な影響を与えるお それがある。農林省が、この誰しも考える“おそれ”に配慮して、この事件 を厚生省に連絡しておれば、油症の拡大もまた防げたことが考えられる」と 書いている。 2)油症発覚;食品衛生法違反では
ダーク油事件の当時、西日本の各地で体に黒い吹き出物がでる患者が多発 して各地の医療機関を訪れていた。汚染されたダーク油の出荷時期、ブロイ ラーの発病時期と問題のライスオイルの出荷時期、奇病の発症時期とは同じ だった。
1968年4月以来、ブロイラーの方は出荷停止によって発生が食い止
められた。しかし、ライスオイルの方は人間に関することであったが、発症 が発見されて、原因が分かるまでにさらに時間がかかった。その間、被害は 拡大していった。とくに、被害拡大防止こそが行政の最大の責任であったに もかかわらず、その懈怠によって被害が拡大した。 6月7日に九大皮膚科に3歳の女児が痤瘡(にきび)様皮疹と診断された
が、8月には家族全員が同様の症状となって受診した。しかし、食中毒事件 として捉えられていなかったか、少なくともそのような対応は見られていな い。それは、皮膚科は食品衛生法の処理に慣れていなかったこともある。そ の後、九大にライスオイルを持ち込んだ者がいたが問題にされないので、10 月3日、その米ぬか油を今度は大牟田保健所に届けた。そこで、やっと保健 所は翌日、福岡県衛生部に集団的奇病の発生を連絡した。 その以前から、九大と福岡県衛生部は事前に察知していたと思われる。九
大の五島応安医師は学会に発表するまで控えていたという。これは食品衛生 法の届出義務違反ではないか。 10月10日に朝日新聞で奇病発生が発表されると、翌11日、衛生部は九大病
院に派遣、調査を開始した。新聞は11日にはダーク油との関連を報道する。 一方、北九州市衛生局は11日にカネミ倉庫に立ち入り調査を実施し、サンプ
ルを採取して九大に分析を依頼した。この日、カネミ倉庫に対して原因がはっ きりするまで販売を中止するように勧告したが、会社側はそれを受け入れな かったために、15日食品衛生法によって1ヶ月の営業停止を通知した。 新聞に連日報道されると、疑いをもった人々が保健所に届出て、その数は 同日、30日には1万2270人に達した。 九州大学医学部、同薬学部、県衛生部合同の「油症研究班」が10月14日に結成され。19日には「油症患者診断基準」を決定した。まだ、原因が確定されていない時のもので、未知の疾患に対する診断基準であるからあくまで暫定的なものでなくてはならなかった。
3)病因物質の追求 10月14日に久留米大学の山口誠哉教授はヒ素中毒説を発表した(後否定) 10月18日、九大医学部に油症外来を開設して集団検診を始める。
10月19日に編成された油症研究班は班長、勝木司馬之助(内科、九大病院 長)、副班長は樋口謙太郎(九大皮膚科教授)と下野修(福岡県衛生部長)か らなり、部会として臨床部会(部会長樋口謙太郎)、分析専門部会(部会長塚 元久雄九大薬学部部長)、疫学部会(部会長倉恒匡徳・公衆衛生学教授)を置 いた。 10月22日、高知県衛生研究所がカネミ倉庫の米ぬか油から、27日には国立
衛生試験所がそれぞれ有機塩素系化合物を検出に成功した。米ぬか油から初 めて有機塩素系化合物が検出されたのであった。 11月4日には研究班の稲神農学部教授がカネミ油に含まれた有機塩素系化
合物のガスクロマトグラフのパターンがカネクロール400(鐘化)のパターン と一致することを証明した。原因が油に含まれるPCB とするとどこから混 入したかが問題になった。 11月6日には九大皮膚科の五島應安氏が油症被害と鶏のダーク油による被
害の原因が同じであることを実験的に証明し、11月4日には米ぬか油から、 11月16日にはダーク油から相次いでPCB が検出された。
11月16日、篠原久(化学機械工学)教授を団長とする九大調査団がカネミ
倉庫の製油部工場を立ち入り検査した。その結果、脱臭塔内を通っているス テンレスパイプに3箇所のピンホールを発見して、そこからカネクロールの 漏出が確認された(後にこれは訂正されるのだが)。これによって、原因究 明は終了したとされた。 しかし、1971年、アメリカのR.W.Risebrough博士の指摘によってカネク
ロール400にはPCBsの他にPCDFs、PCDDsなどが含まれていることが分 かった。その結果、油症の主な原因はPCDFsによるものであることが明らか になった。いずれにしても、油症は単純な汚染の結果ではなく複合汚染によ るものであった。したがって、その臨床像も複雑で前例のないものであるこ とが推定された。 追跡調査(五島の患者たち)で分かったこと、生活の場でみる 2000年から2004年にかけて、長崎県五島列島の玉之浦町、奈留町の油症患
者61人(11人は九州在住)について、現地を訪れ検診と聞き取りを行った。 自主医療班は神経内科、精神科、皮膚科、婦人科、疫学、保健師(院生)、看 護師(院生)、社会福祉士からなる。 男性20人、女性41人。年齢は33歳から79歳。平均年齢は男性60.6歳、女性 は64.8歳でいずれも高齢者が多い。 事件が起こった1968年は、たまたま椿油が不作な年で、そこに、高級なカネミ油を格安で販売すると、カネミ油が島に持ち込まれました。あとでわかったことですが、再脱臭した劣悪なカネミ油が持ち込まれたので安かったのだと言われています。
何も知らない島民は、カネミ油で魚を天ぷらにして食べました。ダイオキシンの毒入り油で元気がなくなると、もっと精をつけようとさらに天ぷらを食べたり、美容に良いと、そのままカネミ油を飲んだ人もいました。 五島列島は隠れキリシタンの里です。島のあちこちに教会が立ち、異国情緒のただよう美しい島です。黒い赤ちゃんが多く生まれたのも、堕胎を避けるキリスト教の影響があったと言われています。 かくして、カネミ認定患者の約2割が五島市に集中したのです。 初めて自主検診やヒアリング調査に入った時は、多くの被害者は私たちを警戒しました。何の血縁も地縁もないよそ者が、事件から30年以上も経ってから、なんで来るんだというのが警戒の理由です。今では笑い話ですが、カネミ油症被害者五島市の会会長がこう言いました。「やって来た人たちは、今はやりのオレオレ詐欺の仲間だと思った」。 こんなこともありました。ある被害者の家に原田正純医師たちと訪問しました。その家の奥さんは複数の黒い赤ちゃんを生んだ人です。ぜひ原田先生に診てもらいたいというので訪問したのですが、家に入ったとたんに主人が出てきて、「お前ら、今ごろ何しにきた。来るなら仮払い金を払う前に来い」とどなり、殴りかからんばかりの勢いでした。私たちは急いで家を出ましたが、その家の奥さんが出てきて言うことには、「お父さんを許してください。カネミを食べる前は人一倍元気な人でした。健康な人を見ると悔しいんです」。
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水質汚染
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http://www.kbc.co.jp/tv/kanemi/image/midashi_outline.gif概要http://www.kbc.co.jp/tv/kanemi/image/image_outline.jpg1968年、北九州市に本社を置くカネミ倉庫が製造した食用の米ぬか油を食べた西日本一帯の1万4000人以上が吹き出物や内臓の疾患、がんなどの被害を訴えた。原因は油に含まれた猛毒のダイオキシン類。患者の症状は44年がたった今も続く。認定患者は2012年3月末現在、1966人(うち死亡者数596人)にのぼる。
被害の発覚カネミ油症事件は1968年(昭和43年)10月10日、朝日新聞が「正体不明の奇病続出」と第一報を報じたのが発覚の発端だった。西日本各地で吹き出物や手足のしびれ、倦怠感などの健康被害を訴え出る人が相次いだのである。原因は北九州市に本社を置くカネミ倉庫の米ぬか油「カネミライスオイル」。被害は福岡県を中心に西日本一帯に及び、1万4000人以上が被害を訴え出る「国内最大の食品公害」となった。
人類初のダイオキシン類による食中毒被害中毒の原因は当初、油の臭みを取る工程の熱媒体として使われた有機塩素化合物PCB(ポリ塩化ビフェ二ール)とされ、患者の症状は次第に軽減されると考えられていた。しかし1974年、油にはPCBが加熱されることで変性した猛毒のダイオキシン類、PCDF(ポリ塩化ジベンゾフラン)が主な原因物質であることが判明する。2001年には国もダイオキシン類が主原因であることを認め、カネミ油症事件は「人類が初めてダイオキシン類を直接口から食べた」事件であることが明らかとなった。
患者の症状ダイオキシン類はベトナム戦争(1960年〜1975年)でアメリカ軍が使用した「枯葉剤」にも含まれていたことで知られる。症状は吹き出物などの皮膚症状や手足の痺れといったものから、肝機能障害、骨の変形、歯の異常や頭髪の脱毛、流産、がんに至るまで全身の多岐に及び、カネミ油症は「病気のデパート」とも言われる。
これまで多くの被害者たちが、がんなどを発症し、死亡している。ダイオキシン類は体内での残留性が高いことでも知られており、患者たちの症状は44年がたった今も続いているのが現状である。 次世代被害ダイオキシン類の大きな特徴の1つは被害が子や孫の世代に引き継がれることである。事件発生当時には油を食べた女性患者から皮膚の色が黒ずんだ「黒い赤ちゃん」が生まれるケースが数多く報告され、社会に大きな衝撃を与えた。2010年5月、国は認定患者を対象に実施した健康実態調査の結果を公表したが、子供、もしくは孫に「吹き出物がある」、「疲れやすい」などといった被害を訴える患者が調査対象者ののべ半数以上に及んでいる。
差別と偏見カネミ油症の根本的な治療法は今も見つかっていない。また「黒い赤ちゃん」など被害が次世代に引き継がれていく懸念などから患者たちは事件発生当初から結婚や就職などで激しい差別や偏見に見舞われた。患者たちは次第に被害について口をつぐむようになり、毎年一部の自治体で実施される油症検診すら受診しない患者が相次ぐようになるなど、被害の実態把握は大きく遅れた。また患者の多くが家庭の食卓でカネミ油を食べたケースが多いことから、家族ぐるみで油症の症状に苦しみ、働けなくなったり、医療費がかさむなどして生活困窮に陥るケースが相次いだ。
未認定問題と認定基準2012年3月末現在、カネミ油症患者として認定されたのは1966人(うち死亡者は596人)。被害を訴え出た1万4000人の約14%に過ぎない。厚生労働省の全国油症治療研究班が定めた認定基準によって被害者の認定、未認定が振り分けられ、現在は血中のダイオキシン濃度が最も重要視されている。しかし、その基準の妥当性には疑問の声も上がっている。
裁判と仮払金問題カネミ油症をめぐる民事裁判は発覚の翌年1969年に始まった。裁判は責任企業のカネミ倉庫やPCBを製造したカネカを相手取り1986年までに8件が提起され、うち5件については被害の拡大責任を問われた国も相手取って行われた。原告は1985年までにカネミ倉庫だけでなく、国にも2度勝訴。しかし、翌86年5月、全国統一民事訴訟第二陣の二審判決で流れは変わり、国に逆転敗訴した。その後最高裁も原告敗訴の見通しを示したことから、原告は国への訴えを取り下げる。その結果原告は先に受け取った1人当たり約300万円の賠償金の仮払金を返還する義務が生じ、すでに医療費や生活費などにつぎこんでいた原告たちの中には返還に応じきれず、自殺者も現れるようになった。その事態を重く見た当時の自公政権は2007年に仮払金返還を免除する特例措置法を成立させ、仮払金問題は一定の解決に至る。
2008年には87年の裁判終了後に新たに認定された新認定患者がカネミ倉庫を相手取り損害賠償請求訴訟をおこし、現在も裁判は続いている。 取り残されていた患者救済(〜2013年3月)カネミ油症の被害者は油症検診を受診して患者と認定されない限り、一切の医療費助成を受けることができない。さらに認定されても責任企業のカネミ倉庫からは見舞金23万円の支給(認定時のみ)と、認定後の医療費の一部が支給されるだけで、過去の裁判の原告への賠償金500万円も経営難を理由に支払いが凍結されたままである。国は治療研究の資金として全国油症治療研究班に約2億円の研究費(2012年度)を、そしてカネミ倉庫には経営を支援するため政府米の倉庫代 およそ1億5000万円(2011年度)を支払っているが、過去の裁判で原告側が国への訴えを取り下げたことを根拠に、患者に直接、医療費などの公的支援を行うことを一貫して拒んでいる。
政権交代で芽生えた救済の機運事件から42年が経過した2010年、患者の高齢化が進む中、患者と支援者は政権交代を機に2010年1月以降、医療費の公的負担などを盛り込んだ「カネミ油症被害者救済法案」の成立を求めて全国で被害者集会を開催し救済を訴えた。そして3月には、患者と支援者が民主党幹事長室に救済法案の成立を陳情。民主党内でも一部の議員が救済法案の議員立法の検討を進めるなど、法案成立への機運が高まっていたが、2010年6月の鳩山総理辞任などの 政局の混乱を受け、法案の通常国会提出は断念された。
被害者救済法の成立2011年8月、被害者からの声を受けて民主、自民、公明など有志の国会議員は超党派の国会議員連盟を設立。被害者救済法成立に向けた機運が再び高まりはじめた。そして、翌2012年3月には自民、公明両党がまとめた救済法案に民主も合意し、救済法成立は現実性を帯び始める。しかし厚生労働省などが「食中毒は原因企業による補償が原則」などとして法制化に強く反発。それを受けて民主党は一転、法案ではなく国の予算措置による救済案に傾くなど救済へ向けた動きは迷走する。結局、自民、公明が民主を引き込む形で超党派の議員連盟は法案をまとめ議員立法で国会へ提出。2012年8月29日の参院本会議で救済法は可決、成立された。
医療費の公的支給ならず・・・ カネミ油症被害者救済法国は救済法に基づく支援策として2013年度から当面、認定患者を対象に毎年1回健康実態調査を実施し「支援金」として年19万円を支給。また従来からカネミ倉庫に対し行われている備蓄米などの保管委託を拡大してカネミ倉庫の経営支援策を拡充させ、カネミ倉庫からも年5万円を支給する。さらに認定基準も見直し、被害発覚当時に認定患者と同居していた家族などで未だ未認定のままの患者も認定することになった。しかし、患者の医療費については国からの支給は見送られ、従来通りカネミ倉庫から支給されることとなり、国からの直接救済を望んでいた患者からは失望の声が相次いだ。
残された次世代被害今回の救済法成立は、患者にとって完全救済への「大きな一歩」に過ぎないと言える。認定基準が見直されたとはいえ、大半の未認定患者は救済されないままであり、被害者が高齢化する中、未だ根本的な治療法の開発にも至っていない。また子や孫への「次世代被害」に対する救済も手付かずの ままである。カネミ油症被害者の完全救済には未だ多くの課題が残されたままとなっている。
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活動名, ・中学生を対象とした出前講座・総合学習活動・大学生を対象とした講座活動・ ダイオキシン汚染など「食品公害」に関する啓発活動. 目 的, カネミ油症被害の全体像の 解明と、次世代への継承. 日 程. 平成25年6月〜平成26年1月. 対 象(参加者数). www.yusho.hosp.kyushu-u.ac.jp/seminar/index.html - キャッシュ
九州大学病院油症ダイオキシン研究診療センターのご案内。 ... 油症ダイオキシン研究 診療センターでは、「ダイオキシン類の毒性を抑制する可能性がある食物とその成分」を 紹介しております。 ... 5月28日(木), 場所, 奈留保健センター(長崎県五島市奈留町). www.yusho.hosp.kyushu-u.ac.jp/gairai/ - キャッシュ
油症外来は九州大学病院、長崎大学病院、長崎県五島中央病院の3施設で連携をとり ながら、油症患者さんのニーズに応えることのできる体制づくりを行っています。お気軽 にお近くの外来にご相談ください。 また、スムーズな診療を行えるように、ご来院の際は ... blue.ap.teacup.com/documentary/366.html - キャッシュ
2005年10月5日に掲載した「五島で初のPCB・ダイオキシンシンポジウム」(記事 カテゴリは「ニュース」)関連の長崎新聞の記事をまとめました。 PCB・ダイオキシン シンポ9日開催へ準備着々 カネミ油症関連写真展示 五島【五島】国内最大規模の食品 公害、 ...
「PCB・ダイオキシンシンポジウムin五島」関連記事 公害・薬害・環境・医療問題
2005年10月5日に掲載した「五島で初のPCB・ダイオキシンシンポジウム」(記事カテゴリは「ニュース」)関連の長崎新聞の記事をまとめました。
PCB・ダイオキシンシンポ 9日開催へ準備着々 カネミ油症関連写真展示 五島 【五島】国内最大規模の食品公害、カネミ油症事件と環境問題について考える「第一回PCB・ダイオキシンシンポジウムin五島」が(実行委主催)の五島市開催を九日に控え、実行委メンバーは六日、市内の事務所で配付資料の作成など準備を進めた。 同市は油症患者が集中し、今も複合的な症状や生活苦に悩む人は多い。実行委は患者と一般市民で構成。カネミ油症五島市の会など後援。シンポでは厳然と続く油症被害の実態や油症の主因物質、ダイオキシン類などの問題を詳細に伝える。油症関連の本格的シンポは同市で初めて。 実行委メンバーは六日、浦口一郎委員長(38)の事務所で、会場に展示する写真やパネルをチェック。患者の生活の様子や吹き出物で覆われた皮膚、「黒い赤ちゃん」など百点に上る写真の展示方法などを検討した。 実行委の新垣優子さん(39)は「カネミ油症の問題をもっと知り、伝え、子どもたちが安全に暮らせる環境と国の在り方を考えたい」と話した。 九日は午後一時から三尾野一丁目の市福江総合福祉保健センターで開催。患者が被害実態を訴えるほか、弁護士や研究者らが講演。歌手の加藤登紀子さんら著名人のビデオレター上映もある。 (長崎新聞、10月7日掲載) 聞きたい言いたい ◆PCB・ダイオキシンシンポジウムin五島実行委員長 浦口一郎さん(38) うらぐち・いちろう 五島市玉之浦町出身。1歳のころカネミ油を母乳や離乳食などを通じて摂取。県立五島商高(現五島海陽高)を卒業後、島外で商業写真の修業を積み同市にUターン。現在は、総合防災のアール・テクノ・サービス代表社員。2002年に結成したダイオキシンを考える会の共同代表。同市吉田町在住。 油症の教訓次世代へ <カネミ油症事件の被害者が集中する五島市。一九六八年の事件発生から三十七年がたった今、カネミ油症とダイオキシン問題のシンポジウムが九日午後一時から同市の福江総合福祉保健センターで開かれる。広く市民に参加を呼び掛ける実行委の思いと今後の展開を聞いた> ―浦口さん自身が油症患者ですね。 発症は一歳ごろ。小さいころから体調は悪く、ぜんそくの発作でもよく入院した。両親も非常に苦しんだらしい。でも当時の記憶はなく、自分自身は油症のことはあまり気に留めず生きてきた。油症の患者会の活動に参加したことはない。 ―油症やダイオキシンの問題に踏み出したきっかけは。 ダイオキシン汚染はいつ自分に降り掛かってくるか分からない問題で関心があり、調べていくうちにカネミ油症にたどり着いた。油症の主因物質は、ダイオキシンのポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)。社会の関心が高いダイオキシンの問題と絡め、油症への認識を広げたい。 ―シンポは五島市で初めて。どのような点を参加者に伝えたいか。 若い人の多くはカネミ油症の実態を知らないし、子どもたちの教科書でもほとんど取り上げられていない。とにかくカネミ油症事件が五島で起きたということをまず分かってもらうことが第一段階。そして、幾つもの症状に苦しんでいる人は今も数多くいて救済されていない。加えて現在、国は患者に損害賠償仮払金の返済を迫っている。私の祖母も請求された。国はカネミ倉庫を救い、被害者を追い詰めるという信じられないことをしている。その現実を知ってほしい。 ―今後の目標は。 患者会は高齢化が進んでおり、油症事件への取り組みも世代交代の時期。私たち若手ができることを考えたとき、市民と手をつないで患者会をバックアップしながら事件の教訓を次世代につないでいくことが大切。いつかダイオキシンなど環境問題を考える世界会議を五島で開きたい。「カネミ油」というダイオキシンを直接食べてしまった私たちの情報を世界に発信し、人類に役立てていく。五島市を、そんな街にしたい。(聞き手は五島支局・山田貴己) (長崎新聞、10月8日掲載) カネミ油症の被害訴える 五島でPCBシンポ 国内最大規模の食品公害、カネミ油症事件などについて考える「第一回PCB・ダイオキシンシンポジウムin五島」(実行委主催)が九日、油症被害者が集中する五島市で開かれた。市民ら約百五十人は、事件発生から三十七年がたった今も苦しみ続ける被害者の訴えなどを通じ、事件の背景と被害実態への認識を深めた。 カネミ油症事件は一九六八年、ポリ塩化ビフェニール(PCB)などが混入したカネミ倉庫(北九州市)の食用油により西日本を中心に発生。油症の主因物質はダイオキシン類のポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)。 シンポは、八月に五島市内の被害者で発足したカネミ油症五島市の会(矢口哲雄会長、約八十人)の結成記念。被害者の苦しみを伝えることなどが目的。 浦口一郎実行委員長(38)は「五島市で起きた事件の真実を考えてほしい」、来賓の中尾市長はあいさつで「自分のこととして憤りを感じる。国は手を差し伸べるべきだ」と述べた。 同会事務局の宿輪敏子さん(44)は内臓疾患や腕のまひなど複合的症状、精神的苦痛を語り、カネミ倉庫や仮払金返済を被害者に迫る国を厳しく批判。被害者救済を求めた。 引き続き、女性三人が被害実態を証言。小学一年のころ発症した四十歳代の女性は「ぶつぶつが体中に広がり、うみが魚の目玉のように取れ、そこに穴が開き血がにじみ悪臭を放った。いじめの格好の標的になった」と涙を流した。 幾つもの症状と生活苦の中で成長し、都会で働き始めても苦しみは付いて回り、死に場所を探したこともあったという。女性は「自殺者をこれ以上一人も出さぬよう救済の道を開いてほしい。私たちには教訓を次の世代へ渡す責務がある」と訴えた。 研究者や弁護士らが講演。原田正純熊本学園大教授は油症が皮膚、腫瘍(しゅよう)、婦人科、内科、骨・関節、自律神経などに影響を及ぼす「全身病」である点、油症認定基準が極度に厳密な点を指摘。「皮膚症状は軽減しても全身症状は悪化している。目の前の人間に症状があるのになぜ認定できないのか」と批判した。 (長崎新聞10月10日掲載) www.nagasaki-np.co.jp/douga/20081215/08.shtml - キャッシュ
カネミ油症四十年シンポジウムin五島 ダイオキシン被害をともに考えよう」(実行委主催) が十四日、五島市福江総合福祉保健センターであった。被害者や市民ら約二百人は、 油症事件の複雑な経過を踏まえ、未認定問題など山積する課題の解決を目指すことを ... www.nagasaki-np.co.jp/press/kanemi/kikaku2/05.html - キャッシュ
たった三人の船出だった。五島市の宿輪敏子(45)、浦口一郎(40)、同年代の女性の若手患者は二〇〇二年、「ダイオキシンを考える会」を発足させる。ルポ「黒い赤ちゃん」の著者、明石昇二郎(45)が三人を引き合わせた。「高齢者ばかりでなく、若い人も油症で苦しんでいる。彼らが声を上げれば、油症が決して過去の問題でないことを、社会に認知してもらえる」。明石はそう考えた。
油症患者への差別や偏見は、身をもって感じていた。「夫や子ども、兄弟に迷惑が掛かるのではないか」。宿輪は当初、人前に出るのをためらった。だが、徐々に使命感が芽生えていった。「隠れながら訴えてもなかなか社会に届かない。誰かが顔を出して告発しなければ」。〇三年から省庁交渉などにも参加。〇四年ごろには集会で発言するようになり、カメラ取材に対しても顔をさらし、実名を名乗った。 ダイオキシンを考える会は、一般市民の若手を加え、〇五年十月、患者組織のカネミ油症五島市の会発足を記念し「PCB・ダイオキシンシンポジウム」を同市で開催。患者らは、健康被害や後世への不安、仮払金の苦悩などを赤裸々に証言し、中尾市長や市議、一般市民らに衝撃を与えた。シンポは、その後の市議会、県議会における患者救済を国に求める意見書の可決など、救済の声が拡大していく一つのきっかけとなった。
〇五年十一月、五島市の会の宿輪と矢口哲雄(83)は五島出身の自民党衆院議員、谷川弥一を訪ねた。「患者は差別を恐れ、声を上げられなかったんです」。話が終わらないうちに、谷川は携帯電話のボタンを押した。相手は県五島保健所長。「被害実態を早急に上げるように」。短く指示した。「人命にかかわることだ。おれがやる」。谷川は確約した。目の前で動いてくれた政治家は初めてだった。
カネミ油症被害者支援センターなどが進める日弁連への人権救済申し立ては、〇四年四月から〇六年一月までに、未認定を含む五百十九人が参加。日弁連は五島市などで聞き取り調査を進めた。 同センターと患者の結束も強まり、〇六年四月十六日、北九州市で約二十年ぶりの全被害者集会が実現する。与野党国会議員、全国各地の患者や支援者ら約二百五十人を前に、宿輪と浦口もマイクを握った。 翌日、日弁連は国とカネミ倉庫の油症患者に対する人権侵害を認め、救済を勧告した。(敬称略) 2007年6月6日長崎新聞掲載
seesaawiki.jp/kanemi-yusyo/d/PCBとダイオキシン類 - キャッシュ
「PCB」「ダイオキシン」一度は耳にしたことはあっても、詳しく知らない方が多いのでは ないかと思います。 .... 誌ー』第1章,カネミ油症40年記念誌編さん委員会 長崎県五島市 環境省(2012)「ダイオキシン類2012」(関係省庁共通パンフレット) www.jca.apc.org/tcsse/kaiho/kaiho-66/kaiho66-22.html - キャッシュ
カネミ油症事件とは何か(その2)□カネミ油症事件との出会い
カネミ油症事件の出会いは、ダイオシン問題がきっかけでした。ごみを燃やすとダイオキシンが出るので、脱焼却・脱埋立のごみゼロ資源循環型社会をめざす運動をしていました。 ある時、厚生省と環境庁(当時)を渡りあるいているある官僚が全国各地で「ダイオキシンと人は騒ぐが、ダイオキシンで人が死んだためしがない」と講演している事実を知りました。正直ショックでした。たしかにごみ焼却場の周りで死者が出たという情報はありませんでしたが、健康被害はたくさん出ていました。 そんな時、あるジャ−ナリストから「カネミ油症事件というのは、ダイオキシン入りの食用油を食べた事件で、何人も被害者は死んでいる」というのを聞きました。それがカネミ油症事件を知ったきっかけです。 1999年には市民団体「止めよう!ダイオキシン汚染・関東ネットワ−ク」で、カネミ油症患者と共に、ダイオキシン国際会議でカネミ油症事件を訴えようと決まったからです。 □ダイオキシン国際会議に参加して ダイオキシン国際会議は1980年に発足し、毎年1回、世界各地で世界の科学者や政府関係者を集めて開く国際会議です。 1999年の第19回ダイオキシン国際会議はイタリアのベネチアで開かれました。国際会議は約1週間開かれます。公用語は英語ということで、英語のチラシを持ち、下手な英語でどうやったらカネミ油症事件を説明できるかしらと思いつつ、ベネチアに患者夫妻を連れて行きました。 ベネチア国際会議には1千人が参加しました。国際会議は各分科会に分かれますが、開会前日の前夜祭には参加者全員が一同に会します。そこで参加者にどれだけ訴えられるかが勝負です。カネミ油症被害の大きなパネル写真を持って、カネミ油症を英語で訴えようとしたその時、異変が起こりました。なんと参加者は全員カネミ油症を知っていたのです。 □「YUSHO」は世界語 日本ではカネミ油症事件は、水俣病や広島と長崎の原爆症ほど知られていません。しかし、ダイオキシン国際会議では、イタリアのセベソ事件(1976年に農薬工場が爆発して高濃度のダイオキシンが空から降ってきた事件)と日本のカネミ油症事件と台湾の油症事件(日本のカネミ油症事件から約10年遅れて、台湾でも油症事件が起こった)の3つが専門家、研究者の間では有名な出来事だったのです。「SEVESO」(セベソ)と「YUSHO」(油症)と「YUCHEN」(ユ−チェン=台湾油症をそう発音する)は、「MINAMATA」「HIROSHIMA」と同じく日本語のまま通じる世界語だったのです。 □犯罪的な日本の研究者発表 被害者が国際会議に直接参加したのは、後にも先にもこれが唯一です。私たちは、イタリアのセベソに行き、そこで被害者の代表の人と直接会いましたし、グリ−ピ−スの計らいで現地で記者会見を行い、反響を呼びました。 しかし、驚いたのは、セベソとカネミ油症と台湾油症の分科会で、カネミ油症について発表した、日本の研究者の発表内容です。厚生省(当時)が認知する全国油症治療研究班に属する研究者ですが、「カネミ油症事件は当初(1968年)は被害が激甚だったが、31年経った(1999年当時)現在では症状が軽減している」と発表しているのです。全国油症治療研究班は九州大学医学部が中心ですが、彼らは当初の皮膚科が中心で、しかもその研究者が継続して観察している、九州電力社宅の被害者の状況を、あたかも被害者全体の病像であるかのように報告しているのです。 本当に重症の患者は、九大付属病院のような大きな病院まで来ることができず、自宅で苦しんでいます。年1回の検診も2〜3分しか診ないお座成りな検診であることと、医師が皮膚症状中心にしか診ないため、内臓疾患や生殖器疾患や精神疾患などの重篤な被害者は、あんな検診受けてもしょうがないと忌避しているのです。 □原田正純医師中心に自主検診を開始 とにかく、被害者の実態を知ろうということになり、水俣病で有名な、原田正純医師にお願いし、2000年に初めて長崎県五島列島の福江島と奈留島に、自主検診とヒアリング調査に行きました。 原田正純医師は熊本学園大学教授ですが、精神神経科が専門で、世界で初めて胎児性水俣病を発見された医師です。それまでは、胎児は胎盤に守られ、母親の体内の毒は胎児にはいかないと思われていました。しかし、有機水銀のような重金属はへその緒を通過し、母親は子どもを生む度に子どもに毒素を移し、母親は毒が軽減するという事実を発見した人です。 原田正純医師は人脈が広く、その呼び掛けで、医師や看護師たちが私たちの自主検診に参加してくれました。自主検診やヒアリング調査は、これまでに10回近く行なわれてきました。疫学が専門の津田敏秀岡山大学医学部教授とは、この自主検診活動で知合いました。 □初めは警戒していた被害者がやがて カネミ米ぬか油は高級な植物油として知られていました。皇后陛下も愛用しているとか、健康にも美容にもいいというのがカネミ油の売りでした。 五島列島(福江島、奈留島、久賀島、若松島、中通島)は漁業が主の島で、有名な五島椿の産地で、油は椿油を使っていたので、本来はカネミ油とは無縁でした。 ところが、事件が起こった1968年は、たまたま椿油が不作な年で、そこに、高級なカネミ油を格安で販売すると、カネミ油が島に持ち込まれました。あとでわかったことですが、再脱臭した劣悪なカネミ油が持ち込まれたので安かったのだと言われています。 何も知らない島民は、カネミ油で魚を天ぷらにして食べました。ダイオキシンの毒入り油で元気がなくなると、もっと精をつけようとさらに天ぷらを食べたり、美容に良いと、そのままカネミ油を飲んだ人もいました。 五島列島は隠れキリシタンの里です。島のあちこちに教会が立ち、異国情緒のただよう美しい島です。黒い赤ちゃんが多く生まれたのも、堕胎を避けるキリスト教の影響があったと言われています。 かくして、カネミ認定患者の約2割が五島市に集中したのです。 初めて自主検診やヒアリング調査に入った時は、多くの被害者は私たちを警戒しました。何の血縁も地縁もないよそ者が、事件から30年以上も経ってから、なんで来るんだというのが警戒の理由です。今では笑い話ですが、カネミ油症被害者五島市の会会長がこう言いました。「やって来た人たちは、今はやりのオレオレ詐欺の仲間だと思った」。 こんなこともありました。ある被害者の家に原田正純医師たちと訪問しました。その家の奥さんは複数の黒い赤ちゃんを生んだ人です。ぜひ原田先生に診てもらいたいというので訪問したのですが、家に入ったとたんに主人が出てきて、「お前ら、今ごろ何しにきた。来るなら仮払い金を払う前に来い」とどなり、殴りかからんばかりの勢いでした。私たちは急いで家を出ましたが、その家の奥さんが出てきて言うことには、「お父さんを許してください。カネミを食べる前は人一倍元気な人でした。健康な人を見ると悔しいんです」。 その後、私たちが何回も島に足を運ぶことで、私たちの本気さ真剣さが伝わりはじめ、やがて、被害者とネミ油症被害者支援支援センタ−のきずなが生まれるようになっていきました。 www.wesleyan.ac.jp/~peace/2foods/02nagasaki_siborto.htm - キャッシュ
食品を介したダイオキシン類等の人体への影響の把握とその治療法の開発. PDF1. 14MB 添付資料 PDF632KB 全国油症治療研究班 班長 九州大学病院油症 ダイオキシン研究診療センター長 ... 五島市の概要/五島市支援行動計画/ 五島市食育 推進計画/
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