光、射る

光が、絶対的なものから相対的なものへと価値を変えようとしているから、僕も変わろうと思う。

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『空白の絶望感』

 空白の絶望感。
 主人公・O(オー)が抱える心情を言い表すのに、この以上適切な言葉は他にないだろう。

 いみじくも物語冒頭でOが告白したように、彼には『絶望を感じなければならないような必然性は全くない』。彼のプロフィールをいくら洗ってみても、家族との不和、他人と比べての著しい劣等、過去の精神的外傷など、絶望を抱えるに相応しい事実は何一つ見当たらない。それゆえに彼は、自身の感じている絶望の理由をはっきりと説明することができずにいる。

 Oが絶望していることは誰の目にも明らかであるにも関わらず、その暗さはどこか真実味を欠く。その嘘くささを喩えるならば、こんな風に言えるだろう。全面に黒を映し出したテレビやパソコンのディスプレイが、実際には弱く鈍く発光しているのと似ている、と。もし完全な暗闇に放り込まれたなら、彼の発する暗さは、きっとそこに光を感じてしまうほどに明るい。決して暗闇に飲み込まれることのない、仄明るい光を発する絶望。

 それがOだ。

 『誰もが不幸だと納得してくれるような分かりやすい事実がなくったって、ふとした拍子にこの世に絶望してしまう』ことはあるのだと、Oは主張する。人として在る限り続くそれは、『償うことすらできないという点において原罪よりもさらに罪深い』のだそうだが、Oの表現はいささか大袈裟に過ぎる。共感できない思いについて、どれだけ説明されようと、そんなのは聞いていてうるさくなる一方だ。僕が読んでいて面倒臭くなったのと同じように、Oの周囲の人たちもまた、彼を疎んじるようになった。

 しかし、Oは相変わらずだ。

  『もしも、ドラマや漫画、アニメのキャラクターのように、分かりやすい不幸を背負わされたなら、そのほうが、よほど楽に絶望できるんじゃないか? 背負っている荷の重さがあるからこそ、しっかりと地に足を着けて歩むことができるのかもしれない』。

 方法論としてはかなり自虐的で自傷的な発想に辿りついた彼を見て、僕はいったん本を閉じた。Oの周囲にいた人たちのようにOに呆れたわけではない。Oの独白形式で語られた本作は、読者に非常な疲労を強いるものだったらしく、最初から最後まで休みなしで読むことはできなかった。
 
 一週間ほどの休憩を挟んで再び本を開いたとき、そこには例の自傷的発想に基づいて自傷や買春を試み始めたOがいた。ただ、そういった手頃に手に入れられてしまう非日常的行為によって、彼の絶望が埋められるわけがなかった。安全な危険をいくら積み重ねたところで、そんなのは最初から想定済みの危険でしかない。自らの選択によってもたらされた試練など、最初から乗り越えられるために存在しているようなものだ。案の定Oは、あえて背負った不幸をことごとく、そして着実に克服していった。

 何も絶望すべき事実がないのに絶望し続けたOには『不幸耐性』とでも呼ぶべき性質が備わっていた。この耐性を自覚したあたりから、Oに変化が見え始める。あえて不要な不幸を背負い、それを克服することによって、やっぱりまた絶望できなかったと肩を落とす。『絶望できないことに絶望する』という逆説的なOの在り方が浮き彫りにされていった。

 ラスト十数ページ、どんな試練にもへこたれないOの姿を見た一人が、半ば呆れた様子でOに語る。『この世の中にお前を絶望させる出来事なんかありゃしないよ』と。この一言がきっかけとなり、Oはようやく絶望に辿りついた。布団に篭城する形で塞ぎ込み、起き上がれなくなってしまう。もし物語がここで終わっていれば、ある意味では、少なくともOにとっては、ハッピーエンドだっただろう。

 作られた、人工的な絶望から脱することで、真の絶望に達することができたのだから。ようやく人間らしく、真面目に悩むことができるようになったのだから。そんなオチなら、多少絶望的だろうと、生き方としては素敵で誠実に映ったかもしれない。

 しかしある朝、Oは不敵な笑みとともに復活する。その笑みの理由は明らかだ。つまり『どうやっても絶望できないだなんて、これ以上ないくらい絶望的じゃないか。こんな素敵なことはない』というわけだ。彼は事もあろうか、ここまでの絶望を全部ネタにしてしまった。

 絶望したいという理由で不幸を求め、絶望できたことを素敵だと誇る。人によっては、そんな彼を不謹慎だと蔑むかもしれない。けれど、僕はOに【メタ絶望者】という新たな形容を付与する。絶望さえも俯瞰し、客観視することによって、ネタ化する。それは克服するどころの騒ぎではない。絶望さえも意識的に利用することを可能としたOは、【圧倒的な強者】のモデルだ。

 勝ち負けの概念から逸脱したOに『強者』という呼び方は適切ではないし、Oが誰かを『圧し倒す』姿も想像しがたい。そういう意味で、メタ絶望者たるOは、言外の存在であり、人であるかどうかも定かでないことを捉えれば、人外と言うことだってできるかもしれない。現実に僕の知り合いの中にOのような人物はいないけれど、この世のどこか、おそらくは都心部の、物質的に豊かな場所に必ず潜んでいるはずだ。

 Oのような人物は最初、誰の目にも宇宙人みたいに見える。しかし、そのあとの対応は人によって決定的に異なる。すなわち、背を向けるか、それとも手を差し伸べるか、だ。これからを生きる人たちには用意が必要だ。Oのような生き物に出会ったとき、一体自分がどういった態度を取るべきか。万が一、Oのような人がいるわけがないと思う人がいたとしら、僕はその人と意見が合わない。小説やドラマで描かれた人や物は、既に、あるいはいずれどこかに存在するのだから。

 最後に、あとがきに書かれていたエピソードについても若干触れておきたい。筆者によれば、この作品は『こんな感想文を書きたくなるような小説を書いて欲しい』と頼まれて書いたものだそうだ。つまり、この作品が生まれるより先に感想文があった。それでは順序があべこべだと言う人もいるだろう。しかし、実際に物事の順序が破綻していることなど現実にはよくある話だし、個人的にはありだとも思う。Oが絶望を引き起こすより先に絶望を欲したように、依頼者もきっと、小説より先に感想を欲したのだろう。

 現実が常に、描いた理想の後から遅れてやってくるのと同じように。

 理想を描いた依頼者が別の感想文を準備しているとしたら、作者はそれに応えてくれるだろうか? 
 否、応えてくれると信じる。

 欲するばかりで現実を変えられない空想家が抱く空白の絶望を、どうか、埋めてあげてほしい。
 どうか。


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