「また暴動か?」「もはや暴動ではございません。これは革命です!」
首相官邸前デモ記事には、ブログご訪問者以外にも、皆様からいろんな反響有難うございました。
最初かなり意図的にメディアから無視されていたのに、これだけ話題になると今度は賛意両論の報道が加熱してくるから面白い。総理の余りにデリカシー欠いた「大きな音だね」発言が、余計に燃料を与えてしまったようで。
政治体制が崩壊寸前には、体制のトップが「てんで分かってない」発言をするものですね。
フランス革命のときの、民衆の決起の騒ぎでベッドから起きたルイ16世が「また暴動か?」と寝ぼけたのを「いいえ陛下、暴動ではございません。革命でございます!」マリー・アントワネットに至っては「民衆は何を怒っているの」「陛下、民衆は今日食べるパンが無いのでございます」「パンがない?パンが無ければお菓子を食べればいいのに!」政財界のトップの言動を見てると「あ〜〜末期だ、末期」って思いますよ。
7月16日は東京・代々木公園で「さようなら原発10万人集会」が予定されていてましたが、まあそうそう東京にデモのためだけに行くのは難しい。まてよ、各都市でも何かやってたんじゃあと検索すると、ヒットしました。それもご近所。
名古屋市東区の地下鉄桜通線「高岳」すぐに関西電力東海支社があり、毎週金曜日18:00〜20:00に再稼働反対デモがあるという。よし行こう!
18:00直後は20人ぐらいしかいなかったのが、30分ぐらいで見る見る増え。
警備員も何人も立っていました。
TVはメ〜テレ(名古屋テレビ)朝日新聞やしんぶん赤旗、その他ソーシャル系の自主取材の方々も。
ここも東京のデモと同じく主催者がきっちりルールを徹底していて、整然とした
感じすらあります。
「再稼働反対!」「再稼働反対!」ワンパターンですが、太鼓や鳴り物で延々とやられると、きっとビルの中で聞かされる側は、しまいに幻聴になるな(笑)
どっから見てもフツーのおじさんオバさん、おにーちゃん、おねーちゃん、主婦に子供たち。今まで何かデモに参加なんて思いもよらない人々だったと思う。
人数が膨れ上がるに従って、途中からヘルメットの警察が応援に駆けつけ、ちょっと物々しい雰囲気に。パラパラだった雨も本格的に降り出した。
お巡りさんが険しい顔で鉄火に寄ってきて「どこの媒体さんかな?」一応キャノンにプロストラップを付けているので、どっかの記者と思われたらしい。「すいません、花火とか普段はほかのジャンルの写真で時々仕事してるんですけど、今日はブログ取材の『なんちゃって報道カメラマン』なんですよ〜!」お巡りさん、ブっと噴き出した。「そ、そうなん(笑)」住まいも近所だしと言うと、お巡りさんたちも毎度おなじみ東署のみなさんでした。「ブログってどんなん」「あっ♪良かったら覗いてね〜」とブログ名刺を署員の皆様に配布。デモでお巡りさん相手にブログの広報してどーすんだ(爆)
このようなお茶目な着ぐるみで
参加の方もいらっしゃいます。
いやあコスプレもデモにおいては有効な戦術かもですよ。
百円均一で小道具いくらでも
あるしねえ。
「ふざけてるのか
」
と言われる可能性もあるけど
メイド姿やバカ殿やうさぎ相手は
機動隊も脱力してしまうっしょ。
雨がいっそう激しくなっても、寄せ集めながらデモ隊の熱気は衰えなかった。
大義と名分はこっちにあるんだからねっ!
「デモで何が変えられる」と言う人もいるけど、サイレントマジョリティーだった大人しい日本人が、とうとう我慢しきれず街に出てきただけでも凄いし、これは長い闘いになるとみんな意識している。相手が音をあげるまでやるんだと。やらないより、ささいな行動でもやるのは1000倍まし!東京まで行くのは大変だけど、こんな近所で参加できるなら、ヒマが見つかれば必ず行こうと決めた鉄火でした。
よくコントロールされたデモですが、こういう人が集まる所になると発生する、便乗組の管理について一言。東京では「再稼働反対以外のテーマの旗やプラカード、団体旗やのぼりはお断り」を徹底していた。それでもどさくさに紛れて反原発とは直接関係もないテーマのパンフ配布やグループの勧誘みたいなものがいた。名古屋でも「主催者に断りなさい」と言ったが、こそこそと女性のクォーター制だの、日蓮系の仏教団体のパンフなど渡そうとか声掛けを狙っている女性たちがいて、、近所の男性参加者と「そういうの不快に思う人もいるでしょ?」「終わってからにしたら?」と注意したのだけど、ありゃかなり確信犯だな。厳しい東京と違ってここの主催者はことわりを入れれば基本OKにしてたし、厳しく言うより人数集まってくれたらと計算したのかもしれないが、反原発で集まったニュートラルなセンスのお母さんたちが、いきなりフェミや訳分かんない宗教系のパンフを押し付けられそうになったら、どういうネガティヴな反応起こすか予測がつく。テーマを絞ったから成功している東京のデモのことを思えば、こういう「便乗」は基本、ノーサンキューにした方が望ましいと考える。
デモ記事について多くのポジティヴなご意見や激励を頂いた一方で、感想を求めても「逃げたな」「さりげにスルーしようとしたな」と(モロ分かりますよ)感じる方々もいましたね。電力関係でもスポンサーかお身内にいるんでしょうか。それを責める気にもならないけど、本来の日本人の多くは、それが正しいか正しくないかより、目立ちたくない、多数派でいたい、イイコでいたいという「保護色志向」が強いですからね。たぶん反原発がメジャーな社会運動と認知されると「実は私も前から反対だったんですよ」とかしたり顔で言いそうだな。
ただし、鉄火の場合「何のために写真を撮っているのか」という自分のアイデンティティに根ざした問題だから、これは万一の何かのデメリットを覚悟しても、自分の立ち位置ははっきりしなきゃいけない。
人間性や社会の成り立つ前提、人間的価値を否定する経済至上や原発を容認しながら、いくら崇高な美や社会や人間の素晴らしさを写真で表現しようとしても、それは矛盾ってものじゃないのか??
花火や祭り、食や美しい自然や風景、豊かな歴史や文化‥‥日本人に生まれ、日本の豊穣な文化に育てられ、人としても写真を撮る人間としても、無限の恩恵を受けてきた、愛着深い日本の風土や自然が破壊されるかもしれないのに、日本人としてどうして黙っていられるのか。
昔、とあるピアニストが「私は音楽家だから政治とは関係ない」と言うのを聞いて「だからあんたは三流なんだ」と思った。芸術家が政治にスポイルされることは良くないが、たとえばベートーヴェンは?ショパンは?ショスタコーヴィッチは?シベリウスは?政治に無関係でいられたか?社会状況がせっぱ詰まったとき(たとえば戦時下)抵抗として純粋にロマンティックかつ詩的な作品を作り続けるということはあるかもしれない。しかし「関係ない」というのがただの逃避なら、芸術をやる資格すら怪しい。
鉄火の、日本人としてのほんとうに深い「痛恨」の思いがあるのです。愛する自分のお母さんに「今カネに困るから、こうしとけばカネになるからオフクロ」とダイナマイトを抱かせますか?今、母なる日本にされているのは、つまりそういう事です。
日本の文化を語りながら日本の風土や自然を破壊するかもしれないものを容認できない、それだけは人として絶対譲れないのです。理解してくださる方が増えればうれしいです。