無芸大食

取り留めもなく色んなことを書いてますが、内容がなくて申し訳ありません。お立ち寄り戴けましたら狂喜乱舞致します。リズム音痴なのに?

京都

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 貴船にて―― 2010-09-03
 
 
鞍馬から貴船まで
鞍馬寺の参道(山道)を歩きました。
そうして、観光地として賑わう
貴船の喧騒を避けるように、
川床料理を楽しむ人混みから逃げるように、
京風情のある小物雑貨を扱うお店に入りました。
小粋な店のその奥は、
上り框をあがると町屋の和室然としていて、
そこで戴いたケーキセットは
ミスマッチのような気もしましたけれど
不思議な世界へと
暫しの間、誘ってくれました。

 弱くもありて
 強くもありて
 波の寄せては引くかのように
 心に押し寄せてくるものがあるのでしょう。

そっと夢を見ることも
余裕のない日常を送っている現代人にとっては
夏の夕涼み(最近はそんな風情もなくなりましたけれど)のように、
心に一条の清涼の風は必要なのでしょう。

川床(※)の桟敷は
夏は週末の
喧(かまびす)しい
観光地の喧騒を
少し忘れさせてくれました。
(※川を覆うように床を渡したものは「かわどこ」と読むそうです。一方、鴨川で見られる納涼床は川沿いに桟敷席を設けますが、この場合は「かわゆか」、もしくは単に「ゆか」と呼ぶ(読む)そうです)

静かに、そっと夜も更けると
昼間の人いきれが嘘のように
あたりは人気がなく深閑としています。

 寄せるも引くも
 思いは焦がれて
 沢の蛍火(ほたるび)
 またたきて
 微かに
 こととうものにして
 貴きものは数えしれず
 ふと、思う
 わが身より
 震えいでしか
 蛍火よ
 高くのぼりて
 夜空に瞬く
 天の川
 幾千万、真砂のごとく
 ちらばめて
 寄せる思いに
 星は光りぬ

 これはあとで雑詩にでも入れておきましょうか。
(FC2ブログには、パージされたHPの残滓を集めた詩集がありましたためこういう表記になっています。筆者註)

哲学の道

 五山送り火の右大文字の麓にある銀閣寺の近くに疎水が流れていますが、そこから哲学の道は始まります。
 吉田山を起点とすると、大文字を目指して、白川通りに降りて、そこから法然院に向かうコースになります。白川通りからは住宅街の中を歩くことになりますが、坂道の斜度がきつくなり、息が上がる頃、突然、琵琶湖疎水の分流が現れます。この分流沿いの小径が哲学の道です。わたしが散策するとなるとこのコースを取ります。
 ここから、左に折れると銀閣寺へ、右へ折れると南禅寺へ向かいます。哲学の小径は銀閣寺から南禅寺までで、距離は1.5kmほどあります。端から端までを歩くとなると少し長い? それとも散策には丁度良い距離でしょうか。
 この小径も整備されて久しいかもしれませんが、古にタイムスリップしたかのような思いがします。また、桜並木でも有名です。春、桜の季節には、風に揺られて、桜木が囁きかけてきます。わたしは、桜の季節には殆ど訪れたことはないのですが、それでも夜間になれば、人通りも少なくなったのを覚えています。

 最近では、紅葉の季節に訪れました。永観堂に少しばかり立ち寄りましたが、昨年は紅葉が遅く、訪れたのは11月の末でしたが、一週間ぐらい後が見頃のようでした。哲学の道界隈のスポットとしては、この永観堂の他に、銀閣寺、法然院、南禅寺などがあります。何れも紅葉で有名なところです。
 晩秋でしたから、小径の桜木は何も語らず、実に静かでした。冬に備え、そして来たるべき春を待っています。冬を迎えるこの時期であっても、桜木の中では既に春に向けての備えが始まっているようです。そう思うと、不思議と心に訴えかけてくるものがあります。桜の季節にはまだまだ遠いですが、桜木は着々と準備を進めています。人知れず、静かに。こういうところが日本の美意識に合うのでしょう。
 そうして時節がくれば、阿吽の呼吸で咲き誇ります。桜花爛漫――花びらの下では、淡い光が拡散されて、こそばゆい思いがします。幾分、場違いなという思いがあるからだと思いますが、事実、わたしには似合わない。
 そうして、次の瞬間には、春風に、惜しげもなく桜吹雪を散らします。何も、散り急がなくてもいいのにと、無粋な、桜の潔さをまるで解さないわたしがそこにいます。
 哲学の道は、四季折々の風景をみせてくれますが、昔はゲンジボタルが夢幻の境地に誘ったとかも聞いたことがあります。小径は色んな顔をもっています。季節によって趣を変える小径を一人散策するのも粋なのでしょう。

 ところで、哲学の道は、元は「思索の小径」と」呼ばれていたそうです。京都学派の創始者である、西田幾太郎先生が好んで散策し、思索に耽ったことから「哲学の小径」、「哲学の道」と呼ばれるようになったと言います。
 わたしは、道の中ほどにある法然院近くから銀閣寺の方へと行くことが多いのですが、そこに小さな石碑があります。そこには西田先生が詠まれた歌が刻まれています。

 「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」

 流石にずっしりときますね。石碑を見ていると、タイムスリップする思いがします。凛とした西田先生の気概をそこに感じます。
 わたしは、吉田山どまりで、哲学の道まで訪れることが殆どないのですが、折角ですから、偉大な先哲の歩んだ道で、少しばかり思索に耽るのも良いものかと……真似ようとするのですが、果たして、浮かんでくるのは雑念ばかりです。思索は生き様に裏打ちされているのでしょう。
 まず、怠惰な生き方を自省して、自己変革してからですね。そうして、季節が巡り、次に訪れるときには、桜木も何かを語ってくれるかもしれません。

五山の送り火

2007年
8月16日(金)
ある人にメールを送りました。
一部を引用します。
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昨日はそそくさと帰ってしまいましたが、
暮れゆく京都に集う人々の流れが既にできていました。
ふと、揺れる送り火が思い出されて
妙なる大なる火は、懐かしくもあり
一瞬、人混みにまぎれようかしらとも思いましが、
でも、直ぐに電車に乗り込んでしまいました。
一人ではつまらない……
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以下は、昨年、ミクシィの日記に掲載したものです。
どちらも遠い目〜

8月16日(水)
大文字 五山の送り火は8時から点火されますが、インターネットは便利ですね。居ながらして次のような情報が手に入ります。

○2006年8月16日
・大文字 午後8時00分点火
・妙 法 午後8時10分点火
・船 形 午後8時15分点火
・左大文字 午後8時15分点火
・鳥居形 午後8時20分点火

 そこに、「夜空を焦がす炎の競演」と、ちょっとセンセーショナル過ぎるコメントが目を引きました。

 ところで、わたしが思い出すものは――
 小料理を持ち込んで、送り火を眺めていた素敵な女性のこと。
 もちろん、そこは室内ということになりますが、残念?職場です。
 何をするにしても優雅な人はいいですね。心が癒されます。その方、人との間合いを自然とはかってしまう方でした。

 思えば、通り過ぎていった女性は素晴らしい方ばかりで、幸運を噛みしめています。今のご時世にあって、皆さん、ほんと、しっかりした真面目な方ばかりでした。なのに?
 疑問1(直ぐに想像できると思います)は飛ばして、
 疑問2 男性はなぜこんなにもだらしないのか?
 と思います。ただ、話が逸れそうなので、この辺りでやめておきます。

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