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中山和記です。 今日は、ぽかぽか陽気だったので、銀座を散歩しました。 午後、打合せで日比谷に出て終わりが午後一時半。 お昼を食べ逃して・・ どうしようと、このまま会社へ戻ってローソンのおにぎりで済まそうか・・と。 ふと、思い出したのが中華店「慶楽」。 この店は30年以上も前から、そこにある。 単純なメニューだけど、この店の肉青菜のかけご飯は最高なのだ。 で、行ってみました。 出来上がったかけご飯にテーブルに常置してある刻み唐辛子をたっぷりとかける。 酢で一回煮てあり辛さが半減しているので、山の様に乗せても平気。 甘辛さが丁度、肉と青菜によく絡み合い、とにかく美味いのだ。 さて、お腹慣らしに歩こう・・! そう決めた私は、みゆき通りに出た。 かつて「みゆき族」が闊歩していた通りは、昔とそう変わりない。 ロングスカートを穿き、片手に大きな紙袋を抱えて歩くのが流行りだった。 時代は「竹の子族」になり、「ガングロ族」(?)に変わり、そして・・・。 ま、いいか。 そのままぶらぶらと歩き、みゆき通り散策と相成った。 「銀座風月堂」がある。 もう半世紀近い喫茶店だ。 確か・・。 「シャネル」が直ぐに眼に入る。 ブランドイメージが合わないということで、お客であることを断られた女優さんがいるという話を聞いた。 なんと哀しいことか・・。 マリリンモンローが寝るときに着けた寝巻が「シャネルNo.5」という話は有名過ぎる。 いや、古すぎる話だ。(反省) あっ、「グッチ」だあ! グッチのデザイナー、トム・フォードは世界のクリエーター達に多大な影響を与えて、独立した。 彼の唱えたトータルデザインのフィロソフィーに、私も少なからず影響を受けた。 うん、偉い人だ。 で、歩く。 この通りにも、ギャラリーが点在している。 エゴンシーレの絵が展示してある。 きっと、100万は下るまい・・。(ひやー!) ナルシストの最たる人物として、興味がある。 その「自画像」を観ようと絵画展に足が入りかけるが止めとこ。 人が多い。 また、道行く人を眺めながら歩く。 ブランドの店が少ないせいか、あまり若い女の子は見かけない。 しかし両サイドには老舗の店が多い。 着物に絡んだ店も多い。 きっと、昔は着物で銀ブラして、覗きながら買い物したのかな・・。 いつの間にか昭和通りにぶつかる。 戦後に、ある都知事が周りの議員達の猛反対を押し切り作った道路だ。 絶対に、将来自動車社会になる。 そのために今対応を考えておかなければ手遅れになる。 と、主張して大通りを建設させた。 当時ガラガラ空きの完成した道路を見て、人々は「無駄を造った」と知事を非難した。 しかし、30年後。 この道路が無かったら、東京都は大渋滞の大混乱を招いたに違いない。 いつの世も「賢人」が必要なんですよね・・。 道を越えると、「木挽橋(こびきばし)」と書かれてある。 きっと昔は川が流れていたんだ・・。 そうだ・・! 当時、この川を眺めた記憶が蘇る。 川に荷物を運ぶ小船が浮いていた・・。 その川岸には女性を誘う「連れ込み旅館」が点在していた。 当時には女性と食事をお座敷で済ませ、隣の襖を開けると布団が敷いてある。 という仕掛けだった。 (わ、わたしには、か、関係のない話ですよ・・!) しかし、昭和36年にその築地川が埋め立てられ、眼下に走る高速道路に変わったのです。 その上に架かっているのが「采女橋(うねめばし)」。 お江戸の頃、大名の松平采女の守の屋敷があったので、以前は「采女ヶ原」と呼ばれていたらしい。 そこに銀座は広がり、戦後「新橋演舞場」が築かれた。 銀座の柳(戦前に有名)を記念して、橋の欄干には柳が刻まれている。 あ、もう「みゆき通り」めぐりは終わったんだ。 ここまでで、御仕舞い。 後は、そこは築地。 新大橋通りには「銀座の柳」が、今でも涼しく連なって風に揺られている・・。
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