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先に、伊勢堂岱と小牧野は、出土品の年代においてもドンピシャリだと書きました。
ホントにそうでしょうか?
下は伊勢堂岱遺跡から出土した土器の一部ですが、 縄文後期前半の十腰内(とこしない)Ⅰ式期をメインとしています。 東北の縄文式土器としては極めて異様な土器群です。
何が異様かって、ほとんど「縄文」が施されない土器群なんですね。
土器の型式名とか編年の新旧を論じ始めると、考古学者は必ず噛みついてきます(笑)。特に、このあたりの土器の変遷については研究者の意見が合いません。厳しい言い方をすれば、木を見て森を見ないような意見も多いですね。
土器を細かく分類すればするほど、生活の変遷を細かく知ることができるとの幻想を抱く考古学者が多いのですが、実際にはそんな事はありません。 土器に限ったことではないですが、遺跡から出てくる遺物というのは、捨てられたか、埋められたか、置き去られたか、他所から移動してきたか、といういずれかの状態で出土します。製作されてから、機能を失うまでの時間幅は、遺物によってさまざまです。 今でも、30年以上前の車に乗っている人もいれば、電気自動車に乗っている人もいます。この二つが衝突し、同じ廃車置き場に捨てられたとすると、この廃車置き場の二台の車は、考古学的には「一括遺物」(明らかに同時に廃棄・遺棄・埋納された遺物群)と見なされます。製作された年代は明らかに違うのに。。。 土器の新旧を見定める「編年研究」というのは、①製作の時間差、②使用の時間差、③廃棄の時間差という3つの時間差の、どこに主眼を置くかで変わってきます。しかし、いかに精密な方法で①を突き止めたとしても、それによって遺跡内における遺構の細かな新旧を決定することはできません。その情報は、発掘調査のプロフェッショナルが、血眼になって発掘現場から収集する以外に方法はないんです。 脱線しましたが、ほとんど縄文を用いない十腰内Ⅰ式という特殊な土器群が成立する過程については、20年以上前の論文で発表された以下のような流れ(左から右へ)で大筋は当たっていると思います。伊勢堂岱・小牧野のメイン時期は、この図の一番右の段階に当たります。 これは、伊勢堂岱の環状列石内から北を眺めた写真ですが、なんとなく道みたいになっていますね。
これを模型で見てみましょう。 上のほうに道らしきものがあり、そこから左右にメロンの弦みたいな列石が伸びています。
鹿角市の「大湯環状列石」でも、こんな「弦」状の列石が伸びています。 俗なる空間から聖なる空間への通路なのでしょうか。
大湯の場合は、「環状列石」というよりも、「環状組石群」と呼ぶのが正確です。
このとおり、石で組まれた遺構の集合体なんですね。
大湯でも、伊勢堂岱・小牧野と同年代の土器群が出土していますが、年代幅はさらに広くなります。
ただ、保存を前提とした発掘調査は、遺跡に入れるメスを最小限にとどめなければなりません。
その結果、わからない事がまたしても山積みになっているんです。
今日は、立て続けにまじめな記事を書いてしまいました。
この続きは、また気が向いたときに。。。
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歴史学・考古学







いや〜、これも興味ある記事でおもしろ〜い…勉強になりました〜…^^。
なんたって、北東北と南北海道で世界遺産登録を目指すって話、なかったでしたか…?^^♪
2012/5/11(金) 午前 6:15
hiroさん、おはようございます。鹿角大湯のストーンサークルは十和田湖に行ったときに立ち寄ったことがあり、とても懐かしく拝見させていただきました。ポチ☆
2012/5/11(金) 午前 8:55
こんばんは。仕事で遺跡の調査報告書を取り扱う機会がたまにあります。発掘をした成果が調査報告書に事細かにまとめられていて、発掘に携わる先生方はすごいですね。
[ 信夫国造 ]
2012/5/11(金) 午後 7:41
ビナヤカさん、おばんです。
考古学者にはついつい厳しい意見を書いてしまうので、読み直して反省しました。
そうそう、国指定史跡になっている道南と北東北の縄文遺跡群が世界遺産登録の候補になっていますね。候補遺跡を見ると、その脈絡を説明しにくいものもあるので、認定に向けてどう理論武装していくかが大事になってくると思います。
2012/5/11(金) 午後 10:53
keiさん、ポチ&トラバ毎度ありがとうございます。
大湯は私にとっても懐かしい想い出の場所です。
今みたいに整備されていなかった学生時代に、一人泊まり込んで出土土器の実測調査を行ったりしました。
2012/5/11(金) 午後 10:59
信夫国造さん、こんばんは。
そうですか! 仕事で調査報告書を扱われることもあるのですね♪
報告書にはたくさんの情報が記録されますが、その記録と引き替えにほとんどの遺跡が失われていくという現実があります。
いかに精緻な報告書であっても、そこに記録された情報から、失われた遺跡の空間的関係を復元するのは困難だというのが現実かなあ、と思っています。
2012/5/11(金) 午後 11:08
おはようございます。
たしかに、hiroさんのおっしゃる通りですね。
道路などの開発の為に遺跡を調査し報告書を作成するのですから、その遺跡は失われてしまうわけですね。
私は市内の印刷会社に勤務しており、hiroさんの勤務先からもお仕事を頂いております。
昨年発行された「直江兼続と関ヶ原」は、某MK印刷さんだと聞きましたが、ぜひともお手伝いしたかったです。
もちろん、文化センターで購入させて頂きましたよ。
[ 信夫国造 ]
2012/5/12(土) 午前 9:49
信夫国造さん、おばんでございます。
いやあ、世の中せまくて悪いことできないですね〜!
冷や汗ものです(^-^;
専門家は、やたら細かな校正指示を行うことが多いので、報告書の印刷はさぞかし骨が折れることと思います。
替わって私がお詫びいたします(笑)
2012/5/12(土) 午後 7:50
ヒロさま、お久しぶりです。かわいい(笑)後輩のchacoです。
今や近世の仕事ばかりの私も、近世に関わり始めてからずっと、一括遺物の取り扱いには悩まされました。特に近世では生産地と消費地での時間差、加賀藩のような産地から直接最新作や実験作まで集めるような藩と、江戸市中のごく当たり前の遺跡との時間差などを考慮していかないと解らないところがたくさんあるのに、ある時期、細分に細分を重ねる派の縄文土器の方法が持ち込まれ、ほぼ10年近くを無駄にしたような気がします。
話は変わりますが、今年の協会は次女が今年から通っている大学なので(社会学ですが)、久しぶりに行ってみようかななどと思っております。ポスターセッション会場でお会いできたらうれしいです。
[ chaco ]
2012/5/21(月) 午後 9:09
めちゃ可愛い後輩のchacoちゃん、ご無沙汰しててゴメンなさい。
社会学の方に進まれたのですね♪
進学おめでとうございます。
そうそう、縄文土器の方法なんかを近世に持ち込んじゃダメですよね。
型式編年が万能みたいな錯覚は、確かめようのない古い時代にしか通用しないですよ。
・・・というか、それで通用すると思いこんでいること自体が問題なんですけどね〜。
近世陶磁はタイムスケールが全く違うし、しかも商品だし。。。
型式学はもちろん大事だけれど、遺構の年代や新旧の判断は、やはり現場から得る以外にないと思うんです。
そんな論文を書いたので、ポスターセッション会場に持っていきますね♪
2012/5/21(月) 午後 10:18
これはまた、本格的な記事ですね。
トラバありがとうございます!!
2015/11/14(土) 午後 9:57
>Kenさん
こちらこそありがとうございます。
環状列石から出てくる土器の年代幅について、昔いろいろ調べておりました。
今もさっぱり分からない事だらけですけど・・・
2015/11/14(土) 午後 10:14