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福島県で唯一「強酸性」に分類される泉質を有するのが、沼尻温泉・中ノ沢温泉です。 いずれも源泉は同じなので、名称の違いは、温泉街の場所の違いに由来するだけです。
沼尻温泉 沼尻高原ロッジ 中ノ沢温泉 旅館花見屋
かつて、安達太良山の沼ノ平火口直下には、沼尻鉱山と呼ばれる硫黄鉱山がありました。 硫黄鉱山付近に自然湧出する源泉を山麓に引き湯したのが、沼尻温泉・中ノ沢温泉です。 鉱山が操業していた初期には、源泉付近にも温泉旅館がありました。
この源泉地帯周辺は、致死量に達する硫化水素ガスが滞留する危険があり、過去に犠牲者も出ていることから、あちこちに立入禁止とか要注意の表示があります。 かつてこの付近で採掘された硫黄は、索道(ロープウェイ)によって運搬されました。 現在は、湯花や資材の運搬に用いられています。 硫黄製錬所は、断崖越えの絶景ホールとして有名なボナリ高原ゴルフクラブ3番ホール付近(↓)にありました。 手前に見える白いのがズリ山ですね。
ボナリ高原ゴルフクラブ3番ホール(パー5)での私です。
断崖越えをあきらめ、安全に3オンさせたら4パットのダボ!(笑)
レディースティーからだったら谷を越せるんですが・・・(笑) 話題を戻します。 ここで精製された硫黄は、再び索道に載せられて、沼尻駅前に運ばれました。 沼尻駅前という地名と沼尻駅舎は今も残っていますが、鉄道はすでに廃止されています。
以前も記事にしましたが、沼尻硫黄鉱山と鉄道の歴史を以下にまとめてみます。 1888年(明治21年) 欧米式の精錬方式を導入して沼ノ平にて硫黄精錬開始。
1900年(明治33年) 安達太良山大噴火。火砕流が採掘場を襲い死者72名、負傷者10名の被害が発生。採掘事業が一時停止する。
1906年(明示39年)
採掘再開。
1907年(明治40年) 日本硫黄株式会社設立。精錬所を移設。
1908年(明治41年) 人車軌道敷設を開始。
1912年(明治45年) 馬車軌道に変更。
1913年(大正2年) 沼尻鉄道全線(JR磐梯西線川桁駅より沼尻まで)開通。蒸気機関車に動力変更。
1945年(昭和20年) 耶麻軌道が地方鉄道に昇格。
1953年(昭和28年) 鉄道にディーゼル機関車を導入し、スピードアップ。
1964年(昭和39年) 株式会社日本硫黄観光鉄道に社名変更。
1967年(昭和42年) 磐梯急行電鉄株式会社に社名変更。
1968年(昭和43年) 沼尻鉱山閉山。 沼尻鉄道廃止。
鉄道の名前は、沼尻軽便鉄道と呼ばれ、地域住民からは「マッチ箱」などの愛称で親しまれたそうです。 猪苗代町の「緑の村」に、修復されたディーゼル機関車と客車が残されています。 停車場跡には、保存団体の手で表示板が建てられています。
福島ゆかりの作詞家・作曲家による「高原列車はゆく」は、この鉄道がモデルだったのだそうです.。 しばらく中ノ沢温泉・沼尻温泉の記事を続けます。
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hiroさん、こんにちは。福島の滝めぐりで白糸の滝へ行った際、田部井淳子さんがオーナーのロッジと「高原列車は行く」の歌碑を見てきました。沼尻元湯の野湯にも浸かってみたかったのですが、リスクが高そうなので断念したところです。(^^ゞ
2013/7/21(日) 午後 5:17
keiさん、トラバ記事ありがとうございます。
ここは自然の驚異と雄大さにしびれる場所ですね〜。
元湯には、リスクを顧みず2回ほど行ってしまいました(笑)
2013/7/21(日) 午後 8:53
沼尻鉄道は川桁で乗換えだったんですね〜♪郡山にいた時川桁から通ってくる女子社員がいたんですよ。
3番ホールのショットはグッドショットだったでしょうね♪
2013/7/22(月) 午後 11:44
ままぞうさん、打ち出しが右だったのでヒヤッとしたのですが、自然にドローして、普通にフェアウェイに落ちました(笑)。
まっすぐ飛んでたら谷底でした。
2013/7/22(月) 午後 11:49
もう76年も前、大東亜戦争まっただ中、東京に暮らした子供たちは戦争の邪魔にならぬよう地方への移住を命じられました。親戚のある子はその親戚の元へ、親戚のない子供は学校ごとに集団で「学童疎開」することになり、東京都下谷区立竹町国民学校の男子児童が沼尻温泉田村屋と岩瀬屋に一年半ほど暮らしました。いろいろありました。二度とこのようなことのない世界を熱望しています。
[ 下町のお節介 ]
2019/8/8(木) 午後 3:04
> 下町のお節介さん
blogを放置してしまい、返信がたいへん遅くなってしまいました。お詫び申し上げます。
戦時中に集団疎開の場所となっていたのですか。地元なのに全く知らず、恥ずかしい思いです。
そのような悲しい歴史は、二度と繰り返してはいけませんね。
重く受け止めさせていただきました。
2019/8/19(月) 午後 9:52