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あの世への旅立ちの前にわが家に来訪した菩提寺の老僧

いつも年末のこの時期になると思い出す。私が中学二年生のころの出来事である。
私の家は兵庫県の山間部にあった(現在は空き家状態)。谷の奥まったところに五軒の家が点在しており、その一番奥にあるのが私の家である。したがって、我が家の屋号は「奥」である。
 
昭和三十四年十二月。祖父が危篤状態で入院していた。大人たちは皆、病院に付き添っていた。
 
冬休みの深夜のことである。家には私と三人の姉が「掘り炬燵」に入ってテレビを見ていた。テレビは、そのころまだ珍しかったので、村の人が見にくることもあったので、隣の部屋に置いていて、間の障子を明けた状態で見ていた。
 
テレビの放映が終了するころであったので、深夜の十二時に近いころであった。隣の部屋のテレビの後ろを僧衣姿の老人が通り過ぎて行った。私を含めて姉たちもその姿を確かに見た。
 
しかし、そのときは誰も何とも思わなかったが、十秒ほど経って姉の一人が、「今のは誰れ?」といった。
 
そういえば、いま、わが家には大人はいないはずである。テレビを置いてある部屋を覗きに行ったが、部屋は私たちのいる側を除いて三方が閉まっている。人が通り過ぎることができる状態ではない。しかし、明らかに左から右に僧衣姿の老人が通り過ぎたのである。
 
当時、まだ電話は普及していなかったが、私の家のある村の七地区だけを対象とした有線放送の電話があった。まもなく、有線放送で「二十一番」という呼び出しがあった。わが家の番号である。
 
私が受話器をとった。菩提寺からであった。菩提寺の老僧が今、亡くなったという知らせであった。私の家は寺の檀家総代をしていたので、最初に連絡してきたのだった。
 
とすれば、先ほど、テレビの後を僧衣の姿で通り過ぎたのは?菩提寺の老僧であったのか‥。
 
テレビの放映時間は過ぎていた。隣の家まで距離のある山間部の家である。堀炬燵はあるとはいうものの、冷え込む静かな冬の夜であった。田舎の広い家に、今、いるのは子供たちだけである。
 
  翌日、祖父が入院している病院に行って、菩提寺の老僧が亡くなった旨の電話があったことを話した。
 
すると、病気の祖父は、「夜の十二時ごろのことだろう。やはりそうだったか‥」と。祖父のところにも、老僧は挨拶に訪れられたようであった。

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