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日本人の宗教心意を探る①―「縄文人」と「弥生人」


 私は、日本人の心の根底に「アニミズム(自然信仰)」があると思っている。そして至極当然のように、「縄文時代以来のアニミズム」という表現を用いている。

しかし、この表現に対して、何人かの研究者から疑問の声をいただいた。一つは、「『縄文時代以来』というが、『縄文時代人』(以下、「縄文人」と記す)と『弥生時代人』(以下、「弥生人」と記す)の間に系譜的断絶があるとすれば、それを連続性の上でとらえるのは、いかがなものか」というもの。

もう一つは、「そもそも縄文時代にアニミズムが存在したのか」という根本的な問題である。

 ただ、前者については、科学の発達がある程度は解決してくれているようである。人類学者であり、骨考古学者でもある片山一道氏は、『骨が語る日本人の歴史』(筑摩新書)で「縄文人」について、次のように述べておられる。
 
まだ、陸続きに近い状態だった旧石器時代に、東アジアの大陸方面から「吹きだまり」 のように集まって来た人々が混合融合し、豊穣な自然に恵まれた「縄文列島」という舞台で、新しい革袋のなかで新しい酒が醸成されるようにして、新しい人々、つまり縄文人が形成されたのである。
 
氷河が溶けて海面が上昇し、現在の日本列島に近い状態になったのが、一万年余り前である。日本列島が形成されると、列島の両面を黒潮とその分流である対馬海流という暖流が流れるようになる。

すると、気候も温暖となり、食料も豊富になる。旧石器時代にこの地に集まって来た人々は、列島となってから一万年あまりの間に混合融合して形成されたのが、縄文人である。

この縄文人も、縄文時代後期には、日本列島を越えて朝鮮半島にも及んでいったようである。ミトコンドリアDNAを研究した篠田謙一は、『日本人となった祖先たち―DNAから解明する多元的構造』(NHKブックス)で、次のように報告されている。
 
 縄文時代、朝鮮半島南部には日本の縄文人と同じ姿形をし、同じDNA()をもつ人々 が住んでいたのではないでしょうか。
 
朝鮮半島には旧石器時代の遺跡・遺物はほとんど見られないようであるが、ただ、縄文き時代後期から縄文土器が出土する。とすれば、DNAの研究の成果と考古学の成果が一致する。

そして弥生時代になると、北部九州と朝鮮半島南端部には、支石墓・甕棺墓という墓が作られた。九州北部と朝鮮半島南端部は同じ文化圏であったと考えられるのである。

篠田氏は、「DNA分析の結果を見ていると、少なくとも北部九州と朝鮮半島南部は、同じ地域集団だったと考えたくなります」と述べておられるが、この点についてもミトコンドリアDNAの研究成果とも一致するのである。

ちなみに、いわゆる『魏志倭人伝』の邪馬台国への経路の記述のなかで、現在の釜山付近にあったと考えられる「狗邪韓国」を「倭の北岸」と位置づけている。

また『後漢書』東夷伝で、後漢の光武帝から「漢倭奴国王」の印を奴国王が賜与されたという記事があるが、九州の北端の志賀島にあったと思われる「奴国」「を「倭国の極南界」と記している。
このことは当時の「倭」の範囲を考える上で参考になろう。

では、縄文時代に続く弥生時代はどうなっていたであろうか。かつて弥生時代といえば、水稲耕作や金属器をもって大挙して日本列島に渡来した人々が、縄文人を東へ追いやるか、または混血して、「弥生人」が形成されたというような説が唱えられていた。

しかし、今は骨やDNAの調査・分析によってほぼ否定されているようである。

「弥生人」と一言でいうが、縄文人そのもののような「弥生人」や、縄文人に似た「弥生人」や、渡来系「弥生人」、さらにその上に地域的特色などが加味されて、様々な「弥生人」が形成されたようである。

ただ、かつて弥生人といえば、渡来系のようにいわれていたが、弥生時代の前期ごろには、北部九州においてさえ、渡来系「弥生人」はいないか、少なかったようである。片山一道氏の先掲書には、次のように記されている。
 
 おそらく倭人(弥生時代〜古墳時代に形成された日本人の原型)は、縄文人が各地域でさまざまに変容した縄文系「弥生人」を基盤とした。

 そこに、(弥生時代後期に)北部九州から日本海沿岸にかけて住み着いた渡来系「弥生人」が重なった。続いて、そのあたりを中心に両者が混合して生まれた混血「弥生人」が加わった。これらが混生した総体こそが「弥生人」、あるいは倭人なのである。
 
このように弥生人の内容は複雑である。ただ、基盤となったのは、縄文時代以来、日本列島に住んでいた人々の子孫であり、地域的に変容しながら、弥生時代後晩期に渡来してきた渡来系「弥生人」や、それらの人々と混血した「混血弥生人」など、様々な弥生時代人が形成されたようである。

とはいえ、弥生時代後期の人口を推計すれば、六百万人ほどであるが、渡来系は一万人程度であったともいわれている。

そうであるならば、渡来人の比率は六百分の一程度であり、日本列島に住む様々な弥生人の基盤になったのは、縄文時代以来、この日本列島に住み着いていた縄文人の系譜をひく人々であったといえるのである。

とすれば、縄文人と弥生人との系譜を、「断絶」とみるのではなく、「連続」するものとして捉えるのが妥当であるといえるのである。

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