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日本仏教はアニミズムの上に受容―日本人の宗教心意を探る②

日本仏教が縄文時代以来のアニミズムの上に受容されたという例を少し紹介しておきたい。

『日本書紀』天智天皇九年(六七〇)三月壬午(九日)の条に、
 
 山御井の傍に諸神の座を敷きて幣帛を班つ。中臣金連、祝詞を宣る。
 
という記事がある。

 この三年前の天智天皇六年(六六七)三月に近江の大津に遷都されているので、大津京のなかでの神事であると考えられる。

この祭祀の目的は、律令制に定着する前の祈年祭であるとも、神祇官の地鎮祭であるともいわれているが、不詳である。ただ、明らかなことは、「山御井の傍」で神祭りが行われたということである。

「山御井」とは、山の近くの井戸または泉であろう。元旦の「若水」は「いのち」を若返らせてくれる水であり、また水はわれわれの生命力を減退させる「ケガレ」を流し去ってくれる。水にはこのような霊力が宿ると信じられていたのである。

このような水の湧き出るところは、霊力の充満するところであると共に、清浄な場でもあった。それゆえに、原始・古代には、「井(泉)」や「滝」は祭祀の場として重要な意味をもっていた。いうまでもなく、アニミズムの一つの姿である。 

 ところで、先の天智天皇九年紀の「山御井の傍」は、こんにち園城寺(三井寺)の金堂の傍の泉―「三井の霊泉」といわれているのが、これにあたるといわれている。

このことは、言い換えれば、のちにこの泉(山御井)の傍に金堂(弥勒堂)が建立され、園城寺という寺院になったということである。園城寺は、別名を三井寺(御井寺)とも称されているが、それは「御井」といわれる泉の傍に建立された寺院であるところから命名されたのであろう。

 ところで、園城寺は琵琶湖の南端のやや西に所在し、西国三十三観音霊場の第十四番札所でもあるが、そこから湖東方面に行くと近江八幡市の琵琶湖を見下ろす小高い山に長命寺という寺院がある。

 長命寺も西国三十三観音霊場の第三十一番札所である。この寺院は、記紀の世界で十二代の景行天皇から十五代の応神天皇まで四代の天皇に仕え、三百歳の長寿であったと伝えられる武内宿禰が開山したとの寺伝をもつ。「長命寺」の寺号はこれに由来する。

この寺院の本堂の裏山の斜面に「修多羅岩」という大きな岩がある。開山した武内宿禰のご神体だと言われている。

「武内宿禰がこの山に登って柳の大木に『寿命長遠所願成就』の文字を彫って長寿を祈願したから、三百年も生きられた。そののち、聖徳太子がこの山に登って柳の木を見ていると、白髪の老人があらわれて、『この柳の大木で仏像を刻み、寺院を建立せよ』と告げて立ち去った。

そこで太子がこの木で「千手十一面聖観音」三尊一体の観音像を彫って、推古天皇二十七年(六一九)に寺院を創建した」という意味の伝承をもっている。

ここで明らかなことは、この寺院が「修多羅岩」と呼ばれる巨石の傍に建立されたこと、そして本尊の観音像がこの山の柳の大木で製作されたという伝承をもっていることである。

「修多羅岩」は、おそらく悠久の昔から、これを磐座として祭祀が行われていたのであろう。そして柳の大木も「いのちの宿る木」として信仰を集めていたのであろう。

すなわち、原始・古代からの祭祀の場に、そして「いのち宿る木」に、新たに観音菩薩を勧請して寺院が建立されたのである。言い換えれば、アニミズムの土壌の上に、「新しい神」としての観音菩薩を勧請したということであろう。

この近くに観音正寺という西国三十三観音霊場の第三十二番札所の寺院がある。この寺の本尊は、聖徳太子が彫ったとされる千手観音立像であったが、火災で焼失してしまったということである。

観音正寺は、いたるところに巨岩が露出した山の中腹というよりも、山頂に近いところにある。ここに来て、ふと思い出したのは、半年ほど前に参詣した群馬県の榛名神社である。

榛名神社は、いたるところに巨岩が露出した渓谷を通って神社の拝殿に至る。拝殿の裏には巨岩があり、この巨岩がご神体となっている。原始・古代以来のアニミズムの祭祀がこんにちに継承されている事例であろう。

観音正寺のある山も、いたるところに巨岩が露出している。本堂を通り過ぎて、奥の院へと歩いて行くと、そこにも巨石が露出しており、その一つ、「ねずみ岩」というネズミの形をした巨石がある。その前に今は祠があるが、昔はこの巨石を磐座として神祭りが行われていたのであろう。

観音正寺のある山は、榛名神社と同じように、巨岩・巨石を神として、あるいは磐座として祭祀が行われていた「祭祀の場」であったのであろう。そこに「新しい神」として観音菩薩を勧請したというのは、先の長命寺の場合と同様である。

このような事例は枚挙にいとまがない。これらの自然物は、かつては「神の宿る岩」「神の宿る木」として、神祭りが行われていたのであろう。

そこに仏・菩薩という「新しい神」を迎えて寺院が建立されたのであり、言い換えれば、仏教の霊場は、縄文時代以来のアニミズムを根底にもつ祭祀の伝統の上に重ねあわされたのであろう。だからこそ多くの人びとの信仰を集めているといえるのではなかろうか。

とすれば、末木氏のいわれるように、「自然そのものの絶対視はむしろ仏教の影響のもとに形成され、修験道で一般化することになる」のではなく、「自然を絶対視する日本古来のアニミズムの上に、新たに伝来した仏教が受容された」というのが真相ではなかろうか。


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