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明恵のアニミズム―日本人の宗教心意④
 
明恵(一一七三〜一二三二)は鎌倉時代の華厳宗の僧である。
 
 鎌倉時代といえば、教科書的には「鎌倉新仏教」というイメージで語られる。

しかし、実際、鎌倉新仏教の祖師たちの教団、例えば、親鸞の浄土真宗や道元の曹洞宗や日蓮の日蓮宗(法華宗)が、鎌倉時代の社会にそれほど影響を及ぼしたわけではない。
これら新仏教が社会に大きな影響を及ぼすようになるのは、室町時代になってからである。
 
これに対して奈良仏教や平安仏教などの、いわゆる旧仏教は、教科書的には荘園経営等によって腐敗・堕落したかのように記述されている。

しかし、鎌倉時代における旧仏教は、教学面でも実践面でも目覚ましいものがあった。鎌倉時代は旧仏教のもっとも輝いた時代ということができるのではないか。
 
華厳宗の明恵は洛北の高山寺に住した。
若いころから釈迦への熱烈な思慕の念をもっており、インドへの渡航も計画した。
しかし、春日大明神の託宣で、伯父に止められ、断念せざるを得なかった。このように彼の学問や修行の根底には、釈迦への強い思いがあったのである。
 
また、彼はひたすら求道者として厳しい修行もした。そして霊能者としてのエピソードも残されている。
しかし、修行を重視するだけでなく、教学面においても華厳を中心に「知の総合」を目指した独創的な思想家でもあった。
 
ところで、釈迦への強い思いをもった明恵の仏教は、こんにちの目で客観的にみて、釈迦仏教といえるであろうか。
明恵には自選の和歌集、『遺心和歌集』がある。そこには多くの天地自然を詠んだ歌が掲載されている。
 
 あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月
 
この歌は、川端康成がノーベル文学賞を受賞して、その授受賞式のあとの記念講演において、「美しい日本の私」と題して講演をしたが、その講演で紹介された歌である。
 
明恵には月を詠んだ歌が多数ある。
 
 雲を出でて我にともなふ冬の月風や身にしむ雪やつめたき
 
こここで「風や身にしむ」「雪やつめたき」といっているのは、明恵自身の感じたことであると共に、月に思いを寄せたものと言えるのではないか。
すなわち、明恵は天地自然を客観的にみるのではなく、天地自然と一体となっているのである。
 
そして彼は、「秋の夜に松風の音を聴きながら仏法の本意を感じる」として、次のような歌も詠んでいる。
 
 秋の夜はふけゆくさまに松風の身にしむ法の声を聞きつる
 
松風の音を「法の声」、すなわち仏法として聞いているのである。言い換えれば、明恵には、天地自然そのものが仏法であり、仏であった。
 
彼は洛北栂尾の山中の高山寺で坐禅修行の日々を送ったのも、天地自然と一体となることこそが、仏を体得することだという信念があったからであろう。
 
明恵の仏教は、華厳宗に分類されるであろうが、密教的でもある。彼は行法に光明真言を取り入れ、その普及に尽力した。
光明真言というのは、毘盧遮那仏の世界を讃える密教の真言(呪言)である。毘盧遮那仏は、大日如来でもあり、空海において、それは天地自然でもあった。
 
死者に光明真言を唱え、清められた土砂をかければ、死者はすみやかに天地自然に帰る―すなわち、成仏するというのである。それは天地自然を仏=神の身体とみる信仰から発しているといえるであろう。
 
 そしてその淵源を辿れば、縄文時代以来の自然信仰(アニミズム)に帰着するのではないか

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