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一遍のアニミズム―日本人の宗教心意⑥
 
一遍(一二三九〜一二八九)は道元よりもやや後輩で、鎌倉時代の末期に活躍した僧である。「捨聖」の名があるように、すべてを捨て去り、すべてを阿弥陀仏に委ねるという厳しい仏道の実践を目指した僧である。
 
一遍は河野水軍として有名な伊予道後の河野通広の二男として生まれた。十歳(満九歳)のとき母を亡くし、大宰府で浄土宗西山派の聖達のもとで仏道を学んだので、浄土信仰の系譜に位置づけられている。
 
一遍の修行の特色は全国を遊行したことにある。その遊行したところを辿ると、熊野本宮や宇佐八幡宮、大隅八幡宮などの神社が多い。中でも特筆すべきは、熊野本宮での参籠であろう。
 
一遍は高野山から熊野に向かう途中、ある僧侶に出会い、そこで念仏札を渡そうとしたところ、その受領を拒否されたが、このことがかなりショックだったようである。そこで熊野本宮の證誠殿に参籠して真剣に祈った。この中で「神の告示」を得た。
 
 熊野権現、「信・不信をいわず、有罪・無罪を論ぜず、南無阿弥陀仏が往生するぞ。(『播州法語集』)
 
親鸞の言うように、信じる心の有無ではなく、「信・不信をいわず」すべての者が救われるというのである。こうして熊野権現の示現によって、一遍の法門が確立するのである。
 
熊野本宮は、現社地と違って、当時は熊野川の中洲のようなところにあった。熊野川そのものが、深い山々の渓谷の間を流れる川である。ここはこんにちでも大自然の「いのち」を実感できるようなところであり、修験道の修行の場でもある。
 
先に一遍は全国各地の神社を参詣したということを述べたが、なぜ一遍は神社に参詣して参籠して神に祈ったのであろうか。おそらく、そこには熊野本宮に見られるように、天地自然の「聖なるもの」を実感でき、「聖なるもの」との交流ができたからではなかろうか。
 
 一遍は、興願僧都宛書簡で次のように述べている。
 
よろず生きとし生けるもの、山河草木、ふく風、たつ波の音までも、念仏ならずといふことなし。
 
天地自然のすべてが「南無阿弥陀仏」であると言っているのである。これは道元が、「峰の色渓の響きもみなながらわが釈迦牟尼仏の声と姿と」といったのと同じである。天地自然そのものを仏とみているのである。

いうまでもなく、その源流は、縄文時代以来のアニミズムにある帰着するであろう。
 
さらに補足するならば、一遍の有名な次の歌を紹介しておきたい。
 
となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏なむあみだ仏
 
ここには「仏」と「われ」の区別もない。言い換えれば、「天地自然も『われ』も一体である」という境地を詠んでいるのである。

これはまた縄文時代以来の伝統的なアニミズムの境地であるといえるのではなかろうか。

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