日記

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氏神さまに道案内されて助かった兵隊―大東亜戦争末期の話
 
この話は、私の生まれた村の人から聞いた話である。聞いたのは、昭和30年を少し過ぎたころであるが、この出来事は、それよりも10年余り前、大東亜戦争の北支(華北)での出来事である。
 
シナ事変は泥沼化していた。兵員も消耗し、徴兵以外にも応召せざるを得なくなっていた。その人は二度目の応召のときであった。
 
北支(華北)を行軍中、敵に急襲され、自分たちの部隊は壊滅した。
その人は激戦の中で気を失ってしまった。鉄兜に傷がついていたので、頭に被っていた鉄兜に銃弾が中って意識をうしなったのかも知れないと本人は話していた。
 
気がつくと誰もいない。すでに夜も更けていた。どこへ行ってよいのかわからない。広大な大陸の畑の中にひとり取り残されてしまったのである。
 
途方にくれていると、暗闇の中から一つの提灯の明かりが近づいてきた。提灯を持っているのは兵隊ではなさそうであった。
 
「誰ですか」とたずねると、「後をついて来なさい」と日本語でいう。黙って後をついていった。提灯は、どこかで見た紋が刻印してあるが思い出せない。
 
提灯をもって案内をしてくれている人は、暗闇の中を三間ほど前を歩いて行くが、どんな人か、顔も見えない。
 
やがて日本軍の別部隊の露営するところに着いた。お礼を言おうとすると、いつの間にかいなくなっていた。
 
道案内された人は、提灯が気になってしかたがない。寝ながら考えていると、ふと思い出した。提灯の紋は、村の鎮守の神社の紋であった。早速、肌身離さず持っているそのお守り袋を取り出して見た。間違いなく氏神様の紋であった。
 
その人は思った。提灯をもって道案内してくれた人は氏神様の神社のご祭神ではないか、と。こう思うと、何だかすべてが、思い当たるような気がしてきた。
 
鉄兜に銃弾を受けながら死ななかったこと。気を失っていたからこそ、自分の部隊は壊滅したにもかかわらず、自分は助かったこと。なんだか皆、氏神様のお蔭のような気になってきた。
 
やがて兵役が終わって実家に帰った。家族の話を聞いていると、家族の有り難さに、思わず涙が溢れてきた。
 
息子が応召されて以後、どんな事情があろうと、母親は毎日欠かさず、早朝に氏神様にお参りをし、夜にまた氏神様にお参りをして息子の無事を祈っていた、ということであった。
 
氏神さまがビルマ戦線の息子の無事を告げた
 
大東亜戦争(太平洋戦争)末期の神戸での話である。私が聞いたのは、昭和30年のころ、神戸の親戚のおばさんからである。
 
  神戸に、ある人力曳き(車夫)がいた。この人の子供は出征していたが、すでに戦死したとの通知が届いていた。
 
 通知は届いていたが、車夫はこれが間違いであってほしいとの願いで、毎日、近くの氏神さまの神社にお参りしていた。
 
 昭和2065日の神戸大空襲によって、その神社も被災した。
翌日の朝、その神社の前で、この車夫は風格と威厳のある、ただ体中を負傷して包帯姿になった老人を車に乗せた。
 
  老人は被災していない山の手の神社へと行先を告げた。そして車夫の後ろで老人は車夫に語りかけた。
「息子さんは必ず帰ってくる。戦死したのではない。安心しなさい」と。
 
  さらに老人は、「この戦争は日本の負けじゃ。このワシがこんなに傷つくようでは‥」と話した。
やがて目的の神社の前に来た。車夫が後を見ると、老人の姿はなかった。座席には、お金が3円おいてあった。
 
  それから3年経った昭和23年に、この車夫の子息は帰還した。そして次のように帰国できた事情を話した。
 
自分はビルマ戦線で負傷し上、熱病に罹った。意識がほとんどない状態から回復したときは自分ひとりであった。周りには同じ部隊の戦友の無残な戦死姿を見た。
 
しかし、自分はその後、ビルマ(ミャンマー)人に救われた。彼らは日本兵には好意的であった。イギリス軍に隠れて、食べ物を恵んでくれたので、かろうじて生き延びることができた。
そして終戦と共に捕虜収容所に収容された。
 
  同じ隊にいた者が1人だけ生き残っており、収容所で再開した。
その彼の話によると、その隊は、わずか8人になっていたが、イギリス兵に発覚して銃撃戦の上、全滅してしたという。
 
収容所で再開した1人は、たまたま斥候に出ていたから助かったという。車夫の子息は、銃撃戦の模様も、熱病のため、ほとんど覚えていないという。
 
  車夫は実直な人柄で、毎朝、氏神社に参拝して日本の勝利を祈願していた。この車夫は、次のように思った。
 
「氏神さまの神社の前で乗せた老人は、空襲で被災した氏神さま自身であり、子供の無事を知らせるために、自分の車に乗ってくださったのだ」と。
 
この車夫は、子息がもどってきてから、いつも人に会うたびに、このことを話して、氏神さまに感謝していたということであった。
特攻志願の少年航空兵の思い

これは私が高校時代に神戸の知り合いのおばさんから伺った話である。そのおばさんの年齢は大学生の子供がいたので、40代の後半ではなかったか?
 
  大東亜戦争の末期、特攻を志願して、少年飛行兵として知覧で訓練を受けていた神戸の少年の話である。
 
その少年は、先述した知り合いのおばさんが仲良くつきあっていた女性の三男である。この女性の主人は北支で戦死していた。
 
ところで、少年飛行兵として知覧で訓練を受けていた少年が、昭和20715日の夕方、突如、炊事場にいた母親と祖母の前に現れた。彼は飛行兵の制服姿で、一見、元気そうに見えた。
  もちろん、母親も祖母も、たいそう喜んだ。
 
  この少年は中学(旧制中学校)に主席で入学したというから、家族の誇りとする息子であった。しかし、こともあろうに特攻を目指して少年飛行兵を志願し、旧制中学を中退してしまったのである。母親と祖母の悲しみは尋常ではなかった。
  祖母は、毎日、氏神様に孫の無事を祈って参拝していた。
 
  その少年が元気な姿で帰ってきたのである。母親は、夢をみているかのようなうれしさであった。座敷に上がれという二人の言葉を遮って少年は、
 
      今、友だちを待たせているので、すぐに行かなければならない。ただ、お祖母さんとお母さんに、1度会ってお話をしたくて帰って来た。
 
こう言ってから、今の心境を話した。
 
      自分の我儘を許してください。日本の国は、今、危ないのです。この日本のため、みんなの為に自分は役立ちたいのです。
 
私の死など小さなものでしょう。しかし、小さなものが積もり積もって、日本を救う力になると信じています。
 
今、自分の気持ちは充実しています。自分の使命をまっとうできる喜びでいっぱいです。我儘言って申し訳ありません。どうか私の死を許してください。
 
  そして度々、「ごめんなさい」を繰り返して、「もう行かなければなりません」と言って、勝手口から出て行った。祖母と母親は少年の姿が暗闇にきえて見えなくなるまで見送った。
 
  それからしばらくして、少年の戦死の通知が来た。ところが、その戦死した日は、台所に姿を現した715日の1週間前、南西諸島沖で敵艦目がけて散華したということであった。
 
  もちろん、飛び立つ前後に、鹿児島の知覧から神戸まで帰ってくる時間的余裕があるはずがない。
 
  ただ、祖母と母親は、これまで少の特攻志願を悲しんでばかりいたが、その霊と出会って以来、少年を誇りに思う気持ちがつよくなり、悲しみは妙に薄らいでいったという。
『法華経』と日本人―日本人の宗教心意⑨

最初の本格的な仏教の理解者は聖徳太子であったと思います。
太子は『法華経』『維摩経』『勝鬘経』の注釈書である『三経義疏』を著されたとされています。

その一つ『法華経』は、聖徳太子のみならず、これ以後の日本仏教で特に重んじられている経典です。
 
『法華経』が選ばれた理由について、先学は「在家仏教の可能性」や「現実重視」など日本の土着思想と合致ところがあるという点を指摘されています。
 
私は、さらに『法華経』には「祓い」の呪力があると受け取られたことをあげることができると思います。
 
聖徳太子の時代から1世紀あまりを、過ぎた奈良時代に、国ごとに国分寺と国分尼寺を創建することになりましたが、国分尼寺の正式名称は「法華滅罪之寺」です。

「罪を滅す」ということに、日本人は大きな「魅力」を感じていたものと思います。
 
「罪を滅す」呪力を持つのは、日本の土着宗教では「祓」と「禊」です。『法華経』にも祓の呪力があります。それは「法華懺法」といわれる行法です。『法華経』に基づいて罪を懺悔し、清浄となる儀式です。
 
先述したように、日本の土着の宗教の禊ぎや祓いは、罪や穢れを除去する儀式ですが、それは『法華経』における懺悔=滅罪の考え方と共通します。
 
すなわち、『法華経』が日本で特に重んじられるのは、日本の土着思想と重なり合うところに由来するのではないでしょうか。
桜田前五輪担当相の発言のどこが悪いのか―宗教的視点から
 
桜田義孝・前五輪担当相は、千葉市で開かれた自民党所属の参議院議員のパーティーで、少子化問題に関連して、「結婚しなくてもいいという女の人が増えている。お子さん、お孫さんには、子どもを最低3人くらい産むようにお願いしてもらいたい」と発言しました。

この発言に対して、彼は今、集中砲火を浴びているようです。 

例えば、立憲民主党の蓮舫・参議院幹事長は、「最低な発言だ。こんな古い発想を持っている人が大臣だったことが驚きでしかない。国会議員の恥だ」とまでこき下ろしています。
 
しかし、この発言を「人類としての一般論」としてみた場合、どこが間違っているのでしょうか。
 
私たちは今、人生を生きています。その生きる意味とは何でしょうか。
ソクラテスやプラトンやアリストテレスの思想を引くまでもなく、多くの人が人生の生き方を考えてきました。そして多くの偉人の導き出した結論は「よく生きる」ことでした。
 
「よく生きる」とは、「今ある人生」―この世に生まれてから死ぬまでの人生―という視点のなかで考え、導き出した結論であるに過ぎません。
 
しかし、人類にとって、今生きている人生だけを考えていてよいのでしょうか。人類の「いのち」は、過去から現在へと受け継いできました。私たちはその「いのち」を未来に引き継がなければならないという使命を負わされているはずです。
 
現在、日本は超少子化のなかにいます。日本のみならず、先進国のなかには少子化が進行する国が多いようです。
 
その原因はいろいろありますが、「人生を楽しみたいので結婚しない」という人が多いのも否定できないと思います。
それらの人は人生を「個としての人生」「自分の人生」としてしか捉えていないのではないでしょうか。
 
先述したように、今生きている自分の「いのち」は、代々の祖先から引き継いできた「いのち」です。
そしてこの「いのち」は子々孫々、未来へ伝えていかなければなりません。
 
とすれば、今、自分が生きている人生は、悠久の過去から永遠の未来へと継承していく「いのち」の過程の一コマであるということにもなります。
 
「人生を楽しみたいので結婚しない」という人は、「継承するいのち」という視点が欠落してと言わざるを得ないように思います。
 
人類にとって、もっとも基本的な使命が、「人類を永遠の未来へと継承していくこと」にあるとすれば、桜田義孝・前五輪担当相の発言は「当たり前のこと」であると言えるのではないでしょうか。
 
それよりも問題なのは、当たり前のことを言えば、バッシングされるという今の風潮ではないでしょうか。この風潮が日本人をダメにしているように思えてなりません。

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