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竹永 敬一
1967年4月18日(金)。午後7時 場所は赤坂草月会館ホール。
演劇実験室天井桟敷の旗揚げ公演となる劇は題して
「青森県のせむし男」
500円の木戸銭を払って入場した満員の観客が固唾を呑んで
まだ薄暗い舞台を見守っています。
・・・やがて、客席照明が消えて・・・
一人の侏儒現れて一礼して告げる。 侏儒
ただ今より 天井桟敷第一回口演 浪花節による一幕は 青森県のせむし男のはじまりでございます
侏儒ひっこむと 暗闇で嗚咽していたような声がしだいに高まって
桃中軒雲右衛門の節まわしになる
この第一声を嚆矢として、寺山修司率いる「演劇実験室◎天井桟敷」の 19年に渡る演劇活動が始まりました。
この口上を述べる侏儒を演じたのが劇団創立メンバー16名の1人でもあった 竹永敬一です。
この第一声を嚆矢として、寺山修司率いる「演劇実験室◎天井桟敷」の 19年に渡る演劇活動が始まりました。
写真中央が竹永
(この場面は竹永が「これを持ちまして 青森県のせむし男はおしまいでございます。 第二回の口演は六月に『大山デブ子の犯罪』をまたお目にかけたいと存じます」 と述べる劇の最後かもしれません)
竹永は東由多加にスカウトされて天井桟敷に参加したそうです。
「青森県のせむし男」の演出を担当していた東が、侏儒役の俳優をを探していた時に渋谷の街で竹永を見かけ、その後をつけ、桑沢デザイン研究所に入るを見届けて学校に電話をかけ竹永の電話番号を聞き出して連絡してきたと言います。 (何故、見かけたその場で声をかけなかったのか謎です)
その後、竹永は同作品の再演、再再演に続いて二、三の作品に小さな役で 出演する傍ら、若松孝二監督「性遊戯」(1968 若松プロ)に「イギリス」役で出演。 そして同年、松本俊夫監督「薔薇の葬列」(松本プロ+ATG)に「せむし」役で 出演しています。
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