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中沢 清
中沢は天井桟敷館で観た劇に衝撃を受け1971年に入団。
それ以前はテレビカメラマン等を養成する電気系の専門学校に通学。
テレビ局に出入りするうちに演劇に興味を持ち始め、
ついには大学に編入し演劇活動に没頭していたそうです。
入団後、即戦力としてたちまち頭角を現し、
1972年のヨーロッパ公演から俳優として登場します。
その一連の公演で「阿片戦争」「走れメロス」に出演し、
その後「地球空洞説」、「盲人書簡」、「ノック」にも出演しています。
天井桟敷の演劇理論誌「地下演劇 No.6」の表紙は中沢でしょうか?
1976年、中沢は劇団を退団し、家業の電気店を継ぐために長野市に帰郷。
現在もアンティーク照明やアンティークドールを扱う
「有限会社和光照明」
を経営しています。
そして、そればかりでなく彼は今も
天井桟敷の人々であり続けています。
(寺山演劇の継承者と言う意味ではなく、気配とか感性とか
寺山的呼吸法というか・・・)
1977年、喫茶店を開業するので照明器具が
欲しいというお客が中沢のお店を訪れました。
後日、取り付け工事のため地下にあるその店に
出向いた中沢はその空間を見てあまりにも
あの「天井桟敷館」の空間に似ていることに驚き、
思わず「ここで芝居をさせて」と頼み込ました。
その瞬間、中沢の新たな演劇生活がスタートしたのです。
それから約40年、今は「演劇実験室カフェシアター」として
精力的に活動を続けています。
撮影 島田 浩美
ブログながの市の元気研究所「ナガラボ」さんの記事から
文と写真を引用させていただきました。
和光照明のHPに演劇活動が詳しく紹介されています。
更なるご活躍を期待しています。
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身内に健康上の問題が生じたためしばらくお休みしておりました。
ゆっくりですが先に進めてまいりますので来年もよろしくお願いいたします。
どうか皆様も良いお年をお迎えください。
管理人 夜空
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やまのべもとこ
このブログは「幻想舞台写真帖 天井桟敷の人々」に
掲載された1977年までの“演劇実験室天井桟敷に関わった人々”を
紹介しています。
数多くの作品に関わった劇団員もいれば、
ほとんど劇団活動に参加しなかった人、
劇団との接点は僅かでも、多少の知名度がある人、
・・・様々な人々がいます。
やまのべもとこが天井桟敷の作品に関与した記録を
探すことはできませんでした。
やまのべは、TBSラジオの深夜放送「パックインミュージック」で
1967年8月から翌年8月まで八城一夫(ジャズ・ピアニスト)と
パーソナリティを努めています。
当時、若者に大人気だったと言われるラジオの深夜放送です。
素人がいきなり当時レギュラーをゲットできるわけはありませんから
それなりの芸能活動をしていたということだと思いますが
検索で確認できたのは同番組だけです。
検索を進めて、彼女のその後が見えてきました。
「結婚プロデューサー」として本を書いています。
はだかで結婚する法 (1970・ロングランプレス社)
お見合い術(1974・広済堂)
1966年に「その結婚に意義あり:あたらしい結婚式をあなたへ」
を東京文潮社から出版していますので、
文化人扱いでのラジオ出演だったのかもしれません。
1990年代後半から乳がんで乳房を摘出した人を
対象とした「人工乳房の製造・販売」の
会社を興し現在にいたっています。
(自らの体験をもとに開発したようです。
名前は「新野まりあ」に変わっています。
医学博士とのことです。)
寺山と同世代の方ですが、日本フラダンス協会代表として
今もフラダンスの世界で活躍されているようです。
冒頭の話に戻りますが、ラジオのパーソナリティであり
若くして本も出版していた気鋭の文化人を“天井桟敷の人々”
に加えることで人材が多彩であることを
示したかったのでしょうか。
やまのべと天井桟敷、または寺山との接点につきまして
情報をお待ちしています。
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新宿 新次
天井桟敷に限らずアングラ劇団の俳優には変わった
芸名が多いことは誰もが認めるところです。
新劇俳優が“普通の芸名”をつけていたのに対し
差別化を図ったのかもしれません。
芸名は本人が考案する場合と、周囲から
命名される場合があると思われますが、
天井桟敷では寺山が命名するケースも
少なくなかったようです。
新宿 新次
この芸名は寺山が命名したと確信しています。
寺山の処女小説「あゝ、荒野」に登場するプロボクサーを夢見る
主人公の二人が新宿新次とバリカン。
寺山にとってはとても思い入れのある大切な名前です。
その名前をもらった新宿新次がいかに期待された存在だったのかと
思わずにいられません。
新宿は天井桟敷新聞第5号(新宿版千一夜号)で次のように紹介されています。
今度舞台が新宿なので張りきっている。
新宿のバアーのホステスにもてる憎い奴。
やくざ相手に殴りあうのであぶない。
「新宿版千一夜物語」に新宿が出演したかどうかは
わかりませんでした。検索で見つけたポスターもサイズが小さくて
出演者の名前が読めません。
彼が出演者として確認できたのは下記の作品です。
「花札伝綺」(1967)
「青ひげ」(1968)
「さらば映画よ」(1968)
「書を捨てよ町へ出よう」(1968)
退団後の足跡は不明です。
「あゝ、荒野」は2011年に蜷川幸雄の演出で上演されていますが、
その舞台で新宿新次を演じたのはアイドルグループ「嵐」の松本潤です。
松本はこの役を好演し、本物のリングで10分間打ち合うラスト・シーンでは
観客を圧倒したと言います。
蜷川は流石に寺山のイメージを正確に捉えていたようです。
いいキャスティングだったのではないでしょうか。
私には小説の中の「新宿新次」、天井桟敷の「新宿新次」
松本潤が演じた「新宿新次」に共通点が多いような気がします。
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松崎 富男
松崎はLP「ハイティーンシンフォニー/書を捨てよ、町へ出よう」
(天井桟敷レーベル・1970年)に収録された「母捨記」で
朗読を担当しています。(作詞 森忠明/作曲 加藤ヒロシ)
松崎の足跡が確認できるのはこれだけです。
退団後のこともわかりません。
「母捨記」の作詞を担当した天井桟敷の森忠明については既出ですが、
作曲の加藤ヒロシについて少しだけ触れておきます。
フォーク・クルセダーズが歌って有名になった「戦争は知らない」
この曲は寺山が作詞し、加藤が曲をつけたものです。
もともとこの曲は坂本スミ子のために作られた曲で、
その後、フォーククルセダーズがコンサートで歌うようになり
広まったといいます。
加藤は坂本スミ子のヒット曲「黄昏の御堂筋」の作曲も
担当しています。(作詞は寺山ではありません)
加藤は「加藤ヒロシとザ・リンド&リンダース」というバンドで
主に関西で活動し、その後、グループ・サウンズ「ザ・リンド&リンダース」
として活躍した経歴があります。
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