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カルメン・マキ
高校を2年で中退、たまたま友人に誘われて観た「青ひげ」に
感動して入団したとwikiに記されています。
入団の翌年に「時には母のない子のように」
(寺山修司作詞・田中未知作曲)
でレコード・デビュー。
それが大ヒットとなり一躍スターダムにのし上がり、
その年の紅白歌合戦にも出場します。
その後もスマッシュ・ヒットを続け、歌手カルメン・マキは
順調に芸能界にはばたいていきます。
それは、彼女が望んでいた世界とは大きく
かけ離れたものではあったものの、
大人たちのビジネスに組み込まれて
流れに身を任せるしかなかったのでしょう。
天井桟敷の舞台は1968年の「書を捨てよ町へ出よう」
(新宿厚生年金会館ホール)
が最初で最後でしょうか。
彼女はヒットのご褒美のひとつとして
海外のアーチストのアルバムを貰います。
その中にジャニス・ジョプリンのアルバムがあり、
彼女に大きな影響を与えます。
彼女はロック・シンガーを目指し、
最終的に日本のロック史上に残る名バンド
「カルメン・マキ & OZ」を1972年に結成します。
大ヒット曲が「私は風」
近年、彼女は蘭妖子とジョイント・ライブで競演することも多く、
今は無き天井桟敷にタイムスリップして再入団したかの印象もあります。
いつまでも歌い続けてください。
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