演劇実験室◎天井桟敷の人々

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支那虎



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支那虎

支那虎は旗揚げ16人衆の1人です。

彼の入団動機やそれ以前の経歴はわかりません。

旗揚げに名を連ねながら、彼が初めて出演者として
名を連ねるのは劇団4作目にあたる「花札伝綺」(1967)になります。
     それ以後は、「新宿版千一夜物語」
「青ひげ」「さらば映画よ」(いずれも1968)に出演しています。

天井桟敷新聞第5号で彼はこのように紹介されています。

悪徳漢、嫌われ者、破廉恥、無頼など悪名一代。
で、ありながら演技部代表者という実力の持ち主。

こうした一連のメンバー紹介のコメントは、どちらかと言うと
「上から目線」的なニュアンスがあるので寺山が書いていたと
思われます。

異端の集団という印象を与えるために誇張したり
創作したところもあるのでは・・・

田原総一郎のwikiに興味深い記事を見つけました。
田原が東京12チャンネル(現テレビ東京)の
テレビ・ディレクターだった頃のエピソードです。
そのまま引用します。

  • 「『わたしたちは……』〜カルメン・マキの体験学入門」という番組で、カルメン・マキが日記(小説的日記)で、「わたしたちは三畳の部屋に住んでいた」と書いていた。だが実際は、彼女は母親と一緒に住んでいた。そのため、カルメン・マキと同じく「天井桟敷」にいた支那虎という男と、アパートを借りて同棲させた。そして、日記の記述のとおり、「二人で裸でパンを食べさせ」、日記の結末にあるとおり「二人で海に行かせた」。当時天井桟敷のスターだったカルメン・マキに変な男がついたということで、寺山修司が怒り、寺山と支那虎は口論して支那虎は退団したが、そのシーンまで撮影した。なお、支那虎は、その後、田原の作品の助監督をつとめた[16]
  注16は 原一男との対談からのエピソード



  彼の芸名「支那虎」は寺山が名付けたもの
と勝手に想像しています。

その頃の大スター、あの甘い歌声のフランク・シナトラを
意識しての命名だったのでしょうか。

その後、支那虎がどこの密林に踏み入ったのか
わかりません。

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