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松沢 八百
ローマ字検索だとYAOとなっていて「やお」と読まれているようですが。
天野道美は「やほ」と表記していました。たぶんそちらの読み方が
正しいのでしょう。
松沢は天井桟敷新聞第11号でこのように紹介されています。
「ブラブラ男爵」を機に第一線に復帰した。
スタッフ業に外人取材者への通訳に、
はたまた舞台にと元気に動きまわっている。
寺山の16ミリ映画「トマトケチャップ皇帝」
の責任編集を終え、舞台の合間に
ホロウィッツの「インド人はブロンクスへ行きたい」や
N・オルグレンの小説などを翻訳している。
近く映画を撮る予定もあって多忙をきわめている。
(原文ママ)
彼女は上記の作品の他に「イエス」の演出助手をしています。
これら2本の劇、1本の映画は共に1970年に上演・製作
されています。
その頃、劇団事務所に勤務していた天野道美は、
ニューヨーク、ラ・ママ・シアターでの公演
(毛皮のマリー)打ち合わせの応対で
アメリカ大学を卒業した松沢が活躍したと証言しています。
このニューヨーク公演も1970年です。
新聞では「復帰」と書かれていますが、それ以前のことは
わかりません。
また、1970年以降、劇団での名前が見当たらないことから
この1年間に大きな足跡を残し、劇団を去ったのだと思われます。
翻訳家としては「オフオフを狂わせた二人のオフ野郎」(映画評論1970年10月号)
「現代アメリカ戯曲選集」(1971年・竹内書店)に収められた
イズレイル・ホロヴィッツ作「インド人はブロンクスに行きたがっている」
を残しています。
新聞の記事にあるネルソン・オルグレンの翻訳は見つけられませんでした。
名前が出たついでに書き添えますが、ネルソン・オルグレンは
寺山のお気に入りの作家で特にシカゴの貧民街をに住む不良少年描いた
「朝はもう来ない」を絶賛していたとのこと。
プロボクサーを夢見る主人公の少年が、仲間たちの裏切りで挫折するまでを
描いたこの小説はアメリカの青春小説の名作と言われていて、
寺山の処女小説「ああ荒野」、そして、映画「ボクサー」のシナリオ
に大きな影響を与えたという説もあります。
松沢の翻訳の足跡はその後途絶えますが、2007年に
発売された旧作映画のDVDの吹替翻訳者(字幕翻訳者は別)として
名前を見つけました。
その映画はフランク・シナトラ主演「波も涙も暖かい」(1959年製作)
監督フランク・キュプラ
天井桟敷と深い関わりのあった榎本了壱が書いた
「東京モンスターランド」によると、劇団を休団した萩原朔美が
劇団の松沢八百、安藤紘平、稲葉憲仁、それに渋川育由と
私を誘って、映画作りのグループ「家族商会活動所」を設立したとあります。
結局、そこで映画が作られることはなく、翌年に山崎博を加えて
「FAMILY」という事務所に発展、それが後の月刊「ビックリハウス」の
母体にもなったとのことです。
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