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こんばんは。
先週末の記録ですが、まずは廃線から100年以上も経過した廃線跡の遺構を撮影したことについてです。
数年前。八代市内の廃線跡と言えば、遊歩道に転用された太平洋セメント専用鉄道や、八代駅と旧、八代駅であった球磨川貨物駅を結んでいた鹿児島本線の貨物支線などが地元では知られています。このほかにも、日産化学専用鉄道(有佐駅から分岐)や日本製紙坂本工場専用鉄道(坂本駅から分岐)など、意外と八代は廃線跡があちこちにあります。
しかし数年前、明らかにもとは鉄道のものと思われるレンガ橋台を、これら廃線跡とは違う場所で発見。その後他の場所でも、計3か所でレンガ橋台を発見しました。
そして、完全に忘れかけていたもう一つの八代市内の廃線跡のことを思い出しました。
それが「九州鉄道旧線」です。
九州鉄道は鹿児島本線八代〜門司港間を国有化前に所有していた路線で、八代までは明治29年に開業しました。
しかし、当時の八代駅は現在の場所とは違い八代市街地に近い場所にありました。
明治39年には坂本貨物駅(現、坂本)まで延伸開業すると、熊本方面から来た列車は八代でスイッチバックして坂本へ向かわなければならない状況になりました。
そして明治41年に坂本〜人吉間が開業すると同時に、八代駅を旧、八代駅と坂本駅の間の現在の位置に移設。同時に熊本方面から人吉へ折り返さずに抜けることのできる新線を設置。この新線が現在の鹿児島本線となり、それまでの旧線はわずか12年で廃線となりました。
旧、八代駅は球磨川貨物駅となり八代〜球磨川貨物駅間は貨物専用線としてその後数十年は残り、そして旧、八代駅舎は香椎駅へと移築され平成初期まで残存していました。
では本題へ。
まずは①の場所から。
お次は➁
そして➂
数年前発見した時はかなり衝撃的だったこれら廃線跡ですが、ようやく写真に記録することが出来ました。
廃線から109年。今後も八代最初の鉄道を語る存在として残ってほしいですね。
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鉄道何でも気まぐれレポート
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こんばんは。
今気がつきましたが、yahoo乗り換え案内が特急のみダイヤ改正後に対応してました。 が・・・・ 特急料金はなんか怪しいですね・・・ なんで『いさぶろう』の人吉〜吉松間も特急料金かかってるのか。 何が間違いがあると思われるので、清拭な発表を待ちたいですね。 |

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こんばんは。
ネタが無いとなんか語りだす私、今回も無駄に語りますww
以前掲載したこの画像、
私としては、矢岳地区の里山の中を列車が駆け抜けていく様子を俯瞰で撮影できて気に入っている場所なのですが、実は今から約1年前までこの場所で撮影することはできませんでした。
なぜかというと、この場所(道)と下の地区との間に林があったからです。
2枚目の写真には少し切株群が写っていますが、この場所は一面林業用の林として背後に写っているような背の高い木々がありました。
昨年この場所の木々が収穫期を迎え、伐採されて現在のように線路が見えるようになりました。
林業地である以上、この場所には再び木が植えられ育つにつれてこの景色も見えなくなっていくことでしょう。そして数十年間は育ち続けます。
つまり、この撮影スポットは今しか見れないということですね。
肥薩線沿線は林業が盛んで、来年登場する観光列車『かわせみ やませみ』も沿線産の木材が使用されます。
線路沿いには、今後もこのように収穫された一時期だけ現れる撮影スポットが出てきそうですね。
《追記》 Googlマップストリートビューに、同じ場所の木を伐採する前の状態が写っていたので参考までに載せておきます。 |
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こんばんは。
今回も過去ネタです。
大学時代のこと、自転車で熊延鉄道の廃線跡を上島駅〜南熊本駅までたどったのでその時の記録です。
熊延鉄道はかつて豊肥本線の南熊本駅〜砥用駅を結んでいた鉄道で、昭和39年に廃線となりました。
御船駅以遠には今も多くの遺構が残りますが、熊本市内にも少ないながらもいくつかの遺構があります。
小川にかかっていた鉄橋跡ですが、橋脚の一部が残っています。
熊延鉄道の御船駅〜南熊本駅間はほとんどが道路に転用されていますが、この嘉島町内の区間は道路から外れ、遺構がいくつか残っています。
ちなみにここも上島〜鯰間。付近は道路や駐車場に転用されてこの鉄橋だけがぽつんと残っています。
そして駐車場の先には農道となった線路跡が伸びてますが、ここから国道に吸収され、線路跡はほとんど姿を消します。
しかし・・・
そして良町〜田迎は住宅地となり・・・
田迎〜南熊本間もこのような生活道や住宅地となっていました。
ただ、
廃線跡が生活道から住宅敷地に消える部分、ちいさな小川には住宅のコンクリートブロック塀からにょきっと鉄骨が2本顔を出してます。切断された橋桁跡で、リベット打ちの古いものであることが分かります。
廃線から52年。都市化の進む熊本市周辺にも、当時の姿をそのまま伝える者たちがいることを確認できた廃線跡めぐりでした。
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日時指定投稿です。
さて、前編では九州新幹線全線開業前のことでしたが、ここからは全線開通後についてです。
その辺は写真が無いので、通学しながら目視で見た工事流れを書きます。
・軌間変換装置(初代)撤去
↓
・フリーゲージトレイン実験線と、実験線途中から分岐していた新幹線保守用側線撤去
↓
・旧 『リレーつばめ』専用線を、新八代駅から下った所で軌間変換装置(初代)跡付近へ移設&1435ミリへ改軌
↓
・鹿児島本線からのポイントを、保線用の乗り越し式分岐器に交換
↓
・旧 『リレーつばめ』専用線は、新八代駅〜軌間変換装置(初代)跡付近は1435ミリ区間。軌間変換装置(初代)跡付近〜鹿児島本線分岐点は1067ミリの区間に分断される。
工事は2011年一杯かかり、こうなりました
2012年4月(保守基地完成)
以前軌間変換装置があった付近で1067ミリ区間と1435ミリ区間が並走してますが、ここは鹿児島本線を使って運ばれてきた新幹線用レールを新幹線の保線車両に積み替えるレール荷役線となりました。
この状態になったのは2012年の3月頃のこと。これで新八代駅は本来の計画である「保守基地」の状態となって完成しました。
ところが!
新八代駅の保守基地が完成したこの年。フリーゲージトレイン3次車による走行試験を行うことが決定。その試験走行用に再度この新八代に軌間変換装置を設置することになりました。
こうして、完成して約一年。私も写真に記録することなく再び大工事が始まりました。
その後の流れはこうです。
・新幹線側のレール荷役線を移設
↓
・軌間変換装置(現)設置、鹿児島本線側と新幹線側それぞれのレール荷役線を軌間変換装置でつなぐ
↓
・鹿児島本線上の渡線再設置
↓
・新幹線本線上の分岐点〜新八代駅旧11番線跡〜鹿児島本線分岐点再度電化
そしてできたのが現在の姿です。
2014年以降
こうしてできたのが現在の姿です。
肝心のフリーゲージトレイン試験は休止されてますが、今も設備はそのままです。
こうして複雑な経歴を辿った新八代アプローチ線。
しかし現在もあくまで一定期間限定の「実験線」状態なので、この配線の変遷は今後も続きそうですね。
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