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そのときの母親の猛反対。それがその後の一家の、そして自分の運命を決定的に違ったものにしているのだ。人間というものの運命のはかなさ、あやうさを思わずに その時の母親の猛反対。それがその後の一家の、そして自分の運命を決はいられない。六十歳になってから日本という外国へきて、全くといってよいほど生活習慣の異なる環境で、果たしてこの人たちは幸せになれるのだろうか。今までの実績ではどうもうまくいっていないようだ。以前と比べて、より幸せになれてはいないという現実は日本政府の責任ともいえないだろう。運命のいたずらと理解するしかあるまい。日本政府にも運命を操作する力はない。

 河村はすぐに上海に飛んだ。旧知の友人知人との旧交を温めるのが一番先だ。これなくしては、ここ中国では何も出来ない。何も始まらない。役人である曾官年、張万林、取引相手だったけれども私的に親しくなった趙江映、黄邦正、水石の収集鑑賞という趣味のひとつが共通の田瑞伝などに連絡を取った。趙江映だけは同い年だが、他はみんな河村のちょっと上かちょっと下という年齢だ。

 親しいといっても中国人の友人との親しさには限度がある。それは相手が中国人の場合に限らないかもしれない。アメリカに駐在していた時だって同じようなものだった。やはり生まれ持った文化の違いは結局は越えられないような気がしている。それにほんとうの意味での友人と言うのはやはりそれなりに親密な時間をそれだけ長く過ごさなければ出来ないのではないかという気もしている。

 中国人の友人達は水石を通じての友人田端伝以外はみんな河村の名を呼ぶときに、アメリカ人がそうであったのと同じようにカワムラのムにアクセントを置いて発音する。その方が彼らにとって自然な発音のようだ。若い時に日本に留学したこともある田端伝は日本語が流暢だからか河村の名前も日本流に発音する。しかしそれはそれで、敬称の「さん」のさの字にアクセントがかすかに入っているように聞こえる。まあ、そんな事を言えば日本の中での地方ごとのアクセントやイントネーションの違いの方が大きいくらいではあるのだが。

 役人の曾官年, 張万林とは上海語、英語、を交えて話す。教養も社会的地位もある彼らは北京語以外の中国語や英語にも結構通じている。張万林はアメリカに短期間だが留学したこともある。彼らの子供達自身が今アメリカに留学してもいるのだ。趙江映と黄邦正は英語のほか、更に日本語も少し分かる。彼らの子弟もそれぞれアメリカやヨーロッパに留学したりしたことがあったり、現に留学中だ。

 一通りの挨拶を交わした後、今は中央政府の役人としてさらに出世した曾官年はこんなことも言った。
「最近私はこの国の行く末が分からなくなってきましたよ。こんなこと日本人の貴方だから言えることですけど、今のわが国はなんだか危険な道を進んでいるような気がするんです」
「どうしてそう思うんですか? 曾さんらしくないじゃあないですか」
「私が心配する理由は幾つもあるんですが、そのどれもが、もしかしたら私の間違いかもしれないし、勘違いかもしれないとも思うんですけれど」
「ほー!」
「ともかく何かと危険な兆候のような感じがするんです」
「ふ―ん。どんな時にですか?」
「いや、それを言うと貴方には一笑に付されるかもしれないんですが。だってそんな問題が中国に無かった時代がありましたかと尋ねられそうな気もするんですけど」
「尋ねませんよ」
「そうですか、それはそれで拍子抜けしますけれど、まあこういうことなんです」

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先日は、私のブログに足跡を残して下さり
どうもありがとうございました。

宜しければ、また遊びに来て下さいね。

2008/4/30(水) 午後 9:55 [ 絢香 ]

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いつも
すごく内容の濃いブログですね、
とても勉強になります。

ヨカッタラ、こちらの方にも遊びに来てくださいね。

2008/5/2(金) 午前 6:25 [ 山本 ]


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