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それらはもう秘密でもなんでもなく、知る人には知られてしまっていることだとも付け加えていた。彼は恐らくその話を誰かにしたかったのではないだろうか。そしてもう実際にはたいした秘密でもなくなっていることなのかも知れないが、一応政府内部では口外禁止となっている事項なのだろう。だからそんな言い訳を付け加えてからその話を聞かせてくれたのだ、と河島は思った。

 政府は「ゴールデンシールドプロジェクト」の他にも全国民の電話会話を声紋によって識別し、コンピューターによって自動的に盗聴・追跡できるシステムを開発している。これが完成すれば国家の安全はかなり増進できる。

 それに加えて政府は街頭監視カメラシステムについても開発中である。監視カメラを各街角に設置するくらいは技術的に何の問題もないのだが、そうやって集めた膨大な映像情報をどのように処理するかの問題が残っている。それが解決出来次第、全国の主だった街角にはこの監視カメラを取り付ける予定にしている。それにかかる膨大な費用は現在日本に払わせているODA名目の今年の分を使えばよい。 足りない分は日本の国策銀行からの超低利金融を増額させることで賄えるはずだ。それらは融資と言ったってどうせ返す必要のないものだ。少なくても返すつもりはさらさらない。それよりもっともっと大きな貸しが日本にはあるのだから。靖国カードや慰安婦カードもまだ使えるはずだ。

 これらの監視用カメラの技術も既にわが国で取り入れてあるからそれを全てわが国で生産すれば大幅にコスト削減ができる。中央政府としてはそんな風に考えている。これらの全てが完成すればわが国の体制はとりあえず磐石なものとなるだろう。少なくてもあと二・三十年は長持ちするはずだ。そうでない限り現政府の命脈は風前の灯だ。二・三年は大丈夫だろうが、それ以降は何が起こるか分からない。人民の蜂起が問題なのだ。

 最後の一節は当然その高官の個人的意見、ないしは政府内に流布している考えなのだろうけれど、それは河村にもわかるような気がした。人民の蜂起によって作られた政権がまた人民の蜂起によって倒され、新しい政権が誕生する。いや、その場合は新しい政治体制でなければなるまい。まあ、人類の歴史の輪廻転生といったところか。それにしてもその渦中に生を受けた人間は全く不運だ。

 そういう運命に遭遇する民族と、そうでない運命を享受する民族。それも神の思し召しというべきか。神様だの宗教だのを信じていない河村はそれをなんと解釈したものかと思う。どちらにしても自分は、せいぜいそういう渦中で不運の種に巻き込まれないようにしたいというのが彼の望みだった。河村の望みではあるが、禍福はあざなえる縄の如しとも言う。今幸せだからこそ、災いもすぐそこに迫ってきているのかも知れなかった。それを知るということは人知の及ばないところなのだろう。そういうことは考えてみても始まらないことだというくらいの悟りは河村も持っていた。

 もう60年近くも生きてきて、つらいことも沢山あったが、それなりに人生を楽しんでも来た。現に今も妻の早苗には言えない楽しみが進行中であるようにも感じていた。

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実際、この事実について被害者たちに黙っていろと言うほうが無理というものだと思った。相当額の保障はされたとも書いてはあるが、それは支払う側にとっての相当額なのではないだろうか。一家の働き手を失った農家のその後の困窮は誰の目にも見える。一家の大黒柱が生きていてすら貧しい生活を強いられているのが現今の中国の農村だ。そして農業立国中国ではそういう農家が今でも人口の大半を占めているのだ。

 農民たちは賄賂を受け取るなどという機会には恵まれていない。賄賂を払わなければならない機会はいくらでもある。政府の役人といったって受け取る給料などはたかが知れている。蓄財などというのはもっての他で、生活を維持するのに賄賂が必要なのだ。。賄賂収入がなければ役人と言えどもまともな生活ができない。前世紀末に開放路線が始まってからはこの賄賂路線も一層発展した。金次第の風潮が蔓延したのだ。それまで賄賂などなくてもなされた手続きが賄賂なしでは出来ないようになった。誰もが賄賂を取るから、我も我もとなっていったのだった。

それまで賄賂などと言うのは極く重要な案件に限り、政府の極く高官だけが受け取るものだったのだ。庶民が取っていいようなものではなかったのだ。それが今では下っ端役人までが賄賂を要求するようになったのだ。誰が悪いと言うのではなしに漢人という民族のDNAであり、今の世の中の風潮なのだろう。悪いといえばその風潮の一番根源にあるものがその原因を作り出しているとしか思えない。それはやはり文化だろう、その国固有の、その国民のみが持つ文化だ。

 河村の属する民主主義自由経済のもとでの、特に先進国ではそういうことはほとんどない。人間の社会だから全くなくすことは出来ないのかもしれないが、現実にあるのは、中国のような国と比べたら恐らくその百分の一、いや千分の一にも満たないだろう。
 開放路線後はこれに加えて企業家というのが発展した。農村には例外的だが万元戸、億元戸も出現した。彼らはいくらでも賄賂を払えるから、今の世の中の仕組みに不満はない。それどころか、今の仕組みの中で儲けている連中だ。今の仕組みが変わってしまったら困るのかも知れない。

 そんな連中と、毎日朝から晩まで汗水たらして働いている農民とは格段の貧富の差が生まれてしまった。もうこれでは共産主義ではない。社会主義でもない。だから修正社会主義というのだそうだが、修正と言われてもこの現状では「社会主義」そのものの名が泣くというものだ。

 社会が貧と富との二極化してしまったのだ。労働組合が認められる前の資本主義社会でもこれほどの現象にはならなかった。この事件は、超貧乏人を数人轢き殺したのが超金持ちの女性だからたいした罪にはならないということなのだろう。

 この事件では、被害者に同情した人たちでインターネットにアクセスのある人がその抗議を掲示板に投稿した。超貧乏な農民にはインターネットへのアクセスすらない。同情した別な人は自分のウェブサイトをそのために提供した。そうしてインターネット上で中国全土で抗議の嵐を起こしたのだ。

 これには中央政府も注目せざるを得なくなった。インターネットのこんな問題を取り締まれるようにと、あるいは規制できるようにと政府は「ゴールデンシールドプロジェクト」と名づけたプロジェクトに着手していたがまだ間に合わない。「ゴールデンシールドプロジェクト」というのは公安部と国家安全部によるインターネットに対する封鎖・検閲プロジェクトなのだ。そういう手段が実用化されていない今はこれらのインターネットによる政府批判や党への抗議を封鎖も検閲も、そして実質的には処罰も出来ないのだ。全国どこにいるか分からないようなインターネットの発信者を一人一人調べて、見つけて捕まえるのはほとんど不可能だ。

 河村は過日の飲み会での中国政府高官の言葉を思い出した。

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 河村は北京語も広東語も話すがどちらも片言の域を出ない。いつも、もっと練習しておけばよかった、もう少し習っておけばよかった、と思うのだが、その時はその時でなかなか忙しく、日常必要とする言葉をその都度口にするだけでそれ以上特に辞書や学習用具を使って習うということをして来なかった。こうして定年後まで中国とかかわりつづけるならば、絶対にもっと言葉を練習しておくべきだった、というのはもう後の祭りでしかないのだが、未だにあきらめきれないでそんな風に考えたりもする。きっと、一生これで後悔するのではないかと思ったりもすることがある。

 河村は上海に戻ってきてからその事件について騒ぎが持ち上がっているのを知った。河村が目撃した事件の現場で倒れた人々の中で二人が死に八人が重傷を負ったということだった。この程度の死傷者の数の事件が全国的な話題になるのは中国では珍しいことだった。

 新聞によると件の女性運転手には、事故とはいえ、ことの重要性に鑑み執行猶予つきの刑が課せられたと言うのだ。つまり実際には無罪に等しいと言うことだ。“事故”だって? 河村が目撃したのは事故なんかではなかった。ひき逃げもひき逃げ、ほとんど故意の殺人だった。それがどうして事故扱いになるんだ。河村の頭にはあの時の恐ろしい光景がよみがえった。

 中国の裁判というのは先進国での裁判と違って党の意向でどうにでもなるし、また政治にさえ関係なければ、お金でどうにでもなるものだ。社会主義の国だから前者は建国当初から事情は変わっていないのだろうけれど、後者は違う。それは社会主義国家の建国理念とは相容れないものだ。それが現実にこうなってきてしまったのは社会主義というものが本来持っている根源的要素によって、社会の正義や秩序の理念が腐敗してきた結果としてのものだろうと河村は思う。

 今の中国での賄賂の習慣や、贈収賄の汚職のはびこりようは目を覆いたくなるほどだ。そういう中で生活している中国人にとってでも賄賂の支出は馬鹿にならないし、また日常生活で大変不便をしていると知人が言っていたことがある。さもありなんとも思う。
 今の中国農村部でBMWに乗っているというのはかなりのお金持ちのはずだ。裁判官を買収することくらい造作もないことだろう。刑が軽くなるためであれば車一台に払うお金くらいは払えるだろう。 いや、そんなに払う必要もないのだ。車一台の十分の一の金額で十分だ。中国人民共和国人民の給料はそれほどに低い。

 その後のニュースによると、この事件は元々、件の女性の運転する高級車が農業用トラクターにぶつけたことが発端だったらしい。それに対して、この金持ち女性は自分の非を認めないばかりか、その農民を罵倒したことから騒ぎが大きくなったようだった。貧乏な農民側にはこんな高級車を乗り回しているような金持ち階級に対しては、いつでも不満、反感がくすぶっている。河村が駆けつけたのは、ちょうどそんな時だったのだ。

 その後の報道では、件の女性は地方政府高官の親戚にあたるということが判明したということだった。要するに共産党幹部といっても、黒龍江省という一地方の共産党幹部の権力乱用ということだ。相手の被害者たちは名もない、地位もない、金もない農民たちだ。河村はここでも中国という国での人命の軽さを思い知らされたような気がした。
しかしこの場合は被害者たちが黙っていなかった。

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 黒龍江省ハルビンには以前、重慶に駐在していた時にも上海に駐在していた時にも行ったことはある。昔の日本の影響が強く残っているのを河村は知っているので、親近感を覚えたりするが、現地の今の人々はそういうことを認めたがらない。ましてや若い人々はこの国の新しい政策である反日教育を受けている。日本が占領して、良好な関係を持っていたのも、もう今は昔の物語になってしまっていた。
  
 思ったとおり、その国営企業ハルビン鉱物建材公司との交渉には改めて曾官年に仲介の労をとってもらわないとそれ以上は話が進まないようだった。不足しているわけでもなく、豊富に産出する中国大理石やスレートなどの資材を外貨を持って買ってやろうと言うのに、買ってもらいたいという気はないのだから商売がやり難い。これが共産主義社会であり、社会主義経済というものなのだろう。これでは国が発展しないわけだ。自分は直接的には知識はないがソ連も同じような事をやっていたために崩壊してしまったのだろう。人の振り見て我が振り直せ、なんていうのは昔の中国の格言ではなかったのか。例えそうだとしても、そういった近代社会にも通じるような教えはみんなこの国では壊されてしまったのだ。毛語録みたいなものばかりが残っている。そんなことを思いながら河村は木造二階建て建物の二階にあるその国営企業の事務所を出て、一階の道路へ下りた。外へ出ると、まだまだ河村にとっては肌寒い風に吹きあてられた。


十一章 阿鼻叫喚の図「特権階級への不満」−1

 道路に下りた河村は異常に気がついた。そこでは周りの人たちが事件だ事件だと言って騒いでいた。何人もが走ってゆくので、その歳になっても足に自信のある河村は自分もその方角へ一緒になって走って行った。
 ちょうど河村が現場と思しきところへ着いてすぐの時だった。女性運転手がハンドルを握るその大型のBMWは群集の中に突っ込んで行った。始めは河村は自分が何か勘違いしているのかと思った。しかし次の瞬間、群集の反応を見てそれが映画の撮影でもなんでもなく現実に起こっていることだと理解した。
 河村がそこへ着いた時はまだその高級車は怒れる群集に囲まれていた。車の前には口々に何かを叫びながら腕を上げたりしている人々が多勢いた。周りにも少なからぬ人々が車を取り囲んでいた。と、突然その車は発進した。徐行ではない。車輪と路面との急激な摩擦で起きるキキーッという不快な音をさせて、砂埃を立て上げて、ほとんど全速力で発進したのだ。大型BMWの馬力は強い。間を空けてばらばらに立っている人間なら何十人でも跳ね飛ばすだけの十分な力がある。そこは阿鼻叫喚の図が出現した。群集の後ろにようやくたどり着いたばかりの河村は安全地帯にいたが、もう少し早くそこ行っていたら、あの轢かれた人数のうちに入っていたかも知れなかった。そう思うとぞっとしたが、それはしばらく後に生じた感覚だった。車はそのまま走り去った。
 路上に倒れている数人は明らかに重態だった。河村は、それも生きていればの話だと思った。その他にも生きているのは分かったが怪我をして路上に倒れているものも数人いた。何にでも興味を示し、物見高い河村も次には自分の安全に思いを巡らせた。これ以上そこにいるのは危険な可能性があると判断した彼はそっと身を引いて、もと来た道を引き返した。自然に足は速くなり、次には駆け出していた。

 河村は政府の高官にでも会うとき以外はわざとラフな服装というか、くだけた装いを心がけていた。だからこのときも地元の農民たちとは明らかに区別されてはしまうが、地元のビジネスマンという程度の服装ではあった。それでも、一朝何かあったときには、地元の人間ではないと言うことくらい簡単に見破られてしまう。言葉でも流暢に話せれば別かも知れないが、河村の上海語はここらではそういう時には役に立たない。

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 中国人ビジネスマンに悪意がないこと、これは明々白々の事実だと河村は理解している。中国という国、あるいは中国人が全く異質な文化をもっているのみならず、文明としてでも異質なものであることは明白なのだが、それと同じくらいに彼等の心の中に商取引における悪意というものが存在しないことも明らかなのだ。

 彼等は、商取引を完遂させ利益を得ようと誠心誠意努力しているのだ。そこにはあるのは別の種類の誠心であり誠意であり、悪意などは微塵も存在していないと言うことを外国人は理解しないといけないのだ。そうでなければ中国人とは永遠に付き合えないことになる。

 重慶駐在時代には何かと苦労をした事務所の必要備品購入、資材購入も今のここ上海では何でも手に入る。日本と同じだ。むしろもっと安い値段で手に入る。
 いずれは受け付け嬢も秘書も雇いたいが、収入の目途がつくまでは支出を控えたかった。現代は何でも自動化、省力化の時代だ。本格的なロボットがいなくても、いろいろ組み合わせればほとんどロボットに等しい機能が取り揃えられる。事務所の備品や器具にいくらお金を使っても、人間を一人雇うことに比べたらいくらでもない。事務所には留守電付き電話機、ファックス・プリンター・スキャナー兼用機、オフィス・コンピューターはもちろんのこと、ありとあらゆるIT機器を揃えた。

 河村の基本的な事業計画はこうである。天然資源である建設資材、つまり鉱産物で建築に使われる材料を、コネと賄賂を使って極力安く購入して、それを先進諸国へ輸出する。ある意味特別な値段で購入するから、販売のときにも競争に勝てる公算が大きい。工業製品は品質の問題がある。自分で工場を持ってすら難しいのに、中国で設備投資をすることを厭っている河村には出来ない相談だ。食料品は世界的基準でみると衛生観念のレベルが低い中国では、それそのものの衛生上・安全性の問題も大きいが、輸送がうまく行かないということも十分に考えられることである。そうなれば食品は腐ってしまって大損をこうむる。そんなときには中国では実質的な保障の制度がないのだ。

 そうなるとやはり一番手堅いのは、生産するのに人手を加えずに、単に産出されて比較的簡単な加工だけがなされた天然資源ということになる。そういった製品の買い手の方はほぼ見当とコネがついている。貿易ビジネス三十年余の経歴がいよいよ物を言うときだ。値段さえ十分に安ければ河村の会社から買うと言ってくれている会社が数社ある。後はいかに商品仕入れのルートをうまく作り、それを注意深く中国から搬出する方法を考えることだった。

 中国では輸入に関しては、加工して再輸出する為の原料以外は、貴重な外貨が国外へ出ることなので慎重に検討される。あるいは全く許可にならない。しかし、輸出となると外貨を稼ぐことになるので、むしろ奨励されている。半世紀前の日本だって同じ状態だった。そうは言っても、中国で産出されたものを輸出するのなら何でも良いかと言うとそうもいかない。今度は大切な中国の産物を外国へ持って行ってしまうと言うことで、それなりの中央政府、地方政府の許可が必要になる。それは国営企業が輸出する場合でも同じことである。これでは奨励されているのかどうか判らなくなってくる。それが官吏の付け目だ。何事にも役所の同意や許可が必要となるようにしてある。そういう点では日本の官僚と同じことだ。
 
 曾官年に紹介してもらっていたハルビンの石材を扱う国営企業へ行ってみる必要があった。河村は上海にいてもそこは自分にとっての外国だから、日常緊張感がある。しかしそこからさらに出張する時など一層の緊張感を身に帯びる。当然のことかも知れないが、河村は常に安全に気を配ることにしている。大昔の旅行者達ほどではないかも知れないが、それはむしろ外国人としての礼儀でさえあると思っている。ひとの家を訪れて、気を抜いてあくびをしたり、おならをしたりはやはり失礼だ。緊張していればそういうことは避けられる、と思っていた。

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