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Go for broke ! ☆ 哀愁のハワイ

書庫60年代テレビアニメ主題歌

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2012/02/05
 
毎月第1日曜日は、CSテレビが無料放送
 
イメージ 1
これを見るために早起きしたのではありませんが、
ちょうど良いタイミングでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 2
HDリマスターとはいえ、
オープニングの画像は不鮮明。
 
しかし、主題歌は大好き
 
 
 
 
 
 
 


 
 
You Tube では、主題歌がいくつかアップされていますが、これが最も高音質のようです。
 
この当時のテレビ漫画(当時はアニメとは言わなかった)の主題歌は合唱が多いですね。
 
で、勇壮な音楽、歌詞は、特にこの曲なんかそうですが勇気と希望に満ち溢れています
 
ワクワクしてきます
 
ただ、2曲目の大人が歌っているバージョンは知りません。
 


 
イメージ 5オープニングは白黒でしたが、
第32話 「二人の亡命者」はカラー。
第33話 「燃える南極」は白黒。
 
当時、小学校低学年で、うちのTVは白黒。
このカラーバージョンは初めて見たかもしれません。
 
 
 
 
イメージ 6ふ〜ん、こんな色だったのか〜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 7
流星号の飛翔音、ジェッターの足音など、
擬音が未来的。
 
あかぬけたテレビ漫画でした
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 8西郷長官、声は、熊倉一雄
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 9「流星号!流星号!応答せよ!」
 
これは大流行しましたね。
今なら、「流行語大賞」クラス
 
今でもやりたくなります
 
 
 
 
 
イメージ 10そして流星号が生き物のように起動するんです
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 11
グニュッ!グニュー!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 12
 
キーン
と飛んでゆく流星号の飛翔音が気持ちいい
 
 
 
 
 
 
 
 


 
イメージ 3
第33話は白黒。
 
イメージ的にはこちら。
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 4
ストーリーはほとんど記憶に残っていません。
ストーリーなら同じ未来指向のエイトマンのほうが強烈、ヘビーでした。
また、エイトマンは悩み深いヒーローでしたし。
 
ジェッターはライトなSF。
その分、ドキドキせずに気楽に見てました。
 
 
 
 
 
当時の子ども向けのテレビ漫画の主流は、SFだったと思いますが、
アトムやエイトマンは少し暗いイメージがあります。
悩める主人公だったから。
 
勧善懲悪に徹している娯楽派が、ジェッターやパピー。
 
ソランも勧善懲悪なのですが、寂しそうで、その翳りが、女の子にも人気だったように思います。
 
 
早朝から、楽しませてもらいました
 
今度カラオケ行ったら、ジェッターを歌おう
 
と、梵天丸は思ったのでありました
 
 


 
少年忍者風のフジ丸(しょうねんにんじゃかぜのフジまる)は、1964年6月7日から1965年8月31日にかけてNETテレビ(現:テレビ朝日)系列で全65話が放送された東映動画(現:東映アニメーション)製作のテレビアニメである。
放送時間は、1964年6月から12月までは18時30分 - 19時。1965年1月から最終回までは火曜19時30分 - 20時。
 


 
幼稚園から小学校1年生の頃、最も人気が高かったのは「鉄人28号」だったと思います。
 
私は毎日、鉄人28号の絵を落書きしていました。
幼稚園の黒板には、隙間なくでーっかい鉄人28号の絵をチョークで書きました。
で、
そのチョークを家に持ち帰って、家の前の道路に鉄人28号を描きました。
当時の道路は、アスファルトもありましたが、市街地ではコンクリート舗装が多かったように記憶しています。
車に轢かれないよう、なるだけ白線(路側帯)の中には入らないようにしましたが、
調子に乗って、車道のど真ん中に鉄人28号を書いたりもしました。
もちろん、ライバルの恐竜ロボットや、バッカス、ブラック・オックスも丹念に書いて、
私の中では、そこにストーリーが出来上がっていました。
 
しかし、しかし、
鉄人28号がいかに大好きでも、「鉄人28号ごっこ」というのはできないのです。
できるわけありません、巨大ロボットなのですから。
また、金田正太郎の真似したってつまんないし。
 
そこで、ってわけでもないですが、忍者ごっこして遊ぶんですね〜
刀のおもちゃを振り回して、走り回り、斬りまくり、高い所から飛び降りたり・・・
当時、忍者ごっこやってて、子どもが死んだとか大けがしたとかいうニュースが多くて、
大人達から毎日のように注意されていました〜
それほど、忍者ごっこが流行していたのでしょう。
 
忍者モノ、いろいろありましたが、私が最も好きだったのが、この『少年忍者風のフジ丸』。
ソノシートを買ってもらって、親父のステレオセットで、聴きまくり、でした。
イメージ 1
 
こんな感じでしたよね〜
 
主題歌だけじゃなくて、
オーディオドラマになっていました。
 
 
 
 
それで、やっぱり、『少年忍者風のフジ丸』の主題歌は勇壮で、大好きでした。
 
テンション上がりまくり、だったんでしょう。
 
 風吹きまくれ 吹き荒れろ〜
ここから一気に盛り上がります
 
そして、
 悪い奴らをやっつけろ〜
 
もうここで、完全に自分が正義の少年忍者になりきってしまうんですね〜
 
 
1964年の日本って、大人も子どもも、みんな正義感に溢れたパワフルな時代だったと思います
 

 
 蛇足
 
イメージ 2今日は、稀勢の里が白鵬に負けたのが悔しくてね〜
 
大相撲中継が終わってすぐ、書庫「大相撲今昔」の記事を書いて 
 
そのあと、
お風呂に入って、稀勢の里から、この「風のフジ丸」を連想して、湯ぶねにつかりながら、熱唱しました
 
 
で、記事にしちゃおう と。
 
なので、まだ夕ご飯は食べていません、嗚呼、腹減った〜〜〜
 
稀勢の里には、絶対、大関に、さらには横綱になってもらって、
悪い奴らをやっつけてほしいです
 

 
 


 
0戦はやと
ウィキペディアをチェックしていると、放映リストに、
第8話 長ぐつ作戦
というのがありました。
 
これ見て、すぐこのお話を思い出しました。
 
敵の新型航空母艦、それが重防御の空母で、爆撃隊が爆弾を何発命中させてもまったく通じない!
このままでは味方は大ピンチ・・・隼人のゼロ戦隊に攻撃命令が下ります。
隼人は、浜辺に流れ着いた長靴を見て、ピンと思いつきます
「長靴・・・そうだ煙突だ!飛行甲板は重装甲を張ることができても、煙突だけは装甲できない!」
 
そして、隼人は敵新型空母の煙突に爆弾を命中させて、これを撃沈。
 
そういうストーリーだったと思います。
 
次々に現れる強敵に対し、奇想天外な作戦・戦術を編み出し、猛訓練によって技術を向上させ、
遂には強敵・難敵を打ち破る・・・
そういう物語でした。
 
これは、60年代後半にブームになった、いわゆる「スポ根」ものの、「はしり」とも言えるでしょう。
 
イメージ 1「スポ根」の主人公は、決まって、
熱血・ど根性の少年(少女)です。
「巨人の星」星飛雄馬、
「あしたのジョー」矢吹丈・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 2
そして、ライバルは、クールで天才的な少年。
 
花形満
力石徹
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そういう設定がほとんどなのですが、「0戦はやと」ではそれらの「スポ根」よりも数年早く、
「スポ根」の基本設定を実現させているのです。
 
隼人の宿命のライバル=一色強吾
 
一色は、クールで天才肌の2枚目。
もちろん日本軍同士なので、戦いはしませんが、撃墜数を競う最大のライバルとして描かれています。
隼人がピンチになると、一色は身を挺して救うこともしばしばあり、あくまでも好ましいライバル関係です。
 


 
さて、こうしたライバル物語の原形は、吉川英治の『宮本武蔵』でしょう。
武蔵vs小次郎
 
このキャラ設定が基本になって、60年代の「スポ根アニメ」「スポ根ドラマ」が続々登場したのだと思います。
 
もっとも小学校低学年の私はそんな事まで考えるはずはなく、
*正義は絶対に勝つ
ひたすらそれを信じ、当時で言うところの「テレビマンガ映画」の世界に生きていました。
 
そんな感じで毎日毎日見続けていたテレビアニメ、あるいはヒーロー物、
思い出す限り、取り上げていきたいと思っています。
 
次は、う〜ん・・・多分、数日後になると思いますが。
 
 


 
蛇足
子供向けのテレビ番組がない時は、時代劇を中心に大人のドラマ・映画もよく見ていました。
祖母がそういうのが好きで、
「どっちが悪者?」
とか聞くと、質問以上の詳しい内容・あらすじを分かりやすく教えてくれました。
1964年の大河ドラマは「赤穂浪士」でしたが、これもチョコチョコ見ていました。
長谷川一夫の有名なセリフ
「おのおの方」
これはすぐに覚え、よくモノマネしていました
 


 


 
1964年
幼稚園〜小学校1年の年です。
 
今から思えば、この年は人生で最もインパクトの強い1年だったかもしれません。
 
生まれてからずっと、と言っていいくらい、テレビを見て育ちました。
大袈裟ではありません。
保育園は2度中退しました(中途退園、のほうが正確ですかね?)
 
はじめは、私立保育園で皇太子夫妻(現天皇皇后両陛下)がご訪問されたこともある有名保育園。
これは初日から保育園で泣き騒いで1週間で辞めました。
保育拒否されたのかもしれません。
 
2回目は市立の保育園。
ここは、約半年間通いましたが、秋の運動会が終わると、登園拒否しました。
その半年間も全然つまんなくて、ずる休みしたり、エスケイプしたり、無茶苦茶やっていました。
結局、
「保育園に行くとテレビが見えない」
と、テレビの前で籠城し、両親は諦めたようです。
もちろんその間、保育園の先生(保母さん?保育士さん?)も自宅まで来て、
両親と相談したり、私を説得したりしたそうですが、どうにもこうにもならなかった、と聞いています。
 
保育園をやめた後は、祖父母がほとんど面倒をみてくれました。
好きな番組がある時は、絶対にテレビ。
そうでないときは、祖父母の家の広い庭で遊びまわっていました。
 
そうして、いわゆる「学校の幼稚園」に入る年齢になり、
「学校の幼稚園は、お昼までで終わるから」
と説得(?)されて、イヤイヤですが幼稚園に入園したのが、1963年4月です。
1963年というと「鉄腕アトム」や「鉄人28号」が放送開始された年でもあります。
幼稚園はサボらずに通いました。
喧嘩したり、先生に逆らったり、問題はいろいろ起こしましたが。
 
そんな中で迎えたのが1964年です。
国立競技場に東京オリンピックを見に行きました。
開業直後の東海道新幹線「ひかり号」に初めて乗りました。
夜行のA寝台列車に初めて乗りました。
東京モノレールに初めて乗りました。
羽田空港で初めてジェット旅客機を見ました。
初めて銀座に行って、不二家でお菓子を買ってもらいました。
 
1964年、幼稚園から小学校1年生の私の頭の中は、毎日沸騰していた感じです。
 


 
そんな嵐のような?楽しい毎日の中で「0戦はやと」も、決して見逃さずにしていたアニメです。
ただ、当時はアニメなんて言葉はまだなかったです。
単に「マンガ」って言ってました。
私は小学校に入るまで、いわゆるマンガ雑誌はほとんど読んだ事がなく、すべてはテレビから入りました。
「鉄腕アトム」以降の60年代テレビアニメはほとんど全部見たと思います。
 
で、「0戦はやと」は、プラモデルに直結しました。
まとまったお金、といっても100円か200円、が手に入ると、速攻プラモデルを買いに走りました。
買うのは大抵、飛行機。
当時のプラモデルというのは、軍艦、戦車、飛行機が三本柱だったよに思います。
小学校1年当時は、断然飛行機でした。
「0戦はやと」の影響もありますが、軍艦や戦車よりも安くて、作るのも比較的簡単だったから。
接着剤=セメダインで、指先をベタベタにしながら、めっちゃヘタクソな作品を量産していました。
 
・・・・・
 
う〜んと、ちょっと終わらないですね〜
 
まだ昼食食べていないので、今日はここまでにして、続きは明日にします。
「0戦はやと」やそれに関連したこと、まだまだありますので。
 
 
中途半端ですみません
 
では
 
 


 
イメージ 1
 
 比較的最近に入手したプラモです。
 
このほかにも第2次大戦中の軍用機を中心にストックはかなりあります。
 
でも、多分作らずに、このままで保管し続けると思います。
 
もったいなくて・・・
 

 
 

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