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播磨灘物語

 
 10年ぶり? 20年ぶり? 「播磨灘物語」に目を通しました。
 
 
イメージ 1
 
単行本は、上・中・下の三巻になっています。
 
30年程前、伯父から、読み終わったから、と、頂いた本です。
 
 

 
 
 本編最後に、
 
いまよりは なるにまかせて 行く末の 春をかぞへよ 人の心に
 
如水(黒田官兵衛)本人の辞世はなく、これは如水の友人がお通夜の席で詠んだもの、とあります。
 
いろいろな解釈が可能でしょうが、
官兵衛の人生の紆余曲折と、苦心のほどを、をしみじみと回顧しているようにも、受け取れます。
 
 

 
 
 あとがき、では、
 
家康=農村の庄屋を大型にしたような感覚の持ち主
 
と評した上で、
 
官兵衛=商業的合理主義の論理の実践者
 
と、司馬遼太郎は評しています。
 
さらに、結びの部分では、
「官兵衛はなるほど生涯、時代の点景にすぎなかったが、(中略)
街角でわかれたあとも余韻ののこる存在である。」
 
「友人にもつなら、こういう男をもちたい。」
 
と、最後は語って、この長編を締めています。
 
 
 
実に興味深いのは、
家康のことを「嫌い」とは直接表現では一切書いていませんが、
官兵衛は家康を性格として好まなかった、と書いたあとに、
友人にするなら官兵衛のような男、と。
 
つまり、
家康なんかとは友達になりたくないが、官兵衛なら親友になれる。
 
と、ちょっとした三段論法で、遠まわしに感想を述べているわけです。
 
 

 
 
 再来年の大河ドラマ『軍師 官兵衛 』が、官兵衛をどう描くか?
 
その大きな注目点は、司馬遼太郎が描いた官兵衛像と、どういう相違を見せるか。
そして、
そのためには、家康との対比も重要ですし、この時代特有のダイナミズムの把握も必須。
 
そのあたり、大きな期待と、一抹の不安の両方を併せ持ちながら、
次第に明らかになるであろう、コンセプトの情報を待ちたい、と思います。
 
 


 
 ブックオフ(和歌山国体道路店)で、105円で販売されていた3冊をサルベージしてきました
 
 
まずは、『この国のかたち』第4巻と第5巻。
 
イメージ 1
 
昨年、第1巻〜第3巻を救出していたので →
これで、第6巻以外は揃ったことになります。
 

 
そして、この本は、不覚にもまだ読んでいない作品でした。
 
イメージ 2
 
昭和61年に第1刷が出版されています(定価1200円)。
 
邪道かもしれませんが、「あとがき」だけ先に読みました。
 
『坂の上の雲』『菜の花の沖』執筆に要した10数年間において、
司馬さんが学び取り、感じたロシアに関する事どもを、
この1冊に集大成した作品のようです。
 
非常に楽しみ。
 
というか、『菜の花の沖』以来、久々に司馬さんにお会いできたような感覚になっています
 

 
 
司馬さんの小説、初めて読んだのは『国盗り物語』でした。
 
 
 
大河ドラマ『国盗り物語』の放送が始まったのは、中学3年生の時でした。
 
すぐに本屋さんに行き、原作(文庫本)を買いました。
 
とにかく新鮮でした。
大悪人というイメージの斉藤道三が、独自の正義を、その行動によって示し、
冷血非情のはずの織田信長が、熱い情熱をたぎらせて疾駆する。
さらには、博識ながら不運続きの明智光秀の、鋭い知性。
 
それまでの戦国武将、いや戦国時代の概念を、完全に覆し、時代の凄まじいエネルギーが、
作品の至る所で、感じられる小説だったのです。
 
 
日曜夜8時の放送はもちろん、土曜午後の再放送も欠かさず見ましたよ。
なにせ、当時は、VHS、ベータとも、ビデオレコーダーは、1台=50万円くらいしたと思います。
そんな高価なモノ、当然家にはありませんから、
まさに、食い入るように見たものです。
 
 
大河ドラマ『国盗り物語』のVTRは、総集編が残っているだけで、あとはまったくどこにも無いらしいですね。
非常に残念です。
 
しかし、最近になって、『樅の木は残った』を家庭用VTRで録画したテープが発見されて、
テープの痛んだ部分をNHKが修復している、と聞きました。
 
大河ドラマ『国盗り物語』も、どこかで死蔵されているVTRが発見されれば良いのですが。
 
私の記憶では、大河ドラマ『国盗り物語』は、数ある司馬遼太郎原作の映画・ドラマの中で、
最も原作に忠実にドラマ化された作品だったように思います。
 
 
 
昨年末放送された『坂の上の雲』は、あれだけの大作ですから、致し方無いと言えばそれまでですが、
原作に対する忠実度、という点では、不満は大きいものでした。
 
大作であればあるほど、1度ドラマ化されれば、次はいつになるか分かりませんから、
悔いが残らないように、ドラマ化してほしかった、と今、思ったりしています。
 
 


 
 


 
2011/12/25 放送の最終回の平均視聴率は、11.4%。
 
全13話での平均視聴率は14.45%。
 
週間視聴率ランキング  (12/19〜12/25)
 
 
*1位 家政婦のミタ(40.0%)イメージ 1
*2位 恋愛できない理由(18.4%)
*3位 謎解きはディナーの(15.4%)
*4位 妖怪人間ベム(14.5%)
*5位 水戸黄門(13.9%)
*6位 帰郷(13.3%)
*7位 坂の上の雲(11.4%)
*8位 警視庁失踪人捜査課(11.2%)
*9位 僕とスターの99日(10.9%)
10位 ランナウェイ(10.8%)
          
           
「坂の上の雲」は、視聴率的には、まったく盛り上がる事なく終了した、ということでしょう。
 
残念な結果です。
 

 
秋山好古
イメージ 2
日本人離れした豪胆な行動力と合理的な判断力を持つ半面、その精神性は古武士然としたところがあり、その生き様は生涯ブレる事が無かった。
というのが、原作でした。
ドラマでも、そういった基本線は変わってはいませんでしたが、好古の個性的なエピソードの多くがカットされており、不十分だったかもしれません。
 
 
 
 
 
秋山真之
イメージ 3司馬遼太郎が、真之を主人公に据えたのは・・・
もっと言えば、「坂の上の雲」を創作しようと思ったのは、真之という一個の人間が、様々な素養・資質・性情を併せ持った人間だったことに、大きな興味を抱いたからだと、私個人は信じて疑いません。
 
卓抜した作戦立案能力。
質素簡潔ながら抒情豊かな造文能力。
家族・親友に対する繊細な哀切。
等々。
 
司馬遼太郎は、「傾斜のキツイ人間」に強い興味を示すことが多かったように思います。
 
「国盗り物語」・・・
信長の冷酷非情な面をしっかり押さえながら、一方で、名も無き物乞いを憐れむ信長の姿をさりげなく「挿入」したりしています。
史実では、その後半生がほとんど不明な濃姫を、あくまで信長の終生の正妻として描き、その最後は本能寺で、
薙刀を取って戦わせ、光秀軍によって討ち取られる、という終わり方にしています。
つまり、信長と濃姫は最後まで愛し合っていた、という人生の結末。
 
これは、何が真実かどうかなどという次元の問題ではありません。
また、司馬氏がこれによって、何を訴えたいか、というような穿った見方をする必要もないと思います。
司馬氏は、信長の魔王的な前面を嫌悪しつつも、その側面には尋常ならぬ純粋性も見い出しています。
そして、そういう一個の人間の中に複雑な多面性を発見した時、
司馬氏はその人物をすでに愛しています。
親鳥がヒナ鳥を大きな翼と羽毛でくるんで、慈しむように、司馬氏の筆は躍動していくのです。
 
 
「坂の上の雲」、日露戦争を主題にするのなら、真之の私生活など無用でしょう。
しかし、真之の母を慕う終世変わらなかった可憐なほどの姿、
子規に対する、あるいは文学に対する「裏切り」の負い目感、
ここに、司馬氏の目・・・
「歴史の中で光彩を放つ人物も生身の人間である」
そして、
「偉人・傑物が歴史を動かすわけではないのでは?」
が見えてくるのです。
 
 
最終的に、
そういう司馬遼太郎の暖かい目を、
日本人への励まし、応援歌
と感じるか、
単なる読み物
として受け取るか、
それは、まったく自由でしょう。
 
もちろん、
「どこまで史実か疑わしいものだ」
と憤慨する方が存在しても致し方ありません。
 
司馬遼太郎は、「小説」というほとんど制約のない世界の中で、心の向くままに自由に活動しているに過ぎない。
突き詰めれば、そこに至るのではないでしょうか。
 
そして私は、その司馬遼太郎の造る、彼の自由な「心象風景」で遊ばせていただく時間が、
ひどく幸せに感じているようです
 

 
他の人物にも触れるつもりでしたが、
真之の項で、思いのほか字数が必要になってしまい、疲れました。
 
続きはまた、元気な時(?)にします。
 

 
 
 
 
 


2011/12/25  NHK BSプレミアム
 
イメージ 1
 

 
前半は苛烈・過酷な日本海海戦・戦闘シーンが、圧倒的な迫力で展開されました。。。
 
イメージ 2イメージ 7
イメージ 8イメージ 9
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イメージ 12イメージ 13
 
ただし、海戦の進行状況については、原作のような詳しい記述はありませんでした。
下瀬火薬、主砲一斉射撃、東郷唯一の誤謬に際しての上村艦隊のフォロー、
水雷艇隊の活躍、ロジェストヴェンスキーの捕獲、等々は省略されていました。
 
真之の独創的な戦術もさることながら、水兵各員の奮励努力に至るまで、
ありとあらゆる場面で、確実に任務を全うした日本海軍に、勝利は帰しました。
 


 
日本海海戦、そして日露戦争の帰趨に関しては、本日はあえて沈黙します。
 
それよりも、永遠の別れの数々・・・
 
イメージ 14イメージ 3
 
私は、子規に、激しく感情移入してしまいます。
 
イメージ 4
 
清明な意識のもとで、少しずつ死に向かって行く子規が、哀れでなりません。
・・・哀れを通り超えて、神を恨みたくなる。。。
 
2年ほど前から、自分の臨終の様子をリアルに思い描くようになりました。
どんなに苦しいのだろうか・・・
どんなに寂しいのだろうか・・・
どんなに悲しいのだろうか・・・
 
今、思うのは、
できるだけ多くの人に最期を看取ってほしい。
できるだけ多くの言葉をかけてほしい。
どんな言葉でもいいから。
 
最後の瞬間まで、誰かの言葉を聞きながら、すべてを終わりたい。。。
だから、
意識不明になっても、
脈拍がおおいに衰えても、
いや、
心拍が停止しても、
体にぬくもりがあるうちは、
言葉を、声を、かけ続けてほしい。。。
 

 
イメージ 5
私は、幸いにも両親は健在です。
 
祖父母はいずれもすでに病没しました。
しかし、一度も、いわゆる「死に目」には立ち会えませんでした。
すでに、冷たくなった亡きがらと対面しただけ。
 
「なにか声をかけてあげなさい。」
といずれの場合も促されましたが、何も言えませんでした。
何を言って良いかわからなかった。。。
 
でも今は、おおいに後悔しています。
 
 
生と死について・・・
これからも、考え続ける・・・
それだけは間違いない、と、思います。
 

 
イメージ 6
 
以上、
「坂の上の雲」を見終わって、その直後の偽らざる感想です。
 
好古の臨終場面・・・
画像を掲載するに忍びません。
 
 
生きる・・・・
 
生きる・・・・
 
生きる・・・・
 
そして、最期に、なにを見つめて、人は一生を終るのでしょうか。。。
 
 
一朶の雲を目指して、生きて行きたいものです。。。
 
 

 
 


 
昨日に続き、もう少し、原作の重要部分を取り上げたいと思います。
ドラマでは省略された部分です。
 
イメージ 1日本軍の大山の位置にある人物。
しかし、実際には大山とはまったく違う「仕事」をします。
 
一言で言えば独断専行。
参謀たちがいかに反対しようと、理屈をこねまわして、
作戦を簡単に変更してしまう。
 
ロシア軍総司令部には児玉に相当する頭脳がありません。
 
というより、実質的には、大山+児玉の「仕事」をクロパトキンが一人でやっていたようなもの。
 
しかも、彼の行動原理、思考回路の基本には、官僚的自己保全主義が内在しています。
「日本軍に勝つことよりも、帝政国家内での自己の地位保全を重視する。」
それが、クロパトキンの退却将軍たる由縁であろう。
 
と、そういった「事情」を司馬遼太郎は非常に多くの項を割いて、具体例を列挙しつつ、証明・喝破してみせています。
さらに、それは、当時のロシアと日本の国家体制の違いに根源があると指摘し、
アメリカ大統領、セオドア・ルーズベルトの戦争予想・分析まで持ち出して、
日露戦争の勝敗のジャンクションに肉薄します。
 
クロパトキンに司令官の資質があったかなかったか、と言う論議は無用に近く、
クロパトキンのような人物が、総司令官の地位にまで上り詰め、その地位を保全している、
そういった事情こそ、
日露戦争を深く分析するためには重要な鍵になるのではないでしょうか。
 


 
真之という人物は、小説にしろ、ドラマにしろ、非常に描写し辛い人物ですね。
 
イメージ 2やはり天才的な作戦家だからでしょう。
「天才」という言葉を使うのは安直すぎるようにも思いますが、真之に関しては、そうとしか説明のつかない状況が多すぎます。
 
天才ゆえの奇矯な行動もいろいろと目撃・報告されているようです。
 
 
 
ドラマでは、そういった「天才ゆえの悲しき宿命(さだめ)」が薄められて、
どちらかというと、可愛げのある陽気な男、のように描かれています。
 
たとえば、「敵艦、見ゆ」の報に接し、阿波踊りのような踊りをする1カット。
これは、一見原作に忠実なのです。
少なくともその挙動においては。
 
しかし、「目」はどうであったか?
 
動作そのものは「狂喜」であっても、目は虚空に漂い、オートフォーカス機能が作動していなかったのでは?
そう、たとえて言えば、松田優作のような「狂気が宿った目」です。
あるいは、「芸術は爆発だ!」の岡本太郎の目です。
 
真之は天才であるが故に、その秀麗な容貌に「天才の暗い影」を宿しているように感じられてなりません。
そして、それは、真之の後半生がなにより如実に証明しているのではないでしょうか。
 


 
永沼挺進隊について・・・
 
これについては、「ぶっちゃけ」で、私の個人的思いのままに語らせていただきます
 
イメージ 3ドラマでは、その活動実績についてはほとんど語られませんでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
好古は、永沼挺進隊をはじめ、いくつかの騎兵部隊をロシア軍のはるか後方600kmにまで出撃させて、
鉄橋爆破などの破壊・撹乱作戦を実行、成功させています。
 
戦術的にはさほど大きな戦果ではありませんが、これらの騎兵部隊の行動が、ロシア軍にとっては、
大きな脅威と映り、後の奉天会戦の総退却の一つの大きな要因となりました。
 
まあ、史実としてはそんな感じですが、
ぶっちゃけ!
で言うと、
永沼挺進隊の作戦行動というのは、
映画「インディー・ジョーンズ」のような大冒険活劇そのものです。
 
「インディー・ジョーンズ」、あんなもん有り得ない、所詮映画じゃないか!
って思うでしょ!?
でも、原作(文庫本第5巻)を読んでみてくださいませんか〜
「事実は小説より奇なり」
それを実感しますから。
 
さらに個人的には「インディー・ジョーンズ」にはない崇高な使命感さえ感じますから、
「インディー・ジョーンズ」プラス「宇宙戦艦ヤマト」
というのが、私の偽らざる実感です。
 
永沼挺進隊をはじめとする、好古が放った騎兵部隊の活躍だけでも、
長編劇場用映画が作れます、間違いなく。
 


 
 
日露戦後、永沼秀文中佐は、常に謙虚で、
「あれは、秋山閣下に教わったとおりにやっただけです。」
と語っていたそうです。
 
まさに、そうだったのでしょう。
 
好古・・・
黒溝台では、「アラモの砦」のような絶望的な戦いを守りに徹して一歩も退かず、
一方においては長距離騎兵出撃によって、敵後方を攪乱する。。。
 
しかし、しかし、
これをもって単なる英雄奇談としないのが、
司馬遼太郎の司馬遼太郎たる由縁ではないでしょうか。
 
そのあたりの機智、奥行きの深さは、小生ごときが論ずるにはいささか「面映ゆい」ものがございます。
どうか原作を今一度深くお読み頂ければ、と思います。
 
 
 
はなはだ蛇足ながら、
 
 
日本が如何にして勝ったか・・・
ではなく、
日本人が如何に振舞ったか・・・
 
 
あくまで主題はその一点であり、それ以上のものを語れば、司馬遼太郎はおおいに迷惑がるでしょう。。。
 
 
イメージ 4
 
 


 
 
 

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