栃木県内見て歩る記

主に栃木県内各地の紹介です。

ワイキキ

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 ワイキキ(英語:Waikiki)は、
 アメリカ合衆国のハワイ州オアフ島のホノルル市内の地名です。
 5月18日から22日まで、長男の結婚式のために行って来ました。

【ワイキキの概要】
 ワイキキはオアフ島南部に位置し、
 一般的には、南はママラ湾に面したフォート・デルッシー・ビーチ、
 ワイキキ・ビーチ、クヒオ・ビーチ、カピオラニ・ビーチ・パーク、
 サン・スーシ・ビーチなどのビーチエリア、
 西と北はアラ・ワイ運河に挟まれ、
 東はダイヤモンドヘッドふもとのカイマナ・ビーチまでの地域を指します。

 「ワイキキ」はハワイ語で「水が涌くところ」の意味で、元々は湿地帯であり、
 ハワイが独立国であった19世紀末までは、ハワイ王朝の王族の保養地でした。
 ハワイ港、そしてホノルル市のダウンタウンから至近の距離であったこともあり、
 1898年にハワイがアメリカの自治領として併合された3年後の1901年に、
 「モアナホテル」がワイキキ初の大型ホテルとして開業しました。
 以来、1910年代から1920年代にかけて、
 大型客船でハワイを訪れるアメリカ人観光客向けの
 アメリカ本土資本のホテルが複数建設されました。

 なお、ワイキキ・ビーチにはもともと砂浜はなく、
 1920年代から1930年代にかけて、
 オアフ島北部のノースショア、カリフォルニア州のマンハッタンビーチから
 白砂を運んで作られた人工の砂浜です。

 第二次世界大戦中には、日本軍の上陸が予想されたことから、
 海岸には有刺鉄線が貼りめぐらされるなど、観光地としての発展は止まりました。

 しかし、戦後には航空機の発展が進んで観光客が急増したことに伴い、
 大型高層ホテルやコンドミニアムが1950年代から1980年代にかけて次々と建てられ、
 ハワイにおける観光の中心地となります。
 1954年には日本航空がホノルルへの乗り入れを開始し、
 1964年には日本人の海外旅行が自由化され、
 日本交通公社(現在のJTB)がホノルルに支店を開設しました。
 現在は、季節を問わず世界各国から多くの観光客が訪れ、
 中でも日本人観光客はその大半を占めています。

 オアフ島内に鉄道や地下鉄などは存在しないため駅はありませんが、
 ホノルル市の公営バスである「TheBus」が運行されているほか、
 私営で、トロリーという路面電車風のバスも巡っています。

【その他】
 1枚目はダイヤモンドヘッド、2枚目から4枚目はビーチ、
 5枚目は伝説のサーファー、デュークカハナモク像、6枚目はトロリー
 7枚目はワイキキのホテル群です。
 その他の写真は下記をご覧下さい。
 http://orangestudio.dip.jp/gallery/user.php?userid=17933

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三春の滝桜

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三春の滝桜は、福島県三春町にある紅枝垂桜の巨木で、
神代桜(山梨県北杜市)、淡墨桜(岐阜県本巣市)と並んで、
日本の三大桜と言われています。
4月13日に行って来ました。

【三春の滝桜の概要】
 日本五大桜または三大巨桜の1つとして知られています。
 2012年時点で推定樹齢1000年超、
 樹高12m、根回り11m、幹周り9.5m、枝張り東西22m・南北18mとなっています。
 三春町の滝地区に所在すること、毎年4月中・下旬に
 四方に広げた枝から薄紅の花が流れ落ちる滝のように咲き匂うことから、
 この名があります。
 また、天保の頃、加茂季鷹の詠歌
 「陸奥にみちたるのみか四方八方にひびきわたれる滝桜花」によってその名を知られ、
 三春藩主の御用木として保護されてきました。

 1922年(大正11年)10月12日、国の天然記念物に指定されました。
 1990年(平成2年)には「新日本名木100選」の名木ベスト10に選ばれています。
 1996年(平成8年)春に極端に花付が悪くなったことから調査が行われ、
 土壌の通気と根系の回復を中心とした樹勢回復工事が行われました。
 2011年(平成23年)の東日本大震災では、
 折れた小枝がいくらかあったものの滝桜に大きな損傷はありませんでした。

【訪問記】
 今年は4月8日に開花宣言が出ました。
 そろそろ見ごろかと思って4月13日に行きましたが、
 その間に雪が降ったりして咲くスピードが遅くなり、写真のような状況でした。
 その分、幹の迫力は堪能できました。若干の負け惜しみです。

【その他】
 1枚目は全景、2枚目は脇から、3枚目は後ろから見たところです。
 4枚目は幹、5枚目は安達太良山です。
 その他の写真は下記をご覧下さい。
 http://orangestudio.dip.jp/gallery/user.php?userid=17933

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横山郷土館

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 横山郷土館は、栃木市の中心部にあり、巴波川に面した独特の建物です。
 これまで、何度も前を通りましたが、
 3月9日に初めて内部を見学して来ました。

【横山郷土館の概要】
 横山家は、1867年(慶応3年)に創業との事です。
 横山家は、栃木でも有数の
 麻苧(あさお;麻の繊維から取った糸、あさいと)問屋として知られていました。
 店舗は北半分が麻苧問屋 
 南半分が1899年(明治32年)に設立された栃木共立銀行としてつくられていて、
 出入口も別々に設けられています。
 両側の石蔵は北側の麻蔵が1909年(明治42年)、
 南側の文庫蔵が1909年(明治43年)の上棟で、
 外壁はいずれも鹿沼産の深岩石が積まれており、
 小屋組みは木造のキングポスト(洋風小屋組)が用いられ、
 窓や出入口にも洋風の意匠が目立ちます。
 また、文庫蔵の軒には赤煉瓦積みの蛇腹を廻しています。
 庭園内には1918年(大正7年)建築の離れ(洋館)があります。
 外観はハーフティンバー形式(壁面に柱や梁が露出する構造)を用い
 内部は和風を基調としていますが天井を洋風にするなど和洋折衷になっています。
 この洋館には、戦時中歌舞伎役者の市川猿之助が疎開していたとの事です。

【その他】
 1枚目は郷土館の前の巴波川の風景、2枚目は全景、3枚目は銀行の金庫、
 4枚目は離れ、5枚目はその内部です。
 その他の写真は下記をご覧下さい。
 http://orangestudio.dip.jp/gallery/user.php?userid=17933
 

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