栃木県内見て歩る記

主に栃木県内各地の紹介です。

瑞鳳殿

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 瑞鳳殿は、仙台市都心部の南西、広瀬川の蛇行部に挟まれた
 経ケ峯にある伊達政宗を祀る霊廟です。
 戦災で全焼しましたが、
 二代忠宗廟の感仙殿、三代綱宗廟の善応殿共々復元されています。
 6月24日に行って来ました。

【瑞鳳殿などの概要】
 仙台藩初代藩主伊達政宗は生前に、自らの死後、
 遺骸を仙台城下町南西縁にある経ケ峯に葬ることを遺言し、
 1636年(寛永13年)に没しました。
 政宗の後を継いだ第2代藩主伊達忠宗は政宗の遺言に従い、
 翌1637年(寛永14年)10月、政宗の御霊屋を経ケ峯の東部に、
 正面が仙台城本丸を向くよう西向きに建立し、「瑞鳳殿」と命名しました。
 瑞鳳殿は、本殿・拝殿・唐門・御供所・涅槃門からなり、桃山文化の華麗な建築です。

 その後、忠宗を祀る「感仙殿」、第3代藩主綱宗の「善応殿」が共に、
 経ケ峯の西部に建立されましたが、
 両者は瑞鳳殿と相対するように正面が東向きになっています。

 1931年(昭和6年)に瑞鳳殿は国宝に指定されましたが、
 第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)7月10日にアメリカ軍による空襲を受け、
 瑞鳳殿・感仙殿・善応殿は総て焼失しました。

 1974年(昭和49年)に瑞鳳殿址の発掘調査を行うと、
 政宗の遺骨や副葬品などが出土しました。
 1979年(昭和54年)、瑞鳳殿の本殿・拝殿・涅槃門・御供所が再建され、
 1980年(昭和55年)に瑞鳳殿資料館が新設されました。
 1985年(昭和60年)には、感仙殿および善応殿も再建されました。

 瑞鳳殿本殿両脇には、殉死した家臣15名および陪臣5名の宝篋印塔が復元され、
 感仙殿本殿両脇には、殉死した家臣12名および陪臣4名の宝篋印塔が並んでいますが、
 善応殿には、殉死禁止令により、これらはありません。

 敷地内には、他に妙雲界廟として、9代周宗の墓、11代斉義の墓などがあります。
 また、戊辰戦争で亡くなった仙台藩士1,260人の慰霊のための弔魂碑もあります。

【その他】
 1枚目は唐門と瑞鳳殿、2枚目はそのアップ、3枚目は宝篋印塔、
 4枚目は弔魂碑、5枚目は感仙殿です。
 その他の写真は、下記をご覧下さい。
 http://orangestudio.homeip.net/gallery/user.php?userid=17933

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致道博物館

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 致道博物館は、鶴岡市中心部の鶴ヶ城の中にある博物館です。
 庄内地方の貴重な建物や民俗資料などが展示されています。
 6月23日に行って来ました。

【致道博物館の概要】
 旧藩主家当主酒井忠良が所有していた土地建物や文化財等が
 1950年(昭和25年)に寄付され、財団法人以文会が設立されました。
 その後、1952年(昭和27年)に財団法人以文会立致道博物館が開設されました。
 鶴岡市内には、旧藩校の致道館がありますので、若干紛らわしいですが、
 この藩校の名称を使用しています。

 博物館の敷地は、鶴ヶ岡城三の丸跡地で、かつては藩主の御用屋敷がありました。
 現在は、御隠殿と呼ばれる藩主の隠居所の一部と酒井氏庭園に加え、
 広大な敷地を利用して旧西田川郡役所、旧鶴岡警察署庁舎、旧渋谷家住宅が移築され、
 さらに収蔵庫・民具の蔵がそれぞれ独立して配置されています。

 御隠殿(ごいんでん)は、1863年(文久3年)に、
 庄内藩江戸柳原および下谷の御殿を解体・移築したもので、
 致仕・帰郷した九代藩主酒井忠発が隠居所としていました。
 現在は玄関と奥の座敷(関雎堂)が残っています。

 酒井氏庭園は、御隠殿の北面に造られた築山泉水庭で、国の名勝に指定されています。
 築庭年代は不明ですが、典型的な書院庭園とされています。

 旧西田川郡役所は、1881年(明治14年)に竣工した建物で、(
 棟梁・高橋兼吉と石井竹次郎の設計による、
 木造二階・両翼一階建で、二階屋根上に時計台を有しています。
 1972年(昭和47年)に現在地に移築され、国の重要文化財に指定されています。

 旧鶴岡警察署庁舎は、やはり高橋兼吉の設計になる木造二階・入母屋造の建造物で、
 1884年(明治17年)竣工し、国の重要文化財に指定されています。
 しかし、残念ながら現在修復工事が行われていて、見られませんでした。

 旧渋谷家住宅は、鶴岡市田麦俣の多層民家を移築したもので、
 一重三階寄棟造茅葺きの建物です。
 1822年(文政5年)に建てられ、1965年(昭和40年)に現在地へ移築され、
 国の重要文化財に指定されています。
 寄棟造の建物に蚕室を設けるため、
 妻の部分の屋根を切り上げた独特の形状(かぶと造)になっています。

【その他】
 1枚目は旧田川郡役所、2枚目は酒井氏庭園、3枚目は旧渋谷家住宅、
 4枚目は展示されていた乗り合い馬ぞりです。
 その他の写真は下記をご参照ください。
 http://orangestudio.homeip.net/gallery/user.php?userid=17933

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浄智寺

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 浄智寺は、鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、鎌倉五山の第4位の寺院です。
 山号は金宝山で、本尊は阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の三世仏です。
 境内は「浄智寺境内」として国の史跡に指定されています。
 5月25日に行って来ました。

【浄智寺の創建など】
 浄智寺は、鎌倉幕府第5代執権北条時頼の3男である北条宗政の菩提を弔うために、
 1283年(弘安6年)に創建されました。
 開基は宗政の子北条師時ですが、この時師時は8歳であり、
 実際には宗政の妻と兄北条時宗による創建との事です。

 高峰顕日や夢窓疎石らの名僧が住持し、
 最盛期には七堂伽藍を備え、塔頭も11寺院に達していました。
 鎌倉幕府滅亡後も寺勢は衰えず、
 1356年(延文元年)には火災で創建時の伽藍を失いますが、
 上杉禅秀の乱のあとの1417年(応永24年)に足利持氏が鎌倉に戻ったとき、
 浄智寺に入り2か月以上滞在しています。

 しかし、15世紀半ばころから都市鎌倉そのものの衰亡と共に徐々に荒廃し、
 江戸時代末期には、8塔頭寺院を残すのみになりました。
 1923年(大正12年)の関東大震災でその大部分が倒壊し、
 今日の伽藍は概ね昭和になってから復興されたものです。

 山門は近年建て替えられていますが、
 上層が鐘楼を兼ねている珍しい形式のもので、
 花頭窓をあしらった中国風の意匠が特徴です。
 この門をくぐったところに、本尊の三世仏を安置する曇華殿(仏殿)があります。
 境内は樹木が豊かで起伏に富み、
 鎌倉江ノ島七福神の一である布袋の石像をまつる洞窟もあります。

 また、境内には、2004年9月12日に、
 一緒に暮らしていた男に、思川に投げ落とされて殺害された
 小山市の小林一斗ちゃん(当時4歳)、隼人ちゃん(同3歳)の兄弟を
 供養する地蔵もありました。

【その他】
 1枚目は山門、2枚目は曇華殿、3枚目は布袋像、4枚目は地蔵です。
 その他の写真は下記をご覧ください。
 http://orangestudio.homeip.net/gallery/user.php?userid=17933

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