栃木県内見て歩る記

主に栃木県内各地の紹介です。

岩手銀行赤レンガ館

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 盛岡市の中心部を歩くと、赤レンガの雰囲気の良い建物が目に入ります。
 それが岩手銀行赤レンガ館で、国の重要文化財になっています。
 昨年の12月4日に行って来ました。

【岩手銀行赤レンガ館の概要】
 岩手銀行赤レンガ館は、岩手県盛岡市中ノ橋通一丁目にあります。
 1911年(明治44年)に盛岡銀行本店として完成し、
 岩手銀行本店、岩手銀行中ノ橋支店と名称は変わりましたが、
 2012年まで100年余りにわたり銀行として使われて来ました。
 1994年12月27日、「岩手銀行(旧盛岡銀行)旧本店本館」の名称で、
 現役の銀行建築として初めて国の重要文化財に指定されました。
 2012年8月3日、中ノ橋支店を隣接地に移転し、銀行としての営業を終了し、
 約3年かけて内部の修復を行って、
 2016年7月17日に公開施設「岩手銀行赤レンガ館」として開館しました。

 設計は、日本銀行本店などを手がけた辰野金吾と、
 盛岡出身の葛西萬司が設計を担当し、
 辰野の作品の中では、東北地方で唯一現存する建物との事です。
 交差点の角地に建ち、東南隅に八角形の塔、南面の西寄りには四角形の塔を設け、
 東面北端には切妻屋根が突出するなど、立体感に富んだ構成となっています。
 外壁は赤レンガに花崗岩の帯を回しています。
 1階の営業室吹き抜けを囲むように、2階には回廊がめぐらされています。
 地上3階、建築面積は693 m²です。

 館内は無料の「岩手銀行ゾーン」と有料の「盛岡銀行ゾーン」からなります。
 岩手銀行ゾーンは、営業室を改装した多目的ホールや、
 盛岡の産業・商業の歴史を紹介するライブラリー・ラウンジが設けられています。
 盛岡銀行ゾーンでは応接室や、
 開業当時から使われている金庫室などを公開しています。

【その他】
 1枚目の写真は正面、2枚目は受付、3枚目は銀行らしい作り、
 4枚目は2階のホール、5枚目は1階から2階を見たところです。
 その他の写真は下記をご覧下さい。
 http://orangestudio.dip.jp/gallery/user.php?userid=17933

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向嶽寺

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 向嶽寺は山梨県の甲州市塩山にある禅寺で臨済宗向嶽寺派の大本山です。
 非公開寺院のため建物内部や庭園は原則的に拝観不可ですが、伽藍などは見られます。
 昨年の12月1日に行って来ました。

【向嶽寺の概要など】
 向嶽寺は南北朝時代の1378年(永和4年)に、
 晩年の抜隊得勝(ばっすいとくしょう)が塩山高森に建てた草庵に始まるとの事です。
 同所が不便なため弟子の宝珠寺の住持松嶺昌秀が周旋し、
 1380年(康暦2年)に甲斐国守護武田信成から寄進された塩ノ山へ移り、
 向嶽庵と号しました。
 「嶽」は富士山を意味し、抜隊がかつて霊夢を見たことに因むとの事です。
 南朝方との関わりが深く、後亀山天皇の勅願寺となり、
 武田氏の保護もあって、多くの塔頭・末寺を有しました。

 江戸時代中期には末寺離れが相次ぎ、また、度々火災に遭っていますが、
 その都度復興されています。
 明治に入り京都南禅寺に属していましたが、
 1908年(明治41年)に独立して臨済宗向嶽寺派の大本山となりました。

 当寺は、国宝の絹本著色達磨図を所有していて、
 現在は東京国立博物館に寄託されています。
 これは鎌倉時代の作品で、
 宋からもたらされた水墨画・道釈画の技法により描かれたもので、
 日本最古級の達磨像であるとされています。

 中門は重要文化財に指定されている室町時代中期の四脚門で、
 切妻造、檜皮葺です。
 仏殿は、開山堂が一体となった建物で1787年(天明7年)に再建されたものです。

【その他】
 1枚目の写真は山門、2枚目は中門、3枚目は仏殿、4枚目は方丈前の門、
 5枚目は向嶽寺山門近くから見た富士山です。
 その他の写真は下記をご覧下さい。
 http://orangestudio.dip.jp/gallery/user.php?userid=17933

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平潟神社

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 平潟神社は新潟県長岡市のJR長岡駅から徒歩10分程度の場所にある神社です。
 太平洋戦争中の長岡空襲では、多くの方が亡くなった場所でもあります。
 昨年の7月3日に行って来ました。

【平潟神社の概要】
 平潟神社は、諏訪大社の祭神建御名方富命を祀る神社である事から、
 平潟諏訪神社とも呼ばれています。
 また、かつて存在した別当寺の智慶院の名から、智慶様とも呼ばれているとの事です。
 736年、この辺りで疫病が流行ったころ、
 北陸を巡っていた行基が
 自作の普賢菩薩の仏像を奉納して祈念したのが始まりとの事ですが、
 詳しくは不明です。

 かつては長岡停車場付近にあり、上杉謙信及び上杉景勝の尊崇篤かったとの事です。
 堀氏の築城計画の一環として現在地に移転し、
 牧野氏が移封した後は長岡藩の祈願所となります。

 1945年(昭和20年)8月1日の長岡空襲では、
 平潟神社の境内で亡くなった人が268人と最も多かったため、
 1958年(昭和33年)年11月、「長岡市戦災殉難者慰霊塔」が建立されました。
 その後、老朽化が進んだため、戦災50周年にあたる1995年(平成7年)に
 隣接する平潟公園に修復・移設されました。

 境内には、大山巌が揮毫し、1906年(明治39年)に建立された、
 立派な「忠烈靖献之碑」がありました。

【その他】
 1枚目の写真は鳥居と拝殿、2枚目は拝殿、3枚目は忠烈靖献之碑、
 4枚目は慰霊碑です。
 その他の写真は下記をご覧下さい。
 http://orangestudio.dip.jp/gallery/user.php?userid=17933

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