栃木県内見て歩る記

主に栃木県内各地の紹介です。

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黒羽城址公園

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 旧黒羽町(現 大田原市)は、古くからの城下町です。
 明治維新の際に廃城になりましたが、今でも城址が公園とし残っています。
 この城址公園を中心に、毎年「あじさい祭」が開催されています。

【黒羽城の概要】
 黒羽城主であった大関氏の出自は明らかではありませんが、
 応永の頃(1394年〜1428年)、白旗城を築いた大関増清以来、
 北関東の豪族那須氏(本拠は烏山城)に仕えながら次第に力を養い、
 やがて「那須七騎」の一騎と呼ばれ土豪集団の中でも有力者として活躍するようになっていきます。
 「那須七騎」とは、那須宗家・大関・大田原・福原・千本・芦野・伊王野の7氏です。
 彼らは互いに盟約を結んだり破棄したりしては主導権を争っていました。
 黒羽城は文安年間(1444年〜48年)に、
 大関忠増が砦跡であった当所に城を築いたのがその始まりらしいのですが、
 1542年(天文11年)、大関増次が大田原資清と争って敗れ自刃、
 その後継ぎがいなかったため、
 大田原資清はその子高増を送り込んで大関氏を継がせます。
 この高増が黒羽城を整備拡張して白旗城から移り住み、黒羽城の基を作りました。
 高増は豊臣秀吉の小田原城攻めにもいち早く参陣して本領安堵を計るなど、
 黒羽藩18,000石の基礎を築き、更にその孫資増の時には関が原の合戦で徳川家康側について、
 その後、300年に渡って黒羽城主を続けます。
 関東地方の外様大名で、国替えなどがなかったのは異例の事と言われています。
 幕末には、海軍奉行から若年寄となる大関増裕も出ています。

【城址公園周辺】
 城址公園は、昔の本丸跡です。
 現在は広場となっており、「あじさい祭」のメイン会場になっています。
 深い濠を渡って、昔の三の丸には、黒羽に滞在した松尾芭蕉の資料などを展示している、
 「芭蕉の館」があります。
 「芭蕉の館」に続く、旧浄法寺境内は芭蕉公園となっています。

【その他】
 1枚目の写真は濠とそこに咲く紫陽花です。
 2枚目は芭蕉公園の紫陽花、3枚目は城址公園に咲いていた紫陽花です。

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閉じる コメント(6)

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アジサイの名所としては一番好きかも。平日カンカン照りの日に一度行ったきりですが、空いててとても良かったです。

2007/7/8(日) 午後 6:03 [ JITTA ] 返信する

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紫陽花の写真が綺麗です。大関増裕は、以前天然居士さんのお書きになったのを拝見していましたが、城を見るとより身近に感じます。

2007/7/9(月) 午前 0:37 [ tak*s*im*jp ] 返信する

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JITTAさん コメント有難うございました。
僕も3年ほど前にも行ったのですが、
その時よりも紫陽花は元気でした。

2007/7/9(月) 午後 7:45 [ 天然居士 ] 返信する

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takashimtjpさん コメント有難うございました。
大関増裕の死体が発見された神社とか、
大関家の菩提寺も回って来ました。
追々ご紹介したいと思っています。

2007/7/9(月) 午後 7:49 [ 天然居士 ] 返信する

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紫陽花の花が綺麗ですね。この時期には行った事がないのですが、あの橋の下のお濠は紫陽花だったのですね。
今度行ってみたいと思います。

2007/7/11(水) 午前 8:42 べる 返信する

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べるさん コメント有難うございました。
思っていた以上に、数多くの紫陽花が咲いていました。
「あじさい祭」は、おう終わったと思いますが、
まだ紫陽花は残っているかも知れませんね。

2007/7/11(水) 午後 9:22 [ 天然居士 ] 返信する

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