テノールマニアのブログ

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時雨音羽作歌  中山晋平作曲
男声合唱団ダークダックスのバリトン・喜早哲(きそう てつ))、1930年11月8日 - 2016年3月26日)の著作『日本の美しい歌―ダークダックスの半世紀』(新潮社、2007年)には、藤原義江との思い出が綴られている。ダークダックスのメンバーは全員、慶応大学経済学部の学生で、慶応義塾ワグネルソサエティー男声合唱団に属していた。その頃、ドイツのバリトン、ゲルハルト・ヒュッシュを招いた藤原歌劇団の「タンホイザー」の公演に出演したという。その練習で今井町の藤原歌劇研究所に出入りして、砂原美智子、柴田睦陸、渡辺高之助など当時の錚々たるソリストたちと一緒に練習したという(31頁)。
また、ダークダックスのヒット曲、持ち歌などのエピソードが綴られている。そのなかに、藤原義江の歌詞間違いに関する記述があるので、とりあげたい。
藤原義江「出船の港」誤「ドンとドンとドンと、波のり越て」→「ドンとドンとドンと、波のり越て」*これは藤原義江が大正14年(1925)、アメリカのビクタースタジオでの録音の時に間違えて、そのままレコードになった。作詞者の時雨音羽は「『越えて』は『越して』に比べていささか弱く他力任せのところがあり、『越して』は自力でいく力強さがある」と苦言を述べている(39頁)。
 しかし筆者は、藤原義江の「越えて」でいいと思う。というのは、「越して」はkositeで母音がiとなり、喉が閉まる。「越えて」はkoeteで母音がeで喉が閉まることはない。試しに「ドンとドンとドンと」から、歌ってみると、「越して」は歌いにくいし、波に妨げられて船が進まない感じが強い。これに比べて「越えて」は波を乗り越えてどんどん進んで行く感じがする。 
 言葉からしても、「波をのり越える」 とはいっても、「波をのり越して」とは言わないし、不自然である。三省堂『大辞林』では「のり越し」は「鉄道・バスなどで,買ってある乗車券の下車駅よりもさらに遠くまで行くこと。」とあり、この用例がほとんどである。
これに対して三省堂『大辞林』で「乗り越え」は、① 物の上を越えて向こう側へゆく。 ②苦しい環境にうちひしがれずに前進する。克服する。 「どんな困難をも−・えてゆく」 「深い悲しみを−・えて力強く生きてゆく」 などとなっている。
この歌詞の場合、①と②を合わせ持った意味合いの「乗り越え」である。
 藤原義江が辞書での意味、用例を考えたかどうかは、不明だが、歌詞の「越えて」は間違えたのではなく、「ドンとドンとドンと」、と歌っていったら、ひとりでに口をついて出たものであろう。それだけ、「乗り越え」が語感もよく、歌いやすいかったのであろう。こうした自然なフレーズを活かせない歌詞はそれだけで不合格ということである。作詞者の時雨音羽は、歌手の生理、発声にかなり、無知、無頓着であることが窺える。苦言を呈するなど、とんでもない話で、この歌が長く歌い継がれてきたのは、藤原義江の歌唱、歌詞での「のり越えて」の補作があってのことで、かえって藤原義江の歌詞補作に感謝すべきである。
 下記は、「波のり越して」が「波のり越えて」になった由来を書いた記事のある歌詞。http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/defunenominato.html
これを除けば、「波のり越えて」の歌詞が流布している。

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