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数年前、のどかな村で一件の殺人事件が起こった。
現場は、少し古風な感じが残る一軒家。
被害者は、この家に住む 末永達郎さん。当時、五十六歳。
死因は、鋭利な刃物で胸部を刺されたことによる失血死。
床は大量の血痕が残っていて、まるで‘血の海’だったんじゃないかと当時の捜査員は思っていたらしい。
遺体は、刺し傷を隠すように俯せぶに倒れていたんだそう。
凶器となった刃物は、遺体のすぐ傍に血痕が付着したまま置いてあったという。
ご丁寧なことに、指紋もはっきりとわかるくらい残っていた。
事件発生から数日後。
捜査線上に一人の男の名前が挙がった。
牧田優紀。当時、三十歳。
彼は、被害者の家から二軒ほど離れた場所にあるアパートの一室に住んでいた。
当時の捜査員が末永さん宅の近所の住民に話を聞いていた時、一人の主婦がこう言った。
「末永さんのお宅の二軒隣りのアパートに住んでおられる方なんですけどね。
何でも、刃物を集めるのが趣味らしいのよ。
ほら、扱うのに資格か何か必要でしょう?
何年もかけて、去年ようやく取ったみたいなの」
その証言を頼りに、捜査員は主婦が言ったアパートに向かった。
アパートの管理人に捜査の許可をもらい、一室一室を隈無く訪ねた。
そして、証言者の言っていた人物−−牧田優紀に出会うことになる。
「●●県警だ。少し話を聞きたいんだが」
「はい」
彼は、素直に捜査員の言うことに従った。
その時の捜査員は、二名程だったと調書には記載されている。
一人は中年、もう一人は牧田と同い年くらいだったらしい。
聴取を行ったのは、中年の刑事。
もう一人は、彼の部屋を隅々まで眺めていた。
「事件の日は、何処で何をしていましたか?」
「ここで棚の整理をしていました」
「それを証明できる方はいらっしゃいますか?」
「・・・いません。ここには、僕一人なので・・・」
中年刑事は、一旦彼から疑いを消した。
−−−ただの刃物マニアだ、と。
「相原さんっ!これ見てください!!」
ガラスケースのコレクションを見ていた若い刑事が、‘あるモノ’を見つけ、中年の刑事−−相原を呼んだ。
「これ・・・現場にあった凶器と同じじゃないですか?」
若い刑事−−水嶋が指さしたモノを見た相原は、自分の中に“確信のないモノ”がうまれるのがわかった。
「刃物は、同じ種類を幾つもお持ちなんですか?」
「・・・・え・・」
牧田は、相原の目つきが急に変わったのに、異常な空気を感じていたと記されている。
恐らく、これを書いたのはそれを見ていた水嶋だろう。
「どうなんですか?」
「色違い・・があるので、二〜三本はあります・・」
明らかにさっきまでの態度・目つき・焦りとは違う−−−。
牧田は、それから体をびくびくさせていた。
「失礼ですが、あの刃物を‘押収’させていただいてもよろしいでしょうか?」
相原の中に、‘確信’はなかった。
しかし、彼はそれよりも‘黒い何か’に支配されたような感覚の方が勝ってしまっていた。
「は・・・は、い・・」
その迫力に押された牧田は、押収を許可。
「水嶋。鑑識にそれを持っていって、鑑定してもらえ」
「はっ、はい!!」
そうして、水嶋はガラスケースから凶器に酷似した刃物を取り出して、部屋を大急ぎで出て行った。
相原と牧田−−−。
二人だけになった部屋の中は、異常な程に重苦しい空気が流れていた。
「牧田さん。
貴方が、末永さんを殺害したんじゃないですか?」
「・・・・?!」
相原の言葉に、牧田は体をびくつかせた。
感じる悪寒と額に滲む汗が恐怖を決定付けさせている。
「貴方のアリバイは、誰も証明出来ないじゃないですか」
「で、でもっ!僕は、殺害された方とは何の面識もないんですよ!
何故、殺さなきゃいけないんですか!?」
牧田は、相原に怒りのようなものをぶつけた。
あまりにも、酷い対応に堪えられなかったのだ。
少しでも、態度を変えてもらえると思っての行為。
しかし−−−。
「もう、『殺しました』って言ってしまえばいいのでは?」
「な・・・・っ」
次に、相原が口にした言葉に牧田は声が出なかった。
つまり、彼の行為が裏目に出てしまったのだ。
「そう言って自白すれば、事件は終わるんです」
牧田は、愕然とした。
「それでいいんですか?!」
「事件が解決すれば、それでいいんだ!!」
牧田の反論に、相原は強く怒鳴りつけた。
胸倉を掴まれた牧田は、何も言えなくなっていた。
「頼む・・自白してくれ・・」
「・・・・・・」
「もう・・・わからないんだ」
何日も捜査が続いたのだろう。
相原の顔は、疲れていたという。
「わかりました・・・」
「・・・っ!!」
牧田は、諦めていた。
これ以上、何を言っても先に進まない。
それを知っていたから。
「自白、します」
そうして、程なくして、彼は逮捕された。
それと同時に、押収されたナイフも、凶器の型と同じだと言うことがわかった。
−■■■−
−−−パタン。
そこまで読んで、僕は調書を閉じた。
後半に書かれたことは、本当に最近になって判明したことだった。
「・・・・・・」
‘あっけにとられる’というのは、まさにこのことを指すのだろう。
当時そうするしかなかったという警察を、裁判官という立場の僕は許せなかった。
「若林!来週の公判の打ち合わせだ」
「はい」
僕は、調書を棚にしまった。
そして、打ち合わせに向かった。
忘れないでほしい。
これが、総ての‘はじまり’だということを。
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