天の梯子

暑さも少し和らぎ、夏休みも終わり、夜更けに虫の声も聞こえるようになりました。疲れが出ませんように!

三位一体

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私の説明で三位一体の神の図を正しく書いてbellさんが送ってくださいましたので、

説明としては良かったのだとうれしくなりました。bellさんありがとうございました。

三位一体の神と、神のかたちにかたどってつくられた人と、その関係についての説明を基として、

今日は神と人、そして、人と人との関係について書きたいと思います。

今日も三位一体の神を説明したときと同じく、また正三角形を書きます。

そして三つの角、頂点を中心として、三重の同心円を重ならないように描きます。

上の三重の円が三位一体の神を示し、中心の一番小さな円が霊である父なる神です。

その外側が聖霊なる神です。一番外側の円が子なる神イエスです。

そして、下の二つの三重の同心円は二人の人を意味します。

中心は霊、その外側は心(魂)、一番外側は体です。

図全体は二人の人が三位一体の神との関係と交わりを保ちながら生きている

神と人、人と人との関係、交わりを表しています。

神の霊と二人の霊とが線で結びつき、交わりを保っているとき、

神と人との関係も、三位一体であり、それが正しく保たれています。

これが神と人、人と人との関係のあるべき本来の姿なのです。(創世記2:18〜25

神は人に自由意志を与えられましたが、この関係が正しく保たれるために、

善悪を知る木の実を食べてはならないという戒めを与えられました。(創世記2:16,17)

神と人との関係は神に対する信仰によって保たれるようにするためです。

神との関係は神の清さ、愛、正しさに対する信仰、信頼によるからです。

もし、人が神に対する信仰よりも、自分の善悪判断の基準で生きる、不信仰によって生きるとき、

人は神に対して逆らい、自らを神のような者として生きはじめ、

人と人との関係にも破壊を生じてしまうのです。(創世記3:1〜13

つまり、神と人、人と人とを結んでいた正三角形の線が消えてなくなってしまうのです。

その結果、人の中心である霊が機能不全となり、神との関係と交わりが見失われてしまうのです。

そして、人は互いに罪の恐れのため、神を恐れ、自分を恐れ、人を恐れて生きるようになり、

また心と体の欲望を満たすことによる満足や自分のための神を造り始めるのです。

創世記11:1〜9

図には次のような変化が現れるのです。

神と人、人と人とを結んでいた線(関係、交わりが)消えてしまい、

神との関係と交わりは失われてしまい、人は互いに支配と従属の関係になってしまうのです。

それは二つの三重の同心円がくっついてしまい、重なり合ってしまうことです。

どちらかの円がいつも一方の円を支配し、また従属の関係になってしまうのです。

二つの円が重なったとき、どちらかの円が他方の円に食い込み、日食、または月食のような状態になり、

自分が自分であることが出来なくなり、二人はいつも主導権を争う関係になってしまうのです。

自他未分化、共依存、共支配、共従属関係となってしまいます。

これは関係の汚染ということができるでしょう。

あるいは互いに関係を拒絶しあう関係の排除ということもあります。

それは人によって、状況によって変わりますし、重なり方の浅い、深いによって

生じてくる問題も変わります。

第一に、神に生かされ、愛されているときの自己同一性(アイデンティティ)が失われ、

人を支配したり、従属したり、ものの豊かさで空虚な心を満たすために

生きるようになってしまうのです。人がカインの末裔である、とはこのことです。

このことは創世記4:1〜16には記録されています。

それが神のかたちに造られながら、悲惨な歴史をたどってきた人間の根本問題なのです。

この問題の解決は人によっては不可能なのです。

その解決のために、神は、神と人、人と人とが本来の関係と交わりを回復するために、

人の罪、すなわち、神との関係と交わりを破壊した原因である罪を取り除くために、

人の罪をあがなうことをアダムに約束し、アブラハムにも約束され、

さらにダビデにもその約束、契約をされたのです。

その約束、契約を成就するために父なる神は子なる神イエスを、

人の罪をあがなうためには人でなければならないために、体をもって、

わたしたちの罪の代価を支払うために、この世に遣わされたのです。

子なるイエスは罪のあがないのためにささげられる神の子羊として、十字架という祭壇に

ご自分の命をささげてくださったのです。(律法の成就)

このことをただ信仰によって信じ受け入れるとき、神と人との失われた関係と交わりと

人と人との関係と交わりも回復されるのです。

これはただ信仰によってのみ神から受け取ることの出来る救いなのです。

信仰は神の前に自らの罪を認め、悔い改めることなしには生きて働かないのです。

参照(新約聖書ローマ人への手紙8:1〜11

今日はこれまでとします。

説明が不十分ですが、読まれる方を聖霊様が助けてくださいますように祈ります。

神の平安がありますように!

これまで三位一体の神、父なる神、子なる神、聖霊なる神について書いてきましたが、

本来ならまだその性質や働きについても書くべきかなとも思いますが、

神は聖書全体をもって、また人であり神であられるイエスによって

完全な神のかたちとして人の姿、御性質をあらわしてくださいました。

ピリピ2:6には「キリストは神の身分(口語訳はかたち)でありながら・・・」

と書かれていますし、イエスご自身も「あなたがたはわたしを知っているなら、

わたしの父をも知ることになる。今から、あなた方は父を知る。いや、すでに父を見ている。

・・・わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ・・・」(ヨハネ14:7,9)


とピリポという弟子に話しておられます。

新約聖書へブル人への手紙1章1〜4節には次のように書かれています。

「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、

この終わりの時代には、御子によって私たちに語られました。

神は御子を万物の相続者と定め、また御子によって世界を創造されました。

御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、

万物をご自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、

天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。」
と書かれています。

これからはこの三位一体の神が神のかたちにかたどって人を造られたという、

神のかたちということを関係という面から書いてみようと思います。

これは図で書いた方が、分かりやすいのですが、わたしはそれができるほど

残念ながらパソコンを使いこなせませんので説明します。

さて、はじめに正三角形を底辺を下にして書きます。そして、三つの角の先端を中心とした

円を三つ重ならないように書きます。そして、上の円を父なる神とします。

下の左の円を聖霊なる神とし、右の円を人としての見える姿である子なる神とします。

この三つの円で示された父なる神、子なる神、聖霊なる神は正三角形の等しい辺で結ばれています。

その円は決して重なり合うことはありません。これが三位一体の神と、その関係を表しています。

最後に正三角形の中心を中心として、三つの円をひとつの大きな円で包み込みます。

出来上がりました大きな円が三位一体の神ご自身を表しているのです。

さて今度は神のかたちである人について説明します。

神は御自分にかたどって、人を創造されたのですから、神ご自身と同じような図を描いて見ます。

そして、それが神のかたちである人を表します。三位一体の神のかたち=人のかたちです。

そして、神である正三角形の中心点と、同じ人の正三角形の中心点を線で結びます。

上にある円を人の中心である“霊”、それは神の息が吹き込まれたことを示し、

人間は神の霊によって生かされている存在であることを示しています。

((コリント第1の手紙2:10〜14))

その結果生きたものとなった人の“心”が左下の円で示されます。

心は知、情(喜怒哀楽)、意の働きをし、一人の人格として生かされているのです。

そして、右の円が人の“からだ”を意味します。からだは目で見え、五感の働きや

食欲、性欲、睡眠欲などの本能が備わっています。

これらの霊と心(魂)とからだによって神のかたちである、ひとりの人が構成されているのです。

神の霊と人の霊、聖霊なる神と人の心(魂、精神)、見える子なる神イエスと見える人のからだとが

それぞれ対応し、人が三位一体である神のかたちとなっているのです。

言葉で説明するのは難しいですね。面倒くさいでしょうか。

でも、これは人間理解の基本であり、人間の命、人格の尊厳の根拠を示しているのです。

神の中心点と人の中心点が正三角形の辺で結ばれていますが、

これが、神と人との関係、交わりを示す線なのです。

神と人とのかたちの共通性と関係を説明したのですが、ご理解くださったでしょうか?

まだ続くのですが、今日はこれまでとしたいと思います。

ぜひ分からないことや疑問点をコメントしてくださればうれしいです。

最後の聖書の言葉を引用して終わります。

「どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。

また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、

わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのない者としてくださいますように。

あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます。」
                  
(テサロニケ人へ第1の手紙5章23,24節)


シャローム!

パソコンで図をかくことはできるのでしょうか?
お分かりの方教えてください。よろしくお願いします。

三位一体の神についての面白くもない書き込みを

忍耐して読んでくださりありがとうございます。

クリスチャンには大事なことかもしれないが、自分には関係ないと

思われる方もきっと多いと思います。

私もかつてそうでしたから、よくわかります。

わたしは外国に行ったことがありますが、その国に行けば、その国の生活習慣や

食べ物の違いに戸惑うことがあります。

何よりも言葉やお金の違いには困りますね。

私には関係ないなんていうわけにはいきません。

いつでしたか、一方通行の道を逆に走り、つかまったことがあります。

おまわりさんに“いや〜標識に気づきませんでした”と言っても後の祭りでした。

違反切符を切られて、罰金を払わされて、悔しかったことを思い出します。

私たちが神によって造られ、愛されていることを知っているか、知らないかで

わたしたちの人生観も、価値観も、世界観も、あたりまえですが生きかたもかわるんです。

私たちがこの世に生を受けた意味も目的も、

人生のゴールが死ではないことも知ることができるのです。

神でありながら、人として、この世に生を受け、その生涯、言葉や行いで神の愛を

表してくださったイエスの死とよみがえりという出来事と聖霊なる神によっておこることです。

今日は三位一体の神の第三位格の聖霊なる神についての書き込みです。

「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって

礼拝しなければならない。」(ヨハネ4:24)
とイエスは言っておられます。

天地創造者である父なる神も霊であり、聖霊なる神も霊であるなら

どちらも人の目には見えない存在です。どうして区別できるのでしょうか。

その違いはなんでしょうか。

父なる神は創造者であり、被造物と人間の歴史を支配しておられます。

神は人に対して働きかけ、交わりをされます。

神の働きと交わりをするとき、聖霊なる神によってされます。

イエスの誕生の出来事は聖霊によるとマリヤとヨセフに告げられています。

「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、

二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。・・・

「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリヤを迎えなさい。

マリヤの胎の子は聖霊によって宿ったのである。」(マタイ1:18,20)


またイエスの公生涯はイエスがヨルダン川でバプテスマのヨハネから

洗礼を受けられたとき、聖霊がイエスの上に注がれたときから始まりました。

マルコによる福音者1:9〜11節には「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、

ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、

天が裂けて“霊”(口語訳は聖霊)が鳩のように御自分に降って来るのを、

ご覧になった。」
と書いてあります。

またイエスを死人の中からよみがえらせたのも聖霊です。

ローマ人への手紙8:11には「もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊

が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、

あなたがたのうちに宿っている御霊によってあなたがたの死ぬべきからだをも、

生かしてくださるであろう。」
と書かれています。

またイエスはご自分の死を前にして、弟子たちに

「私は父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと

共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、

知ろうともしないので、それを受けることができない」(ヨハネによる福音書14:16,17)


と約束されました。

14:26には「しかし、助け主、、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊

はあなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、

ことごとく思い起こさせるであろう。」
というイエスの言葉があります。

さらにイエスは「わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、

すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしするであろう。」

(ヨハネ15:26)
と言われました。

これらの言葉のうちに、父なる神、子なる神イエス、聖霊なる神

書き表されていることがわかります。

よみがえられたイエスは弟子たちにこう言われました。

「ただ聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、

ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、

わたしの証人となるであろう。」(使徒行伝1:8)
と。

その約束が実現した日がペンテコステ、五旬節です。

使徒行伝2:1〜4には「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、

突然・・・、すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、

いろいろの他国の言葉で語り出した。」
と記録されています。

わたしもその体験者です。

その後、使徒ペテロは「このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆

その証人なのである。それで、イエスは神の右に上げられ、父からの約束の聖霊を

受けて、それをわたしたちに注がれたのである。このことは、

あなたがたが現に見聞きしているとおりである。」
と人々に語っています。

聖霊が注がれた出来事を見た人々に「悔い改めなさい。そして、

あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、

バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。

この約束は、我らの主なる神の召しに預かるすべてのもの、すなわち、

あなたがたと、あなたがたの子らと、遠くのもの一同とに、

与えられているものである。」(使徒行伝2:38,39)
と話しています。

そうです。聖霊の注ぎは、あなたにも約束されているのです。

新約聖書の使徒行伝は聖霊行伝とも言われます。

聖霊が注がれたことによって、キリスト教会が誕生したのです。

キリスト教会は制度や組織や建物ではなく、イエス・キリストの血によって

あがなわれた人々の群れなのです。この人々をとおして聖霊のみわざがあらわされる

生けるイエス・キリストの体なのです。

エペソ人への手紙1:13,14には「あなたがたもまた、キリストにあって、

真理の言葉、すなわち、あなたがたの救いの福音を聞き、また、彼を信じた結果、

約束された聖霊の証印をおされたのである。この聖霊は、

わたしたちが神の国を継ぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、

神の栄光をほめたたえるに至るためである。」
と書かれています。

聖霊には聖霊の賜物としての働きがあり、また聖霊の導き、助けによって、

聖霊の実を結ぶことができるのです。

書くべきことは多くありますが、今日はこれまでとしましょう。

あなたのため、すべての人のために、神がイエスをとおして与えようとしておられる

神の賜物、それが聖霊なる神なのです。

シャローム!

三位一体についてある本には「人間の知恵では、三位一体の奥義を

十分には理解することはできない。三位一体を理解しようと思うものは、

頭がおかしくなるであろう。」と書いてありますが、子なる神も同じです。

子なる神とはイエスです。

イエスは人であり、神であるからです。

人間を神として祀ることの得意な日本人も理解できません。

でも頭はおかしくないようです。でも霊性は?

生きていても、死んでも、このわたしが神になるなんて!

新約聖書ピリピ人への手紙2章6〜9節には「キリストは、神のかたちであられたが、

神と等しくあることを固守すべきことと思わず、かえっておのれをむなしうして僕のかたちをとり

人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に

至るまで従順であられた。」
とあり、その理由については

新約聖書ガラテヤ人への手紙4章4節、5節に「しかし、時の満ちるに及んで、

神は御子を女から生まれさせ、律法の下にある者をあがないだすため、

わたしたちに子たる身分を授けるためであった。」
と記されています。

神はイスラエルの民をエジプトの奴隷生活から解放し、神の民という新しい身分を与えるため、

過ぎ越しの祭において罪のあがないのために子羊の血が流されたのです。

それはすべての人が罪をあがなわれ、神の子とされる神の救いの計画の雛形でした。

神の民とされたイスラエルの民に神の律法を与え、その律法によってすべての人が

神のみ前には罪びとであることを明らかにし、アダム、アブラハム、ダビデと契約されたことを

成就するために備えられたのです。

そして、すべての人を罪の支配から解放する神の子羊として、子なる神イエスを遣わし、

過ぎ越しの祭において罪をあがなうため十字架につけられ血潮を流されたのです。、

そのために神の御子イエスは遣わされたのです。

コロサイ人への手紙1章15節には「御子は、見えない神のかたちであって、

すべての造られたものに先立って生まれた方である。」
とあり、

1:21,22には「あなたがたも、かつては悪い行いをして神から離れ、心の中で、

神に敵対していた。しかし今では、御子はその肉のからだにより、その死をとおして

あなたがたを神と和解させ、あなたがたを聖なる、傷のない、責められるところのない者として

みまえに立たせて下さったのである。」
とあります。

イエスご自身は「わたしが天から下ってきたのは、自分の心のままを行うためではなく、

わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである。わたしをつかわされたかたのみこころは

私に与えて下さった者を、わたしがひとりも失わず、終わりの日によみがえらせることである。

わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく

永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終わりの日によみがえらせるであろう。」

と話しておられます。(ヨハネによる福音書6:38〜40)

使徒パウロは、ローマ人への手紙の初めに「この福音は、神が、預言者たちにより、

聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、御子に関するものである。

御子は、肉によれば、ダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死人からの復活により、

御力をもって、神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。」


と宣言しています。

神の律法によれば罪の支払う報酬は死です。

もしわたしたちが自分の罪の代価を支払うなら、すべての人が滅びなければならないのです。

しかし、神はその代価を子なる神イエスの血をもって支払い、わたしたちに罪の赦しを与え

罪の呪いと奴隷生活から救い出してくださったのです。

イスラエルの人々をエジプトからあがないだし、ご自分の民とされたように、

すべての人が子なる神イエスの血によってあがなわれたのです。

はじめに書きましたピリピ人への手紙2:6〜8に続けて次のような言葉が書かれています。

「それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜った。

それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、

あらゆるものがひざをかがめ、またあらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、

栄光を父なる神に帰するためである。」(ピリピ人への手紙2:9〜11)
と。

すべての人の救いの道、それが子なる神イエスなのです。

シャローム!


 

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三位一体・・父なる神

今、私は周りを見ている。

まずパソコンがあり、プリンターがあります。

携帯電話もあり、時計もあります。バッグもあれば、チリ箱もあります。

いろんな本もあれば、辞書類、大事な聖書もあります。

パソコンはパソコンデスクの上にあり、私は座椅子に座っています。

蛍光灯もあります、タオルもあります。

いろんな物に囲まれ生活しています。誰にもそれは当たり前のことです。

すべてのものはそこにある理由があり、目的もあります。

すべての物はつくられ、造った人がいます。

それもあたりまえ。

それでは、人間は、自分は、あなたは?となると如何でしょうか?

偶然の産物でしょうか?

聖書は「初めに、神は天地を創造された。」(創世記1章1節)という言葉で始まっています。

私のまわりにあるものは人が作ったものです。

その材料はすでに神によって創造されたものです。

人は製造しますが、神は創造されるのです。

夏が過ぎて次第に秋らしくなってきますと、窓から見える山々や木立は色づき始めます。

あの微妙な、鮮やかな色に染まっていきます。

人のわざには到底なしえない神のわざです。

だから人はいにしえの昔から自然のなかに神を感じていたのです。

人が芸術作品を通して作者の思いや命の息吹を感じるように。

日本は世界に類を見ない四季のうつりかわりを見ることができる自然に恵まれています。

日本人は自然の中に、自然を支配している畏れかしこきものに対する感受性が豊かなようです。

日本人の信仰の根底はかしこきものへの精霊信仰で、それはアニミズムです。

それは自然のなかに分け入るときや、あの森閑とした神社の境内で感じることができます。

それは創造者であられる神ご自身ではなく、神の息吹かもしれません。

新約聖書ローマ人への手紙1章19節〜24節には

「なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。

世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、

これを通して神を知ることができます。従って、、彼らには弁解の余地がありません。

なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、

かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。

自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や

鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。」
と書かれています。

イエスは人類の始祖が神に対して罪を犯し、神との交わりを失ったとき、

神はアダムに救いの約束をされました。(創世記3:15節)

またイスラエルの民族の父アブラハムにも約束されました。(創世記17:1〜8節)

さらにイエスの祖先ダビデにも約束されました。(サムエル記下7:8〜17節)

繰り返された神の約束を成就するために、神はご自分のひとり子イエスを

この世に、遣わされたのです。

神は創造者であられ、また歴史の支配者でもあられます。

イエスが神の計画と目的を成就するために、この世に遣わされたように、

あなたも、私も、すべての人が神の計画と目的によって、

この世に生をさずけられているのです。

「あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、私はあなたを愛する」(旧約聖書イザヤ43:4)

あなたは神にとってかけがえのない存在なのです。

シャローム!

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