天の梯子

暑さも少し和らぎ、夏休みも終わり、夜更けに虫の声も聞こえるようになりました。疲れが出ませんように!

ハワイ滞在記

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東へ西へ・・・別れ

私の一週間のハワイ滞在記も今日で終わりです。

21日の朝、目覚め、顔を洗って手洗いを出ると、Rちゃんが荷造りしていた。

MさんにRちゃんもどこかにいくのですかと聞くと、感謝祭の休暇をとってアイオワへ行くとのこと。

私はアイオワの友達のところで休暇を過ごすんだなと思って、

感謝祭は州によって過ごし方が違うのですかと聴きましたが、同じですよとのこと。

それからMさんとRちゃんの3人で最後の食事を一緒にしていると、

Rちゃんが私にハワイに来て、どこに行ったのですかと聞くので、

私はhawaikaiとアリゾナ・メモリアルとDoleのPine-Apple園などに行ったよ、と言うと

たったそれだけと言うので、私はハワイは2回目だから、

今度は元気なRちゃんと会えただけでも十分だよと言うと、あまり笑顔を見せないRちゃんが微笑んだ。

それからマウイ島のパインアップルは最高だからお土産にと勧められた・・・。

それからRちゃんが先にアイオワへ行くというので、私は車まで見送るために一緒に行った。

Rちゃんの車は少し離れたところにあったので、家まで送るからと私を乗せてくれた。

Rちゃんと別れて家に入ると、Mさんが突然不可解なことを言った。

Rちゃんは・・・・・・・・・と言うのである。

私はそれがどんな意味か理解できないでいると、Mさんがさらにアイオワには

友達に会いに行くのではなく、・・・・・・と感謝祭を過ごすために会いに行ったのだという。

どうやら2年間Rちゃんが家を出て、音信が途絶えていた間、

考えられないことが起こったことがわかり、私が初めてRちゃんを見たとき、

気づいたことをMさんに聞くと、それもショックだったと言ったあと、

Rちゃんは・・・・・をアイオワの人・・・・・・しまっていたと言うのである。

アメリカでは両親の了解もなく、子供がそんなことができるんですかと聞く私に

Mさんはできるんだと答えられた。そこまで行ったのだとMさんは静かに言った時、

私はあまりのことに言葉を失ってしまった。

あまりにもショッキングな言葉に呆然としていると、Fさんがやってきて

真相を知って驚いたんでしょうと言う。

なにがあったから、そんなことになったのか聞くこともできず、私は沈黙するほかなかった。

(今はアメリカという国は1人の人の意思を大事にする国なのだと思うが・・・)

これから空港に向かおうとする直前、祈りましょうということになったが、

あまりのことに私は涙がこみ上げてくるばかりで、祈る言葉が言葉にならなかった。

Mさんは今はこのことも感謝していますと言われたが、でも私は言葉にならず・・・。

Mさんは私があまりのショックで祈れそうもないからというので、Fさんに祈るように勧めた。

Fさんが祈ったあと、私も祈ったが、ただどのようなことがあったのか、私にはわかりませんが、

どのようなことも、あなたの許しなしには起こることはないのですから、

心痛むこのことも必ずDさんとMさんにも、Rちゃんにとっても、

必ず最善の結果になることを信じて、あなたの御手におゆだねします、としか祈る言葉がなかった。

それからあわただしくホノルル空港へむかったが、わたしの心は重かった。

FさんはRちゃんが帰ってきて、まだ6ヶ月ぐらいだけど、それまでのMさんは大変だったと言う。

私も17年前のMさんはもっとよく話していたのに、今度はあまり話さないと感じてはいたが、

やはりこんな理由があったからだとわかり、ただ呆然とするばかりだった。

空港での搭乗手続きのとき、係員の方があなたの席が他の乗客の間になったので代えましょうと言って、

空いている席に変えてくれたのは感謝だった。そのため私は機内では横になることができた。

心の動揺は収まらないままセントレア空港についた。

乗り換えて我が家へ着いたのは21時ぐらいだったか。

翌日の朝、無事に着いたと電話をすると、Rちゃんからもアイオワに着いたと

電話がありましたとのことだった。

かくして私の17年ぶりのハワイ滞在は思いもよらない幕引きとなりました。

私はDさんとMさんとRちゃんにクリスマス・カードを送り感謝の言葉を記した。

「こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。
信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。
あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。
あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。
また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、/「わたしの子よ、/主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。
主は愛する者を訓練し、/受けいれるすべての子を、/むち打たれるのである」。
あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。
だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。
その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。
肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。
すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。
それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。
また、足のなえている者が踏みはずすことなく、むしろいやされるように、あなたがたの足のために、まっすぐな道をつくりなさい。」(新約・へブル人への手紙12章1〜13節)


それではこれにて・・・

神の平安がありますように!

ハワイ滞在最終日

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そうそうハワイ滞在4日目はアウトリーチのお手伝いをしてからあと

DさんとMさんとFさんと4人でアラモアナ・ショッピングセンターにある中華料理店で食事をした。

そのあとFさんと別れ、DさんとMさんと私の3人でお土産の買い物に出かけた。

Mさんはドライ・フルーツを買うときも、おいしいものを買うために何軒もの店を案内された。

Dさんは人から譲り受けたデジカメのメモリーカードがあればと探されたがなかった。

家内やリンのためにもアロハシャツを買い、娘は珊瑚のブローチをと聞いていたので、

これもなん軒かのお店を探し回ったがかなり高価なもの。

結局Mさんが白木屋で手ごろなものを見つけてくれた。

天狗のビーフジャーキーもあちこち探し回ったが、これもすでに書いたように

牛肉の加工品であるため、土産物としては販売されていなかった。

Mさんの几帳面な、労を惜しまない人柄のおかげでよいお土産を買うことができたが、

さすがに疲れてしまった。Mさんは帰ってから夕食をしようといったが、

私がなにか日本食が食べたいこともあり、疲れていたので、夕飯は外食をすることになり、

“和食のまぐろや”へ行った。

Dさんと私はまぐろ三昧定食、Mさんはひらめの煮付け定食を注文した。

待っている間に、店に流れている音楽が私たちにとっては聞き慣れた讃美の曲であることに

Mさんがすぐに気づいて教えてくれた。私はこの店のオーナーか誰かがクリスチャンだと思って

店員さんに聞こうとして声をかけた。日本語で。

ところが店員さんはまったく日本人のような顔立ちだったが、

日本語はだめだと手を振って行ってしまった。

なにもかも日本のお店と同じだからと、つい日本語が通じるだろうと思って声をかけたのだが、

Mさんがよくあることだと笑いながら話してくれた。

さて出てきた定食はまさしくここが日本の店とは違うことを証明してくれた。

ボリューム満点だった。Mさんはついに食べきれないとDさんに渡すと

Dさんは小柄だけど、食欲旺盛でしっかり食べてしまった。

おなかもいっぱいになり、お土産も買うことができて、

明日はDさん、Mさん、私と3人そろって礼拝に出席し、夕食はRちゃんと一緒。

いよいよハワイ滞在の最終日となった。

そして翌日・・・

ハワイ滞在も5日目となり、日曜日の朝となった。

今日は9時より、DさんとMさんと一緒に礼拝に出席した。

このとき15日日本で起こった地震による津波がハワイに到達していたと聞いた。

私は帰る津波に乗って日本に帰ることになりそうだ。

日本人や日系人の人たちもおられ、ハワイの教会の礼拝らしくフラダンスによる讃美もあった。

メッセージはクナ牧師だったが、内容についてはKさんの通訳はすばらしかったが記憶していない。

礼拝のあと毎日仕事のため、あまり一緒に出かけたりできなかったDさんがドライブに誘ってくれた。

DoleのPine-apple園に立ち寄り、Pine-appleのソフトクリームを初めて食べたが、

とてもきめが細かくクリーミーでおいしかった。

子供たちのお土産のティーシャツやイルカのぬいぐるみを買った。

そこで初めて植えられ実をつけているPine-appleを見た。

それからきっとサーフィンするには絶好の波がある海岸へ行ったがどこも車でいっぱい。

おなかがすいて道沿いにあるレストランへ入り、ホットドッグを食べたが、

サイズは大きくておなかがいっぱいになったがおいしいものではなかった。

Dさんが時間を作ってドライブに連れて行ってくれたが、私は少し疲れていた。

そこで、食事のあと、家に帰ることにした。

家に着き一休みしていると、Mさんも帰って来、

Rちゃんも8時まではボートとハングライダーの受付の時間にもかかわらず帰ってきた。

そしてRちゃんは韓国の焼肉店に案内してくれた。

店は人でいっぱいだったが、となりの席では日本から来た青年たちが騒いでいた。

Mさんはその日本人たちをしきりに気にしていたが、Rちゃんはあまり気にしないようにと言っていた。

焼いては私のお皿に入れてくれたり、食べている間もRちゃんの電話がしきりに鳴っていた。

焼肉はとてもおいしかったが、ゆっくりできなかったのは残念だった。

食べてる合間に私がRちゃんに将来どんなことをしてみたいの?と聞くと

まだわからないということだった。私はまだまだ若い19歳なんだから無理もないと思い、

なんでも自分でしてみたいと思うことに挑戦しているうちに、

ほんとうに自分のしたいことがわかってくるから・・・と言うと、ビジネスがしたいと言った。

今している歯科医院での仕事は気に入っているらしい。

MさんはいずれRちゃんが日本での伝道を一緒にしてほしいと願っている様子。

RちゃんはそんなMさんの気持ちはわかっているに違いないと思う。

だからこそRちゃんは私は私という気持ちを大事にしたいと強く感じているような気がする。

今年日本での衝撃的な事件は奈良の医者をしている父親が、自分の息子も医者にしようとして

勉強を強制し、その息子が母親と妹を殺してしまい、家に放火したというニュースだった。

日本では親の子離れ、子供の親離れが難しいことを示す痛ましい事件が後を絶たない。

MさんとRちゃんを見ていると、日本女性であり母親であるMさんと

アメリカ人として育ってきたRちゃんの気持ちが摩擦を起こしているように

見えてしまうのは私の気のせいだろうかと思った。

DさんはMさんの主人であり、Rちゃんの父親でもあるが、Rちゃんのことについては

Rちゃんの気持ちを尊重しているのか、何も話を聞くこともなかったが、

淡々としていて、これも日本人とアメリカ人の違いかなという印象だった。

買い物をしているとき、運転しながらDさんはMさんが私のボスだと言い、

Mさんと運転しているRちゃんの二人はなにかと意見がぶつかっているので、

Dさんは笑いながら二人ともボスだと言いながら、冗談でもあるが、

きっとそうでもあるだろうなとわたしも笑って聞いていた。

Dさんはほんとうにおおらかというか、人に優しく押し付けがましいところのない人のようだ。

Rちゃんにとって、そんなDさんとMさんはどのようなお父さん、お母さんと感じていたのだろうか?

家に帰りシャワーを浴びて休んだ。

明日は11時45分日本航空83便でハワイを離れる。

20日朝9時ごろFさんとMさんがホノルル空港まで見送ってくれることになっている。

こうしてハワイ滞在の最終日は過ぎた。

「心をつくして、主に信頼せよ。自分の知識にたよってはならない。

すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道はまっすぐにされる。

自分を見て賢いと思ってはならない、主を恐れて、悪を離れよ。

そうすれば、あなたの身を健やかにし、あなたの骨に元気を与える。」(旧約・箴言3章5〜8節)


それではまた・・・

神の平安がありますように!

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ハワイ滞在4日目の朝が明けた。

身体もハワイに慣れてきたのか、あの疲れと眠気もなく目覚めた。

今日は早朝4時からMさんは出かけた。アウトリーチの準備のためだ。

たくさんの人がグループに分かれてあちこちでイエスの愛のおすそ分けをする感謝祭の働きである。

私はMさんが書き残しておられたメモを見て、コーンフレーク?に豆乳をかけて食べた。

果物も入れてあったが食べ損なった。残念。

9時30分ごろFさんが迎えにこられて、私もお手伝いをすることになった。

教会の前のアパートで生活をしている70人のお年寄りの方々に贈り物が準備されるのだ。

その場所に行くがまだだれも来ていない。どうやらハワイ時間というものがあるらしい。

しばらくすると日本人のお母さんと子供が走ってきた。やはりハワイでも日本人は走るようだ。

Fさんによれば礼拝にもあの二人はいつも走って来るそうだ。

あとでその人は宮崎からこられた人で、日本に帰りたいと言われた数少ない人だった。

それから少しずつ人が来て、椅子やテーブルが運ばれ、食べ物やお菓子が来て、

70人分の弁当を作り、食べ物とチョコレートやクッキーだを詰め合わせるのだ。

輪投げのゲームも用意され、来られたお年寄りの方に輪投げをしてもらい景品を渡す。

総司令官のような婦人がおられて、私にもあれをして、これをしてと言われる。

英語は良くわからないが、状況を見ていると何を言っているのか大体わかる。

言葉ってこういうふうにすると早く身につくだろうなと思いながら・・・

11時ごろには準備が整うと、アパートからお年寄りの方々が次々と出てこられて、

ゲームをしては景品を手にして、贈り物を手にして帰っていかれる。

ある人はここまで来れない奥さんやご主人の分もと持ち帰られる。

ハワイは華やかな世界の有名な観光地。

しかし、あのかつて麻薬の売人だった牧師が生活していた高層住宅やだれも訪ねて来る人もなく

さびしい生活をしている人は多い。また人の少ないところにいけばホームレスの方の姿も良く見かける。

チャイナ・タウンというところがあるが、明るいときは野菜などの食料などの生活必需品を

売る店が並んでいるところもあるが、そこで売られるものには税金がかからないという。

しかし、その同じところが夜ともなれば、うっかり近づけない危ない街になるそうだ。

人の住むところ明あれば闇もある。ハワイも決して安全なところではない。

Dさんが仕事をしているスーパーマーケットも来年3月にはお店が閉じられるし、

デルモンテという名前はトマトケチャップや缶詰などでよく知られているが、

新聞の見出しに倒産し551人の人たちが失業するという記事があった。

17年前DさんとMさんとRちゃんと行ったパインアップル工場も倒産し、

スーパーのようなお店になっていた。ハワイにも厳しい風が吹いている。

感謝祭やクリスマス、新しい年を前にして、多くの人たちが暗い思いで生きているのだ。

これは翌日のことだが、孫たちに頼まれた天狗のビーフジャーキーを捜し歩き、

ワイキキのABCストアに辿り着いたときのことである。

お店の店員で日本語を話す人が“大損害ですよ”と言うのだ。

なぜかと言えば、天狗のビーフジャーキーは日本人向けのお土産でよく売れていたが、

牛肉問題のためお土産として持ち帰ることができなくなったため、廃棄されたという話だった。

“数千万円の損害ですよ”“安倍首相にこのことをなんとか言って下さい”と言う。

そのようなハワイの影の部分を垣間見たのは良い体験だった。

感謝祭の贈り物を手にされたお年寄りの方々は静かにアパートの中へと帰っていかれる。

あるおばあちゃんは奉仕活動をしている一人ひとりと握手をしながら、

“ありがとう”と言って回られ、私のところにも来られた。

12時前には準備された贈り物はほとんど手渡され、少なくなり、私にも持って行くように勧められた。

最後は残っておられるお年寄りと奉仕された人たちのために祝福の祈りをして終わった。

私は手伝いをしながら、手があくとはなれたところからその様子を見ていた。

なんとも言えない気持ちがこみ上げてきて涙が出そうになった。

手早く後片付けが終わり、DさんとMさん、Fさんと私の四人で食事をすることになった。

アラモアナ・ショッピングセンター内の中華料理店に行った。

店に入り口には中華料理の高級な食材である、フカひれ、鳥の巣など・・・が、

私はテレビで見たことはあるが食べたことのないがものが展示されていた。

テーブルに案内されると、調理されたものが暖かいままワゴンに乗せられて

次々とテーブルのそばを通って行く。ワゴンの料理を食べたいときはワゴンをとめて、

その料理を受け取って食べるのだが、初めての体験でもあり、とてもおいしかった。

そのうちFさんがあのフカひれはおいしそう、食べたいですねと言った。

それを聞いたDさんが“あちらもこちらがおいしそう”だと言ってますよ、と

またジョークを私にささやいたので私は噴出しそうになった。

Dさんのジョークは人の言葉や心の微妙な隙間にぴたっと来るまさに当意即妙の感がある。

Mさんはまっすぐで、何事にもいい加減が嫌いで、きちんとしないと気がすまない、

人のためには物惜しみせず、良く働き、労を惜しまない。

Dさんは心にゆとりというか、遊びがあって、やさしくて飄々としたところがある。

いっしょにショッピングに行くと、いつの間にかDさんの姿が見えなくなり、

Mさんはいらいらしてしまうようだ。だからあのトランシーバーがあるのだ。

こうしていっしょに生活していると、今まで知らなかったことが見えてくる。

ああ、だからこの二人は22年の結婚生活を乗り越えてこられたんだろうなと思ったり、

そのような二人の間でRちゃんの心はどんなだったかが思いやられた。

生い立ちの違う外国人同志の結婚はすばらしいと思うと同時に、

二人の間の子供にとっては心理的に深い戸惑いを与えてしまうこともあるような気がした。

最近はそんな子供のことをハーフと言わないでダブルというそうだ。

引き算や割り算ではなく掛け算で見るのはいいなと思う。頑張れRちゃん!

おいしい昼食を終えて、家に帰ったのだが、その後どうしたのか思い出せない。

明日は日曜日。教会に行く。そしてお土産の買い物。

そしてハワイ滞在記の締めくくりは延期されたRちゃんとの食事であるが・・・

最後の最後に私の心に衝撃が走ることを、まだ知る由もなかった。

今日の聖書の言葉はDさんの家の居間の壁に貼り付けられていた言葉です。

「だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、

あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに偲びあい、

もし互いに責めべきことがあれば、ゆるし合いなさい。

主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。

これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛はすべてを完全に結ぶ帯である。

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。

あなたがたが召されて一体となったのは、このためである。

いつも感謝していなさい。」(新約・コロサイ人への手紙3章12節〜15節)


それではまた・・・

神の平安がありますように!


ハーベスト・インターネットTVが10月より始りましたのでご案内します。

24時間、世界中どこからでもご覧いただけます。

    http://www.harvestinternet.tv

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ハワイ滞在2日目の夜はFさんの家で12時を過ぎ3日目になってしまった。

帰って横になるもなかなか寝付かれず、8時ごろ起きた。

今日はMさんが歯の治療のため、Rちゃんが仕事をしている歯医者に行くという。

Rちゃんが迎えに来るのを待っていると、Rちゃんがオールブラックの服装で颯爽とやってきた。

広い駐車場でMさんとRちゃん、私とRちゃんの写真を撮り出かけた。

歯医者さんはアラモアナ・ショッピングセンターに隣接している高層ビルの15階にあった。

Mさんはご主人のDさんが来年3月退職するまでに歯の治療をしたいという。

Rちゃんは15階の治療室に私を案内し、ダイヤモンドヘッド、

ワイキキからアラモアナ公園など一望できるすばらしい光景を見せてくれた。

RちゃんがDさんとMさんがへ日本行っても、ハワイに残って仕事をしたいと言ったことが頷ける。

ほかに絶叫ボート、ハングライダーの受付の仕事場もすぐ近くのようだ。

(最近ジャガー横田のご主人が絶叫ボート“screamer”に乗っているのをテレビで見た。)

アラモアナ・ショッピングセンターは10時からでまだ閉まっているので、

私は今15階から見下ろしたアラモアナ公園に歩いて行くことにした。

まだ朝9時頃だというのにもう泳いでいたり、ビーチで甲羅干しをしながら本を読んでいる人がいる。

17年前日本人集会の人たちと公園でバーべキューをしたことを思い出しながら、

アラモアナ公園の先端のマジック・アイランドまで行った。

そこで釣りをしている人がいるので近くで見ていたら、なにやら細長いものが釣れ、

さかんに岸辺に釣れたものを打ち付けている!海蛇だろうか?それともうなぎか?

ぼんやり、のんびり眺めているうちに10時過ぎになり、トランシーバーのスイッチを入れた。

まもなく、Mさんが治療が終わりましたと連絡してきたので、待ち合わせる所へ向かった。

アラモアナ・ショッピングセンターは広い。はてLONGSという店はどこか?

英語をそんなに話せないので、人に聞くのも躊躇する。

そのままトランシーバーで話しながらRちゃんが仕事をしているビルの近くに来た。

駐車場の階段を上りふと下を見ると、そこにドラッグストアのLONGSがあった。

そこに降りていくとMさんが手を振って待っていた。ああ、良かった!

Mさんの家は近いので迷子になっても歩いて行けると思ってはいたがホッとした。

それからお土産を買いたいと思ったが、Mさんの話ではあちこちに安いスーパーマーケットが

たくさんできたせいか、アラモアナ・ショッピングセンターは

有名ブランドの店が多くなったので、ほかの店に行きましょうということになり

改めて出かけることにして、車もないので歩いてMさんのお家に帰ることにした。

家に着き、少し疲れ休んでいるとお昼になり、またFさんが来てくれて

あのアリゾナ・メモリアルに連れて行ってもらうことになった。

昨日の夜遅かったこともあり、疲れが残っていて気が重かったが、

アリゾナ・メモリアルへ行き見たい気持ちと重い気持ちが重なり車中は黙り込んでいた。

時折フリーマーケットが開かれるアロハ・スタジアムのそばを通った。

17年前Tさんと家内と行き、私はアロハシャツ、家内は小さなブローチを買ったことを思い出す。

そのアロハ・スタジアムを通り過ぎアリゾナ・メモリアルへと近づいていく。

私の家族に痛ましい歩みをもたらした、あの戦争が始った真珠湾が目前にある。

でも、もし戦争が始らなかったならば、わたしはあの水俣病になっていたかもしれない。

私の父はあの水俣病の原因物質を垂れ流した会社に勤め、私はそこの社宅で生まれたのだ。

車はますます無口になってしまいそうな気持ちでアリゾナ・メモリアルの駐車場に着いた。

かなり厳しい持ち物の検査がある。やはりテロを警戒しているためという。

まず映画を見て、船で向こう岸のアリゾナ・メモリアルへ行くのだ。

その前にそれほど広くはないが展示場があり、

そこには乗組員の遺留品や赤くさびて壊れている日本の魚雷もあった。

数年前、鹿児島の知覧の特攻平和記念会館を訪れたことを思い出した。

そこには若くして特攻隊として出撃する人たちの遺品や手紙が展示されていた。

19歳から23歳ぐらいの若い死に赴く人たちの親を家族を思う手紙の筆跡と文章には心迫るものがあった。

アリゾナの乗組員の人たちは突然の出来事に何をするすべもなく、

アリゾナとともに海底に呑み込まれたのだ。

いまもまだ海底にあり、アリゾナに閉じ込められ、無言のメッセージを語りかけているようだ。

イエスは聞く耳のある者は聞くがよいと繰り返し言われた。

だれもが耳を持っている。しかし、人は、私は必ずしも聞く耳があるとはいえない。

神はカインに殺されたアベルの血の叫び声が聞こえるといわれた。(旧約・創世記4章10節)

ならば、イエスの血の叫びはなおさらである。

しかし、イエスのその叫びは

「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのかわからずにいるのです。」(新約・ルカによる福音書23章34節)

だった。私は、あなたは自分がしていることがわかっているのだろうか。

またイエスは言われた。

「もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。

しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある」(新約・ヨハネによる福音書9章41節)


それではまた・・・

神の平安がありますように!

そうそう16日の夜のことでした。あの韓国の素麺を食べたあとです。

9時過ぎ日本人のOさんが来て、これからFさんの家に写真を撮りに行きますが、

一緒に行きませんか?と声をかけられ、行くことになった。

12月8日にはコンドミニアムの住まいを引き払われるFさんの家具の写真を撮り、

コンドミニアムの一階ホールに写真を展示し、売りに出されるのだ。

行くと見晴らしの良い住まいで、もうほとんど家具は処分されたあとだった。

写真を取ったあと、歓談しているとき、Oさんは私より一足先に日本に一時帰られると聞いた。

お母さんが癌のため入院されたからだという。

ところが、Oさんは自分が帰るのをお父さんが喜んでくれないと言って戸惑っておられた。

話によれば、Oさんのお父さんは実業家で、その地方の名のある名士。

事業がすべて、世間体がすべての方らしく、Oさんはそんなお父さんに反発して

家を出て、いろんな仕事を遍歴し、ついにハワイに来てしまわれたのだった。

ハワイに来てもOさんは最愛の奥さんと離婚されるという悲しみを通られた。

離婚される前に一度教会にも奥さんとも行かれ、Fさんとも一度会われたという。

そのまま教会には行かれなかったが、ある日ばったりと偶然Fさんと再会されたのだ。

そのときOさんは離婚直前であることを、Fさんに話されたという。

そのとき、話を聞いたFさんが大粒の涙をぼろぼろ流しながら二人のことを祈ってくれたという。

OさんはそんなFさんを見て、なんでこの人は他人のことでこんなに泣いているんだと思ったという。

その後Oさんは離婚してしまわれるが、ある日Fさんから家で食事をしようと誘われ、

さびしくて、毎日泣いていたというOさんはFさんの家に行ったのである。

ところが行ってみると、いま写真を撮った大きな食卓いっぱいにたくさんのご馳走があり、

Oさんはてっきりほかにも来られる人があると思ったという。

しかし、そうではなく、FさんはOさん1人のためにこのご馳走を用意されたと知って驚いたのだ。

OさんはそのようなFさんとの出会いによって、ついにイエスを信じる人となられ、

心の傷もいやされ、そればかりか、日本におられるお母さんもイエスを信じられたという。

そのお母さんがいま癌のため入院されたというのである。

日本のお母さんを励ますために、祈るために日本に帰ろうというのに、

Oさんが帰ってくるのをお父さんは快く思っておられないというのだ。

事業がすべてで心を許しあえる友達もいないお父さん、世間体ばかり気にしているお父さん。

いまは事業は弟さんが引き継がれることになっているそうだ。

長男?であるOさんの生き方と離婚。お父さんはまだOさんを受け容れられないようだ。

お母さんをお見舞いには行きたいが、お父さんが喜んでくれないことで

Oさんは心を痛めているだけではなく、いまはお父さんに対する反発ではなく、

ほんとうは孤独なお父さんを愛しておられるというのだ。

Oさんはとても顔立ちの整った、ほんとうにスマートな男性だ。

だれがOさんを見て、そんな心の痛手を体験し、悲しみをいただいておられると思うだろうか。

話を聞いて私は思わず涙が溢れてしまい、Oさんにこう言った。

自分はお父さんに反発し、好きなように生きて心配ばかりさせてきたけど、そのお陰というか、

そのことを通して、いま自分はイエスに出会い、信じるものにされました。

だから、いまはお父さんのこともすべて感謝しているよ。

お父さんありがとう!心配かけてすまなかったね!と言ったらいいよと話した。

それから、Fさんは私に、どうしてイエスを信じるようになったのですか?と話を振って来た。

それからしばし、私自身のあまり人に進んで話したくないような出来事を話した。

今は私にとっては過ぎ去ったこととはいえ、話すことにためらいをいまも感じている自分がある。

Oさんとはまったく違う家族に起こった痛ましい出来事をとおして、

それはいまだすっかり過去になったことではないが、恐れと不安、挫折感に

脅かされつづけた長い道のりを振り返りながら話した。

とてもみんな話しきれるものではない体験だが、いまはOさんに勧めた言葉が私自身の言葉でもある。

ふと時計を見ると、もう12時を過ぎていた。

まだ時差ボケと睡眠不足のためすぐ疲れるが、今日も思いもよらないハワイ滞在の一日であった。

明日はMさんとFさんが私がかつて17年前行けなかったところへ連れて行ってくれるという。

こうしてハワイ滞在2日目が過ぎていった。

『彼が隠れて行っていることは・・・。しかし、光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。

明らかにされたものは皆、光となるのである。だから、こう書いてある。

「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。

そうすれば、キリストがあなたを照らすであろう。」』(新約・エペソ人への手紙5章12〜14節)


それではこれにて・・・

神の平安がありますように!

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