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先日、刈谷の伊藤三弥を知りたくて情報収集されている方と出会いました。刈谷では松本奎堂や宍戸弥四郎は顕彰対象ですが、伊藤に限ると高取攻めの際に離脱(脱走説)して明治まで生き残ったという面がどうも印象が悪いようです。そこを気の毒にお感じになって京都市醍醐の故松吉武雄氏が一生懸命調査されていました。高取攻め時の離脱も青木(後の三枝蓊)同様、偵察か連絡なりに出て戻れなかった可能性が高いと判断されました。もう地元では評価されにくい者は、縁の無い他地域の第三者が研究してあげれば、いずれは名誉回復にもつながるでしょう。手造り新聞『天忠組野史』(全21号)に「三弥ブルース」と題して二度にわたり書いていましたが、その新聞が天誅(忠)組記念館のフリマコーナーにあるという情報を仕入れられて入手に来られました。 |
専門紙・天忠組野史
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