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産経大阪版の偶数土曜日、維新連載も18回目。今回は大坂での天誅騒ぎ。文久二年(1862年)から、京大坂では連日のように安政の大獄の反動である天誅騒ぎが横行。これが翌年の大和義挙を天誅組と名付けられる伏線と私は思っています。伴林光平の「南山踏雲録」では原版もその後の発行物にも天忠組と書かれていますが、もう一方の半田門吉の「大和日記」には天誅組と書かれていました。ただし、原版は見たことが無く後年に製本されたものです。ずっと確認したかったことですが、昨年東京で知人からいただいた、伊吹周吉(のちの石田英吉男爵)の写しでは全て天忠組でした。写させてもらう側が、敢えて原本から変更する必要は無く、逆にこれによって以後に出版された「大和日記」を発行する際に何故か天誅組に変更したと考えるのが自然と結論付けました。あくまで、個人的にですが。 |
天忠組と河内
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