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昨年の師走の後半に書いた十津川村武蔵シリーズの続き。ここには楠木正勝(正儀の子)の墓所が在ります。天誅(忠)組がこの袋小路の場所に陣を置いた事は今も大きな謎で、この3日間の記録や口碑、伝承は全く残っていない(「天誅組紀行」89頁)ようです。しかし、私はここに正勝(普化宗の僧・虚無と名乗る)の墓所が在ったことが最大の理由だと思っています。主将の中山忠光は父・忠能から徹底的に楠公父子の忠義を教育されて育っています。藤本鉄石(黒住教)の勧めがあってこの地に向かったとの話も有りますが、忠光自身はお墓の存在を知っていたでしょう。自身の境遇と重ねたのかと。 |
天忠(誅)組
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