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鷲家、鷲家口間で解散した最後の一隊に居た楠目清馬(土佐藩)が龍門岳方面から針道(桜井市)に下ってきた事は知られています。この時に一夜、辰巳丈蔵家に世話になり、脱出ルートを聞いたとの事です。現在、その場所には家は在りませんが、場所だけは確認出来ました。また、諸説ある中で大峠(大峠トンネル脇の道:写真)を越えてきた事が辰巳家の口碑として伝承されている事も確認できました。大峠からの道は旧辰巳家のすぐ傍を通っており、これは間違いないでしょう。また、針道の入り口である不動辻(写真)には当時藤堂藩の番所が在ったそうです。 |
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2008年06月28日
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大和高田市の中央公民館で明日29日まで公開中(高田郷土文庫展)。最初、知人から「天誅組の血判状が出るよー」との情報で、「エー、そんな物が有るとは聞いたことがない」と半信半疑で行くことにしました。会場でもお世話の方が「これが天誅組の血判状です」と言われるし黄色のチラシにも天誅組血判状と書かれていたので拝見しますと、それは高取藩の血判状でした。陳列の説明を読みますと『天誅組来襲の直前、この危機に家士より足軽にいたるまで、誓紙血判を連ねて軍心を結んだ・・・』とありました。天誅組の物だと楽しみにしての訪問でしたので、やや気落ちしましたが、ある方から「守る側も命がけだったという事ですね」とメールを頂き、この様な物が残っている事を知っただけでも価値はあったと思い直しました。また、もっと天誅組の知名度を上げる(広げる)必要性も感じた次第です。 |
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