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在野の天誅組研究家、子孫の書きおろした作品を纏めた『天忠組の跫音(壱)』の在庫が10冊を切りました。増刷の予定はありませんので。今日、十津川村から館に来られた方が居て、在庫を質問されてたまたま判明しました。 |
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2011年10月29日
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まず、これだけの品が揃う天誅組の展示会はないでしょう。ここ安堵町歴史民俗資料館は晩翠堂といって今村文吾邸が開いた塾でした。ここの講師役で鉄石や光平が活躍し学んだ者が平岡鳩平(北畠治房男爵)や真洞(青木精一郎・三枝蓊)です。よって、遺品が数多く残りました。常設でも北畠、真洞、光平の物が観られますが、今回は三人の張り合わせ金屏風や個性あふれる逸品が揃いました。公開日数は僅か8日間ですよ。図録などは出ませんからこの目で見るしかないです。JR法隆寺駅から徒歩かバス。地域情報誌『よみっこ』のHP、イベント紹介コーナーでも詳細がご覧いただけますよ。 |
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産経新聞土曜日のオピニオン面に都道府県の郷土史教育を取り上げるコーナーが有ります。今日は大阪府の河内長野市でした。芝田市長さんは元教員という事もあって、ご自分で天誅組のシナリオ本を書かれるなど、歴史には相当に造詣が深い首長さんです。羨ましい限りです。先日も地元の天誅組ファンと気軽に面談されたとお聞きしています。本日の記事には大楠公さんや弘法大師も登場していました。ここに、明治維新の魁で、吉年米蔵、竹林八郎、東条昇之助ら地元の志士が活躍した天誅組の名が全く出なかったことはいかにも残念。もったいないなー(個人的感想)。 |
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産経新聞に続き、今日は奈良新聞が賀名生の堀家に明治22年の水害で地域の為に尽力された事を示す看板が残っていた記事を掲載した。同時に、この看板の公開が来月6日の(当館主催の)復興チャリティーライブからスタートする事も掲載されました。参加のミュージシャンからも「元気を出していただくために気合いを入れています」とのメールが来ました。ピンボケの写真ですが、柱に水害時の水の高さを示す黒い線が見える(堀家にて非公開の場所)。 |
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