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先日お亡くなりに成りました三根隆三先生。御存じ辻幾之助が子供の時に京都から養子に来た御宅の末裔です。あとはどうなる事か分かりませんが、今もホームには三根医院の看板が明りを灯しています。 |
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2011年07月17日
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天誅(忠)組記念館での勉強会は途中で御茶タイムがあります。この時に人気なのが大阪前田製菓の「えびマヨドレッシング」というあられです。東吉野村のS先生はもうこれが大好物。これを食べに来ているといっても過言ではありません(笑)。確かに旨い。 |
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『鬼住村研究』という読み物を借りた。その中に、天辻で処刑された上田主殿の出身地鬼住村から人足として西之上久造という若者が参加していた事を知った。西南戦争にはラッパ兵として出征し、田原坂戦で24歳で亡くなっている。この物語では天誅組当時14歳となっていますが、どう考えても1877年に24歳なら1863年は10歳になります。これが事実なら水郡英太郎の13歳より若いという事で、子供が人足というのも不思議なことですね。 |
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朝一番の御客様は千早赤阪村からでした。大きなリュックにカメラを入れての御登場。趣味が写真とのことで自身の造られたアルバムも拝見しました。楠公さんに惚れて移住されてそうです。館には楠公の幟や忠孝の幟も有りますから、大変喜んでおられました。 |
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