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以前、どなたかが「二番じゃダメなんですか」っておっしゃいました。その場合の二番は、最初から一番を狙わない、諦めた二番です。要は二番狙いです。ところが今日の二番(銀)は、一番を狙っての必死に闘っての二番です。同じ二番でも違うのです。トップを狙ってこそ、二番の値打ちが上がり努力が生まれるのですね。上海から元気をいただきました。 |
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2011年07月29日
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『天誅組河内勢の研究』(水郡庸皓著)の中に、同名の項があります。また『日本男子物語』(柴田錬三郎著)内にも「日本人苦学生」として長義が取り上げられています。水郡長義とは英太郎のことです。父、善之祐と共に天誅組に従軍し、13歳という年齢から処刑をまぬがれました。今回某氏からお借りして読みました自叙傳は、本人が書いたものを孫の水郡長春氏が書き写したものでした。今まで知っていた英太郎(長義)の苦労が、まだまだ凄かったことを初めて知りました。天誅組の後、高野山義挙に参加し、官軍となって東北まで行き、留学して帰国後に司法の道に進みます。この留学は全くの徒労に終わり、何の成果も生みませんでした。友人には自殺者も出ています。私が今回驚いたのは、これだけの苦労をされた方を癌という病魔が襲い、本当に最後まで苦しめたという事です。最晩年の二年間は検査と手術の繰り返しで、御気の毒でした。それでもなお、「国家に特別の貢献をしなかった」と後悔の弁が書かれていました。いつか、全編を世に出すべきものと感じました。墓所は大阪府富田林市の近鉄川西駅近く養楽寺です。本堂裏手に水郡家の墓所が在ります。 |
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