天忠組と河内

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あと10日ほどに迫った上本町・正念寺での座談会(法要と乾十郎の講座+講談)。昨日は八尾市の地域ラジオ「FMちゃお」さんでのPR出演。DJの中田麻美さんとは記念館開館直後のPR出演以来の6年ぶりのやりとり。ラジオは、ぶっつけ本番が更に楽しさを増しますね。可聴範囲が限られる地域ラジオですが、八尾市以外にも藤井寺市で聴かれた方からもメールを頂きました。最後は、局特製の顔ハメ。「うわ〜、玉ちゃん居たら喜んだのに」って。

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『八尾モラロジー事務所50周年記念の集い』がシティプラザホテルで盛大に行われました。講談、阿波踊り、河内音頭、抽選会ありと楽しいひと時でした。伴林光平先生の顕彰碑周辺の清掃作業風景もスライドで紹介されましたよ。田中市長さんとも久しぶりにお会いできました。

「南山踏雲録」では

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産経大阪版の偶数土曜日、維新連載も18回目。今回は大坂での天誅騒ぎ。文久二年(1862年)から、京大坂では連日のように安政の大獄の反動である天誅騒ぎが横行。これが翌年の大和義挙を天誅組と名付けられる伏線と私は思っています。伴林光平の「南山踏雲録」では原版もその後の発行物にも天忠組と書かれていますが、もう一方の半田門吉の「大和日記」には天誅組と書かれていました。ただし、原版は見たことが無く後年に製本されたものです。ずっと確認したかったことですが、昨年東京で知人からいただいた、伊吹周吉(のちの石田英吉男爵)の写しでは全て天忠組でした。写させてもらう側が、敢えて原本から変更する必要は無く、逆にこれによって以後に出版された「大和日記」を発行する際に何故か天誅組に変更したと考えるのが自然と結論付けました。あくまで、個人的にですが。

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前回の受学会で使った伴林光平先生の竹の画賛軸。なんと、この歌「窓ちかき ひとむら竹の 小夜嵐 うき世の夢の へだてなりけり」が、今 東光氏の短編「役僧」の巻頭を飾っていたんですね。多方面の歴史、地理にお詳しい香芝市からの参加者に教えていただきました。そこで八尾市の今東光資料館さんに連絡して、この作品が「闘鶏」という短編集に収まっていることも確認できました。正に八尾の有名人揃い踏み。

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前校長先生から届きました「五條学」という郷土冊子。パラパラっとめくって、ハッとしましたが、この世代が興味を持たないと歴史の継承は出来ないってことですね。司馬先生の「21世紀の君たちへ」が有ったように、22世紀に向けて確実に人口は減るのですから。


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