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昨年の師走の後半に書いた十津川村武蔵シリーズの続き。ここには楠木正勝(正儀の子)の墓所が在ります。天誅(忠)組がこの袋小路の場所に陣を置いた事は今も大きな謎で、この3日間の記録や口碑、伝承は全く残っていない(「天誅組紀行」89頁)ようです。しかし、私はここに正勝(普化宗の僧・虚無と名乗る)の墓所が在ったことが最大の理由だと思っています。主将の中山忠光は父・忠能から徹底的に楠公父子の忠義を教育されて育っています。藤本鉄石(黒住教)の勧めがあってこの地に向かったとの話も有りますが、忠光自身はお墓の存在を知っていたでしょう。自身の境遇と重ねたのかと。 |
天忠(誅)組
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何度訪れても癒される地が武蔵。ここに時代を超えて二人の武将(楠 正勝、佐久間信盛)の墓が在るのもまた不思議でした。そして、幕末には天誅(忠)組の中山忠光が訪れた。この袋小路に。なぜ、つづく。 |
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先の十津川村同乗ガイドの最終地点は武蔵でした。初の武蔵に大変な驚きとお喜びでした。「本陣(光明寺)跡の寺を示すものは、この梁だけだ」とは、「十津川草莽記」(吉見良三先生)の連載に合わせての取材に泊りがけで同行した際のお言葉。今も訪問の度に思い出します。 |
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午後から上本町へ。先に全慶院の佐々木春夫(天誅(忠)組支援者)さんのお墓参りをして正念寺さんへ。佐々木さんは今年が生誕200年、没後130年でした。正念寺さんでは乾十郎墓と動物墓へお参り。境内に住む猫の内、一匹が亡くなったそうです。15歳とか。今回は一匹も出会えず、ちょっと寂しかったですね。 |
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高取城夜襲に失敗して、負傷した虎太郎一行が天辻峠への途中に寄った(傷養生した)のが賀名生和田の旅籠「杉本屋」。ここで宍戸弥四郎が軒にぶらさげてあったカシワを骨ごとバリバリ食ったという。この弥四郎はじめ中山忠光、藤本鉄石、池内蔵太、渋谷伊予作が泊ったとも伝わる。そこで、その後はこの宿を「天忠宿」と呼んだとのこと。今も宿を偲ぶ看板や蔵が残る。御当主は大日川丹生神社宮司。 |





