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自転車の本

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今日は自転車本を読んでいました。「あまりにヒドイ」と評判なので買ってしまいました。やがて、書庫に「書評」というカテゴリーでもつくって書こうかなとか思ったりします(笑)

まあ、その著者がいるところは、たしかに冥府魔道なので、こんな本を書いた理由もわからないではありません。自転車に関する基本情報のデタラメさ、それらを土台として作られる、「マーケテイングで出来上がる自転車のつまらなさ」はよくわかります。

なんでも、その著者によると、インターネットの情報は「知的レベル低すぎ」なのだそうです(笑)。この著者、じつは私に固定ギアの自転車のことで質問にきたことがあります。固定ギアの経験はまったくないとのこと。

しかし、私からすると、固定ギアを知らずして自転車を語るべからず。という気がします。それは自転車の魅力の半分しか知らないに等しい。ファウスト・コッピもアンクティルもメルクスも、ペダリング・スキルは固定ギアで学習してきたチャンピオンです。そして、これらのチャンピオンに共通することは「低めのサドル」です。これらのチャンピオンは膝を悪くした人たちがいません。一方、現代ではウルリッヒからチッポリーニにいたるまで、みなさんどうしようもなく膝を傷めて引退しています。わずか4mm幅のチェンでまともに変速させるため、フレームの剛性はガンガンあがり、今の自転車は膝に来ます。それをさらに膝の靭帯に負担を増す、高めのサドル設定にする。しかも短いクランクはない。この私のブログには、選手からメーカーの人、出版界の人、見に来ていて決して書き込まないというのがわかっていますが、ここで、私はいくつかの質問を提起したいと思います。

1)人間の脚は巨大なカムレバーであって、基本的にはある程度長くなったほうが効率がよい。たとえば、身長160cmの選手と、身長180cmの選手が一緒に同速度で走るとなると、ギア比は同じにしないといけません。その時、クランクは身長の10分の一が基本ですから、かたや160mmのクランク、かたや180mmのクランクが理想。そうしたとき、ペダルは長いクランクのほうがてこの原理で軽くなります。そうすると長身の人のほうが軽いペダルを踏んでいることになり、脚そのもののカムレバーの効率もよいことになります。一方、身長の低いほうの選手は重いペダルを踏むので、筋肉量が増えます。そうすると、長い上り坂では不利になります。そうしたとき、ツール・ド・フランスで強かった選手の車両、というのが、一般のライダーにどれほどの意味があるのか?ツールで総合優勝するということは、山岳に強いということにほかなりません。また、身長の違う二人には「同一車両」でいいはずがありません。今の機材の方向は人間工学的に正しいのか?

2)スキーなどでは体重の違うひと、身長の違う人は、違う硬さ、違う長さの板を選びます。自転車も本来はそうあるべきで、とくに、フレームのたわみやすさは長さの三乗に比例するので、180cmの身長の人の乗る自転車と、160cmの身長のひとの乗る自転車では剛性も変えなければならないはずです。そうしたとき、インプレッション記事というようなものに、どれほどの意味があるのか?ちなみにこの著者は183cmの身長とあります。彼に乗りよいものが身長163cmのひとにも乗り易いことは考えられない。しかし、この著者が深くかかわったA出版社の歴代インプレライダーは、レースで強かったわけですが、180cm超級が多い。その点、低身長のライダーほど不必要に高剛性の車両に乗せられているという主張の、この著者の本にはいくばくかの真実があります。女性や背の低い人たちに乗りよい自転車というのは現在、真面目に考えられているのか?

3)今の標準的なギア比が身長165cm以下の人に果たしてあっているのか?段数がやたらに増えても、フロントのギア板の歯数は驚くほど選べません。そういう状況をただすべく、ジャーナリストや設計者、メーカーの人たちが発言したことはあるのか?私は女性用、少年用、中高年用にアウターが46Tもしくは44Tのギアリングにクランク長155mm、160mm、165mmのロードクランクを用意するべきだと考えます。

まあ、諸点を科学的に考えてゆくと、今の日本の自転車情報はかなりヘンです。夜も更けたので、今日はこのあたりで切り上げますが、その本の著者が「あのサイクリングと言う長い長い退屈な苦行からは決して幸福感など得ることはできない、、」というのを読んで、「ああ、可哀想に、このひとは本当に乗り易い、この自転車に乗ってどこまでも旅してみたい」というものに出会ったことがないのだな、と思ってしまいました。彼は日本のユーザーが最高級のコンポにばかり行く傾向を本でなじっていますが、実は、速いレーサーにしか興味を示さないというのも、やはり根っこは同じ「他人より速く走るもの礼賛」なのだと私は思います。古いインチブロック・チェンの固定ギア車両のギアとチェンの唸りは楽しい。セルロイド皮膜の古いハンドルは、冬の走行でじつに快適です。極細のニッケルクロームのスチールクランクには、何ともいえない上質の踏み心地があります。そういう喜びを知らず、ただ人より速く走るために「リムで走っているような粗野でがさつなクリンチャータイヤに乗り」「蛍光灯に乗っているような、危うい乗り味の薄肉フレームに乗って、軽さを求めて薄いサドルをいれ、帳尻をあわせるため、パッド入りのパンツをはく、それが彼の言う幸福感なのかな?」と思ってしまいました。(彼がチューブラーを褒めているのは正しい)自分の場合、サドルの上にいるのが楽しい「良い機械に乗っているという乗り味」が欲しい。私は「他の人より少しでも速く走りたい」ということには興味がありません。哲学者エマニュエル・カントの言うように、そういう感情や価値観は「自立性の原則にたてない、他人との比較によってしか、自己が完結しない」ものでしょう。ということで、今日のところは寝ます。Zzzz。


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