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今までの人生、『これ以上、いくらやっても同じ』と思うと、すっぱりやめて方向転換をしてきた。これはあまり、マイナスにならない。もう、その世界で行き着くところまでやったのだから、10年、20年間をおいても、また復帰した時に1〜2年でトップに立てる。

むしろ、別の分野で他のことをやったノウハウを引っ提げて戻ってくる方が、さらに先へ出られると思う。

『人生はジグソーパズル』のようなもので、時がたつほど、欠けているところが埋まってきて、よく見えるようになってくる。

この『ジグゾーパズルが出来てくる感覚』がなく、持ち時間が少なくなってくるだけだと耐え難いだろうな、と思う。

美術品を玩弄して、いいかげん飽きたところから光琳はスタートしている。絵を描いたり、クルマを直したり、自転車の修復をやっていたり、そう言うことの向こうに、自分のものを作り始める人がいる。

私もそのくちだが、『これ以上はいくらやっても同じ』というところまで来たら、方向を変えるべきだと思う。

英国自転車をやっていて、そう思ったことがある。古いイタリアの自転車は結局、カンパとFBとニュッティ、マジストローニしかないので、『ああ、もうこれ以上はいくら買っても同じだな』と思った。悪いけれど、フランスの自転車でも同じようなことを感じた。そこから先は『自分のものをやるしかない』。

鳥山先生と板倉さんのところから治具やら書籍、部品などを引き取った時、『Z』の名前も買わないか?という話があった。それは光栄なことだが、私がフランス式の車両を作ってもな〜、と2の足を踏んだ。じつは英国でへチンズの名前を買わないか?という話すらあった。数十万円でした。Zの名前に関しては、いくらぐらいなのか、見当がつかなかった。ただ、古い人は御存知だが、T社はブルーバードの名前を自動車会社に売ったわけだが、1千万円ぐらいだったと聞いた。

そのとき、板倉さんなども『もういいや』と思っていて、『もうさんざんやったから』と言っていたのを思い出す。

ある意味、晩年に『もうさんざんやったから』と思える人は幸福だろう。私などの場合は、趣味、遊びではない方の分野で、いよいよ眼が冴えてきて、自転車遊びどころではない感じになってきている(笑)。

『英国は故郷だから行ってもいいな』と思う一方、『もう、さんざん行ったから、いまさらねぇ』という思いもある。すでに『消滅、蒸発してしまったもの』も多い。べつにノスタルジーの確認に行く必要はない。その冴えた眼の向かう先はどこかというと、インドなのです。もう一回戻りたい外国の筆頭はインドだ。あそこで、見ておきたかったところ、そこを訪れて考えたかったところはいくつか、行かずじまいでいる。

足りないジグソーパズルの一片があそこにある。意外に思われるかもしれないが、私にとって、『のんびりと遊びに行きたいところ』は、あくまでも『遊び』『余暇』であって、人生のど真ん中ではない。優先順位は下がる。

牛をたくさん飼っている人は、牛の病気とか、健康状態とか、いつも気にしているのではないかな?と推測する。これは高級自動車を何台も持つとか、レアな自転車を数十台持つとか、骨董品や絵画をたくさん持っている人も、その一喜一憂ぶりは同じだろう。たくさん持っていることが自分を自分にしていると思っているのだが、そんなことはない。そういう人でいようとすることが苦しみの元であることすらある。

ある年齢に達したら、そうしたことは、すべて次世代に渡してしまって、『自分にしか見えないジグソーパズルの完成』を考えるほうが、人生の残り時間の活用方法としては、私にはしっくりくる。


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