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私が住んでいた英国の家は、それは不思議な家で、『家が一つの村』と言ってよかった。

ひとつひとつの部屋が家のようなもので、それが村落を作るように、その家は出来上がっていた。それはじつに上手く機能していて、その家が機能しなくなった時、フランシスは老人ホームへ行かざるをえなくなり、最終的に彼女は自らそこで食べることをやめて、ピリオドを打った。

もはや、そこでの人生に彼女は意味を見出せなかったのだろう。

昔、その家にはジャージー・カウがいて、ヤギがいた。それらの面倒を見るのに彼女は連れてこられた。いつしか、牛もヤギもいなくなり、彼女はその家の家族同様にそこへ住み、庭の鶏の世話をして、毎朝キッチンの掃除をして、珈琲を淹れておき、私が前日に作っておいたパンのダウをちぎって、AGAのキッチンストーヴで焼いておく。

家の人たちが起きてくると、AGAの上に珈琲ポットが置いてあり、焼き立てのパンがカゴに盛られて、大きいリフェクトリー・テーブルの上に置かれている。

午前中に洗濯をして、林の中のような庭にそれらを干してから、庭でラズベリーやブルーベリー、リンゴなどを季節に従って収穫し、ジャムを作り、家の主人の孫のダウン症のこどもをつれて買い物へ街へ出る。帰って来てからは、今度は処分されそうになっていたところを彼女がを引き取った犬のブロッサムを散歩へ連れ出す。これが毎日の決められたパターン。


ハウス・コンスティテュ―ションの第一は、『朝6時半より前にキッチンに入ってはいけない。そこはフランシスだけの一人の世界。何人たりとも彼女の邪魔をしてはいけない』。第二はキッチンではフランシスの指導にしたがうこと。第3は『食器は熱湯をかけてから洗うこと。食器洗いの洗剤は天然の環境にやさしいものでないといけない。

そのほかにもルールはいろいろあった。『食べ物は食べ残してはいけない』。野菜の芯や林檎の芯は捨てずに、小さく刻んで鶏にやる。などなど。

もっと、重要なもの。『家の中では英語を公用語とする。キッチンやオークルームでの会話に他の言語での使用は禁止』。これは、家の中に同じ言語を母国語とする人が複数人いて、彼らが自国語で他の家の人に理解できないように話すと、彼等だけで陰謀を張り巡らすことも出来るから、というのが禁止理由のひとつだった。


家の主人はそういうシーンに出くわすと、机をパーンと叩いて『ENGLISH in the kitchen, please !』と言った。


あとは、家の中では宗教の話は禁止。かくして、家にはナチスの手を逃れて英国へ移住してきたユダヤ系ハンガリア人、伊須羅武教徒、ちゅーごくの人、チベットの人、インド人、ロシア人、イタリア人、スペイン人、ドイツ人などが、争いも無く暮らしていた。4分の1世紀、常にその家に住んでいたのはハンガリア人のG.C.と私、フランシス、レィチェル。ほかは夏にだけ来るドイツの貴族、イタリアのアンコ―ナから来る医者の一家。まあ、私はたまにいなくなる渡り鳥みたいなものでしたが。

日曜日には必ずパンドーラ・チェンとケンブリッジ仏教会のバーバラが来た。たまに日本の平安文学にも詳しいカーメン・ブラッカー教授や、時計修理が趣味の統計学者のヘンリー・ダニエルズ教授。一時期サッチャーの論敵だったシャーリー・ウィリアムズもたまに日曜日に来ていた。


その家は『伝統的な規則』によって、そのあり方が規定されていたが、それはなかなかブログの1ページでは書ききれない。さらに表に見える規則以上に深いところで、暗黙のハウス・コンスティテュ―ションがあり、『その家の存在理由である、知的交流、地球環境保全、もろもろのよろしくない生物学的、核の系統の兵器、そういうものを持たないような方向へ世界をもってゆく努力をしている人には援助をおしまない』などがあった。

ある、古い昔話に、どうしてもその姿が忘れられない女性のところへ、男が通い詰めた。窓の下へ行って『私の愛しいひとよ。私です』と語りかけた。そのたびごとに、その女性は『帰ってください』と追い払った。ある時、その男性が同じように窓の下に立ったとき、女性が『誰?』と訊いた。男は『あなたですよ。もうひとりのあなたです。』と答えた。女性は『愛しい人よ、お入りください』と、その男を招き入れた。

『私』が『あなた』を相手にするというのは、じつは2人を隔てている。私はどこまでいっても『私』で、『あなた』に対立するものだ。

そこではいつまでたっても、議論による対立はとどまるところがない。しかし、その家の中では、不思議な同胞意識があって、その家の主人は、私がヨーロッパのどこへ行く時も紹介状と、行くべき家、訪ねるべき人を教えてくれた。『a great friend of mine』。こう言い合える仲間と共同生活をした経験は忘れがたい。

ひるがえって、日本で、夜のアパートを表からながめ、この国の若い人は、孤独な夜に、訪ねて行くべき目指す灯はあるのかな?とぼんやりと思う。


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