最近のカメラは実によく撮れるようになりました。またPCでの通信が多いので、デジタルは便利。しかし、私はいまだにフィルム・カメラにこだわっています。
なんと説明したらいいのでしょう?フィルム写真。それも白黒写真は、時間がたってから見返すと、そこに時間が濃密に取り込まれている感じがするのです。デジタルにこの雰囲気はないと思います。
たとえば、3年前の夏に撮ったデジカメ写真と今年の夏撮った写真は、まず見分けがつきません。逆に、こういう日記に4年前のデジカメ写真を「今日の写真」として出しても、まず誰もわからない。
しかし、白黒写真は、その撮影時の空気と時間が吸い込まれているように思います。添付の写真は、私はアンリ・カルチェ・ブレッソンやロベール・ドアノーが好きなので、ドアノーと同じテッサーレンズのカメラを持ち歩いて、英国で撮影したものです。はたして空気と時間は写っているでしょうか?それとも単なる自己満足の気のせい(笑)?
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初仕事は低予算のモノクロ・チラシ。自ら撮影したフィルムにカビが生えていて再撮。ところが、そのフィルムにもカビが生えていて再々撮。依頼主からドエライお叱りをうけ、20年以上経ってデジカメになったいまでもそのことが思い出されます。「銀塩なんて大キライだ〜!」
2008/9/8(月) 午前 10:06 [ 安藤魚掘 ]
:安藤魚堀さま
それは、きっと、ブルックスの革サドルの隣に封を切ってあけたフィルムを保管していたに違いありません(笑)。あるいはBLMCミニのトランクで高温で「蒸した」か?培養シャーレ(爆)
我々は普通、フィルムは無開封で冷蔵庫で保管。使用の数時間前に常温に戻します。私も仲間も、数十年のなかでカビが生えたなどというのは聞いたことがありません。一方デジタルのほうは、SDカード、あるいはスマート・メデイアが接触不良か、内部トラブルで撮影不能になったことは何度もあります。「デジタルなんか大キライだ〜!」ちなみに、ブラッドフォードのご首領さまは、ミノックスの銀塩カメラで撮ったものをを自分で階段下の暗室で現像してます。「デジタル?it is not acceptable.」と言ってましたな(笑)。
2008/9/8(月) 午前 11:02 [ raijin&fuujin ]
私も断然フィルム派です。たとえ失敗しても消せない真剣勝負的な所や、現像待ちのドキドキ間、そしてなにより質感が好きです。
素敵な写真ですね。時間と空気間、伝わりました。
2008/9/8(月) 午後 10:03 [ - ]
あ!空気感でした。
2008/9/8(月) 午後 10:04 [ - ]
:リイナさま
そうですよね。真剣勝負、まさにそうです。写し手の緊張感は絶対、作品に反映されますし、まぐれあたりはフィルム写真には絶対無いと思います。あの、液体の中で紙に浮かび出てくる画像の醍醐味は何ともいえません。援護射撃のコメントに感謝です♪
2008/9/8(月) 午後 10:21 [ raijin&fuujin ]
写真に写っている人間(ファッション含め)と、
街を構成する物の素材感でしょうか?
日本ではこのような素敵な写真は撮れません。
それに日本は 色彩感覚もトンチンカンなので、
カラー写真なんて 街では全く撮る気にもなりません…。
なんで日本はこんなにも格好悪くなるのですかね。
それにしてもこの写真は、スッキリとした気持ちの良い空気感です。
2012/6/24(日) 午前 0:31 [ KEITA ]
日本だと七夕の頃にセルロイドの極彩色の飾り付けをしますが、最近の日本は町全体がああいう感じで、「せつな的」になっているのでは?この売店は橋の上にありまして、むかしはたぶん、水門の番人が作業していたのだろうと思います。日本なら使わなくなったそういうものは壊して、新しくキオスクを建てるでしょうが、ヨーロッパだと何か別のものとしてそのまま再利用することを考えます。たぶん、ものや町への視点がせつな的なのだろうと思います。ヨーロッパの都市の画像を見たあと、香港や台北、マニラ、バンコックの市内画像を見ると、看板が建築物を覆っている感じがします。やっぱりセルロイドの町飾りと似たところがあります。
しかし、「街の風情や美しさはセルロイドの飾りとは無関係」なはずです。文字の読めない人にもわかるよう工夫を凝らした江戸時代の金看板を見ると、そういう伝統がいつのまにか置き忘れてきてしまった感じがします。
ツアイスのテッサー・レンズは晴天の日よりも、このぐらいの曇り空のときにものすごい空気感を写し取りますよ。
2012/6/24(日) 午前 0:51 [ raijin&fuujin ]