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黄昏

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天善は地蔵丘の蘭方医竹軒を訪ねた。

「久しいのう、天善殿。元気そうでなによりじゃ。」
「先生もお元気そうで安心いたしました。」
「まだ若いからな。人生120年と考えれば、まだ7分の2以上残っておる。天善殿は煙草をたしなまれ、酒も飲んでいたし、四つ車の毒気もかなり吸い込んでいるので、それを100までと差し引いても、まだ3分の一ほど残っておるではないか。」
「一応、健康のための双輪車を啓蒙する立場のものが、人生半分で息絶えてはしめしがつかぬと、なんとかここまで来た具合でありましょう。」

「他の者たちの消息はいかに?駿之輔や將太夫は?」
「駿之輔は卒中にて両手がしびれ、ろれつも回らず。將太夫はぱあきん尊とかいう難病で、すぐに眠りに落ち、歩くこともままならず、車椅子生活でござる。」
「みな、そういう歳になったか。我ら2人は不思議と生き残っておるな。憎まれているからであろうか?」
「竹軒殿は山へ薬草調査の山歩きのおかげ、あとはこの天善、双輪車がきいていると思われまする。」

天善が竹軒の屋敷を出て1町ほど歩くと、宿場町の賑わいがあった。刀剣屋はまだあった。帯刀禁止の世の中でよくやって行けると感心した。本屋は消えていた。「どこも屋」とかいう店に変わっていた。酒屋も「英雄屋」とかいう桃太郎印の店になっていた。

「ついでに榮之進の瀬戸物屋へ行ってみるか。」
その店も消えていた。替わりに髪結いの洒落た店になっていた。

昔は谷になっていて、野原が斜面に広がり、涼しい風が抜けたところへ行ってみた。すべての木々や野原はなくなり高楼がいくつもそびえていた。風は吹かない。

天善は竹軒の玄関に、白磁のように白いぎやまんの円盤が燈火についていたのを思い出した。
「竹軒の庵の玄関も、いや、彼自身も、この宿場のかつての風情を伝える最後の場所かもしれぬ。」
「さわしたる」わけでもなく、古く見せようと探してきたものでもない。すべてはそこに根を生やし、鍾乳石のように育ってきたものだ。引き継がせるのもむずかしかろう。

「余の場所は宿場街ではなく天狗堂だな」、そう独語して、山へと向かった天善であった。

世は開け 天狗も山に おしこまれ

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老兵

私が英国へ行き始めた頃、土曜日の昼下がりや日曜日の午後に、よくブラスバンドを室内でやっていた。

多くの曲はミリタリーものなわけですが、入ると私の父親の世代の人たちばかりだった。『これも英国文化の学習』と、見つけると必ず入ってみた。

英国でその手の音楽が好きな人は上流階級のひとや知識人階級ではない。ごくごく普通の中流ど真ん中か中流の下層から下層の上ぐらいまでの人が多い。

私がそういうところへよく行くので、みんな不思議がっていた。『 Blass Bloody Band 』とかいう人もいた。そういうのを街の小ホールで、紅茶など飲みつつ、満足げに聴いている人たち。八の字ひげもたくましく、ブレザーを着たような人たちがけっこう多かった。

はっきりとわかるのは、英国のそういう曲は陽気で、落ち込むところがない。高齢で先の見えた人たちが、落ち込み防止と、似たような連中を求めてきている感じだった。

曲目はどこで聴いてもほとんど同じ。彼らも毎回あきずに似たようなレパートリーを聴いていたのだろう。

話しかけてくる人も少なくなかった。5人に一人ぐらいは戦争体験を話す人がいて、険悪になるかな?と思ったが、『君は戦争に行ったはずはないから、君の責任ではない。ただ自分はビルマでひどい目にあった。しかし、今はそれもすべて過去のことになって、自分も根に持ってはいない。君のような日本人がこういうブラスバンドの曲を聴きに来る。こういう平和なよい時代になったものだ。ただ、わしが今話したようなことが過去にあったということは、こころにとめて、どこかで覚えていてくれたまえ。みんながそういう意識で居れば、この平和は続くだろう。』それでは失敬すると、ハンチングのつばに指をあてて歩き去った。そのしぐさが、いかにも軍人らしかった。

私はそういうこと一切が嫌いではなかった。また、英国人は大人だなと思った。

そうした集まりをほとんど見かけなくなったのは1992年ごろからだったと思う。たぶん、戦争世代が高齢化して、そういう集まりが難しくなったのではないか。

洋服屋のウッドの親爺の話は何度も書いた。私が会った英国の人の多くが、今考えると絶滅危惧種であった感じがする。2000年からはさまざまな業種でいままでとまったく違うタイプの人たちが働いているのを見るようになった。

改修を重ねるうち、いつしかまったく違う建物になってしまうようなものだ。

同じことは日本でも起こっているはずだが、しかし、ヨーロッパでは一皮むけば極めて似たようなところがあるが、日本ではもっと徹底的に変わってきている気がする。

日本では祖父母との会話や縁が薄いので、変化が早いのかな?と思ったりする。

かくいう私も、うちのまわり10kmのなかに和三盆を売っているところがなく、練り切りすらも買えなくなっている。そうかといって、パンなどのうまいのがあるかというと、これもない。都心で、店内で食べられるパン屋があって、久しぶりに入ったら、さすがにヨーロッパの人が働いているだけあって、パンはおみごとだった。ただし、珈琲はまずかった。

これだけのパンを出しているのだから、さぞや流行っているかと思うと、ガラガラ。私が入る前に一人。あとから2人。出てくる時に一人。クロワッサン系統のパンが260〜310円というのは店のインテリアの質からして高くはない。家具はすべてフランスの20世紀初頭のピッチパインのアンティークでしたから。

日本にはWW2のあと、常に海外へ旅行して、ノウハウを蓄積して日本へ持ち帰る人が一定数いた。それがまた、きわめてレベルが高かった。日本の製品やサービスの質の高さにはそうした人たちが欠かせなかった。

しかし、ここへきてそういう人たちが、世代的に絶滅期に差し掛かっているのではないか?

老兵はただ消えゆくのみ、と言うのがありましたな(笑)。老兵がいなくなって、果たして勝てるのかな?

ミリタリーものでないところから、有名なものを2つ。『炎のランナー』でおなじみなものです。

I vow to thee my country - William Fairey band

Jerusalem-Massed Brass Band Concert in Ely Cathedral

きわめてヴイクトリア=エドワード朝的な感じがする。

ちょっと季節外れですが、このクリスマス曲がミリタリーになると、文中で書いたものの雰囲気になる。

A British Brass Band :Poulton-le Fylede Band

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ファラオの石室

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昨日、用があって訪れたビルは、もう「王家の谷の地下の石室にいるような感じでした」(笑)。まだ植物とかあれば救いがあるのでしょうが、その植物とてたいした植物ではありえない。日の光ゼロですから。置物?、、、黄金のマスクとか(爆)正しい英語圏での発音は『ツータンカムーン』。

最近、こういう空間はいたたまれない。帰ってきて、ポストに広告が入っているのをみて、「なんだ、またソーサイジョーか!」と思って丸めようとしたら、新しいマンションの広告でした(笑)。しかし、それもやはりファラオの石室様式で、しかも石がベージュと黒、金属部分はゴールドで、置いてある花は白だったから、ソーサイジョーにしか見えなかった。

途中で、蜃気楼に浮かび出た1960年頃の店のような建物を見た。空調もない。人気店らしく、けっこう人が入っていた。

そういえば、こういう店の前に、昔は巨大な鋳物のかき氷器があったものだな、と思い出した。

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時計の針は戻せない

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後の世から見たら、この5年〜10年はたいへんな変化の時であったことがわかるだろうと思うのです。

日本では、ほとんどそうした視点の報道がない。ヨーロッパでは、『ヨーロッパが奇妙な死に方をしている真っ只中』と考えている人たちがものすごく多い。

『言論の自由』というものすら、『自らの宗教の開祖を悪くいう者には死を与える』という死の恐怖によって圧力をかける言論封殺によって、なすすべがない。それに『リベラル左の人権屋』がのかっているかたちになっている。

ロンドンのハイドパークのスピーカーズ・コーナ―の話は最近も書きましたが、あそこでは、元来好きなことを話していい。ラッセルとアインシュタインの水爆反対の話やヒロシマで使われた核爆弾への反対の話も、バートランド・ラッセルがハイドパークのスピーカーズ・コーナーで宣言文を読み上げた。

その場所がどうなっているか?いまは警官が立っている。そこで誰かが移民の問題や中東から持ち込まれる宗教法の話をすると、『ファシストだ』ど叫んで周りを取り囲んで喋らせない。やがて警官がやってきて『騒動を起こさないように。そのスピーチはやめなさい』とやってくる状況だ。

これは、中東文化によって、西洋的な言論の自由が脅かされている。彼らのデモの中に書かれているプラカードに「デモクラシー反対」と書いてあるのが、ヨーロッパのあちこちで目に付く。

中東宗教にはアジアの仏教文化圏や欧米のキリスト教文化圏の『信仰の自由』は存在しません。日本で『仏教徒をやめます』とか『どこかの神社の氏子をやめます』とか言っても、命にかかわる話ではない。フリードリッヒ・ニーチェだって『新約聖書のような本は手袋をはめて読むのが良いのだ』と書いていたが、そのために投獄されたり死刑になることはなかった。そういう批判精神によって、ヨーロッパは魔女狩りの中世、異端審問を抜けて、現代社会になってきたわけです。ところが、それを一切禁止する動きがここ数年で活発になってきている。

サウディではキリスト教の宗教儀式、クリスマスとかイースターは禁止されている。キリスト教式の結婚式を挙げることも不可能でしょう。キリスト教徒を妻にすることはかまわないが、彼らの宗教の女性をキリスト教徒や仏教徒が妻にすることはできない。宗教法で禁止されている。また、彼らの宗教を途中でやめる、棄教することは一般的に死罪です。宗祖の何人かいた妻の一人はよその人の妻だったという。夫とその一族を斬首してまだ10歳にならないうちに妻にされた女性もいる。日本のように七五三は神社で、結婚式はチャペルで「汝と汝は今何時」(笑)とかやって、締めくくりは仏教でお寺で、などというのは世界的に珍しい自由なことなのだ。

そういう背景で、ヨーロッパでは学校でのクリスマスの行事などは『不平等だ、やってはいけない』と、移民が増えるにつれ禁止、あるいは自粛されてきているところが増えた。伝統文化の死滅が進んでいる。

日本でも、東京の浅草の浅草寺の近くの重要文化財の石仏を次から次に破壊して歩いていた留学生の話がほとんど報道されなかった。結局、日本へ石油を売ってくれている国の高官の子弟だったので、事を荒立てたくなかったことと、彼らの宗教法では無罪だから、送り返したのでしょう。つまり、事なかれ主義で、無意識のうちに日本の法律より、彼らの法律を上に置いている。

これが石仏でなく、どこかの寺炎上でもこっそり送り返すのか?これは英国の法意識では考えられない。英国は、国王と言えども法律の下にあって裁かれるというマグナカルタ以来の伝統だ。これが英国をヨーロッパより数百年先をすすませて、近代国家にして産業革命へとつなげた原動力だった。

一方で、『首まで地面に埋めて、みんなで石を投げて死罪』というのがいまだに行われている。

「貴方たちの中で、罪を犯したことのない者が、最初にこの女に石を投げなさい」ジーザス。

世界各国で、いまの『国境を開放して、移民も無制限にじゃんじゃんいれる』という、地球一個をかつてのソヴイエトのようにするという、国家社会主義的な世界単一政府を推進するグループに強く反対している人たちは、ほとんどが英国文化圏の論客であることはたぶん偶然ではない(ダグラス・マーレイ、ナイジェル・ファラージ、など)。

『国境開放を叫んで、受け入れない国には懲罰』と言っていたグループの「おかしら様」の一人は眼る蹴るさんですが、彼女は若いころは東ドイツで軍服を着て青年団にいた。頭の中は「恐産主義」なのではないのか?仲良くアメリカ合衆国と互角の経済圏を作る、どころではない。ポーランドやハンガリー、英国の例を見るまでもなく、『足抜きは出来ない』恐怖のグループだったことが明らかになりつつある。

しかも、VW,アウディ、ベンツ、BMWなどのドイツのカーメーカーがすべて一丸となって、排ガスに関してよろしくないことやっていたことが発覚して、調査が入っている。ドイツ独り勝ちの筋書きが崩れつつある。

ギリシャも食い物にされ、経済奴隷に落とされた。スペインもそうなりつつある。イタリアには『銀行解体』で経済背骨抜き、奴隷化がすすんでいる。

外国の政府のトップが、よその国のトップの選挙で、「この人を推薦します」というようなことを言うのは普通だろうか?日本の総理を決める場で、隣国のトップが『あの人がいい』とか言ったら問題だろう。

世の中はトランプ氏がロシアと近いのではないか?と騒いでいるが、そのハッキングは転送速度の記録から考えてハッキングではないと言われている。一方で、尾浜氏は「真っ黒ン氏を押す」と言っていました。トランプ氏はルペン氏をひいきにしていた。これはすごくおかしなことではないか?

『国境開放組』は「混乱して、国の枠組みがゆるんだところには巨額の儲けが眠る」と考えている人たちが資金援助する。ヨーロッパの国境開放を叫んでいた人たちを支援しているのは丈二・祖呂巣。尾浜氏と栗ん豚氏はどちらも祖呂巣から巨額の支援を受けている。

その真っ黒ン氏は7月に入って最大幅の支持率低下があった。彼は、ルペン氏が勝てば、フランスは市民戦争状態になる、と言って勝った。しかし、実際には幾多のグループが衝突して、そういう状態になったが、それはルペン氏の支持者などによって起こされたものではなかった。しかもそれはYoutubeに大量にアップされただけで、メイン・ストリーム・メディアは一切報道しなかった。

数日前、フランスの国防のトップの人が、真っ黒ン氏の予算カットに抗議して、辞任した。これは、ドイツがNATOとは別のEU軍をつくり、そこの中枢のトップにドイツがたち、ヨーロッパを管理支配する構図の一歩手前の布石なのではないか?と考える人が多い。

眼る蹴る氏と真っ黒ン氏は現在の各国の警察組織の上に別の警察組織を作り、いままでの警察の人たちを再教育する計画を持っているとも言われる。保安警察、補助警察、それって「下種タポ」と同じではないか(笑)。

つまり、今度人口の15%〜20%以上が移民になっているところで、暴動が起こった時、それを抑え込みに行く部隊を別に作るということなのか?これは、なにかことが起これば、各国の警察は現状では動けませんから。北欧ではすでに警察官の6割以上が職を辞めたがっているくらい絶望的なところがある。そこでEU保安警察が国境を越えて出て行くのか?何とドイツ的な発想だろう。

眼る蹴る氏は後世、ヨーロッパを取り返しがつかないところまで破壊した人物として名前を残すと思う。

ヨーロッパはおかしなことになっているのだが、日本のメディアにはほとんどそういう話は載らない。

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普通のものが面白い

この歳になって思うことは、超高級のものの退屈さ、ということです。

20歳代から留学やら旅行やら海外出張やら、海外へ出る用が多かった。そうすると、手配されるところはビジネスクラスで飛んで、けっこうな高級ホテルに泊まるということが多かった。

この高級なホテルというのが、世界中どこへ行ってもたいした差がない。免税店にあるものは、世界中でそれほどの差がない。これを年に何回も十年の単位でやっているとあきる。

たまに京都の、かつて寺社の修復に来ていた職人さんたちが長期逗留していたような宿に泊まると、じつにホッとする。これは食事の場所もそうです。日常の中で飽きないように完成されたもの、これの最良のものがいい。

最高級のものは基本、貴族階級のものですから、意外に狭く薄いところのものの感じがする。だからアメリカの上流階級のものは面白くない。それでも1950年代までのものは良い物がありましたが、80年代以降のものはさっぱり訴えかけてくるものがない。

これは自転車でもそうで、私はどうも最高級のものは単調に思える。『味のある所まで抜け出られる最高級のものは稀だ』。

最高級の薄味(爆)。

このあいだ、匂いの話でフォード・コンサルMk2の話をだしましたが、あれが出来が良くて、ゼファーやゾディアックになり、改造されたりしてコーチナになって、ロータスになってゆくわけです。

最高級のものがピンとこないのは、クルマのサイズもそうで、私は大きいクルマが嫌い。また、『匂い』の話を出したように、『感性の部分』に訴えかけるものがないといけない。数値化できないものと言っても良いかもしれない。

じつは私はV8の音が好きで、V12のエンジン音がよいと思ったことがない。爆発音と機械的ノイズのバランスがV8のエンジン音のほうがはるかに好ましいと私は感じる。たしかに「シャーッとよく回り、ふける」のですが、『ミシンを速く回しているような機械的な音』を感じてしまうのです。

これは私が基本的に2輪車の人間であるからかもしれませんが。バイクの場合、気筒数が少ないと『馬の心臓』を感じるようなところがある。

Lancia Fulvia 1.3S mauro

going Lancia Fulvia enjoy the legendary V4 sound

Porsche 914 vs Lancia Fulvia HR Racing

の3つをYoutubeでみると、私が言う「サイズ感」と「普段と日常の楽しさ」というのがわかると思う。

私は『コラムシフトのサルーン』で練習した世代、なので、最近時々、コラムシフトへの郷愁を感じる。あれは、決して悪いものではなかった。Youtubeにないかなと思って探したらありました。

Driving a Mk1 Ford Zepher 6 around Rushmoor arena wheel day 2017

これは私が持っている『自動車を運転するという原点を感じさせる』。ゲーム的に速く走る必要も何も関係ない、運転して移動することそれ自体の楽しさのようなものが動画からにじみ出ている。こういうクルマは今ではまったくなくなった。

その先にある、自動車のある生活が、クルマの細部によく出ているのが次の動画。後席だけにホロがかけられるドロップヘッドとか、トランク(英国ではブーツと言う)の上にバスケットを付けたり、スペアタイアを表に出したり、『農機具のような実用性』が感じられる。

Mk供FOED ZEPHER ZODIAC OWNERS CLUB Battlebridge classic car Show ESSEX

エンジンの音もかつての英国人は、クルマと言う箱を動かすモーターという意識があるので、エンジンの積み替えなどは抵抗なくやる。英国英語ではエンジンをモーターと言ったりします。

David Hughes a driving in the P4 Rover

この人、他の動画で見ても、この車齢60年〜70年のもので、一日に700km〜800kmを平均90kmぐらいで移動したりしている。

うちのブログのバナーに勉徒麗のPre Ownedというのの広告が出るので、みてみると、6000kmとか7000kmぐらいしか走っていないのがけっこう多い。つまり、1年に2回しか使わないマイセンのコーヒーカップみたいなものだろう。自転車などでもそうだが、持ち物が高級になればなるほどそういう傾向が強まるもののようだ。

しかし、『出来のよいものを毎日使う』のが私は良いと思う。かつて、ガラスの大コレクターによく呼び出されて、彼の自宅で骨董のガラスのものをみながら一杯やっていたのですが、彼はいつもワンカップの蓋を開け、私にすすめ、自分もワンカップを飲んだ。
「たまにはシレジアのグラビールのグラスで飲んだらいいんじゃない?あるいは16世紀のフンペンでビールを飲むとか。」
「そんな、R&Fさん、もったいない!」
結局、数百も美術館級をもっていながら、死ぬまでワンカップの日本酒でした。

その日常をどこまで高級に引き上げるのか?というのは議論が多い所だろうと思う。最近のドイツ主導の高級なものは、「無理やり考えてひねり出した高級感」という風に私にはみえる。

数日前、「どうせあと20年も30年も生きるわけじゃないんだから」と言う話になって笑いましたが、日々使うわけでもないものを、いくつも持ち続けることの虚しさを思う。

以下のを見較べて欲しいと思うのですが、

1953 Bentley R type Continental Fastback-Hexagon Classic

P4は「自分でいじり、その機械的な出来の良さを楽しむ」ところがあり(appreciate)、勉徒麗には、そこまでオーナーがメカの実地に入り込むことはないようにできている。『よく出来て居れば、あとはプロに任せ、自分は運転に徹する』ところがほのみえる。

これは自転車に関してもまったく同じことがいえると思う今日この頃です。

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