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1990年代だと思うが、日本での車間距離の詰め方が奇妙な具合になった。1988年から1992年ぐらいから、車間距離があるとそこへ割り込んでくる奴が目立つようになった。『入れさせまい』ときわめて車間距離を詰める。

私は1960年に『助手席』に乗り始めた(笑)。それまでは後席でしたが。そのクルマはエドセルの設計のリンカンのハードトップ。あの時代、今からみると道路はガラガラだったし、クルマはその存在意味が少し違っていた。その当時、ギスギスした感じで運転する人はいなかった。箱根でも大弛峠でも出かけて行けばかなり速く走れ、逆に都市部では粛々、悠然と走っていた。

今の人には信じられないだろうが、昭和30年代、方向指示器は横へ光るものさしみたいなものがドアピラーから出るようなものもけっこうあった。いまなら引っかかってあぶないだろう。当時はそれでも平気なほど左右の車間距離もあけてみんな走っていたということだ。

ある程度の高級車にはうしろにカーテンの付いたものもあり、驚くべきは、室内に『ニンジン型の花瓶』が付いたものもあった。今のせき込むほどの芳香剤ではない。ほんものの花を一輪挿しした。

古いCGで、イタリアの330か何かの記事が載っていたのを、うろおぼえで思い出すが、その人が何かのはずみで、そのクルマを売ろうとして、どうしてもエンジンがかからなくなった話があった。『売って、面白くないけれどPでも買うわ』ということだった。結局、運ぶのにどうしてもエンジンがかからず、売るのを踏みとどまった。その人が記事の中で『60年代でクルマは終わっている』というコメントがあって、私は深く納得した。これはリアルタイムでその時代の乗り物をみていないとわからないだろう。

自転車だって、昭和20年代から昭和30年代の運搬車、実用車は昭和45年以降の実用車とはくらべ物にならない。実用車の地位が違った。泥除けなどのプレスの飾り小物も、明治になって失業した刀の装飾部品の職人の技に通じるものが、昭和30年代までは生きていたのを感じる。

クルマは乗り物としての、そのカテゴリーが変っても、『ボディの皮一枚』と『性能」に目をくらませられて、『存在意味が変わったことにはみんな気が付かない』。

病米利香で『ワイルド速度』のような映画が作られる背景を考えてみるとよくわかる。オードリー・ヘップバーンの『サブリナ』に出てくるクルマ。『バークにまかせろ』に出てくるRR。あるいはイタリア映画『昨日、今日、明日』に出てくるクルマ。飛ばすとか、破壊的な乗り方は一切無い。そういうことをするのはギャング映画ぐらいなものであった。私は『病理』が出ていると思いますね。

ボンド映画でカーアクションが出てきたとき、ドクター・ノオでは古めかしい『レー級シャ』は壊したが、サンビーム・アルパインは無傷だった。ゴールドフィンガーではテリー・マスターソンのマスタングが壊され、DB5も工場で壁に突っ込む。あとは古くさく見える勉津が次々と炎上。ここは重要な点で、『悪役たちがドイツのものに乗っている』ことで、ゴールドフィンガーは、本来持つべきではないすごい悪党が最高に趣味性の高いRRに乗り、英国の名門ゴルフ場を所有しているということが伏線なのだ。

裏返すと、『金がうなっていても、アイツには持たせなくない』というものの存在があったことが感じられる。いまは、よろしくない運転をする人でも容易に誰でも乗れる。

やがて、アメリカで『ヴァニシング・ポイント』が作られる。ダッジ・チャレンジャーだったかダッジ・チャージャーだったか(たぶんチャレンジャーだった)で、けーさつから逃れる話。たぶん、これはその後の米国映画のクルマの扱いに大きい影響を与えている。リメイクでは、GPSやヘリコプターをはじめとするあらゆる監視体制で、もはや逃げ場が砂漠でもないことが描かれていた。これが病的な感じでエスカレートして、うっぷん晴らしのアクションにのめり込むと『ワイルド速度』に行き着くのだろう。

これは、私は『戦闘機メンタリティ』と呼んでいる。最近の500馬力、2000馬力とか、無意味なパワーがあると、自分は『宇宙戦争』でヘロヘロに病気になって、円盤から降りて来る火星人のようにひ弱でも、クルマはそういう人には一種のパワースーツなので、欲しいと思うんでしょう。

これはロードレーサーも似たようなところがある。普通の人は電動アシストに乗り、それを追い越して『オレは強い〜!』と雄叫びをあげる。ツーリング車に乗っている人は、もとより競う考えはない。目的地に無事につく、最晩年まで元気で乗る、それしか考えていない。それを追い越して『オレは強い〜!』もないものだ。

あおりも似たようなもので、『オレは巧い〜!』だったり『オレは速い〜!』だったり、乗り物によって自我肥大しているのだろう。

倉庫で物を探し、戻ってきて、あまりに熱いので、まあ、近くに喫茶店もなかったので、マックへ入った。自転車を駐輪場に停め、中に入ろうと歩いていると、そのマックは歩道とドライヴスルーの道の区別がない。そこを後ろから3発クラクションを鳴らすクルマがいた。運転しているのは30代の女性。
『ここは歩道とドライヴスルーの道の区別がないのが見えないのか。歩行者が10m歩くのを待てないでクラクションを3発ならすくらい余裕がない運転なら、クルマなんかに乗るな!免許を返上しろ!』と怒鳴った。

自分に理がないと思ったのか、反論せず、ふてくされた顔でこちらを見もしないで正面を見ている。
『2mぐらいのところで怒鳴られて聞こえないくらい耳が悪いのなら、やっぱり免許を返上したほうがいいぞ!』とさらに怒鳴った。追い打ち(笑)。

ひと月ほど前は信号無視の高齢者のクルマを追いかけて、次の信号で窓をコツコツと叩いて、
『アナタ、今の信号で、堂々と信号無視しただろう?こっちは青信号で渡っているのに、引っ掛けられそうになったじゃないか。信号も見えないなら、免許を返上しろ!』と怒鳴った。

その高齢者もこちらを見ないで、助手席のおばあさんが手を合わせて謝っていた。

こういう状況は、全世界的に起きているようで、ロシアでもヨーロッパでも、アメリカでもひどくなっている。これはドブネズミ走りが巧みにできるようになったクルマが、人を変えているのではないかな?と思う。運転して見ればわかりますが、2CVやパブリカ800で煽ろうと思っても出来ませんからね。

こういう時代にはあまり運転したくないものだ。するならばドライブレコーダー以外の物も欲しい(笑)。

『Q! Give me something ! I need few optional extras installed. 』

対抗手段をやっているあいだに同類か(爆)。

直観の分かれ目

いままでの人生で、まわりを見渡して、『しょぼくなった人たち』はみなさん『考えて、考えて、熟考する人たちだった』という気がする。

『どうしようかな』と口に出すような人で、一流の趣味人になった人のことを聞いたことが無い。これは、自分の『限られた体験・経験と知識で、答えを出そうと無駄なことをしている場合がほとんど』。成長がないのです。

たとえば、私のところへ『古い英国のブレーキが欲しい』と言ってきた人がいるとする。私は使っていないGBのヒドミニウムと、バーライトと、モニターを見せます。その見た人は『どうしようかな』と迷う。

『GBは新田さんの魔物シリーズに出ていましたよね?』
『はい。あれはクーラーでしたね。これより後のモデルです。彼はクーリャーと書いていたけど。』
『このブレーキのGBとステムのGBとは同じ会社ですか?』
『同じ会社です。有名な選手だったゲィリー・バージェスが頭文字をとって作った会社です。彼はグレート・ブリテンの略だと思っていましたが、選手の頭文字です。』
『今はないんですよね?』
『自転車部品はやめましたが、地下鉄のアルミの踏み板であるとか、エスカレーターやエレベーターの部品などを作っていますよ。コンピューターのアルミのラックなんかも作っていましたね。』
『これにします。』
とGBを買ってゆく。

ある人は、古い英国のティーカップが欲しいとする。3つのティーカップがあったとします。ひとつはバラと小鳥の絵が描かれたエィンズレィ、もうひとつはハンドルの上が平らになったソーサーが2枚ある小ぶりな兼用茶碗ぐらいの大きさのカップ、重量は軽い、ストークトン・トレントと書いてある。模様は細い金色の筋描き。3つ目は取っ手がない。ちいさい煎茶茶碗のようで、寝ぼけた感じの淡い色の絵付け。
『これって、りブンシャの本に出ていませんでしたか?』
『ああ、似たのが出ていましたね。エィンズレィの典型的なパターンです。』
『これにします。』

と、こういう具合なのですが、2人とも、自分の持っている限られた知識を総動員して『熟考』しているわけです。ここで問題なのは、最初の人はバーライトとモニターのことはほぼ何も知らない。2人目の人はエィンズレィ以外のほかの2つのことは何も知らない。

結論から言うと、GBヒドミニウムはよく折れるので英国では有名でした。ただ、当時の車両カタログにはあれが付いている姿ででているので、多くの人が『展示用』によく買う。バーライトはよく利きます。モニターのブレーキもよく利くが、ブレーキシューを探すのに手こずる。

私が英国で同じ状況になったら、モニターとバーライトを買いますね(爆)。モニターの方が『出来がいい』もの。そのデキが見てわからない人は、機械に対する眼力がない。モニターは構造が面白い。なみの自転車屋の発想で出てくる形状をしていません。私なら『なんだこれは!欲しいっ!』と思いますね。

と、ここまで書いて、それを読んでも、それはあくまでも『現物も持ったことも使ったこともない人が、R&Fの言うことを知識で入れただけ』で、なんの裏付けにも、わかったことにもならない。やはり知っても正しい判断は難しいでしょう。

カップに関しては、エィンズレィは1980年代、英国のいたるところの市で1年に100個以上、同じものを見ました。『ああ、これは誰かが型を手に入れて、リプロ作っているな』と思った。庭に転がして、紫外線と雨風に1年もさらせば、コンディションの良いもののように見える。ストークトン・トレントはダニエル・ハンドルのケーキ皿の付いた『トリオ』です。カップが小さいのは『紅茶が高かった時代のあかし』。3つ目の煎茶茶碗のようなものは、1700年代のティーボウル。これも偽物が多いですが、寝ぼけたような色のものは逆に古い。リプロは色がきれいで焼きも硬く、表面のグレィズもよくテカってます。窯がうまく作れず、地中に穴を掘ってレモン型の窯を作って焼いていたので、出来は悪いが、英国ではかなり高い。

熟考しても、すればするほどループに陥り、まともな判断は出来なくなる。

そういう人は、手放す時も『見切り千両』ができない。『自分が高価な一品に投影されている、のりうつっている、自分にはこの物がないと存在証明できない』と物に縛られている場合が多い。

自由に『遊行』できる人は、どんどん、眼が肥え、見分が広がってゆくが、縛られた人は、たいがいの場合、自分の『世代』のものの見方に縛られている。

たとえば、モーターサイクル人口はどんどん減っているわけで、今後、マニアックなものは、今の70〜50歳代の人たちが降りる頃になったら、次の世代は買わないでしょう。同じことは自転車のフランス部品に関しても言える。60〜70年代にオーダー車にあこがれてやっていた団塊の世代が、いま、一斉に処分に入り、マニアックなものは値崩れしている。逆に後期オヤジ、初期老齢で使い勝手の良い、小さいフロントのスプロケットなどは値段が上がっている。

『どうしようかな?』,,,迷う人はだいたい読み違いますね(笑)。

夏の終わり

いまごろの季節になると英国にいた頃を思い出す。それはなぜかというと、うちのあたりの広葉樹の木々の葉が風でさわぐ音がよく似ているからです。

家にいた何人かは絵を描いていた。庭の具合といい、キッチンの様子といい、高校時代にあこがれた南フランスの画家たちの家のようだった。

私は世界各国で豊かな暮らし、金持ちの暮らしをずいぶん見たが、現実的なあこがれをもっていいなと思うのは、フランスの田園、英国の田園、日本の田園、ぐらい。

アメリカの都市部は嫌だ。カンサスあたりは退屈。ドイツも『人工的な楽しみを退屈と感じない人にはよいかもしれないが、私にはあいませんでした』。公園へ行くと、自然が足りないのか、野生が足りないのか、ぷよぷよの3ケタおじさんが、全裸で日光浴をしていたりして、それも奇妙な習俗だと思った。

そういう田園生活でつかう、『農具のような自転車』にあこがれがあったわけですが、そういう場所での生活には高級自動車も必要ない。2CVかディアーヌで充分。

生活の質が重要で、しかも生活スタイルがETHICALで、芸術的、哲学的な充足感に満ちていればそれでよい。

どんなに良いエサを与えられても、ステンレスの流しの中で、泥も草もなく飼われている亀が幸福になれないのと同じだろう。私が亀を飼っていた時、庭に小さい池を掘り、甲羅干しをする岩を置いて、ちょうど6〜8畳ぐらいのセメントブロックで囲まれた土台の中で野生の生息環境に近い状態で飼っていた時、リラックスして落ち着いていた。水槽は、どんな巨大な水槽に入れても出ようとしましたね。

亀ですらそうなのだから、人間が狭いセメントの箱の中に入れられて、パソコンの液晶画面をみて、貯金通帳の数字が増えて行くだけで幸福になれるはずがない。

ケンブリッジでの生活はじつによかった。そうした一時期が持てたことは人生最大の幸福だった。そういうことは日本の郊外や田園地帯でも、本来可能なのだが、そういう場所、国にしようという意識がほとんどない、、それどころか、白樺派の文人たちや大正昭和の画家たちが考えていたような『田園』や『リゾート』の感覚から、今の日本はどんどんずれている。『便利になって金が儲かれば、あとは幸福になれるほど人間は単純ではない』。

梅原龍三郎なども、伊豆半島などは、うまく開発すればコートダジュールにも負けない自然があるのに、どうして、あのような見苦しいところになっているのか?と疑問を呈していた。そして、南フランスに行って、レジョンドヌールの勲章の略章をつけて高級ホテルを借り切ると、そこで、特別待遇で絵を描いていた。

どうなんですかね。私は八ヶ岳に行っても、あまり多摩丘陵とこのごろは差を感じない。梅崎春生が来ていた土産物屋で楽焼窯のあったところは、いまはコンビニだ。琵琶湖畔もずいぶん『通勤マンション』が建て込んできた。

一方で、『距離がものすごく出るミサイル』が隣国で開発中に爆発したそうだ。人をあやめるためのものの開発で自らが命を落としているのだから自業自得だろう。仏典に自分の爪に毒を塗って、人を襲おうとしていた男が、その毒でみずから命を落とす話があった。科学技術は進歩したように見えても、まったく進歩していない道徳の人たちがいる。

たまたま先日、ピカソの絵がわからないという人がいて、論より証拠で見せられないかな?とシルヴェットの絵がYoutubeに出ていないかな?と探した。そうしたら、モデルのシルヴェット本人が出ていたのでビックリした。

彼女、ピカソに会ったことがきっかけで、絵を描き始めた。ピカソにかなり影響されて、引き写しに近いものも多いが、楽しくて描いているのがよくわかる。

最近のパソコンを使ったCGの人物は、なんとなく『よく似ていながら魂がない無機質な感じ』が嫌で、非人間的、非自然な感じがガマンできない。フリーハンドにかなうものはない。

ピカソの描くシルヴェットは彼女のエッセンスとなる個性を抽出して、画面に定着させたように見える。こうしたことや、フリーハンド感はAIでは難しいだろう。

ピカソは『古代からの地中海世界』の女性像から、現代までを視野に入れ、『20世紀にどういう女性を描くか?』を考えたに違いない。こういう歴史的な意識の上で、伝統上にいながら、現代を感じさせる、いままでにないポートレートというのはこころのないコンピューターには難しいだろう。あくまでもAIには『思考パターンとそれの認識によるヴイジュアル変換のお手本をインプットしないといけない』。

それで『真似物をAIが作ったところで、性欲のないAIに色香をゼロから創造できるか?』というとおのずと限界があるでしょうね。

事実、ネズミ―ランドの『光年野郎』のマンガでも、NCで型を作ったプラスチックのものを見るようで、なんとなく寸分違わず左右対称のような、身体も顔の輪郭も気持ちの悪さを感じる。

ピカソのシルヴェットの絵はその点すごいですね。彼女はいま、みずから絵を描き、庭を菜園にして生活している。そして、『この美しい自然の地球で、武器を作り、戦争をしたがる人の気持ちがわからない』と言っている。

いま、ヴァロリュスや南フランスは炉尸唖の魔フィ阿だらけだが、『いつまででも飛んでいられる巳さ射るを作る金があったら、黒海の近くとか、あちこちで、互角のリゾートをつくれるだろう。しかし、そういうことはやらない。

お隣もその意味で勇ましいことやっているが、1人の池大雅も梅原龍三郎も輩出していない。

インドのヨギが、ある人にさんざん『オマエはハッタリ野郎だ、聖人ぶっていてもコジ気にすぎない』などさんざん罵詈雑言を浴びせられた。

『オイっ!聞いているのか?』と言われて、それでもニヤニヤ薄ら笑いを浮かべている。
『ハイ、聞いておりますよ。もし、貴方が何か物をあげようと、誰かのところに持って行って、いらないと受け取ってもらえなかったらどうしますか?』
『持って帰るだろうさ。』
『今日の貴方の言葉も同様です。お持ち帰りください。誰かに動物のフンを投げつけてやろうと思って、掴めば、汚れるのは貴方の手です。そして相手が避けてしまったら、それは貴方の手が汚れるだけでおしまいです。』

私はこの話が好きです。

ピカソのモデルになった人のインタヴューは、Youtubeの以下のところで見られます。

Picasso Muse Sylvette

Sylvette-Das Modell Picasso

Sylvette : The girl with the ponytail

思想ありや?

仏教でもヨーガでも、我というのはほんとうはない。多くの人が『真我』といつも『意識』というかたちで存在している『自分』(我)は別のものなのに気が付いていない。

ほとんどの人がこれを混同しているから悩みも苦悩も生じると考える。

自分というのは、過去の記憶の束ねたようなもので、そこに知識で誤っているものがあったら、ジャンジャン抜いて捨てて、正しいものに入れ替えて行くべきだろう。

そうしないと『こころのぬか床が腐って、そこへ疑問を沈めても良い答えが良い漬物として出てこない』(笑)。

まあ、今日は新聞でもネット上でも、さまざまなニュースや記事がでている。思うところは多い。私の親しかった高校の先生にトッコータイだった人が2人いた。自分が出て行く数日前に今日の日がきて、その後,お一人は経済学者になり、もう一人の先生は哲学の道へ進んだ。お二人とも当時の社会ややり方がよいとは言わず、憎悪していました。

いよいよの時が迫って来たとき、煙草をもらったという話をされていました。そういう時、『ひとの煙草の煙をかき集めて吸い込んでいるような、あさましい姿も見受けられた』と言っていた。そして仲間で果てたもののところには、手袋をはめた人によって落雁が家族に届けられたのを記憶していると言っていた。

経済のO先生は『落雁だったんですよ。人の命が』とぽつりと言ったのを覚えている。

将棋で負けてきたら、赤い紙を送れば駒がもらえる?とられて盤面から消えたら落雁?

さて、古代インドでは、輪廻のさい、無数にいる生き物が、次は何になるかをいったい誰が決めるのか?という議論があった。これはなかなか面白い議論です。すごいコンピューターがあって、自分の一生の善い行い悪い行いがブラックカードの磁性体に焼きこまれていて、改札を抜ける時に判定が下る?(笑)

『ピンポン、このカードでは人間プラットフォームには入れません。昆虫になるゲートへ行ってください』(爆)

同様に、GUん神になるかどうかは、誰が決めるのか?ダイ・ホン・エーじゃなかったのかな。昔はまわりはすべてGUんの施設に囲まれて、GUんがあそこを管理していた。明治時代からのSHIN/トーに閻魔大王はいませんからね。こういう点をどう考えて、説明するのか?

明治時代、大正時代の洋行した人の日記を見ると、みんなアンヴァリッドのナポレオン1世の眠るドーム教会へ行っているのに気がつく。あそこにはGUN-JI博物館がついている。そのやりかたを真似たんだろう。英国ではウェストミンスター寺院には偉人達が眠る。シェークスピアからスティーヴンソン、果てはスティーヴン・ホーキング博士まで。ああいう場所が欲しかったんだろうな、と思う。北斎や文化人ではなく、当時を反映してGUN-JINファースト、GUN-JINオンリー。私はそう見ている。

そういう思想はあまり議論されたことが無いのではないかな。

昔とったきねづか?8

友人のヨガの先生と話していて、(というか、その友人がヨガの先生だったことを、最近まで私は知らなかったのですが、別の体操系の先生であることしか知らなかった)その友人が、ヨガを教えたり自分でやっているときに、身体を壊す人をずいぶん見て、流派を数回変えているという話が出た。そこで、話がかなり深まったところまでいったのが、ブログで書くきっかけになったのでした。その友人も私が半世紀近くやっていることを知らなかった。

私は、どうもヨガも自転車世界でのロードレーサー偏重と、構図がよく似ているなと思った。

つい最近、インドのヨーガの資格を持ってヨガを教えている片岡鶴太郎さんが、デモンストレーション
をしていた時、膝が噛んだようになってしまって、動かなくなり、激痛が走って手術しなければならなくなったことは記憶に新しい。

500年前だったら、いや、100年前ですら、『第三者に手術で解決してもらう解決はありえなかった』はずです。一生そのままだったと考えられる。500年前だったら、自分で食物をとりに出かけることが出来ないので、人生終了だったでしょう。最近、アメリカ人のヨガの先生がハワイで林の中でヨガをやっている最中に足首を骨折して、遭難して、あわやアウトのときにヘリコプターに発見されて、一命をとりとめたニュースが出ていた。

これは、ロードレーサーの『ショートホイールベース、ヘッドアングルが切り立って、高剛性のリム、高剛性のフレーム、利きすぎるブレーキ、トラックレーサー並みに強い前傾姿勢、軽すぎる車重』で、前輪が滑ってグリップを失ったりして、発泡スチロールの上の重しがころがり落ちるように、飛び込み前転で首や背骨を打つのも同じだろう。『車椅子』どころではなく、100年前の医療なら、そこで人生は終了していた。

アイアンガー師は西欧にヨーガを広めたたいへんな功労者でしたが、私は彼には『功罪』という面もあったと考えている。こうしたことは日本語でヨーガをとらえているとわかりませんが、彼の本を読むと、『神』というのが『大文字で書いてある』。神を大文字で書くというのは、それはユダヤ教、キリスト教の神であって、ヒンドゥー教のシヴァやドゥルガー、パールヴァ―ティーなどではないことを意味する。

彼の本の中には、こういう一節がある。『プラーナとは、中国で言うCHIであり、日本でいう気であり、西洋で言うなら聖三位一体の聖霊である』と。これはずいぶんとおかしなことを言っているなと思う。これを言ったから、彼はキリスト教圏でうまくヨーガを広められたのかもしれないが、私は逸脱だと考える。

つまり、ヤハウェが宇宙に満ち溢れているプラーナで、聖霊がこころのうちにあり、肉体はイエスで、それらを合一化させる(ヨーガには結びつけるという意味がある)のがヨーガである、とアイアンガー師は語って、納得する人が多数出たということなのだろう。

『瞑想の中で、こころが真我と梵に一致したすがたにならぬかぎり、どんな知識を語ろうと、それは慢心からくる喋り過ぎにすぎない』ハタ・ヨーガ・プラクディーピカ

彼は若い頃の自らを語っているが、西洋文明に対して、たいへんな対抗心を燃やしていたことがほのみえる。彼は路上でみすぼらしく布施を受ける行者にはなりたくなかった、そこで西洋にうって出たというようなことを言っている。そこで、彼は『他の人には出来ないようなポーズ、彼にしか出来ないポーズが出来た』ということが役に立った。

晩年、彼は彼の弟子に2人、トップクラスのバレェのダンサーがいたことを語っていて、彼女らは身体が柔軟で、どのポーズでもすぐにとれたことが、逆に良くなかったと言っている。ヨーガにはPAIN、苦痛が必要だ、と。肉体というカンヴァスを、苦痛によって広げて行き、そこで精神的な地平がひろがると説く。

私は、そういう点で、アイアンガー師は『苦行派』なのだな、と思う。ヨーガの祖パタンジャリはヨーガスートラの中で、数行、仏教の『唯識』に対抗する説を語っている部分がある。お釈迦様は苦行に意味なしと、苦行を否定しましたからね。

このあたりが、私にとって、釈尊の時代のインドの思想背景を立体的にとらえるために、ヨーガは役に立ったし、面白かった。どこが似ていて、どこからが違うのか?ヨーガは『瑜伽』ですから。

ヨーガでは人間は血管をはじめとして、あまたの管で出来ているとみる。食べ過ぎると、食べ過ぎた分はすべて毒となり、その管を詰まらせ病気なる。なので、過食を慎み、身体をつねに清浄に保つ、、ここまでは納得できる。ただ毎日布のテープを呑み込んで体内掃除をしたり、鼻から布を入れて口へ出して、掃除をするとかいうのは、私はいいやと思います(笑)。

その『くだを綺麗にする』ために、『ナウリ』という内臓を引き上げたり、左右に動かしたりする行もある。私はそのナウリの様子を見ると、『ああ、釈尊もやっておられたののだな』と思う。釈尊が木の下に坐って、痩せ細っている石彫が残されている。ナウリを最初に見て思ったのは、あの石彫だった。スジャータの供養を受ける前の様子を描いた石彫です。

釈尊の舌は長かったという記録が仏典に散見される。あごの先をなめられたとか。ヨーガでは舌の裏のスジを少しづつ切って、舌を伸ばしてゆく『苦行』がある。そして頭蓋骨の穴の先にある空洞に舌先を入れてふさげるようになると、、と書いてあるのだが、どこにある穴なのか医学的にはわかりません(笑)。そこから滴り落ちるソーマをなめられるようになると、SHIを克服でき、霊力を得て、天女を脇に引き寄せられるとハタ・ヨーガの本に書いてある。

釈尊はひととおり、そうした苦行をやってみて、苦行は無用と捨てたわけです。

私もハタ・ヨーガ・プラディーピカーにあるような『インケーから水を吸い上げられるようになる修行』とかはやらない(爆)。『一度シャセーしたものを女性の体内から吸い上げて、、』などとも書いてありますが、私はそういうことも無視。まったく意味がない。やりたい人は一生やってみて、そうした技を身に付けたらよい。勝手にやってください。

そうすると、そうした要素を取り去り、医学的なスタンスを取り入れとやってゆくと、美容体操的になってしまう。あるいはボディビルのデモンストレーションで、ポーズの連続で、人を驚かせるようなタイプに陥りやすい。

コンビニにある雑誌などで、海外のモデルさんですでにカッコ良い人を連れてきて、それをするとカッコよくなるかのごとくに書いているものがある。『買う人は突発性ハリキリ症の人たち』。ヨーガもアメリカではそういう傾向が強まっているように見える。Youtuberにもずいぶんそういうタイプが多い。

私は取り入れるべきものは取り入れ、ゆる〜〜〜くやっている。首の違和感もヨーガのおかげで1割ぐらいまで減っている。効果はたしかにあるのです。ただし、やりすぎる必要はない。

『ラージャ・ヨーガを知らず、ひたすらハタ・ヨーガを修行する人が多い。彼らは努力のかいのないことをひたすら繰り返しているにすぎない』
      ハタ・ヨーガ・プラディーピカー 

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