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まあ、ぎりぎりまでYahooにとどまりました。誠意は見せた。今後はFC2に場所が移るわけですが、パソコンに精通していない後期団塊世代には探しづらいかもしれない。

私のほうからすると、字が大きくて書きやすい。一方で、写真は入れるのが面倒だ。

これも、まだまだ油断ができないはなしで、『ブログという形態がいつまで存続するのかわからない』と私は考えている。ヤフーブログも私がやりはじめて10年ちょっと。10年ひと昔です。

その前のMIXIに関してはほとんど動いている気配がありません。私もアップしないし。

東京オリンピックの便乗商法で、ホテルの価格がずいぶん上がっているようだ。さらに新幹線への大型荷物の持ち込みが予約制になるということ。オリンピックのあとで、すごいマイナスの揺り返しが来ることは、アテネでもロンドンでもバルセロナでも同じだが、日本もけっこう来るでしょうね。

これは、若い人は10代から40歳まで、加速度的に時間が早く過ぎることを感じていると納得できるでしょうが、また後期中年から初期老年までの体調や体力の衰えもまた急激なものがある。

まわりの職人でも、ひとりは肺炎を繰り返し、ひとりは喘息の発作、あとひとりは軽い認知症の気配がみえる。どこかにしまって、ありかがわからない。そして、ひとりでかんしゃくをおこして怒鳴ったりしている。一度や2度ではない。10年前にはなかった。うちも段階的に、スタッフの入れ替えをしてゆかないといけないと、しみじみ思う。

それでも、どのくらいゆけるのか?

たぶん、日本では自転車の生産は、ハンドビルトも含めて10年後はないでしょう。自分で部品を入れ替えたり、車輪を組み替えたりできる人が続けて行くでしょうが、団塊の世代が一斉に歳のために自転車に乗らなくなったら、一気に衰退する感じがする。

新幹線はこれから大きい荷物は予約制になるとの話。一方で在来線に乗るわけにもゆかず、『国内を地上旅客機で移動』するのが新幹線になってゆくのだろう。

ギターを背中に河原へひとっ走り、それが時にはギターを置き、荷物をたくさん積んで旅に出た1960〜1970年代のやりかたはなくなる。夜行寝台で輪行なども過去の話。

東京からしまなみまで自転車を積んでクルマで、、、というのはやりたくない。ヨーロッパのように新幹線の後ろに荷物車両をつけるようなことはやらないだろう。長距離高速バスに自転車は積めないし、今後の趣味はきわめて、先進諸国から日本は取り残されるだろう。

文化的先進諸国で、スキー人口が激減しているのは日本だけ。これはそこそこお金があって、まとまった休みが取れ、自然の中で過ごすのが好きで、運動神経がけっこうよく、雪の中でも自動車を事故なくあやつれる、など、総合的な趣味性、財力、行動力が必要とされる趣味ですから。自転車も似たところがある。

日本では自転車産業が細り、日本の誰かさんが『すべての生産技術を教えた隣国』はいまだに自転車産業は元気で、日本の各地で、サイクリングに向く場所の土地を買っている。

正直、なにが『ものづくり』だと思いますね。これは、すでに、私はバイクや自動車のほうにも、すでにはっきりと表れていると思う。クルマに乗る人、バイクに乗る人が激減し、社長自らが海外のサーキットに出かけないといけなくなり、エンジンの製造・設計も、スポーツカーもヨーロッパやアメリカへ開発を任せる。それで、日本から、どうやって世界に通用する人材が育つのか?

手に技を持った団塊の世代がオール・リタイヤのあと、『信じ、頼みにするのはスマホだけ』。電子かまぼこ板に『大権現さまの守り札』のようにおすがりして、仮想電脳世界の浮遊する『誰にでも公開されている、他人が書いた知識』だけを身にまとう。

私は、それを『ジェネリック知性』、『ジェネリック人格』と命名する(笑)。

それで日本は生き残れますかね?

まず、取り急ぎ、ブログをFC2に開設しました。しかし、勝手が違うので、写真のアップなどが面倒です。慣れるまではぼちぼちと、写真抜きの記事になるかな。

タイトルは同じ、英国式自転車生活。 https://adamsnumber.fc2.net/のはずです。

リアリティの問題

その昔、『深夜映画』というのがあって、よくヨーロッパの古い映画をやっていた。白黒だったり、ゴールデンアワーでは視聴率がとれないマイナーなものをやっていた。

うちでぽや〜〜っとウィスキーなど飲みつつみていた。

そういう時代が過ぎて、下北沢でヨーロッパのマイナーな芸術映画専門のレンタルができた、一時期、よく借りて来ていた。もう映画漬の日々でした。

そのとき、奇妙な傾向がでて、つまらない映画は早送りした。困ったことは、映画館でも早送りボタンがないのか???!!!とイライラした(笑)。『なんでこんなつまらないシーンを延々とやるのか!!』。これはエスカレートして、テレビの番組を観ていても、『頭の回転が悪いまだるっこしい奴だな』とテレビを見ている時、早送りボタンがないのでかなりイライラした。

そうこうするうち、日々の『現実感』、なんというのか、生きているリアリティ感が薄くなってくるのを感じました。これは音楽などでもそうで、録音されて販売されているものと、いかに同じように演奏するか、という反復演奏を技術的に完璧にするひとが増えた。これもつまらなかった。録音を聴いたことを確認するような奇妙な感覚。

そこから、私は自転車で疾走したり、ライヴに行ったりするようになったのだが、疾走系とか、スピィドを出すというのは、一種、リアリティの喪失がやらせるものだと私は考えている。

そこに気が付いて、『疾走』をやめたのが1990年代。

こうしたリアリティの喪失から来る、スピィドや疾走への渇望は、それだけやっていても渇きは癒えない。そこに気が付くかどうか?なのですが。現代の仕事や生活で、リアリティがない人はものすごく多いと思う。そこへ加えて、パソコンやスマホから来る仮想の現実。脳はもやもやした非現実の中でストレスを抱えている。

これは『自分の脳のかかえる密かなもやもや』なので、それを自覚して対処している人は少ない。

脳が密かにかかえるストレス。先日、私の友人の歯科医が『最近はワインに凝って、ハマっている』と言っていたので、『ああ、』と思った。私のまわりで、酒に凝って、たいへんな金額をつぎ込んでいる人の8人ぐらいが、外科医、内科医、歯科医、整形外科医など、他人の血や体液を日常的に見ている人。たぶん、そうしたものを、アルコールで流し落とさないといけない、と脳は考えるのではないか?

私の知っている救急の外科医も、いつも手術しているが、彼は英国の超車を持っている。K大の病院の知り合いの医者もイタリアの速いのに乗っている。これは金のあるなしばかりではなく、『リアリティの希薄な、それでいて生きSHIにの境を見ている無常観から、そういう飛ばす世界へ行く』のだと思う。

ベントレー・ボーイズのティム・バーキンも、WW1以降、そうした『リアリティを持てないもやもやで苦しんだ』と、どこかに書いていた。

そうした『もやもやのリアリティ希薄病』は、いまや社会全体に広がっているのではないか?荒いクルマの運転も、ワーワーいうだけのお笑いも、やかましい騒音系の音楽も、すべての問題の根は、希薄なリアリティに帰すると思う。

かまぼこ板の人生

老い行く母をみていて、自分が老いて行くこと、ひとの老いて行くことを考える。多くの高齢者をみていて、普通は、どんなに聡明な人でも、あたまがシャッキリしているのは90歳までぐらい。92歳頃から、聡明な人でも陰りが見えはじめる。もちろん、衰えの速い人は55歳ぐらいからすでに、頭の回転も記憶も澱み始める。

私のみるところでは、会話力とか議論のスピィドというのは、記憶とそれを呼び出せる速度と深くかかわっているようだ。『え〜〜っと、あれだよ、それだよ』と代名詞ばかりが出てくるようになったら危うい。

『かまぼこ板がない時代』、インドではヒンドゥー教も仏教も経典を暗記していたわけだが、これはその内容を縦横無尽に引用し、かつ、それが正確でないと論戦で勝てない、ということがあった。

仏教で『正念』というのは漢語のイメージに引っ張られて、違う意味に捉えられているが、元の意味はサティ、スムリティで『正しい記憶』である。『我』というのは『一種記憶の束』のようなもののわけだが、その記憶が誤っていたり、不正確であれば、正しい論理的な判断は下せない。

我々はおつりの計算などで暗算するとき、反射的に計算の答えを出すが、それは『しち・は・ごじゅうろく』(7X8=56)とか『く・ろく・ごじゅうし』(9X6=54)というのを暗記しているからできる。インドでは九九は2ケタまで覚える。彼らが計算に強い理由のひとつはそこにある。

マンダラの中のひとつの尊格は、一つの小宇宙と言ってよい個性と論理をもっているわけだが、コンピューターの基盤のなかに埋め込まれたチップは、まさにそれと似ている。マンダラと電子基板は論理に似たところがある。

さて、おなじみの電子かまぼこ板だが、これは『電卓を小さい頃から与えられて、暗算が出来なくなったこども』をつくるように、議論や会話、論理的な思考が苦手な人を作るように思える。実際、私のまわりでそういう人をずいぶん見かける。『記憶を掴んでは消して、さらにメモリー量を増やして、引き出し速度を速くするというのは、習慣と訓練ですから、生まれつきのせいにするのは言い訳に過ぎない。

これは私は高校生の時に、英会話のことでひらめいたこと。英会話は『必要な単語が瞬時に思い浮かばないと出来ない』。文法なんぞどうでもいいから、まず、必要な文章素材を即座に頭の中に浮かび上がらせないといけない。『え〜〜っと、え〜〜と』で30秒かかったら、もはや会話が成立しない。

『これは記憶だ』と気が付いて、『単語を覚えるときは、すべて文章で覚えるように切り替えた』。電車の中で単語帳を赤いセルロイドで覆って覚えようとしている学生を見ると、『ああ、効率が悪いことをやっているな』と思う。

最近では『かまぼこ板が翻訳してくれる』ようなので、ますます考えないで、スマホに話させたりする。これは暗算が出来なくなる少年と似ている。それでは、別の言語圏のひとの発想や感性を理解して、うまくコミュニケーションをとることは難しくなるだろう。日常の『用足し』で便利になるだけ。

この『記憶』とそれを引き出す精確性がいかに重要か?は、『貴女はインソマニアなんですってね。』という文章と『貴女はニンフォマニアなんですってね。』という2つの文章を較べてみればわかる。(insomniaとnymphomania)

これは記憶違いが大きな問題を起こす可能性がある(笑)。

さらに、あることへの評価とか、判断とかも、かまぼこ板の空間にある『雲をつかむ』わけで、意見そのものが煙のような雲のような場合が少なくない。

おととい、たまたま古くから知っている人と、そのようなことがあり、その人が大海原で電子かまぼこ板にすがって浮いているような生活をここ10年ばかり続けているので、ずいぶん知性が劣化したなと、正直思った。話の途中で、反論するわけにもゆかず、意見を撤回するわけにもゆかず、固まってしまった。昔は、そういう人ではなかったのだが、モーゼの十戒板のように(これも英語では『タブレット』という。ジョブズは旧約の『ヨブ』と同起源の名前だろう)かまぼこ板をあがめて生活していて、常に最新に買い替えていた。その先での知性のSHIをむかえ、議論の最中で、さすがに自分がおかしなことを言っていると気が付いて固まってしまっていた。

これは友人との議論ではなく、実際の人生の方向性であったらどうなのか?

おもちゃの使用レポートでyou tuberのこどもが十億円以上の儲けを手にしたとか、仕事屋スティーヴの伝記を読んで携帯ショップで取り扱いを教えていればいつかは自分も仕事屋スティーヴのようなマルチ・ミリオネアになれるとか、そういうのは『来週宝くじが3億円当たる』みたいな、雲をつかむような話だ。

そういうかまぼこ板とクラウドを掴んで、海を渡ろうとするのは、『みんなでレミング』だと思いますね。まあ、本物のレミングは飛び込まないらしいですが。

スローバイク

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ベアリングを買いに行った先で、電動アシストの話が出た。これは、いまから20年弱前に、静岡のあるメーカーの本社に見にいったことがある。『これからはこれだろう』と。

アレックスをともなっていったのだが、そのときに特許の図面も見せてもらいました。あのペダル駆動のトルク変化を感知してアシストをかけるセンサーの部分はたいしたもので、ミクロン単位での仕上げの設計が必要とされると悦明された。

その時、テストコースで試作車にいろいろ乗せてもらったのですが、なかに後輪にユニットを組みこんだ、昔のB.S.A.のパワーパックのようなものがあった。ところが、B.S.A.と同様に、カーブでかなり外へ振り出されるアンダーステアが強く、ちょっと怖かった。『ヴイりヤーズの自転車バイクのように、バッテリーなどはダウンチューブの下、ボトムブラケットの前にぶら下げるべきだ』と進言した。あれから20年ほど。最新のヨーロッパのボッシュのものは、ダウンチューブにバッテリーを付けるようになっている。日本はながらくシートチューブの後ろに背負っていた。

あのダウンチューブのところに付けるレイアウトは取ろうと思えば、パテントが取れたのではないかな?

ここ2年ばかり、電動アシストは年に2割ほど売り上げが伸びている。5年後には50ccのスクーターと数の上で逆転すると予測されている。

これもまた大きな転換点で、鉄などの材料の節約のため、小さく作っていた50cc、125cc、250ccのバイクも影響を受けるだろう。別に背の高い人が大型バイクに乗るというわけではない。また小柄な人が50〜250に乗るわけでもない。いままで170cm以上の身長の人が乗ってプロポーションの良い250cc以下を作ってこなかったツケが来るだろうと私は思う。

さて、自転車のほうも勢力図は塗り替えられるだろう。世界的にロードレーサーは売れなくなっていて、Eバイクは伸びている。ヨーロッパの雑誌ではピレネーやアルプスを普通のペダルバイクとEバイクでの登り比べ、下り比べの記事がけっこうある。

これは興味深いところで、今後、アシスト、Eバイクに慣れた人が、通常のプッシュ・バイクに戻って来るのか?走りの悪い自転車は売れなくなるだろうと私はみている。

当然、そういうアシスト、電動モーター補助系は、輪行は重量的な制約からできない。航続距離の問題もある。そこから逆の結論で、今後の生き残る自転車の姿も浮かんでくる。

電動モーター補助系(なかなか良い一言が浮かばない)は、先に述べた内部構造や、バッテリー、モーター、の関係から、小さい工房の仕事ではなくなってゆくだろう。大メーカーの仕事、そして、定期的なモデルチェンジと、バッテリーなどの小型化が焦点になって行くと思われる。

そこで、在来のハンドビルト、ライトウェイト、というのは全体の中での割合はさらに減るだろうと思うが、一方で現行のカーボンやアルミの車両はフレームが15年後、安心かどうかはわからない。まわりでは、10年たたずにヒビが入ったものをけっこう見る。最後に生き残るのはスチール。しかし、それも高級品は虫の息。どうなりますかね。

電動モーター補助系は以前、その静岡のメーカーがトラック競技で最初の一周を引っ張るペーサーを作ったことがある。時速100kmぐらいはでた。つまり『ペダルを軽くするベクトルを、速度を速くするベクトルに変えてみる』ことも可能性としてはあるわけで、だとすると、『1人で、少ない荷物で高速道路をクルマで走るなら、マイクのウィンドチータをEバイク化すれば、クルマは不要になる』。

それは『道路占有面積』の上でも有利なはず。

トータルで考えれば、私はそちらの方向性もアリかと考えている。

ベントレーのEXP 100 GT というコンセプトカーをみたが、これは2035年をにらんだ未来のクルマ。変わったところでは、クロームメッキがなく、再生の銅が飾りに使われている。また、外気が内部に積極的に取り入れられて、『外の空気の匂いがかげる』という。そういうことは、自転車ならあたりまえだが、未来の自動車では特別な贅沢なのだ。

しかし、速度によって『見えるもの、風景は変わる』。そうしたとき、ゆっくり走る自分の肉体だけが頼りの自転車というのは、そこでまた重要なものを提示できるはず。そのときは、トップクオリティのもの以外は説得力を持たないだろう。

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