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眠っているような?

実際の生活感というのが、人々の日常生活の中から、どんどん薄れているのかな?とこのところよく思う。

人の話を聞いていると、『目の前の事柄だけにとらわれている』と感じることがすごく多い。別の言葉でいうなら、生活に追われている。仕事から帰って、テレビをつける?インターネットをサーフィンする?テレビは驚くほど単調で、またレヴェルもずいぶん下がっている。

昼飯時、珍しくイヌアッチイケーの連続DORAMAを見たが、いやはや。つっこみどころ満載。手紙をこどもが読むのだが、あの時代の人たちの書簡集を、いったい脚本家は読んだことがあるのだろうか?あのような文章はデタラメだし、あの内容を送れるはずがない。戦況などを漏らさないかどうか検閲が入りましたから。

カメラワークも稚拙で、昔、お隣の国の『あちょッ、あちョ〜〜〜〜っ映画』で登場人物が一列に並んで、同じ方向を見て、みんなで指差し『そうだ、りゃんさん。アンタが悪い』みたいな、素人カメラワークで失笑したものですが、いまの我が国のテレビのカメラワークはそれぐらいのところを低迷しているように見える。

私の父の母親、つまり、私の父方の祖母は若くしてNAKUなりましたが、重篤になったとき、『アイスクリームが食べたい』というので、私の父が奔走した。結局どこにも売っていなくて、最後の手段とアイスクリームを作る機械を父が買った。そんなことは、祖父に金があって、オースチンに乗っていて、父が『オレも欲しい』と言ったら、同じオースチンを買ってもらったというぐらいだから、出来た話だ。当時のものは、いまのようなものではなく、ブリキの回転ドラムの中に氷と触媒(塩など)をいれて、牛乳と甘味をいれたところで回転させ、その周りに凍り付いたものをかきとる、いわばミルクみぞれのようなものだったと聞いた。家族みんなで「おしながき」に「かすてら」とか書いてある小さい甘味処でアイスクリーム?空想でしょう?とちょっと考えてしまう。昭和30年代でもアイスクリームはかなりハードルの高い話だった。私は浅草や銀座、新宿の名店でしか、ほんとうのソフトアイスクリームが出てきた記憶がない。カップにはいった固いもの、あとは紙の箱に入った高級な3色アイス。


そうしたちょっと検証が必要な怪しいものを見聞きして、目の前の課題に追いかけられ、ノルマ、ノルマ。やがて、健康や寿命が尽きようとするとき、何か方向転換をしようとしても、時すでに遅し、だろう。

1年ほど前、ある健康と身体能力が売り物の方が、ガンになった話が、ある対談集にでていた。そこで、突然、しゅーきょーに入り、そこの宗旨にしたがって、アルコールもコーヒーも紅茶もお茶も絶った。KISEKIを期待したのかもしれないが、そのかいなくほどなくしてTAKAIされた。

これは、多少違ったかたちでも、同じような道筋をたどる人はいるはずだ。野菜の皮のスープが利くと言って、『それで助かった!』とブームになって、しばらくして、『そういえばあの方は?』とみんなが気になった頃、すでにNAKUなっていた。

『自分の背骨になる思想や生き方』は数十年計画でつちかわないといけない、と私はこの歳になって考える。

また、『生活習慣』も、ほんの短い間の油断でも悪くなる。植物など、『水やりが3日抜けたら枯れることも珍しくない』。これは、高齢者の健康なども、老母をみているとよくわかる。1日失敗すると、数日間かけて元へ戻る。私は昨日、足りない部品を急遽とりに、問屋へ行ったのだが、駅から3kmぐらいのところを歩いて、3月中に杖を突いていた影響で、あちこちがバリバリに固くなっているのを感じた。さらに歳をとって、1か月〜2か月〜3か月寝込んだら、元に戻らないこともあり得るな、と痛感した。


身体はまだ、そういうことをきっかけとしてわかるが、こころや精神の方は、みんな気が付きにくいのではないか?眠っているような人生時間をなくすようにしないといけないと思う。

1年の3分の一

どういうものだか、月日が経つのは早い。もうすでに今年も3分の一にならんとしているわけです。

私は、淡々と、出来るペースで仕事をしてゆくだけ。0時ごろに寝て、朝は4時〜5時に起きる。この仕事時間の長さは普通ではないと思う。自転車というのは制作にそのくらいの時間がかかる。これ以上早くは出来ない。

現実の話、私の制作する自転車がフランスのA.SやR.H.に劣るとは私は考えていない。コストの制約を外せば、『こんなものが作れるのか?』というぐらいのことはできる自信がある。現実、へチンズのラグとまったく同じものを作って見せましたしね。A.S.やR.H.に負けないとなれば、60〜70ぐらいの値打ちはある。完全にもう手に入らないとなったら150ぐらい? 『この人からはとれないだろうな』という、いつもボンビーをアピールしている人などの場合、15ぐらいでうけたことがありますが、月にそれを3つやったらうちが破綻する。『一か月、朝の6〜7時から無料奉仕』(爆)。そういう人に限って催促が来る。

英国の御大の車両が、同じ『足まわり』でクルマより高いというのは解せない。車輪数が半分と言うことは部品数が半分。回転系コンポーネンツの部品代は20数万。あの材料はバテットでもなんでもない。同じ肉厚の細いチューブだから実は安い。細いからノーマルのインチサイズのパイプより合金材料は使っていないし、数分の一。フレーム材料はキャリアの材料とさして変わらない。材料の総全長を計ったことはないが、1台分で3万円いかないんじゃないか?溶接代金で100?うちのキャリアは、材料費込み、塗装代金こみで3.5から4.5だからうちは安すぎる。工業ロボットがつくるフレームは数分で出来る。その意味で、外観は同じダイアモンドフレームでも実質はまったく別のものだ。

逆に言うと、『下働きを入れられるほど儲けを載せていないから時間がかかる』。3.5〜4.5で材料費があって、曲げ加工の時間と裁断があって、ロウ付けして、ヤスリがけして、磨いて、塗装して、それでは手間賃数千円だろう?我ながらよくやっていると思う。そのあたりの認識がないひとはけっこういます。

R.H.は瑠ネ、デュボア、リリ、パスカルの4人で月に6+〜8台だったと聞いた。良い線でしょう。それで45〜85.今から数十年前の貨幣価値の話。それでも、すごく儲かっていたわけではない。

溶接代金で100かぁ。おみごと!!!(爆)うちもそういうのを考えないといけないのかもしれない。


うちは御大のように、prohbitively expensive というのをやりたくなかった。それで中台製と価格をそろえたわけですが、これはあらゆる苦悩の元でした。逆に考えると、自転車の地位が今より上がらない限り、こうした手作業の製品に未来はないということです。

灌仏会、花まつり

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やはり、毎年行っている灌仏会に行かないというのは落ち着かないので、午後4時過ぎ、滑り込みでお寺へ。甘茶をかけてお参り。

小さいこどもも何人かみかけました。私はこうした親のすることを見ているというのは大切だと思う。

今年は、長年の懸案だったブッダガヤの『悟りの菩提樹』のまわりの砂粒が数日前届いた。もう37年越しの友人が丹念に拾って、いかにも向うのものらしい小さいパースに入れてバンコックから送ってくれた。郵便事情が悪いので、インドからブータン、ミャンマーと回るうち、バンコックからなら大丈夫そうだと投函してくれた。

彼女、じつはガンの大きい手術を一度している。バンコックへ入ったのは検査のためだというのだが、その結果に関しては知らせがない。

その昔、釈尊がその前世で雪山童子と言われていた時、山で鬼がつぶやくのを聞いた。
『諸行無常 是生滅法』
それはすごい真理だ、あとの残りが聴きたいと鬼に言ったら、お前を喰わせてくれたら残りを教えてやる、と言われた。それでもよい、とうけあって、残りを聴いた。
『生滅滅已 寂滅為楽』
雪山童子はそれを書き留めると、あとは、それでは私を喰ってくれ、と崖から身をなげたのだが、鬼は帝釈天に姿を変え、空中で彼を受け止めると、姿を変えて試した非礼をわびて、彼を助けた。

この前段は、『色は匂へど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ』
後段のほうは『有為の奥山けふ超えて 浅き夢みし酔いもせず』
つまり『いろはにほへと』はこれに対応している。日本の伝統はスゴイなと思うが、今の学校教育を抜けて来ても、いろはにほへと、最後まで言えないんじゃないか(笑)。ましてや、その意味までは知らない人が多いのではないかと思う。

左から3枚目は30数年前、私がアサンソールからブッダガヤへ行く途中で写した果物売りの親子。2000数百年前もあまり変わってなかったのではないかな?とそのとき思った。

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こどもころ観たヨーロッパ映画に、よく軽そうな自転車が登場した。主人公が『ひょい」っと持ち上げて壁や天井にぶら下げたり、向きを変えたり。

それが競技用車両ではない。通常のアップハンドルなのです。しかも変速器などはない。


あの辺の、シンプルきわまりない『旅道具』で充分だな、とこのごろはよく思う。ちょっと怪我をして歩けなかったりしたので、まったく止まっていた、シンプル道具を、クランクなどを入れて、軽く組んでみた。

『ああ!軽いな!』とにやけてしまった。

このところ、安全第一で飛ばさなくなった。フロントのダブルギアはまずアウターに入れることはしない。それもロー寄りの3枚を使うことがほとんど。ならば、シングルで充分だよな、と迷わずそうした。

車輪を抜くのに15秒。ペダルを抜くのに15秒。ハンドルは今はダミーが入っています。ほんとうはこれも15秒でとれる。そうすると、タクシーを止め、1分で後席に積める。ロードだと変速器はあるし、ハンドルは幅が広いので邪魔だし、お手元変速のケーブルワイヤーが邪魔で、クラウン型のタクシーにはうまく積めない。

車輪だけ宿へ箱に入れて送れば、自分はハンドルとフレームの3.5kgぐらいで電車で行ける。現地に着けば、レンタサイクルの、身体にあわないサドルとも、形状の悪いハンドルとも、曲がったペダルやクランクの不愉快さとも縁がない。

シンプルで、音のないもので滑るように行く。

生きている実感

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ブログの最初のほうに書きましたが、私はこどものころから10代のころ、『生きている実感なく、レールの上をひたすら走る人生』が人生の無駄に思えていました。

『いい中学へ行けば、いいことあるよ』『いい高校行けばいいことあるよ』『いい大学へ行けばいいことあるよ』『いい会社はいればいいことあるよ』『必死に働いて昇進すればいいことあるよ』。脇で見ていて、どうもそれは怪しいな、と思った。

実際、それでオヤジも深まって来ると、まわりのひとは、多くの場合、その原理がうまく働いていないのを感じる。とくに、その目標が遠くに掲げられている場合、その達成前に健康が尽きたり、寿命が尽きたりすると、それまでは、ただ単に我慢して、歯を食いしばって終わりという無念ばかりが残っている。

周囲の状況も変わるので、『自分という舟が波に翻弄される』。

1980年代後半、鉄鋼関係の仕事を手伝ったことがありますが、その当時の私の上の人たちは、その業界に入った時はたいへんなエリートたちだったはず。それが鉄鋼がダメになり、アメリカからロケットを買ってテーマパークをやったり、洋酒の輸入をしたり、ありとあらゆることをやって(そして、失敗して)いた。

これは、いまの50代半ばから70代半ばの人の自動車関係者にも同じことが言えると思う。いわば、最後の自動車花形産業時代の生き残りなわけです。権太もZのオーナーズクラブにアメリカで入っていたはずで、彼もその世代。昨日、モーターサイクルを買っている平均年齢が54歳だというのを聞いた。

そうだろうな、と思います。昨年はバイク雑誌が3誌ばかり消えた。つまり、その世代が(40代後半から上)いなくなったところで、日本のバイク界は終了の可能性が高い。

自動車もそうではないかな?55歳から下の世代は超車が少年マンガ雑誌などでスゲーともてはやされた世代。それがそのまま持ち上がってきている。その時代のマインドセットから抜けられない。

これは54歳平均年齢のバイク乗りも同じで、彼らが体力的に乗れなくなった時に、バイク人口は一気に激減するだろうと思う(今でも十分少ないが)。

これは自転車もそうで、『小旅行車』というフランス式をやって生きた人のほとんどが55歳から上、多くは60〜78歳ぐらいだと思う。もう『最終身辺整理』に入っている(爆)。ネットオークションで、ハンドルネームから『ああ、これはあの人だろうな』という人が、コアなネタを売りに出している。それは、その人のまわりに、渡すべき若い世代の愛好家がいない、ということをあらわしているのだろうな、と思います。

昨日、電話で話していた仲間に『いま、乗り物趣味はすべて流行っていない』というようなことを言った。多くは『必要悪耐久消費財』で、最新型の冷蔵庫がコレクションや趣味の対象にならないのと同様、持ったところで、何の感動も感じられない。

テレビは私はほぼまったく見ないが、あれは不思議なもので、昔と違って、放送時間の4割はCMなのではないか?つまりまったく時間の無駄。そのCMの中で、1)替え歌を使っていたらノーカウント、2)『うまい』と言ったらノーカウント、3)絶叫したらノーカウント、とやってゆくと、ほぼすべてが消える(笑)。

ラジオ、テレビで『売りたい奴の絶叫』と『製作者が美人女優や歌手と知り合いになりたい』というコンセプトの制作が目立つ。


そして運動?ジョギングやジムのランニングマシーンと人生時間の有効活用をどう折り合いをつけるのか?私は知らない。


私の知る、『学年一番コース』の友人が、アメリカの研究所に入ったり、人もうらやむ美女と結婚し、社内の足の引っ張り合いの出世競争でストレスまみれ、仕事も地味なところへ移されて、奥さんとはうまくいっていない。退職して、すぐ脳溢血で運動機能がそがれた。彼は運動をしていなかったわけではない。そして、両親の家、兄弟の家、自分の家、を大量に相続して、処分して、たいへんな富が集まったわけなのだが、それを愉しむ健康と時間と、人間関係がない。独り、庭で家庭菜園をやっているのが、最高の気晴らしだという。

『生きている実感探し』というのは、じつはネットサーフィンしても、カツンとぶつかるものはほとんどない。芸術関係をやっているひとは、本来、そこが充実していないと、他人を感動させるどころではないので、うまく行っている人が多い。なかには『KUSU-り』でそれの埋め合わせをしようとして、若死にした100億のがいこつの「罵す期あ」のような人物もいる。それは参考にも、『人生をうまく進ませる燃料にもならない』だろうと私は思う。


大金持ちと云うのは、多くの場合、意外と孤独で虚無的なところがある。それは、持ってみると、その虚しさに気が付くからだろう。

桜も見ておかないと、と昨日、桜がたくさんあるエリアへ散歩に行った。3か月前にオープンした喫茶店にはじめて入って見た。内装も外からみたほど悪くないし、むしろよかった。表のテラスで桜を観つつ、モーニングセットを頼んだ。茹で卵は半熟で、うまいぐあいにあがっていた。サラダはそのつど刻んでいるようで、作り置きの水の臭いがしなかった。珈琲はサイフォン。450円というのは頑張っていると思った。

そういうのは、その人の夢がみえるところがよい。やってゆくのはジョギングよりもよっぽど苦しいかもしれないが、それは、どこかで生きている実感と結びついているのが伝わって来る。たぶん、そういう場所が多いほど、そのエリアは『生きている時間が深く味わえるエリア』なのだろうと私は考える。ふと、そのモーニングセットを食べていて、巨大医療センターの中にある喫茶店での食事を思い出した。自然が近くにあるということは、それだけで大きな救いなのだとしみじみとした。

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