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3月はひどかった

3月はひどかった。怪我は治らず,歩けず。まわりでNAKUなった人も多く。後半19日にはお世話になった社長が帰天された。


会うは別れの始まりとは言いますが、日本の場合、その舞台すらも消えてしまう。数日前、ちょうど『美の大物たち』の話を書いていましたが、あの番組は、もともと社長の趣味でスポンサーとなり始められた。のちに、スポンサーは霊獣ビールになったが、社長はかつて、ウィスキーのTV・CMに出ていたほど決まっていた。そのウィスキーの輸入元が霊獣ビールだったかもしれない、とふと思う。

会社を辞めることが決まった時、何を思ったのか、『R&F君、ちょっと。美術館へ行ってみよう』と、蓼科のローランサン美術館へ一緒に行った。『もっと軟弱な画家かと思っていたけれど、悪くないね。いいな、欲しいな、と思うのがいくつもあった』と言っていた。そのローランサン美術館もいまはない。

ミラノに居た時、レストランの中でパスポートをスリの名人にすられ、たいそう困ったことがあった。レストランの中で知らない男に時間を訊かれ、時計を見て時間を教えた。そのあと、その男は『ありがとう』と言って、私の肩を叩いて歩き去ったのだが、しばらくして『しかし、どうしてイタリア人の彼が、わざわざ一目見て東洋人とわかる私に時間を英語で訊ねたのかな?もしや!』と思って内ポケットをみると、財布とパスポートをすられていた。まさに手品である。

いまは、どうかわからないが、その当時はパスポートの再発行には、親か兄弟、会社の同僚などによる本人確認が必要だった。また、すべての手続きは通常の郵便で行われるため、往復に2〜3週間ほど、向うのがわの手続き期間に数日、つまり1か月弱かかるというわけ。家族を呼び寄せて、さらに再発行されたものが手元に届くまでひと月滞在となれば、80万円ぐらいはすぐ行ってしまう。


『もっと早く発行してもらう方法はないのか?』
と領事館でごねた。
『そこに当地にある日本企業の住所リストがありますから、そこへ電話をしてお願いしてもらうよりほかありません。』
と言われた。仕方がないので、辞めた会社の支店があるかどうか調べてみたら、あった。電話をして見ると、
『いや、そのお話だけでは、ほんとうにR&Fさんが最近まで私共の会社の社員であったかどうか、何も証拠になることがございませんので、ご容赦いただきたい。イタリアでは、ほぼ毎日のようにパスポートを盗まれる日本の方がたくさんおられますので。』

しばらく考えて、
『ああ、証拠になるものを思いつきました。今からお教えする電話番号へ電話をして見てください。あるいは本社のほうへ、その電話番号が本物かどうか、ご確認ください。社長への直通のホットラインです。日本でもその電話番号を知っている人は、社内でも5人ほどだと思います。』

数分後、折り返し電話がかかってきて、
『大変失礼いたしました。電話番号はたしかに本物でございました。今すぐ、御迎えに伺います。30分ほどで参ります。』

助かった。その電話を社長自らがとったのか、本社に問い合わせたのか知らないが、ばつが悪いのでとりわけ、こちらからご挨拶をしないでいたら、偶然、銀座の路上でバッタリ社長と出くわした。

『社長、じつはミラノでかくかくしかじか、、。大変失礼いたしました。』
『それでうまくいったなら、よかったじゃない。ボクの方は何をしたわけでもないし。』
苦笑いをした表情から、これは社長自ら電話に出たな、と思った(笑)。日本語的にどうなのかわからないが、社長が私の机の電話に電話をしてくる時は、『社長ですけど』といつも言っておられた(笑)。


思えば、私は会社の面接と試験の時はヒゲを剃っていて、出社初日の時にはヒゲを生やしていた(爆)。部長たちも、入社試験と面接の時の人とは別人が来たと大騒ぎになった。


部長や課長たちが『R&F君が、ヒゲを生やして出社してきたんですけど。剃らせますか?』と社長に訊いたというのだが、社長の一言『似合ってるのか?なら、いいんじゃない。』で無罪放免になった(笑)。

あとで部長が『R&F君、君は運がいい。社長は若い頃、仕事の修行ということで、ロンドンの銀行に就職させられたんだが、当時はビートルズが大流行していて、いなくなってしまったんだ。日本からお目付け役が探しに行ったんだが、発見した時には、長髪で奇抜なチョッキを着ていたそうだよ。だから、君のヒゲにも寛大だったんだ。社長によくお礼を行っておいたほうが良い』と言われた。

社長には戦国大名のような、部下の忠誠心を引き出す不思議な魅力があった。

小さい子会社から、やがて本丸の方へ移り、社長はそのちからを思う存分発揮したと思う。いまや端末の機器では『観音プリンター』と勢力を2分するまでになった。


学生時代は陸上の選手で、高い身体能力で、その後も常に健康には気を使っていた社長だったが、驚くほどあっけなく肺炎にやられてしまった。

社長の英文の手紙をタイプアップして、英文をチェックしてサインをもらいに行った。くせのある字でタイピストは読めなかった。もう40年ぐらいも前の話だ。ミドルネーム(洗礼名)があったので、ごめーふくなどとは言うまい。RIPこそがふさわしい。

ああいうタイプのリーダーは今後この国では出てこないような気がする。

なんだかがっかりした

じつは、ひそかに今朝は水をかぶり、精進潔斎して一区切りを迎えようとしていた(笑)。

新元号を見て、なんだか脱力した。ネット上ではいろいろやりとりされているようだが、漢和辞典、及び、『金文』からの字の本来の意味を調べてみてもらいたい。

『令』というのは、人間が頭をたれて、神の声、神意や王の命令に耳を傾けている象形文字から出ている。

第一義の意味は『命ずる』『いいつける』『いましめ』『おしえ』『君主の命令』『法令などを発布する』という意味。そこから派生して『神の声を聞くと清々しい』ことから『玲』とか『怜』の字が派生している。そのカテゴリーに『令厳』(他人の厳しい父親に対する尊称)とか『令嬢』『令息』『令尊』『令婿』などという語が出てくるが、これは2義的な意味だ。

第一義の意味で出てくる語は、『軍令』『勅令』『威令』『禁令』『教令』『政令』『律令』『号令』『訓令』『詔令』『発令』など。

令には使役の意味があるので、目的語をとると、令民和と言えば、民に和するように命令する、という意味になる。

万葉集の『令月』というのは陰暦2月の月を示す名詞です。そこから令だけを取り出してもあまり意味がない。

私は最初に聞いた時、『れいわ』というのが、しゅーきょー団体の『れいは』とダブって聞こえた。れいわとれいは。彼らもキョーソの生まれた年を「RAYはがんねん」と呼んでいたのではなかったか?


天正とか文政などと言う響きからすると、寂しい感じの音だと思うのは私だけか?

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私が現代の大多数の人と違ったライフスタイルなのは今始まったことではありませんが、このところ、ますますコンビニを使わなくなっている。

まず、食べるものをコンビニで買わない。『じゃあ、自転車で恩方の先まで走って、川原で食事!』などと言った時、参加したロードレーサーの連中が手ぶらで来て、昼時にコンビニに寄って、白いビニール袋の中にペットボトルと食べ物を入れてくるのが信じられない。

川原でみんなで、旅先の食事をするということには特別の意味があるはずだ。

戦国時代には、米が貴重だったので、『めんつう』(面桶)という能面型の弁当箱に、各自炊いた米を入れ、館の主人が料理を準備して、持ち寄った御飯で、みんなで共通の料理を食べるのが当時のスタイルだった。

この背景には、米が命をつなぐものだから、それを自分で確保するのは当然の務め、そこから先の料理は、贅沢に主君がふるまおう、という思想があったと思う。

私のまわりは、長年『不健康な生活を締め切りに追われている編集達』がたくさんいたので、彼らの末路をたくさんみた。コンビニで買った『油で揚げたもの』と『カップ麺』を長年食べ、夜はつきあい酒。『そろそろ、出版の仕事から足を洗うか、、』という頃には内臓ボロボロで病院行きという人が、私のまわりだけで10人を超える。

これはネットで調べれば出て来ることですが、小麦粉は麺類でもパンでもパスタでもいたるところで使われていますが、その9割は輸入です。小麦は食糧戦略物資なので、大量に輸入され、しばらく貯蔵される。そこへガ〜〜〜〜ッツと防カビ剤、防虫剤などをかけていると言われている。そのあとに小麦粉にするわけですが、どうやっても、すべてはとりきれず、小麦粉と一緒に体内に入るだろう。

だから、私はパンは国産小麦のものしか食べていない。パスタはイタリアのオーガニックのもの、蕎麦も『国内産小麦粉』のものしか食べていない。最近は輸入品を国内で加工したということで『国内製造』というひっかけ問題も存在する。ひねくれたR&Fは『それは国際製造小麦粉だろう?日本語は正しく使え!』と思う(笑)。

そうすると、コンビニで弁当は買わない、揚げ物は買わない、袋菓子は買わない、用があるのはキャッシュポイントと『かんたん決済』とガリガリ君を買うぐらいである。

これから先は、自分で水筒を持ち歩くし、飲み物の用もない。

お寺に散歩に行き、屋台で元祖金太郎飴を袋で買う。キャンディーのたぐいもコンビニで買う必要がない。喫茶店は行きつけが決まっていて、無農薬の珈琲しか飲まない。

朝は4時起き、4時半起きなので、自分で握り飯を作ってお茶を淹れるか、蕎麦を食べるか。無農薬米に添加物なしの梅干しに有機の黒ゴマとか、薬品処理なしの海苔。朝宮の無農薬茶。

こうした生活を続けていると、外で食べる握り飯やペットボトルの日本茶には、食べた瞬間に違和感がある。『ん?米に何か足してる?』という感じ。

たぶん、私の母が90歳をはるかに過ぎて、内臓にどこにも悪いところがなく、私もこの歳まで一切、入院もせず、薬も飲んでいないのは、そうした蓄積ではないか?と考えている。遺伝子的にほぼ同じ近い親類で、内臓や血管系をかなり悪くしたのは何人もいる。分かれ道は食習慣などしか考えられない。

生活習慣というのは、ほんとうに重要だと思う。

お金の元

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これは『みつまた』です。おさつの紙の材料になる。よーく見ると、すべての枝が必ず3本に分かれているのがわかります。沈丁花の仲間なので、花の形もなんとなく沈丁花に似ています。

これを札束にかえるには、たいへんな労力が必要です(笑)。

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正直なところ、私はあまりサクラが好きではありません。いつも梅のほうが好ましいと思ってきた。夜の梅の香りのよいこと、咲いている上品な様子はサクラはかなわないと思う。


サクラの季節、ほかにも好きな花はたくさん咲いている。沈丁花、ぼけ、菜の花、水仙、みつまた、ホトケノザなどなど。


サクラもみんなが騒がない、しだれ桜などで美しいと思うのがある。

いつも通る道のわきに、実に良いしだれ桜が咲いている。じつはこのわきに手をあごにあてた、古い石仏がありました。このしだれ桜とよく合っていて、たぶん、昔の人はセットに考えていたのでしょう。

やがて、そこの前がコンビニになって、邪魔だと思ったのか、どこかへ移されてしまった。今は、そのコンビニも別の店になり消滅して、このしだれ桜だけが残っている。根元には鉄の錆びた角柱があり、やがては、この木の良さも評価しない人によって、斬られ、何かビルでも建つのかな?と思う。半跏思惟の石仏の後を追うように、この樹もやがてはなくなるのかな?と春にこの前を通るたびに思う。

この樹の前に石仏があったことを覚えている人も、もう、あまりいないのかもしれない。日本から風情と風景が消えて行くのは、だいたいこうした道筋をたどるようだ。


左端はボケの花。そろっていない、このファジーな感じが私は好き。


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