全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1194ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

ひとつのことがらを見るのに、さまざまな『深さ』で見ることができるわけですが、日本の戦国時代の多くの武将が信じていた佛尊に摩利支天があります。

信じていた武将たちは徳川家康(静岡に社まで建てている)などもその一人。彼は或る時は光明山で、ある時は信長の前で、ある時は伊賀越えで、命を摩利支天によって助けられたと感じていた。ほかにも加賀の前田利家はお城の鬼門に摩利支天を祀って、明治時代まで加賀前田は無事だった。そのほか毛利家や香取神道流の宗祖、飯篠長威斎など、この佛尊を信じていた武人は多い。

ネットを検索してみると、『この佛を信じる者は姿が見えなくなると言われ、忍者がよくこれを信じて、、』などと、軽薄きわまりない俗説が流布されている。ネットでこれを読んで信じた人は、そこでおしまい。

これは、じつは古いインドの古代哲学と結びついていて、『見られるものと、見るものの関係』の哲学と深く結びついている。

簡単に言うと、たとえば、私が錆びだらけの日本の実用車(自転車)に乗って、パンクも直せない、自転車のことをまるで知らないオヤジのフリをすることも可能なわけです。あるいは『英国ではこういう紅茶を飲むんですね。なにしろ私は英語が全然できませんでね。二ホンから出たことが無いもので。』とやることも可能なわけです。『本質を見せようとしなければ、人間はいくらでも本音を隠せる。』

また、雑誌『ニュートン』などで、2重スリットによる電子の実験とか、光の特性などの号を読めば書いてありますが、最新の物理科学の世界では、観察者によって、電子や光子の動きが変わることが知られています。つまり、世界は観察する者がいるか?いないか?で現象が変わるというのが最新の科学。

『量子もつれ』などということの理論の先に、いわば、離れたところにものが伝わることがなぜかわからずにも存在することが知られていて、量子テレポーテーションとして、海中の潜水艦同士の通信として、現在開発がすすめられている。まだ100〜300mの間でしか交信できませんが。

この現象世界と観察者の関係、宇宙はもともと一点からビッグバンによって広がって来たことから、宇宙のすべての物はもともと、どこかでつながって、関係しているというオランダのライデン大学らの研究もある。

意外とそうした仏教の思想と云うのは、現代科学と矛盾しない。

その人のこころの奥底の本音というのは、見せようと思うか思わないか、でその人しだい。また、摩利支天を信じる者は、決して欺かれない、ともお経に書いてある。これも、どういうことかと考えると、じつに深い話なのです。

さて、自分のほんとうに考えていることが悟られず、また自分は敵の攪乱しようとする言説にまどわされず、常に相手の本音がみえたら無敵だろう、と日本の戦国武将たちは考えたわけです。

これは現代の世界政治の場でも、今の日本人は考えないといけない。

私がかつて、高校時代の漢文の先生が美人で、しゃにむに漢文を勉強したことは前に書きましたが、じつは私はもうひとつのほうのお隣さんの言葉も、今後必要になるかもしれない、と会社員時代に勉強したことがある。その当時、お隣さんSつまりK國のセーフ関係のところが精密機械を買っていたので。その関係もあって、年に1〜2回、訪れることがありました。

その当時、彼の地で私がよく聞いた話は、『世界中が、A國もC國もヨーロッパもNとSがくっつくことを望んでいない。それは世界のバランスが崩れるからで、Nには、世界でも南アフリカとNでしかとれないジェットエンジンを作るのに不可欠のREア金属がある。Sには西側の技術がけっこう入っている。それが結びついて、新たな勢力ができるのを世界は嫌がるのだ』、ということを話す人にけっこう会った。

だから、Nが『飛ぶ美沙子ちゃん射る』をこそこそやっているのをSは本気ではとめないだろう。2つが一緒になったら、それは強烈なカードになるわけだから。また、そういうところに特化したかたちで出た技術や、REア金属は、また別の交渉カードになるだろう。

いうまでもなく、C國はアフリカでのREア資源を押さえるのに相当,攻勢にでている。A國のトランペットさんもその危険は重々承知だろう。SとNは、どうでしょうね、最終的にA國が弱まると踏んで、日本も一緒に地盤沈下すると読み、C國の経済圏で上昇することを計画しているのではないか?

それをさせじと、トランペットさんはC國に『兵糧攻め』のカードを切って、さらにHONGコングのほうを後押しする。これは1960年代の『れー戦』以上の、10年後30年後を読んだすごい綱引きが行われていると読むべきで、日本のほーどーの読みは『中学校の、みんな仲良くしましょう的』な甘いものだと私は思いますがね。

そもそも『全体SYUGI-國、計画けーZAI國』が自由貿易を主張って、それはなに?おかしいと思わないのか?トランペットさんは問題が多い人だが、私は彼の問題よりもスコッチテリアみたいなヒゲの『ぼる豚』さんが問題アリだと思っている。

まあ、例によって検索避雷針のついた文章ですので、よろしくご判読あれ。

少々疲れた

職人さんもこの1週間、2人ばかり具合を悪くして、工場へ家族が雑務で入るくらいになっている。私のほうもちょっと過労がたまった。まぁ、ブログの様子からわかるとおり、休みゼロですから。この件に関するゲストブックへの書き込みに答えるのも鬱陶しいので、ご遠慮ください。

ブログの引っ越しもしないといけないのだが、それをやる余裕もない。

このところ、3人、相次いで、肺の具合が悪くなって入院したり、点滴するはめになったり。私が倒れるわけにゆかないので、数日間仕事をスローダウンする予定。

職人さんが、『我々のこの苦労はどこかでむくわれるんですかねぇ。』と言っていた。私もそう思います。

『自転車のオーダーとかいうのは、物と金のやりとりでは昔はなかったんだが。』とも言われた。それも私はよくわかる。

戦国時代、『城ひとつか?刀一振りか?』と言われた。刀は一人では作れず、素人にも手作りできない。これはヨーロッパでも同じ。昔、ヨーロッパでは自転車と、あとは、意外なことに靴がそういうものだった。

靴は家庭で手作りできない。だからオランダなどの貧しい農民は自分でつくれる木靴をはいていた。

自動車もそういうものだったので、それはヨーロッパの高級車には、そうした『物の価値観』が残った。

自転車も1960年代までは、フランスでは最後までそうした感覚が残っていた。自転車の部品製造業のプートレ・モ―ランの社長とか、ハブやフリー、回転系部品のマイヨールの社長とか、変速器のメーカーのユーレの一族とか、毎年、65〜100万円のハンドビルトの自転車を一台づつ買っていたりした。それは、メーカー車がプレタポルテで、ハンドビルトがオートクチュールであり、オートクチュールがあって、はじめてプレタポルテの質が世界に冠たるものに出来るという思想が背景に見える。それは『一種のお布施』だったのです。クルマの世界でも、それが出来ない時代、世界大恐慌の時などに勉トレィは買収された。戦後においても、そういう景気の波のさなか、あの大エンツオですら、フォードに身売りを一時考えるほどに弱気になっていたわけですから。

彼は最後の最後に、思い直し『キミという人間と知り合えてじつによかった。それではさらばだ』と言ったと伝えられている。そのアメリカ人の交渉者は、それで『ああ、これで決裂なのだ』と悟ったという。アメリカの本社では『それなら、あいつのケツを蹴っ飛ばしてやろう』と社長が言って、GT40ができたというのをどこかで読んだ。(ブロックイェイツの本だったか?)

自転車世界でも似たような文化・気概があったからこそ、パリの1流デパートに、自転車部品のフロアがあったりしたわけです。

それが80年代にボロボロにやられ、90年代から、『輸入マージン商売』と化した。フランスの自転車産業は80年代に大不況を迎え、多くの会社が息絶えた。

いまから8年ほど前、英国の、ラグをカットする職人にまだやってもらえるか訊いた。
『ラグがあれば』という答え。
湘南の某氏がチェイタ・リーのラグを持っていたな、と電話をしたら、『どこに入れたかわからない』ということでした。ついに出てこず。某氏もぼちぼち70歳だから、もう無理でしょうね。ラグカッターからは引退したという知らせが来た。

他の人がチェイタ・リーのラグを見ても『実用車のぶった切りの直線カットラグかな?』で使い道はない。それを使える、ラグカッターがいないわけですから、電球がもはや入手できないスターメィのダイノハブと一緒にやがては鉄のスクラップだろう。一つの文化が消えて行くというのは、そういう道筋なのだろうと思う。

私も週末は、ブログの移転先を考えるつもりです。さて、タイトルはどうしますかね?とうぶんは同じでゆくとして、ここ1年ぐらい、自転車の記事より、ほかの記事のほうがアクセス数もいいねの数も多かった。私の中では『もう自転車のメカの話は充分だ』という気がしている。

タイトルは私の偽らざる感想。いかに便利になろうとも、いかに物があふれかえり、権利やらなにやらが増大したと言おうと、その一方でものを持たない『自称、非即物的な人』が増えても、

『不幸度は確実に激増した』感じがする。

見ていると喰えない人がものすごく増えた。みたところ、けっこう裕福で時間的余裕がある人は公務員ぐらいだ。町工場主、食堂、問屋、職人、芸術関係者、技術者、すべて昔より貧しくなっている。

年に一回、英国にひと月ほどもバイクでツーリングに出かける公務員の人とか、ギターに入れ込んでいるひととかたくさん見ましたが、みなさん、しょせんは『アマチュアの遊び』なわけで、バイクを製造できるわけでもないし、それでムーヴメントを起こして市場を活性化することができるわけでもない。文化の担い手にはなれないという印象です。自分が遊んで、楽しんで終了。

いま、西洋美術館やブリジストン美術館にある西洋絵画、それと日本にあるジョルジオ・ルオーの絵は世界一の質と量ですが、両美術館のけっこうな数の絵が松方コレクションでした。ルオーの絵はやはり松方さんと福島夫妻が持って帰って来た。

松方さんは、『外遊できない若い芸術家が気の毒だ。ならば、みんな自分が一切合切買い上げて、日本へ持って帰る』という豪放磊落な作戦に出た。

彼は造船で財を成し、潜水艦の図面が欲しくて、美術愛好家のふりをして、ヨーロッパをウロウロしていたという説もあるが、彼が自分の美術館の名前に『ともにたのしむ』ということで『共楽美術館』というのを考えていたことを思うと、そうとも言えない気がする。ほんとうに好きだったのだろう。

画廊へ行くと、画商が絵を並べて待っている。そうすると、松方さんはステッキで『ここからここまで』と言って買ったという。そういう中にゴッホもセザンヌもルノアールもあったのだから舌を巻くよりほかはない。なかには、ずいぶん、ラファエル・コランのおともだちみたいな、つまらないサロン絵画の外光派のものが多くはいっているが、これは黒田清輝が、そういう『疑似印象派』をやっていて、帝室の美術関係の親玉にまでなっていたことを考えるとしかたがないだろう。

バロン薩摩もパリの貧乏芸術家に億単位で、経済の血液であるキャッシュを都合し、銀のボディのクライスラーでパリを闊歩して、最後はきれいに使い切って、浅草でカツ丼もって踊り子の部屋を訪ねるくらいになっていた。私は良い話だと思いますね。

いまの『激リッチ』(爆)『ギガ金持ち』(戯画?笑)の金の使いかたをみると、それに比べるとはるかにつまらない。

仕事屋スティーヴは、部下を罵倒しながら巨富をつくり、キズが付くとポーシュを買い替えていた。キズが付いた方を私にくれと娘に言われて、『オマエにはなにもやらない』と答えたそうだが(アメリカの番組で見た)、これは現代世界の縮図の感じがする。

持てる者はものすごく持ち、ノーブルサブレッジ(上流が果たすべき役割)を果たさない。バロン薩摩は『特注の銀のボディのクライスラーの男』で記憶されたわけだが、現代では、ブガッティ・シロンのオーナーは平均で42台のスーパーカーを所有しているという。これはまったく、違うカテゴリーの物になっている。

ファッション・デザイナーのイヴ・サンローランは『オリジナルの後輪駆動のビートル』一筋だった。彼は仮縫いで100回とも言われるほど果てしなく修正を加えて、『嫌味のある部分をみつけて、そこを消してゆく作業をする完全主義者』だったわけだが、恐るべき眼の持ち主だった。その彼からすると、実用的で、壊れず、どこと言って修正したくなる箇所のないビートルは意味があったのだろう。

それに触発されて、スーパーモデル何人かは(クラウディア・シーファーなど)、ビートルのモデストなスポーツタイプ、カルマンギアに乗っていたはず。私はそれがヨーロッパの趣味の良い人のボンサンスというものだと思いますね。

『平均42台』というのは、油小僧が馬を見せびらかすように、『うちの厩舎には42頭名馬がいて、、』みたいな態度を連想する。だからドバイでは捨ててある超車がたくさんあるのだろう。砂漠で息絶えた名馬に治療は不要というスタンスなのだと推察する。

今も作っているのかどうかしらないが、オランダの『スパイカ』(SPYKER)というクルマは、室内の装飾は、すべてVOGUEに載っているジュウェリーやベルトのバックルのようだった。すべては変わった。

TVをつけると、携帯のCMとクルマのCMばかりやっている。その一方で、その大メーカーのクルマの生産に欠かせない金型を製作している職人は、錆びだらけのスーパーの買い物自転車で、雨の日も合羽を着て、炎天下もクーラー無しの自転車通勤をしている。

そして、キャッシュレス時代?そのキャッシュカードの色で、収入が2秒でわかる。今の人権屋さんの考えから言うと、『それって差別を誘発し、ナンバー付きで人間を等級づけすること』にならないのか?(笑)嫌な時代になったものだ。

昔のように、自分の家で畳の上で、家族や友人に見守られて、、、ということは難しい。四角いセメントの白い部屋のなかで、時としては巨大な機械と密室の中で、はるかかなたにうごめく見も知らぬ医師やスタッフの中で意識が遠のくのか?

『100年の孤独』という言葉こそ、現代にふさわしい。

私の個人的な経歴をご存じな方は、思い出してごらんになるとわかると思いますが。

『R&Fは沈没する船のネズミのように危険を察知する』(笑)。

会社員時代、急激な円高の気配があって、『これは機械の輸出が難しくなるな』と思い、ボルチモアの展示会で、『自動車に積むGPS装置』を見つけて、『これを今度うちでやろう!』と騒いだ。1980年代なかばのことです。その当時、海上ではセレスティアル・ナヴイゲ―ションが、ローランシステムにやられはじめていた頃で、次世代はGPSだと読んだ。長距離トラックやバスに取り付けるものでした。

会社で上司にはずいぶんバカにされました。『広いアメリカだから、GPSの装置が必要なんだ。この狭い日本で、そんなシステムを買うモノ好きがいるものか!謝罪して契約はなかったことにしてもらってこい!』と満場一致で一蹴された。

当時、自動車メーカーのHがジャイロスコープを使ったナビを試作し、仮想の固定点を定め、地図を巻き取るシステムをやっていたが、精度が出なくて苦戦していた。

その日本での独占使用権をゲットしてきたのだから、私は凱旋パレードものだと思っていたのですが(笑)、『狭い日本で、、、』。

私はその後しばらくいて、チェルノブイリの事故の汚染測定の機械の仕事を終えてからフリーになった。私が辞めてしばらくしてから、その会社は吸収されて消滅した。輸出は、最後は10分の1まで落ちたという。

いままで、づ〜〜っとそんな具合でした。放電機械のメーカーはバブルの時の土地投資の失敗で潰れた。鉄のところもウナギをやったり、ワインの輸入をやったり、宇宙船を買ってテーマパークをやったりして、ことごとく失敗した。

私は、だいたい、なんだかおかしなことをやっているな、これはアブナイな。と思うとそこから離れる。

雑誌もそうですよね?N/Cは私が書いていた時、じつは瞬間風速で最大発行部数を記録している。私が抜けてあと凋落し、なくなった。これはバイク雑誌もそうで、1誌残っているが、厚さは3分の1以下になっている。別冊のムックも売れたから、あのころは年間6〜8冊出していた。『ジテンシャ奈琵』もそうで、創刊号をよく見ると、あれには『別冊』と書いてあります。あまりに売れたので独立の雑誌にした。しかし、私が抜けてからはふるわなくなった。

細かく、もっと例を挙げられないのが残念だ(笑)。

私は、正直なところ、自転車趣味の世界は大転換期に来ていると思いますね。団塊の世代のコアなマニアがすでに終活にはいっている。その上の職人たちは、年齢的な限界に来ている。その世代がごっそりいなくなり、『いま作っているものしかチョイスがなくなった時点』で、趣味世界がそうとう痩せると思う。

50歳以上のマニアは、ネットオークション上にある古部品を入手して、細々と続けるだろうが、若い世代との感性のギャップは埋められない。若い人口も増えづらくなるだろう。

街を走っていて、凝ったおしゃれな自転車を見なくなった。それは、徐々に実用品、ジェレミー・クラークソン的に表現すると、『感動のないキッチン家電と同様の乗り物』になってきている。

そうした感動のない自動車でも、全世界でたいへんな数が売れたりする。自転車もそういうメガ大量生産品はなくならずに生き延びるだろう。

しかし、趣味性の強い自転車は消えてゆくだろうと思う。また、日本での道路事情、都市づくりの事情、貧弱な街路樹の激熱な道路、都市部の砂漠気候化、ゲリラ豪雨、花粉症、大気汚染、も、これから大都市では状況悪化するのではないか?

そして、普通のショップがどんどん消えていて、他店で買った自転車はパンクも何も一切やらないところが増えている。気に入った物を買っても、自分でメンテ出来ず、店でもやってもらえず、一つのパンクや故障から、ほこりをかぶり、乗られなくなる。そういう女性を何人か知っている。その趣味をやめてしまうのです。

この暑さで、うちの仕事をやってもらっている職人さん2人が具合が悪くなった。年齢的なこともある。たぶん、よそも同じだろうと思います。

趣味世界が蒸発するのは、じつに早い。フィルム・カメラがどうなったか?モーターサイクルの人口激減はどのくらいの期間ですすんだのか?オーディオマニアがどのくらいの期間で激減して、レコードやCDの店が消え、数万円のヘッドフォーンばかりになったのか?

これから1〜2年の間に、趣味の自転車は似たような道をたどるだろうと思いますね。

天気、転機?

今年はお盆休みも夏休みも無し。

ただ、粛々と仕事を済ませ、片付けている。このあいだ問屋の倉庫へ部品探しに行って、ものすごく暑い屋根裏に近いところをいろいろ見たが、現実、もう、使えるものの発見はなかった。あとは、MTBの型遅れの部品とかばかり。

もう、ぼちぼち、すべてが難しくなると思います。職人の年齢から言っても、部品の存在数から言っても。『部品を加工する手立てと発想』があるところは、いましばらく生き延びるかもしれない。しかし、通常の趣味ショップは存続が難しくなるという気がする。現実1905年頃からやっている問屋が本社ビルをホテルにするというくらいです。

ある問屋の社長と話していたとき、『自転車の寿命』の話が出た。まあ、使っているスチールにも、肉厚にもよるだろうけれども、問屋の社長曰く『昔はフレームの寿命は5万キロと言われていた』という話が出た。

『針金をくちゃくちゃ左右に曲げていると、だんだん柔らかくなって、ポロッと折れるでしょ。あれと同じだよ。』との説。よく乗る人だと5年以内。競技用のものすごく薄いチューブを使っている場合、半年というのが通り相場だった。これは乗り方にもよる。カイセイのチューブはイタリアの物の3倍の疲労強度だといわれている。調査のグラフから読み取れる。3倍だとすると、うちの28号の1号車は15万キロ超えだからそろそろ危うい。

そう考えた時、作る気力も体力もなくなった頃に、いったい、どういう部品とフレームを持っていないといけないのか?という話です。

地獄の暑さが、ここ数日続きましたが、『これ幸い』と、懸案の頼まれレストアの手塗りタッチアップを仕事の合間にした。ついでに28号の1号車のフレームもタッチアップして研ぐだけにした。

職人さんのところへ電話を入れたが出ない。この天気だし、大丈夫かな?とちょっと心配になる。今日はずいぶん、樹々の葉が焼けて落ちていた。陽向で50度ぐらいになるらしいから、お湯をかけられたのも同じでしょう。うちの植木もずいぶん葉がやられた。稲も今年は育つのが遅れているらしい。

鉢植えの植物は、このぐらいになると、1日の判断ミスで枯らせてしまう。

それは自分の健康でも同じだろう。私の場合、老母の健康状態の問題もあり、水が足りなかったりしたら、一瞬の気のゆるみで、脱水症状や水不足による脳梗塞の危険もあるので、気が抜けない。

ヘンな話、夜中とか、仕事から戻って、呼吸の様子をうかがい、体温を見て、汗のかき具合を見て、さまざまに調整する。自分の体調も同じように軌道修正。

『変わらない』ということはある意味重要で、同じペースで、落ち方を緩やかにする。自分の場合、40歳のころからあまり体力は落ちていないのではないか?という気がする。しかし、眼の具合や頸椎には年齢を感じる。体力のことをみんな言うが、内臓の機能や目の具合はあまり話題にのぼらない。

あとは身体がずいぶん固くなってきている。この夏は、その固くなり具合に気がつき、あわててヨーガに気合をいれて再開した。面白いもので、毎日決めた時間に無理せず少しづつやっていると、3週間ぐらいで柔らかくなってくる。なんとなく、1年このペースで続ければ、昔のところまで戻るかもしれないとすら思う。

『自分の自立的な生活がなによりも大きい課題』で、ひとりで動けなくなることを避けたい。その意味では今年の夏はよい転機であったと思う。あとは最大のストレスである自転車制作を早く切り抜けたい。

全1194ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事