全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1179ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

競う愚かさ

イメージ 1 イメージ 2 イメージ 3 イメージ 4 イメージ 5 イメージ 6

イメージ 6

昨晩、Youtubeで『ROAD RAGE』というのを検索してみた。出てくるのは『路上で、動物本能丸出しで、危険なことや、奥歯を3本抜かれたヒグマのように猛り狂って相手と喧嘩したり、相手の乗り物を破壊している姿。

私ははっきり覚えていますが、昭和30年代にそういうことはなかった。しずしずと、格調高く、貴族的に自動車を運転することがカッコ良いと思われていた。

『つまらない対抗意識』の『萌え、めばえ』(爆)は脱兎山が『差ニー』のコマーシャルで『隣のクルマが小さく見えま〜〜〜〜す』というのをやってからだろう。当時『家老ラ』が1100であとから1200になり、1400になり。『パブ利香』が800とか1000とかの時代、たかだか100ccの排気量の差を競っていた。

それは『民』の話で、『いつかは蔵雲』が2リッターで、英国のコベントリー・キャットは3.8とか4.2でしたからね。話がみみっちちすぎた。

やがて、『 FUN TO 銅鑼イヴ 』とかいうことを言う輩が出てきて、アウトバーンでヒトラーの脳波を感得して受け継いだ運転者たちが開発したものが、バブルのころに大量上陸して、一気に『運動性能』とかいって、『そこのけ運転』が増えた。

そこから2代目となって、一気にあおり運転とか、そういうおかしい奴が増えた。この『バブル期』というのは大きな影を投げかけていて、この時代に育った人たちは『お菓子のおまけカードで超車がスゴイと刷り込まれた人たち』。この世代が速いクルマを礼拝している。

そのあとには、コンピューターゲームの影響で『ゲーム感覚で相手より速く走ろうとする』。

そういう人たちのクルマが、ドブに浮かんだ空き缶のように混雑しているなかを、どんなに良いクルマで抜けて行っても私は愉しくない。

この流れは自転車の世界にも波及して、自動車界の人たちが自転車もやり始めた。いまはすっかり消えて、どこかへいなくなってしまった。髭贋公家の方も白人の美女のインストラクターのいるフィットネスクラブに通い、アッと言わせて自転車界へデビューすると公言していましたが、今や、この世の人ではない。ある時、その方が糖尿病かなにかでほとんど目が見えないのに気が付きました。『こんなに目が見えなくなっている人が運転していいのかな?』と正直思った。

そして今は?

つい2〜3日前、毎日新聞の古い記事を調べていて、ある『自転車マンガの実写版』に出ていた俳優さんの事故が、『原付バイクを追い越すシーンの撮影中に起こった』という記事を見つけた。それはどうなのかな?リハビリの美談にすり替えられる以前に、そうした自転車の乗り方のモラルとマナーが問われるべきではないのか?そういうシーンが小中学生の見るところとなったら、社会的なインパクトはどうなのか?と私などは思いますがね。しかも、その俳優さんはMTBは乗っていたが、ロードレーサーはほぼ初めての初心者だった。

最近も、中学生が津久井湖のほうで3人でロードレーサーで遠乗りに出かけ、1人が死亡して、残りも重傷を負う事故があった。競争をあおるような『乗り方プロモーション』は慎むべきだろう。

昔、マラソンの選手でW.S.というのが、衆人見守る中、道路のわきで大きいのをして、みんなビックリした(笑)。いくら記録のためとはいえ、もうすこし何かか考えたほうがよかっただろう。審判員を呼んで囲いを作ってもらってとかやりようはあったはずだ。

ヨーロッパのステージレースでは1日に230kmとか走るわけですが、トイレはどうするのか?というと、『人のあまりいないところへ来たら、乗ったまま放尿する』。記録とタイムがかかっていますからね。


そして、股間にワセリンを塗り、ジェルを塗り、下着を付けずにレーサーパンツをはく。この連休に、やはり、そういうレーサーパンツをはいた人が、何人かロードを表に停めて、私の食事していた店へ入って来た。正直、『着替えて出直してこい』という思いが消えなかった。


そして、なかには、首を事故でやったりして、寝たきりになる人、車椅子生活になる人もいる。車椅子生活や寝たきりの生活の大変さはあまり理解されていないのではないか?代償はあまりに大きい。

どうして、のんびりと爽快感を愉しむ行き方ではいけないのかな?と思う。

研磨地獄

イメージ 1 イメージ 2

イメージ 2

昔、小学校に『こども向け地獄絵巻」みたいな本を持ってきた奴がいて、みんなで回し読みしていた。

かなりおどろおどろしいもので、どういう人がどういう地獄へ落ちるか?みたいなことが書いてあるマンガだった。

今日は、どうしてもいくつか一皮はいで磨かないといけない部品があったので、両手がブリキのようになった。アルミを磨くのが好きという自転車マニアの気が知れない。

最近はアルマイト処理がしてあるものがほとんどなので、磨く手間はずいぶん減ったが、反面、『研磨仕上げでアルマイト無し』に比べて、キズがついてくると、磨き落とすことが出来ないので、古くなったアルマイト処理のものはずいぶんみすぼらしくなる。

『どさくさにまぎれて、自分の分もやる』(笑)。私の仙人クラウドのステムがどうしても欲しいという『病の方』がいて、仙人クラウドも『ミューチレーションの危機』にある。


それがなくなると、いよいよ乗る車両が一台も無くなる。万が一に備えて、ステムを一本磨く。こういうののやり方は、まず200番台〜300番台の紙やすりで荒く研いでキズを落とし、それから400番、800番の耐水ペーパーで水で研いで行き、最後は『練り』のほうのピカールで磨く。


ボロボロのステムでしたが、けっこうきれいになる。あと2回ばかり仕上げをするともっとよくなりますが、『自転車をピカピカにするより重要なことが人生にはある』と思っていいるので、適当なところでやめる。


これは日東のハイクラウンですが、じつはこのデザイン、英国のGBのデザインの写しです。英国に同じデザインのGBがあった。

昔、自転車の碩学がこれを『GB』、グレイト・ブリテンだと考えていた。そして『自分のことをグレィトなどというのは思い上がっている』と真面目に信じ込んでいた。しかし、『グレィト・ブリテン』というのは『大ブリテン島』のことで、ロンドンの広い範囲のことを『グレィター・ロンドン』というのと、同じだ。グレイトというのは『大きい』という意味がある。

その、英国のステムでおなじみな、GBは『グレィト・ブリテン』の意味ではない。昔、自転車選手で一世を風靡した『ゲイリー・バージェス』の頭文字です。

古い雑誌を、前後を読まず、一つだけ取り出して、それを信じてしまうとけっこう大きなボタンのかけ間違いになる。

イメージ 1 イメージ 2 イメージ 3

イメージ 3

朝のうち、医療関係者と会う前に、ちょっと神社にお参りに行った。

一見なんだかわからない棚は欅の枝です。この下に御神輿が最終日、寝静まり、お休みになる。つまり神輿に乗って渡御した神様が、この棚の下で朝まで静かにたたずむ。そして朝日とともに神社へ戻られる。

なんでも、この上に載せるケヤキの枝を手配するのがたいへんだから、ゴザか何かで代用しよう、という意見があったという。

私はそれを今日聞いて、『ケヤキは貴高い樹がなまったとも言われるくらいで、格式が高い。木の王様とでもいうべきもの。それの枝からお神輿へパワーが降りて来るイメージでしょう。それはゴザでは樹木のエネルギーが来ないでしょうね。』という話をした。

それを聞いていた地元の長老が『私もそれは反対したんだが、じつは、お神輿を作り直す時に、ケヤキで作るかヒノキでつくるか議論になったんですよ。ケヤキはものすごく硬い。彫刻するのにも、刃物が欠けてしまうんですな。ヒノキの方がやさしい。だからケヤキで神輿をつくるとはるかに高いんです。もっとも安いのはもっと柔らかい木で作る場合もあるんだが、やはり「もち」が違うんですよ。たぶん、昔は神輿がケヤキで、その上にケヤキの枝で仮の屋根を作ることになっていたのに、何か意味があったんでしょうね。』

ゴザでは、将来、象徴的な意味などが読み解けなくなる。たぶん、同じようなことは、すべての昔からの伝統の中に含まれていると思う。

細い道は、昔の鎌倉街道。ここに昔は朝廷に献上するさまざまなものが、出発前にずらっと並べられて、検査されてから隊列で運ばれた集合場所の辺りだという。

自転車でフラフラ逍遥して、こういう話を聞いて、背景を知ってタイムスリップするのが最も楽しい。

中疲れ

先月末から休みなく働いて、さすがに今日あたりはちょっと疲れが見える。

朝の蕎麦に玄米餅などをいれて、力蕎麦にする。

いまは府中の大國魂神社のくらやみ祭りで、毎年今頃は、ほぼ全行程観に行っていたのですが、今年はまったく余裕がない。

昨晩はハンドルをもってきた仲間がいて、クルマの車検の話になった。古い蔵雲。10万円ちょっとですみ、どこも悪いところがなかった。ヘッドランプのカバーだけがすこし曇っている。
『だから82〜86年ぐらいのすべてスチールとガラスの4ドアハードトップとかに行き着くのじゃないか?』
『でも、見ているんですけど、あの時代の売りものってほとんど出ませんよね。』
『みんな手放さないんだろう。北米でもオーストラリアでもロシアでも、みんな欲しがっているからね。』
Youtubeでも、けっこう海外のマニアが自慢している。

13〜17系のものに乗っていると、最近のものがチャチで見るに堪えない。

この麗和(無教養で、有識者でもなく、野蛮なR&Fならこう書く)への切り替わりで、豊太の世紀が一気に世界の注目を集めたのではないか?

海外のYutubeでもけっこう『世紀』は出ていて、評価はすごく高い。

その昔、『オートモーティヴ・デザイナーズ夜』で脱兎山の偉い人に、『R&Fさんはお金の制約がなかったら、どういうクルマに乗りたいですか?』と訊かれた。
『豊太の世紀のV12を英国へ持って行って、マリナーパークウォードかどこかで2ドアのドロップヘッド(英国式のオープンカーの呼び名)にしてショートホイールベースにしてもらう。そして、マルーンに塗って、シートはベージュのコノリーレザーにしてもらう。それでフォークストンからフェリーに載せて、フランス経由でモンテカルロまで行きますね。』
その偉い人は、いや、わかりませんね〜、と首をひねっていました。

いまや、皇居に出入りするクルマはすべて豊太の世紀になり、脱兎山の『大統領』は一台も無くなった。私は読み違えていないと思いますね。豊太もドイツにかぶれてニュルブリックリンクに行っているより、キャブリオレのマルーンの2ドア『世紀』を売ったほうがブランドイメージが上がると思いますがね(笑)。

雷神さまの言うことを聴け!(爆)

2重の意味

イメージ 1

本来、文章というのは『楽譜』のようなもの。句読点は読みやすく、意味を明確にするためにつけられる。むかしの文章では、打っていなかったりするものもある。

話し言葉で、句読点を口で言うのは電話で文章を伝える時の新聞記者ぐらいなものだ。

退位されるときのお言葉を聴いていて、そこに2重の意味が隠されているのにピンときて、ハッとした。ニュースでも新聞でもそれを誰も語らないのが不思議だ。

『国民を代表して、、』それは総理もそうだろうが、象徴である陛下もまた、『国民を代表して、、』おられるわけです。そのことが、みごとにお言葉の中にダブルバウンドで織り込まれていた。

話し言葉で語られた時、それは2重の意味を持っている。私はそうとう考えられ、練り上げられた文であると思った。

かつて、哲学者のバートランド・ラッセルが王室を支持するというのを知って、当時の進歩的と言われている人たちがみんな意外に思った。しかし、ラッセルに言わせると、議会に送り込まれた人たちが、また、その中で代表を選ぶとなると、首相というのは多くの場合、国の人口の実質4分の1〜、投票率が低ければ5分の一ぐらいの支持しかない。しかし、国王が名君であれば、国民の半数以上が支持をするのが普通だから、『国がほどけない』、それがオリヴァー・クロムウェル以来の『君臨すれど統治せず』の原則にたつかぎり、独裁も起こりようがない。そういうことをラッセルは言っていた。

これは英国だけではなく、オランダもデンマークも、そうしたやりかたでうまくいっている。

女王陛下は、一時期、まがまがしいサッチャーをクリスマスの年頭演説でやんわりと牽制した。アメリカの例や南米の例をみても、直接選挙の大統領が、必ずしも大多数の国民の意思を反映するとはかぎらない。

民主主義は右も左もかかげるわけだが、その大衆の代表たる人が、多くの場合そうした民衆の共和国で国王をもしのぐ独裁者が出てくるのはなぜか?サッチャーも権力維持のために選挙区制度を変えたり、ありとあらゆることをやった。どこかの国ではインターネットで『くま』のキャラクターが検索できないようにしたり制限をかけているという話も聞く。

『国民を代表して、、』これが2重に聞こえるお言葉を政治家はどう聞いたのか?

平成最後の日は85年前の盃で一区切り。

新しいお方は、昨日『首だけコクンと落とすお辞儀をしておられました』。あれはヨーロッパの僻地のうなるほど貴族が粗製乱造された19世紀のババリアの、下級貴族がやるお辞儀だ。あれでカツンと踵を鳴らす。わが国ではやってはいけませんね。

全1179ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事