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重さと軽さ

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昔、故ジンダ君が『ダウンジャケットの暖かさと綿のふとんの暖かさは違う。バイクも同じで、重さが乗り味の場合もある』ということを言って、なるほどと思ったことがある。

自転車の場合、自転車の重さが効いてくるのは、おもに登坂の登坂抵抗、それと加速の時の加速抵抗。操舵保持の時、車輪が軽いと有利と言うことはあるが、フロントフォークの諸寸法の調整で、これはほとんど差を感じられない。

古い車両をいじっていると、重い自転車でまことによく走るのがある。一方で総アルミのカミン・アージェント(カミナール)などは、軽いことは軽いが走らない。昔、故ジョン・ピンカートンに『買わないか?』と言われたが、乗ってみるとどうも好きになれなかった。

私は『坂ではギア比を落とせばよい』とか、『いよいよ登れなければ、いさぎよく押せばよい』ぐらいに考えているので(笑)、うちの自転車ではあまり軽くしようと考えたことはない。あの、ジーノ・バリタリですら、ファウスト・コッピについて行けなくなって、坂道で降りて押してしまっている写真を残している。

『我々アマチュアが、それもツーリストが坂で押してはずかしいことなど何もない』(笑)。

しかし、輪行28号のことがあってから、『重さをはかりながら組んだりしている』(笑)。シートピラーも中に入っている部分は、不要の部分は切り落とし、ギリギリの長さにする。ヘッドのスペーサーなどでも、いままではスチールでやっていたのをアルミ合金に変えたりしている。

『軽さはお金の3段逆スライド』(爆)で、10kgを切ったその先は、9.5kgから向こうは急激に軽量化にお金がかかるようになる。ペダルやクランクシャフトにチタンを使ったり、ネジやボルトを特製したり、フライスで溝をいれて軽量化したり。超高級なタイヤとリムにしたり。ハブのシャフトを、特注のチタンにしたり。

そこで、『ハンドルもチタンで特注しよう』とか言い始めたら、すぐ100万円突破になる。だからうちはそこまではやらない。しかし、それでも安いほうだ。クルマのほうでは、超車ではマフラーの先っぽのチタン製のハニカム構造の部分が1千万円をはるかに超えたりする。

10kgのスチール・フレームの車両と8kgのスチールフレームの車両では、同じ外観でもコストが激烈に変わると考えて良い。

しかし、自転車の転がり抵抗は『自転車の重量+乗員の重量×タイヤの転がり抵抗係数』だから、自分の体重が2kg増えたら、いくらコストをかけても元の木阿弥(笑)。

しかし、この業界では『しろうとを驚かす』と言ったりしますが(爆)、『手で持った軽さというのは、ビギナーや門外漢にはきわめて大きい説得力がある』。


うちのような車両は、あまり重量は関係がない。しかも、600mm超えの、一般には流通していないサイズの車両を作ったりしているので、むしろ、そこまで大きいサイズの車両は軽量化が難しい。本来ならば、大きいサイズのものはチューブの断面を大きくして、薄くして、、、というのをすると軽くは出来るだろうが、ただでさえ儲からないのに、一個人がそこまで、さらに材料を特注して倉庫代をかけてストックして、、というのはできない。


なので、『あの大メーカーのカーボンフレームの自転車は何キロですが、、、』と言われても、それはうちの守備範囲ではない。うちは競技用の車両ではなく、『自転車を軸とした、エネルギー使用量と環境負荷を出来る限り少なくするライフスタイル実現のための自転車』というのがベースなので。


一方で、最近は逆にリアキャリアのトップの天板のつなぎ目に継ぎ手を入れて、表にロウが盛り上がらないようにしたりしている。もちろん『重量増』です(笑)。

さまざまな覚悟2

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つい最近のこと、友人と話していて、『シューキョーからは出来る限り遠ざかっている』という一言を聞いた。あまりシューキョーの話をすると『変わった人』と思われるというのが理由らしい。

先日アップした、インド料理屋でウパニシャッドを読んでいて、店のオーナーに感心された話にしても、そうしたものを読んで考えたり、学んでいることはインドやネパールなどでは悪いことではない。むしろ尊敬される。

これはヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアなどでも、モンテーニュの随想録とパスカルのパンセを較べながら読んでいるとか、ダンテの神曲を読みながらボッティチェリのデッサンを見ているとか、ゲーテのファウストと旧約のヨブ記を比較して読んでいるとか言って、『変わった人だ』とか『ヘンな人だ』とか『近づかないようにしよう』(爆)とか思われることはない。

私が英国にいたとき、始めの頃住んでいた屋根裏の大家は、サイプロス(キプロス)から来た人で、熱心なギリシャ正教徒だった。その家はLISTED BUILDINGつまり歴史的保存建築に指定されていて、シャーロック・ホームズの映画の背景になりそうな、ヴイクトリア朝の長屋だった。ランド・レディのアンナはそこから50mほど離れた教会にかかさず行っていた。

そこが興味深いところで、ヴイクトリア朝の英国と云うのは、かたや産業の躍進と科学の進歩があった一方で、たいへんシューキョー的には敬虔で、厳格なモラルの時代でもあった。

日本で英国と言えば『紳士』と言われ、『アメリカ紳士』とか『ドイツ紳士』とか言われないのは、ヴイクトリア朝の厳格なシューキョー的なモラルと人格の影響が大きかったと、私は思っている。英国では『教会の鐘の音が魔を祓う』と言われて、必ず、どこかの鐘の音が聞こえるようになっていた。

1985年ぐらいまでは、日曜日は安息日なので、商店はお休み。レストランも一部が12時ぐらいから開き、美術館も午後からしか開かなかった。日曜日はまったく音がしなくて、午前中は通りに漏れてくるパイプオルガンの音だけ。私は、最初、ケンブリッジにあるパイプオルガンがどれもすばらしいのと、グレゴリオ聖歌やトマス・タリスやウィリアム・バード、オルランド・ギボンズなどの中世の音楽が素晴らしいので、あちこちの礼拝に、転々と出没していた。


彼らからして見ると、日本人が熱心にそういう場所にかよっている、ということで、さまざまな集まりや勉強会、討論会などに呼ばれた。欧米人からすると、日本からの学生の多くが『自分には宗教がありません』というのがかなり不思議なものと思えたらしい。『ではいったい何を信じているのか?』『やがては必ず来る自分の命の終わりにどうやって向き合うのか?その時の心の支えははどうしているのか?』というような質問をよく受けた。

日本では、明治時代に蒸気機関やらさまざまな科学技術を見せられて圧倒され、一方でシューキョーのほうはかなり堕落していたので、シューキョーを廃し、科学に『帰依』(笑)するのが進歩的と思われたのだろう、と答えていた。

私は、その中で、日本ではいつも『科学』と『科学技術』の混同があったと考えている。つまり、『科学に帰依する』つもりが、じつは『科学技術に帰依している』(笑)。

だから、病気も『科学技術で治る』と、技術的なところにもってゆくので、治療と言えば最新の薬と切った貼ったの手術。『名医』の記事を特集すると雑誌が売れる。つまり、『どこのメカニックにエンジンをチューンしてもらうと性能が上がる』と、人間の身体のことも『技術的に解決しよう』としているふしがある。

しかし、世の中には治らない病気もあるわけで、また歳をとって、老い、あるいは頭もボケて来ることは病気ではない。誰でも必ず迎え入れないといけない老化という宿命なわけです。それに向き合うのは『科学技術ではなく哲学の問題』なわけで、これは、その時が来た時にいきなりジタバタしても間に合わない。

私の知っている人のなかにも、医師に治らないと宣告されて、急に奇跡を期待してシンコーシューキョーに入った人がいる。そして、結局はどうにもならず。

ヨーロッパでは古代ギリシャの時代、科学と哲学、宗教は『並んでいるもの』だった。それが長年、科学とクライスト教が対立するものになり、ダ・ヴインチは彼の飛行機械を、教会からの迫害を怖れて封印した。高齢のガリレオ・ガリレイを徒歩でローマまで出頭するように命令して、あげく軟禁して、悲惨な晩年とSHIを与えたのはあまりに有名だ。もっとあとでも、教会はアメリカで、避雷針のせいで地震が起きる、と避雷針をはげしく非難していた。20世紀に入っても恐竜の化石を一切認めない、『つくりものだ』とする人は北米中西部には少なくない。

しかし、私はそれは西洋シューキョーの『特殊事情であった』と考えている。本来、インドのシューキョーは哲学であり、その哲学はシューキョーでもある。それが、どこかで『迷信化』、『まじない化』して分化して行ったというところだろう。

意外なことに、法然さんは「祈祷やまじないで病気が治るのなら、病気でSHIぬ人など一人もいなくなるだろう」、と言った。ヨーロッパでそんなことを言った人はいない。


よくお寺の軒先に『おびんずるさん』が置いてあるが、あの像がお寺の中にではなく、表に置いてあるのは、このおびんづるさんは一種の不思議な力で病気が治せた。しかし、お釈迦様に『そうした力で、人を客のように呼びこみ集めるのはよろしくない』と諭され、『それでは、わたくしは中には入らず、表で、集まって来る方々のために奉仕いたしましょう』ということになり、以来、像は普通表や入り口に置かれる。


その英国の、アンナはたいへんな人格者だった。また、彼女の精神的なバックボーンはわかりやすかった。そういう背景で、私は100%彼女を信頼して、屋根裏を借りっぱなしにして、荷物を置いたまま日本へ帰ってきたりしていた。彼女は歩いて50mの教会に日曜日は行き、普段の買い物には400m離れた商店街と800m離れたマーケットへ行っていた。天気の良い日には裏手100mの緑の中へ犬を散歩させに行って、それが生活のすべてだったといってよい。それはうらやましいくらいの、充実して、ストレスのない晩年だったと、私には見えた。

彼女は病院に入院することも無く、最後はガンで、おだやかに自宅で終わりを迎えた。私がそこから移った友人の家は、家主がバートランド・ラッセルの友人だったくらいだから、宗教とは無縁の人だった。その人もまた対照的に立派だったが、バックボーンには強靭な意思と哲学があった。

この話、まだ続けます。

ナポレオン街道

ジェレミー・クラークソンがいなくなってから、トップ・ギアがつまらなくなったので、このところもっぱらハリーズ・ギャラージを観ている。

さっきまで、彼が蘭ボル義ーニの君太―シで、ルート・ナポレオンへオックスフォードから出かけるというのを観ていた。

この君太ーシ、一般にはガンディーニがデザインしたということになっているが、ほんとうはガレッツィオがデザインしている。私が彼に会った時、『プレス・レリースした時の設計図面をよくみてみろ、エンジンルームのところに、それとわからないように俺のサインを入れてある』と言っていた。同じことはライヴァル・メーカーの204もそうで、あれもじつはプロヴァローニという若い青年がデザインしたと聞いた。プロヴァローニも若く安月給で、クルマが持てず、自転車通勤をしていたという話だ。ガレッツイオもようやく中古のアルファを買ったのだが、長年、金がなくガソリンを満タンに出来なかったという。

その君太ーシ、ジェレミーが『まるで皿洗い機を運転しているように視界が悪く、やかましい』と酷評していたが(笑)。ハリーはそれを飛ばして、ナポレオン街道まで行った。

彼は数年前、彼の笛ラーリで、リヴイエラに係留した彼のクルーザーに折り畳み自転車のブロンプトンを2台積んで持って行き、替わりにクルーザーから行き来する小型モーターボートの船外機のエンジンを外して、フロントの荷物スペースに積んで英国まで持ち帰るという離れ業をやってみせた(爆)。

しかも脇には奥さんが乗っていて、ヴィデオを撮り(裸足の足がみえる)、帰りがけにナポレオン街道を疾走して、船外機を入れた隙間のスペースに、途中のシャトーで買ったシャンパンを積んで帰るという念の入れよう(笑)。今回はほぼ同じルートを君太―シで走り、ヌーシャテルのコンクール・デレガンザへ向かう。

パート2ではアオスタを走っている。う〜〜〜ん。道具として使い切るところが、すばらしく英国的だと思う。決して、『転売のために、キズを付けず、出来る限り使わず、磨きまくる』ということをしない。

笛ラーリの時も、ぐりぐり、モーターボートの船外機を荷物スペースに押し込んでいる(笑)。

私はこのナポレオン街道、一回、いまから30年ほど前に、私のフランス人秘書だった女性のルノーで走ったことがある。カワサキの大型バイクに乗っていた彼女、スピードに対する鍛えられ方が違うので、たいそう飛ばし、しかも、右側通行で飛ばすので、えらく不安だった記憶がある。ハリーのヴイデオをみて、その時の記憶がよみがえってきた。

Lamborfhini Countach Euro-trip Part 1, inc tips on driving Route Napoleon N85

Youtubeで出ます。週末の気晴らしによいと思う。

さまざまな覚悟 1

昨日、たまたま地域の集りで、近所の仲の良い人とお茶にしていたのですが、その中で、『家の前の土地が、地主の財産分与のために、3等分されて、こどもたち3人がそれぞれ2階建ての一軒家を建てることになったのだそうだ。その人の家からは正面に緑の山(丘陵)が見え、風通しが良い。庭にはミントや豆類、トマト、イチゴなどを育てている。その2階建てが建てば、山は見えず、風は通らず、陽はあたらず、家庭菜園もできなくなる。

『ここでSHIぬつもりだったのに、人生計画に最後の最後で余りが出た』と言っていた。

60、70、80で生活環境を変えるというのは容易ではないし、多くの場合住み慣れたところを離れるのは悔いが残ったり、うまくゆかないのを数多く見て来た。これはどんな立派なホームや高級な施設に入っても、半年を経ずして、問題が表面化する場合が少なくない。

また、そうした時、自分に若い頃のような気力も体力も残っていないのが、大きな問題としてのしかかってくる。

日本の場合、そうした環境変化がきわめて大きい。また生活様式もめまぐるしく変わる。うちのほうで、『おーとや』が一軒店を閉める。そこがなくなると、その地域で和食屋、定食屋は一軒も無くなる。蕎麦屋すらも一軒もない。うしのやと原点弁当、みやこ樽、牛の松竹梅屋、あとはドナルド・ハンバーガーと健太チキンなどばかり。あとはコンビニか?なんたる貧しさ。

そのような外食生活は『雑誌の編集者が得意とする食生活』で、そうした連中はみんな内臓を壊したり、40代、50代で発ガンしたり、その道筋をたどった人は知っているだけで両手の指で足りない。

その家の前に2階建ての風景ふさぎの3軒借家が建つ人が、『歩いて行けるところに食事の場所のある幸福』と言うことを言っていた。たしかにそう思う。私の場合『自転車で行けるところに、、』で置き換えられるが、これは『毎日の日常にはまる食事の場所、健康維持に即した食事の場所』ということだ。

英国にいたとき、ドイツにいた時、そういうことを思い悩むことはなかった。いや、インドや中東にいた時も悪くなかった。日本にいると、おそろしく不自由に感じる。

歳をとって、70代半ばを過ぎ、外食しようとすると、『電気コードのように芯のある偽物アルデンテ』のスパゲッティであるとか、どざえもん蕎麦であるとか、少しでも安くあげるために、スーパーは賞味期限が切れる直前で、そうした食材を揚げ物に変身させる、それらを食べるはめになるのは幸福には思えない。

住む場所も危うく、食も危うく、移動もクルマもなく、バスも1時間に1本とか効率が悪いとなったら、動くこともままならない。事実、ニュータウンと言われる高度経済成長期の遺物では、外出しない高齢者が大量にいる。『商店街がなく、団地内ですら商店街が消滅したエリアはものすごく多い』。行く場所もコミュニティーも崩壊して行く。


商店街のシャッター街に入るのは、高齢者介護の会社の事務所ばかりだったりする。

その中で、ひたすら自らの最後を待つだけ、それまでの間、気晴らし、時間つぶしという人たちをけっこう見かけます。

この話題、しばらく続けようと思う。

仙人クラウド甦生

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日常の足がなくなると、とにかく不便なので、他の人のホイールをやっているついでに仙人クラウドのホイールを修理。フリーは『禁じ手』の30Tを入れた(笑)。もう歳も歳だし。どこでも行けそうな気がしてきた(爆)。

たま爺と電話で話した。
『ワタシもやってますよ〜。30Tの歯をグラインダーで削って1歯とびにして(よいこはやってはいけません)、15Tにして、乗ってますよ〜。アナタは24Tいままで乗ってたんだ〜。へえ〜ご苦労様なことで。ヒッヒッヒ。』

8分の1で30Tのフリーはないでしょうよ(笑)。ロードやスポルテイーフもローは22Tで変速器は縦型のカンパで、、、(爆)。それが無類にカッコ良い。しかし、そういうのは10代から半世紀もやったんだから、もう、そろそろ年相応にしようということです。

それにしても、身シュランはすでにかなりいびつになってきている。3か月ぐらいではないか?『どっ、どっ、どっ、』と鼓動のようになるのがものすごく不愉快。ぽにゃレーサーも同様の症状が半年以内に出るのがけっこうある。それにもかかわらず、フロントのミツボシはすでにトレッドの寿命まで2〜3か月だというのに、真円の狂い具合は2mmとか、そういう世界。

まあ、市場を席捲したら、『やりたくないもの、めんどくさいものはいい加減に作り、高価なものはちゃんとつくり、高価格商品へ誘導する』そういうスタンスなのかもしれないが、私はそれは間違っていると思う。

チューブラーは、昔はクレメンを買っても、ダレッサンドロを買っても、ウオルバーを買っても、ユーチンソンを買っても、どれも素晴らしく良かった。1990年代からチューブラーはすぐヘビが卵を呑んだようにすぐなる東南アジア製になって、人気を落とした。


どうも同じ図式がWO(クリンチャーという用語自体が野蛮国アメリカの間違った用語だ。『クリンチャーと云うのは、1905年ごろからほぼ100年間、ヨーロッパでも日本でも、本来はBE式、要するに実用車の『耳付きタイヤ』を意味する用語だった)にも言える。


これからチューブレスに移行させようと思っているのかもしれないが、うちへ来る『工房』と自分で言っている方のブログで、いつも他人の自転車を組み直している方が、自分の車両のチューブレス・タイヤのスローパンクを2か月以上、治せないで、『バルブの周辺かな?』と走行途中でエアーをつぎ足し走行していることが記事になっていた。

私はそれは嫌だ。目的地へ行く途中で2回も3回も毎回エアーを補充しているような走り方は鬱陶しい。

また、それをそれほどの期間、彼ほどのマニアが放置するくらい、チューブレスのトラブルシューティングは面倒だということだ。

ツールやジロのような、サポートの伴走車からスペアホイールを投げ渡してくれない、1人での自転車旅行で、東北や四国の山岳ツーリング中にスローパンクやリム打ちパンクをやったら、どうやって始末をつけるのか?

クルマに伴走してもらわないといけない自転車は、私は『介助レーサー』と呼ぶ。


何回も書くが、チューブレス・タイヤは今から90年前、英国のゴールデン・サンビームでは標準装備だった。べつに最新のものではない。


しかし、うちの車両はホイールベース長い。チェンが1.5台分使う。不思議なことに、サンツアーでは長さを一コマ単位で正確にだすと、上下のチェンがほぼ平行になる。偶然なのか?あるいは、そういうギアレシオを想定していたのか?

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