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昔とったきねづか?8

友人のヨガの先生と話していて、(というか、その友人がヨガの先生だったことを、最近まで私は知らなかったのですが、別の体操系の先生であることしか知らなかった)その友人が、ヨガを教えたり自分でやっているときに、身体を壊す人をずいぶん見て、流派を数回変えているという話が出た。そこで、話がかなり深まったところまでいったのが、ブログで書くきっかけになったのでした。その友人も私が半世紀近くやっていることを知らなかった。

私は、どうもヨガも自転車世界でのロードレーサー偏重と、構図がよく似ているなと思った。

つい最近、インドのヨーガの資格を持ってヨガを教えている片岡鶴太郎さんが、デモンストレーション
をしていた時、膝が噛んだようになってしまって、動かなくなり、激痛が走って手術しなければならなくなったことは記憶に新しい。

500年前だったら、いや、100年前ですら、『第三者に手術で解決してもらう解決はありえなかった』はずです。一生そのままだったと考えられる。500年前だったら、自分で食物をとりに出かけることが出来ないので、人生終了だったでしょう。最近、アメリカ人のヨガの先生がハワイで林の中でヨガをやっている最中に足首を骨折して、遭難して、あわやアウトのときにヘリコプターに発見されて、一命をとりとめたニュースが出ていた。

これは、ロードレーサーの『ショートホイールベース、ヘッドアングルが切り立って、高剛性のリム、高剛性のフレーム、利きすぎるブレーキ、トラックレーサー並みに強い前傾姿勢、軽すぎる車重』で、前輪が滑ってグリップを失ったりして、発泡スチロールの上の重しがころがり落ちるように、飛び込み前転で首や背骨を打つのも同じだろう。『車椅子』どころではなく、100年前の医療なら、そこで人生は終了していた。

アイアンガー師は西欧にヨーガを広めたたいへんな功労者でしたが、私は彼には『功罪』という面もあったと考えている。こうしたことは日本語でヨーガをとらえているとわかりませんが、彼の本を読むと、『神』というのが『大文字で書いてある』。神を大文字で書くというのは、それはユダヤ教、キリスト教の神であって、ヒンドゥー教のシヴァやドゥルガー、パールヴァ―ティーなどではないことを意味する。

彼の本の中には、こういう一節がある。『プラーナとは、中国で言うCHIであり、日本でいう気であり、西洋で言うなら聖三位一体の聖霊である』と。これはずいぶんとおかしなことを言っているなと思う。これを言ったから、彼はキリスト教圏でうまくヨーガを広められたのかもしれないが、私は逸脱だと考える。

つまり、ヤハウェが宇宙に満ち溢れているプラーナで、聖霊がこころのうちにあり、肉体はイエスで、それらを合一化させる(ヨーガには結びつけるという意味がある)のがヨーガである、とアイアンガー師は語って、納得する人が多数出たということなのだろう。

『瞑想の中で、こころが真我と梵に一致したすがたにならぬかぎり、どんな知識を語ろうと、それは慢心からくる喋り過ぎにすぎない』ハタ・ヨーガ・プラクディーピカ

彼は若い頃の自らを語っているが、西洋文明に対して、たいへんな対抗心を燃やしていたことがほのみえる。彼は路上でみすぼらしく布施を受ける行者にはなりたくなかった、そこで西洋にうって出たというようなことを言っている。そこで、彼は『他の人には出来ないようなポーズ、彼にしか出来ないポーズが出来た』ということが役に立った。

晩年、彼は彼の弟子に2人、トップクラスのバレェのダンサーがいたことを語っていて、彼女らは身体が柔軟で、どのポーズでもすぐにとれたことが、逆に良くなかったと言っている。ヨーガにはPAIN、苦痛が必要だ、と。肉体というカンヴァスを、苦痛によって広げて行き、そこで精神的な地平がひろがると説く。

私は、そういう点で、アイアンガー師は『苦行派』なのだな、と思う。ヨーガの祖パタンジャリはヨーガスートラの中で、数行、仏教の『唯識』に対抗する説を語っている部分がある。お釈迦様は苦行に意味なしと、苦行を否定しましたからね。

このあたりが、私にとって、釈尊の時代のインドの思想背景を立体的にとらえるために、ヨーガは役に立ったし、面白かった。どこが似ていて、どこからが違うのか?ヨーガは『瑜伽』ですから。

ヨーガでは人間は血管をはじめとして、あまたの管で出来ているとみる。食べ過ぎると、食べ過ぎた分はすべて毒となり、その管を詰まらせ病気なる。なので、過食を慎み、身体をつねに清浄に保つ、、ここまでは納得できる。ただ毎日布のテープを呑み込んで体内掃除をしたり、鼻から布を入れて口へ出して、掃除をするとかいうのは、私はいいやと思います(笑)。

その『くだを綺麗にする』ために、『ナウリ』という内臓を引き上げたり、左右に動かしたりする行もある。私はそのナウリの様子を見ると、『ああ、釈尊もやっておられたののだな』と思う。釈尊が木の下に坐って、痩せ細っている石彫が残されている。ナウリを最初に見て思ったのは、あの石彫だった。スジャータの供養を受ける前の様子を描いた石彫です。

釈尊の舌は長かったという記録が仏典に散見される。あごの先をなめられたとか。ヨーガでは舌の裏のスジを少しづつ切って、舌を伸ばしてゆく『苦行』がある。そして頭蓋骨の穴の先にある空洞に舌先を入れてふさげるようになると、、と書いてあるのだが、どこにある穴なのか医学的にはわかりません(笑)。そこから滴り落ちるソーマをなめられるようになると、SHIを克服でき、霊力を得て、天女を脇に引き寄せられるとハタ・ヨーガの本に書いてある。

釈尊はひととおり、そうした苦行をやってみて、苦行は無用と捨てたわけです。

私もハタ・ヨーガ・プラディーピカーにあるような『インケーから水を吸い上げられるようになる修行』とかはやらない(爆)。『一度シャセーしたものを女性の体内から吸い上げて、、』などとも書いてありますが、私はそういうことも無視。まったく意味がない。やりたい人は一生やってみて、そうした技を身に付けたらよい。勝手にやってください。

そうすると、そうした要素を取り去り、医学的なスタンスを取り入れとやってゆくと、美容体操的になってしまう。あるいはボディビルのデモンストレーションで、ポーズの連続で、人を驚かせるようなタイプに陥りやすい。

コンビニにある雑誌などで、海外のモデルさんですでにカッコ良い人を連れてきて、それをするとカッコよくなるかのごとくに書いているものがある。『買う人は突発性ハリキリ症の人たち』。ヨーガもアメリカではそういう傾向が強まっているように見える。Youtuberにもずいぶんそういうタイプが多い。

私は取り入れるべきものは取り入れ、ゆる〜〜〜くやっている。首の違和感もヨーガのおかげで1割ぐらいまで減っている。効果はたしかにあるのです。ただし、やりすぎる必要はない。

『ラージャ・ヨーガを知らず、ひたすらハタ・ヨーガを修行する人が多い。彼らは努力のかいのないことをひたすら繰り返しているにすぎない』
      ハタ・ヨーガ・プラディーピカー 

濁流の中で

高校時代の恩師がこの蒸し暑さで無事かな?と電話をして見ました。歳も歳なので、もう出て歩かなくなっているとの話。

『昭和30年代、40年代は普通は28度から30度ぐらいで、8月後半になって31度とかなると暑いな、33度だとすごいな、という具合でしたね。』

それがいまや37度とか38度とか。海水面の温度上昇で、台風はどんどん巨大化している。それでも今まで通りのエネルギー大量消費生活を推進して、デカいクルマや不必要に速いクルマでガソリンを燃やしまくっている神経が分からない。

夕方雨がやんでから、届け物があって、高級住宅地の友人宅のポストに入れるため、自転車で出かけた。『車誇丹した病米利香國の痔ーぷ』がいてすれ違った。すごい熱気。これは『覇魔ー』と同じくらい環境悪だと私はみている。

こういう中で、自転車の功徳をいくら言っても伝わるのかな?と日暮れて道遠しという感じがする。

今の温暖化ペースでゆくと、発生する台風は、どんどん巨大化することが予想されている。その農業被害もたいへんなものに、今後30年ぐらいでなるだろう。

そして、アイスランド、グリーンランド、ヒマラヤ、アルプスなどの氷が融けると、『大陸の上の重しが軽くなる』わけで、そうすると、それはマントル対流も変え、圧力の減ったところでは抑え込まれて固体に近かったマグマが液化して、量が増え、火山活動が活発化する可能性も否定できない。

北米のイエローストン公園なども最近、ちょっと様子が変わってきているので、研究者はメガ噴火のことも考えて監視を強めている。あそこが本気で噴火すると、北半球の農業はほぼ壊滅すると言われている。

インドネシアのタンボーラが噴火した時は、火山灰で真夏の北米で雪が降った。

気温も上がりすぎるとジェットエンジンの飛行機は飛べなくなる。通常のクーラーもある一定温度以上に気温が上がると使えなくなる。火山が爆発すると、電子基板がうまく作動しなくなる。クルマも火山灰でスリップするし、エアクリーナは詰まる。中で火山灰が燃焼温度で融ければバルブがダメになる。

ガソリンに砂糖を入れられたような壊れ方をする(笑)。

ここ20年ぐらいで、お盆の時に迎え火で燃やす『おがら』がじつに燃えにくくなった。隣国製になってからの話。30年以上前には、もっとパキパキ、サクサク砕けて、一気に火が付いた。最近の隣国からの物は、折っても粘りがあり、しかも固い。火がついてもすぐ炭の熾火のようになってしまう。

まあ、『燃えていればいい』と思う人が大半になって、『燃えている間に読経する人はいなくなった』のだろうと推察する。

これは食事でもそうで、どんなヒドイものでも『自分は何を食べても平気だ』とか『食べられるだけありがたいと思え』みたいな話になる。しかし、人間一人が60歳になるまでに食べる食事の総量は65トンから75トンだと言われている。これは『節制してよいものを食べている人』と『安かろう、悪かろう怪しいものを食べている人』で60歳を過ぎてからの健康の差が出てあたりまえだと思う。

65トンの遺伝子組み換えとタップリ農薬と保存料ビッチリの食品を食べるのと、無農薬で保存料や加工が最小限度の食品を食べること、健康に差が出ないと考えるほうが不自然だ。

しかし、問題なことは、『社会全体の意識が下がれば、真面目に作られたものも流通しなくなり、意識が高い人もダメなものを買わざるを得なくなる』ということなのだ。これは乗り物から食べものまであてはまることだと思う。

私はもう『隠居してもおかしくない年齢』なので、なにごとも『Not in my lifetime』で済ますが、誰か、私が筆をおいたところから、スタートラインとする人が出ることを望む今日この頃。

スマホ不況

このところあちこちで『最近の若者はどこで金を使っているんだろう?』とあちこちで訊いてみている。とにかく、使っている気配がない。

私が10代、20代のころは、自転車に使い、バイクに使い、短波ラジオで受信カードをあつめるためにマルチバンドの高級受信機を買い、オーディオに使い、洋服や靴に凝り、腕時計に凝り、クルマに凝り、そして旅行だった。それ以外に、音楽をやっているのは楽器につぎこみ、、、『万が一の時には、親の家へ逃げ帰る覚悟』で使いまくっていた。通常はその前にスピーカーを売ったり、カメラを売ったり、バイクを小排気量のものに買い替えて、急場をしのいだ。

今の若者は、売るものがないのではないか?CDも本もひとつ5円とか10円とか、しのげるほどの金にならない。パソコン関連、デジカメ、電気製品は『モデルチェンジによる陳腐化が早い』ので、これも金にならない。そうかといって、バイトで稼げる金額は知れている。

いまや、バイクもクルマも若者は買わなくなって、今年の東京モーターショーはヨーロッパや北米などの海外のメーカーがのきなみ出店を取りやめたという。完全に隣国のモーターショーに主導権を奪われた。

たまたま、昨日、ジョイ・アンチの直営ショップの前を通ったら、夏休みの土曜日なのに客が一人しかいなかった。このところ、見るといつもそんなものだ。4人以上の人がいるのを見たことが無い。

そういう状況だから、長年、半世紀をはるかに超えるほど、自転車趣味の人の間でなじみの深かったローヤル・ノートンさんがフレーム製造部門を除き先月廃業した。

逆に言うと、ハンドビルトのフレームは唯一採算がギリギリ合うが、しかし、フレーム材料のほうも『全体量はすでに定まっている』。国産の変速器メーカーがスチール用のエンドの製造をやめてから、すでに20年以上が経っている。タカハシテクノさんもやめているし、イタリアあたりでも、中台製のエンドを使っていたりする。そうすると、マスプロ・メーカーとの差がほぼ無くなってくる日は近い。

たぶん、リングバーナーで周囲を熱して、サーモグラファーで温度を管理しながら、AIがロウ付けするほうが、人間がやるよりうまくゆくだろう。フレームの小物パーツは大企業が大量発注する方が、安くて良いものが出来る。

おそらくは、『小回りの利くところ』が唯一生き残るだろうし、ツーリング系のものをやっているところの方が、レーサーをやっているところより有利だろう。しかし、ツーリングの経験の豊富なビルダーは、若手ではあまり、というかほとんどいない。

今ぐらいの時期には、かつては若者は、自転車で長距離旅行とか、バッグパッキングで海外旅行とか、自転車やバイクで北米横断とか、世界的指揮者の方などは、スクーターで世界大旅行にかけていた。バイク雑誌の編集長のサトヘンなども北米横断をやっていたはず。

人と違う体験は一生の財産なはずだが、現代では『スマホで知ればよい』と考えるのかもしれない。

暑いので、アヌシュカ・シャンカールのシタールを聴いていた。彼女の父親のラヴイ・シャンカールのコンサートには、日本でも英国でも何度も行ったが、ステージの緞帳があがると、『天上の雲が降りて来たかのような、独特の香の煙が客席へ降りて来た』。私がここで『あれは素晴らしい香りだった。いろいろお香を買ってみたが、あんないい香りのものに出くわしたことが無い』と言っても、体験したことが無い人には、どういう香りかわからない。

『いや、インドの大道で売っているプーリやチャパティは美味い。日本で食べるナンとはまったく別の世界のものなんだ』と言ったところで、経験はほんとうのところ伝わらない。

いくらスマホで検索しても、わからないことがあるはず。『チャパティに油は使いますか?オリーヴ・オイルですか?バターですか?ギーですか?粉は全粒粉ですか?あるいは全粒粉半分ですか?ライムギですか?』

そう訊かれたら、スマホで受け売りの人は答えに詰まるだろう。

たぶん、TVの旗色が悪いのは、TVそれ自体が時代遅れなものになり、スマホがそれまでのテレビの役目、テレビそれ自体、テレビゲーム、オンラインショッピング、テレビ電話、自動翻訳機などの機能をすべてひとつでこなすようになったからだろうと私は見ている。

しかし、それは、一方で、コンサートにも行かない、ヴァーチャルなゲームで冒険へ出かけない、自分一人の乗り物にも乗らず、すべてスマホで済ますから、字が汚くてもいい、知識もググればいいからいらない、外国語も話せなくてよい、ゲームでバトルをやっているから身体も鍛えなくていい、、、そういう風になっているのではないか?

それは、体験が似たりよったりの人たちばかりになり、最後の最後は、生まれつき美男美女であるかそうでないか、そこにしか差はなくなるのではないか?と私は思いますね。

私が10代、20代のころ、今のように、すぐ『ブザイク』などとは言わなかった。その人の魅力や個性ははるかに複合的なものだった。

さて、なんでも実体験なく、スマホの窓越しでことは足りるのか?やがては『スマホの中の自分のアバターがデジタル美少女とこどもをつくってくれるから、自分はそれをタマゴッチを育てるように画面の中で育てればいいや』と思うのだろうか?(爆)

いや〜、今の世界は私にはよくわかりません。

無傷で70代へ

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これはなかなか難しい。現時点で、私は昔クルマにはねられた古傷がどよ〜〜んと重いような鈍痛にも近い違和感やにみまわれるときがある。あとはスキーでの古傷の左足首。


『これがひどくなったら、そうとう生活の質、日々の爽快感に影響が出るだろうな』と思う。


もし、あのとき、『これは100%やられる』と思って、自転車を捨てて、フルスロットルで突っ込んでくるクルマのボンネットに飛び乗っていなかったら、右足を粉砕して、いまだに杖生活だったろうと思う。

飛び乗ったクルマから振り落とされて、アスファルトの地面へ手をついた時、背骨というか頸椎というか、ずれた。それが数十年を経て、いまごろ、影が伸びて来るとは思わなかった。

たまたま数日前、バイクの事故で頸椎をいためている友人が、彼も首の具合があまりよくなくて、常に首の重みで頸椎の具合が悪いことによる、『いつも小さい痛みに悩まされている鬱陶しさ』と語っていた。

私も、これがひどくなったら困るな、とここ1週間ぐらい、重いものを持ったり力を入れるような、負担になる仕事はしていない。ヨーガを軽くやったり、夕方少し自転車に乗る。かいあって、嫌な感じは3分の2〜半分ぐらいまで軽減した。温泉にでも浸かって1か月ぐらい養生すると戻るだろうと思うのだが、そうもいかない。


なかには、中高年で、腰とか首とか、膝とか、そういうところが痛む人も多いと思うが、30代、40代の人は、いまから、50代以降、無傷、無痛の状態を目指すべきだ。

これは『注意1秒、怪我一生』なんですな。私の左足首は『若気の至り』でしたが、はねられたのは、もう、ボンネットの上以外、どうにも逃げられなかった。


そう考えると、将来的に、膝の問題を起こすような硬いフレームやクランク、腰や首への問題を起こす強い前傾のレーサー、すべてが高剛性で、グリップを失って前輪が流れたり、でんぐり返し転倒を引き起こす最近のロードレーサーを人にすすめる気にならない。

私は生まれて初めてのギックリ腰にアレックスのところでなった。『ああ、イシゴニスもよくやっていたよ。彼もSlipped diskの問題をかかえていた』といっていたのですが、私にとっては初めての体験。強いロードレーサーと同様のポジションと、『ほにょほにょハンドルがサスペンションで逃げる感じ』そこへ仙頂骨から『ダルマ落としに底部分にゆさぶりをかける』のが腰に悪かったと私は思っている。

大阪のYさんも長年腰とギックリ腰に悩まされていたが、彼もアレックスの車両を処分して、アップハンドルの英国式にしてから、問題がなくなった。そうしたら八王子の自転車童心のTの親爺さんも、昔持っていたが合わなかったと言っていた。平気な人もいるが、ダメな人もいる。私も乗らなくなってからまったくギックリ腰の気配はない。

『すこしは動かしたほうがいいな』と昨日は猛暑の中、『このぐらい暑いとロードには会わないだろう』と、坂バカ坂を登りに行った(笑)。予想どおり1人も出くわさず。眺め独占。

自転車に乗っていると、頸椎の違和感も右手の痛みも消える。『安楽の姿勢』ですから。

まあ、Yahooのブログも書きこんで更新できるのは8月いっぱいらしい。そろそろ、移転を考えないといけない。移転先はFC2(だったか?)を考えているが、最終決定ではない。移転してもFC2はアップするのがYahooブログほど簡単でないらしい。その際は、慣れるまでMiXI のほうの愛宕天狗で、アップすると思います。

ナンバー10

英語でナンバー10というと、ダゥニング・ストリート・ナンバー10、英国の首相官邸を意味します。

ぽや〜〜っとこの暑さの中、『果たして英国で、首相でない国会議員が、ナンバー10の前で結婚記者会見をすることが出来るのかな?』と考えた。まず不可能でしょう。

これはアメリカで、ホワイトハウスの前で『大統領へご報告に来たので、、』とやることも不可能だろう。

世の中には不思議な国もある。そうしたスタンドプレィをして、誰も不思議に思わない。

そういえば、英語には『ふともものホスピタリティ』という単語がある。ホスピタリティというのは『お・も・て・な・し』という意味です。

なんだか、すべてが腑に落ちた。

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