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朝飯を抜き、昼飯を抜き、休む暇もなく、夕方になって作る気力も無く、外食。


このあいだのハンチング蕎麦へ、黒光りの木像の神様が戻ってきているか。興味がありましたが、戻ってきていなくて、味が同じだったら目も当てられない。こういう疲れている時には、怖いもの見たさはやめようと、別のところを開拓。

まったく新しい所へ。

かき揚げ丼とざるをとってみた。つゆはやや素っ気ないが、蕎麦は悪くなかった。海苔は店でハサミで切っているのではないかな?海苔もまずまず。

そのかき揚げ丼、出て来た時は一瞬カツ丼かと思った。地元の野菜かき揚げがカツ丼のつゆとたまごでとじてあると思えば間違いがない。『これは新しいアイデァだな〜』と思った。油も悪くない。

漬物は『農家の味』。妙にレトロで、昨今の蕎麦屋や定食屋で、こうした漬物は出てこないな〜、と思った。ちょっと、懐かしい。

こちらは建て直したところに小さい床の間をつくり、そこに幕末に描かれた神様の掛け軸が掛かっていた。

『たけのこを煮たので、、』とサービスの小皿が付いた。このたけのこも美味く煮てあった。すべてのテーブルには店のまわりで摘んだとおぼしき野の花が生けてあった。

掛軸と言い、小皿と言い、野の花と言い、こころがけが良い。こちらに乗り換えだな。

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自転車の場合、ただひとつの部品が足りないことで動かなくなる。そのよい例がボトムブラケットです。

私が四国を走った28号の一号車は、たまたま1967年頃からの付き合いの仁さんが箱入りのトリオンフの売れ残りを完品で持っていて、『もう売れ残ってずいぶんになるんだ。安くするから買ってよ』と言われて、買って1号車に付けた。

ところが、『R&Fさんのとまったく同じにしてくれ』と自分で部品を買って、送って来る方がいる。

トリオンフは、当時のものはシャフトは114mmがスタンダード。チェンラインの都合で115.5mmのものや、それ以上のものもあった。ところが、いま中古や売れ残りで世にあるもののほとんどが、シャフトがミッシングしているか、110mmとか111mmのものが、とぼけて組み合わされて、あたかも完品であるかのようにみせかけてある。

110mm前後だと、一部メーカー車のように断面積が半分以下になるくくらい思いっ切り右チェンステーがつぶしていないと入らない。そういうものは頑張ってもつかない。

トリプルのシャフトは長いから帳尻を合わせられますが、トリプルのシャフトはもっと世の中にない。

『出てこない物を待っている』ような具合なので、結局2号車のシャフトを抜いて使うことにした。組みかけの車両が視界に入っているだけで鬱陶しい。ブログを見ておられる方は、『最近、28号の1号車もフランスのサドルがついた2号車もまったく登場していない』のに気が付かれたと思う。

それは、『欲しい、欲しい、同じのが欲しい、最高の部品で組んだのが欲しい』という方へのお付き合いで、『自分の車両から部品を剥ぎ取って使っている』から。私自身の実用に供している物が乗れなくなっている。

私が乗る分は、現在、仙人クラウド以外ありません。あれは日常用の26インチのスチールリムだから、あれを輪行するとか、あれで往復180kmとかは考えられない。

つまり、このところずっと、どこへもサイクリングに出かけられないでいる。

『人の持っているものが欲しい』という心理は、CHIBAさんのエルスから始まって、ずっと雑誌があおって来たと思う。これは人を幸福にするのかな?と思いますね。玩物喪志(がんぶつそうし)。これはクルマなどでも同じ。『所有したら安心して、もう使わない』。

昨日は、これから修理なども独学したいという方のところへ1台嫁入りしましたが、クランクはスーパー・マキシーの未使用デッドストック。信頼性高いし、シャフトはじつは現行の町乗り車両のボロンのシャフトでなんとかなる。ボロンは旋盤のバイトを作ったりする材料でかなりしっかりしている。テーパーも吸い付くように合います。こういうのは、『いくらでもツブシが利く。どうやっても乗り続けられる』。インナーが40T超えで大きく見えますが、リアのローが30Tだから実質問題ない。私の一号車もフロントインナ―42Tでリアはロー26Tでしたから。

一方のトリオンフやヴイクトリーだと、右椀の厚さに薄いのも厚いのも、中ぐらいのもあり、同じ長さのシャフトでもベアリング滑走面の位置が寄っているのも離れているのも、同じ68mmのBB用でもある。そういうものは、『すべてわかっている人が使うべきものだ』。

左側のシャフトは、同じ長さでも滑走面の位置が微妙に、ワンの厚さに合わせて違っているのがわかる。トリプル用は防水・防塵のために、ワンが厚いので、滑走面が思いっ切り内側に寄っている。これはそれ専用のワンを使用しないといけないことを示している。

自転車はただひとつのことで、走らない場合がある。これはレストアをやっているとよくわかる。先日はあるところからハブが回って来たのですが、そのマキシカーのハブはフロントのオーバーロックナット寸法が106mmだった。ワッシャーもナットも抜けない(爆)。つまり、フロントフォークを特注寸法でまったく新規に製作するよりほかない。たぶん、ヴェロソレックスとかタンデム用でしょう。

最後は『物ではない』。自転車で幸福になるには『物中心』を離れてみたほうが良い、と私は思いますがね。

英国らしさ

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英国へ行く前から、『英国らしさ』に対する漠然としたイメージがありました。

ウェッジウッドのティーカップで紅茶を飲み、スコッチをたしなみ、クルマはブリティッシュ・グリーンのジャギュア、、、こういうイメージすべてが英国での生活中に覆された。

たぶん、立場を変えれば、日本もまったく同じでしょう。枯山水の庭のある平屋に住み、早朝は神棚に柏手をうって、それから稔侍仏にお経をあげ、それから抜刀術などしばらく練習し、井戸端で水を浴び、さっぱりしたら、一汁一菜の朝飯、、。

そんな日本人は絶滅危惧種だ(笑)。


しかし、英国のイメージの場合は根底から違っていた。まず紅茶はみんな『マグカップで飲む』。そして、英国でカップをいろいろとみてみると、ウェッジウッドは格が高くない。ウスターやダルトンのほうが格が上。酒はスコッチよりもむしろシェリーやルビーポートを上質の葉巻とたしなむ。クルマは、、これが問題で、ジャギュアはBOOKMAKER(賭け事師、馬券業者)、女たらし、成り上がりのフドーさん屋、悪党、そういう人たちの乗り物というイメージが強い。だから彼らは最近、それを逆手に取って『Oh, yes, it is good to be bad.』とテレビCMでやった。

このイメージの悪かったことはTop Gearのオリジナル・メンバーだったクィンティン・ウィルソンが言っている。


ポアロのドラマを見ても、ミスマープルをみても、悪人はジャギュアに乗り、警部はハンバーに乗っている。弁護士とか医者はローヴァ―。


それで、『色』ですが、私は『英国的なクルマの色はグリーンだと思っていた』。しかし、実際に英国に住んでみると、『英国的な色は、独特の濃いブルー、陶磁器のようなチューダー・ホワイト、あるいは白樺色の銀がかったシルヴァー・バーチ、マルーンではないのか?』という感じが強くする。


そして、乗り物と云うのは、『風景との産物』であるという要素がある。英国で見ると、ある種のクルマはじつに風景によく合っている。最近のクルマが面白くないのは、『世界中どこへでも輸出できるような単一マーケット向けの無個性なカタチをしている』ことにつきる。


ところで、不思議なもので、そうしたものを『数見ていると、これはデザイナーが何を見てこの形にしたのかな』、というのが見える。最近の日本の軽自動車Sでかつて存在したHONDA−Zによく似たテールゲートのものがある。サイドの4つのドアの形状はSUBARU レックス。

こうしたことは、昔もあった。豊太の最初の蔵雲、あるいは『限定仕様のオリジン』は、1954年のフォードのCRESTLINEのフロント・グリルにハンバーのスーパースナイプのリアヴュー、サイドヴューを合体させるとほぼ近いものが出来上がる(右端2枚目はハンバー)。セドリックの1962年の『横目4灯』もネタ元はハンバー(右から3枚目もハンバー)だ。

現代の勉トレーも、ミュル残ヌなども、私は最初に見た時は『ああ、P5のマーク1(左端)と、タービン・エンジンのJET-1(左から3枚目、4枚目)を元のイメージにしたな、と思った。

ローヴァ―はロールス・ロイスの航空機用タービン・エンジンを使ったクルマをつくり、BRMと組んでレースに出させたことがあった。まったく無敵で、日本のレースでもタービン・エンジンのクルマが走ったことがあった。あまりに差が歴然としていたので、ついにはレースでは禁止されるにいたりました。

それでもやっぱり現代の勉トレーはいったい世界のどこの風景としっくりくるのかな?と私などは思う。


昔、アレックスが『三島由紀夫が住んでいた家が見たい』というので、馬込のほうへ出居村ーのスーパーV8で連れて行った。三島邸でアレックスはピンポンダッシュをして、そののちそこを離れたのだが、スーパーV8のロングホイールベースでは路地から出るのに大変苦労した。ギリギリ。
『これは出られんじゃろう。』
というアレックスだったが、電柱をギリギリクリアして出られた。御大、
『ミラクルじゃ。』
のひとこと。それよりデカい『塗り壁亡霊(ファンタム)』や勉トレーでは身動きが取れない。日本では使い物にならないだろう。昔Top Gearでクラークソンとメイの二人が勉津とシャドーでロンドンの中でパーキングを探してうろうろすることをやりましたが、まったく停められず、ついにガス欠になった。ロンドンでは、そうした車はショーファードリヴンで、主人を降ろすと走り去るのが普通。


Youtubeで、以下の『アウトランダー』からの抜粋をみてみると興味深いと思います。

QUEEN ELIZABETH PRIVATELY OWENED A SIMILAR ROVER P5 AS SHOWN IN THIS VIDEO

同様に、日本の乗り物にも『日本の風景としっくりくるカタチ』があったはずだが、日本では風景もクルマも同時に双方が壊されて個性を失くしたと思う。私はじつは1990年代以降の(2000年からの)蔵雲を認めていません。

アップしたJGY280という車両をヴィデオで見つけてハッとしました。それはホーム・オフィスのクルマ、つまり女王陛下が乗られていた車両そのものです。

100歳時代の食事

うちの老母も90代半ばにならんとしているので、100歳コースといえるわけですが、その世代というのは大正から昭和ヒトケタなわけですが、現代の日本人とはまったく違う食生活を送ってきたわけです。


防カビ剤や防虫剤をたっぷりまぶした輸入小麦から作った小麦粉でつくったパスタも、パンも、麺類もほとんど食べてこなかった。成長ホルモンたっぷりの肉類も食べてこなかった。抗生物質やさまざまな薬を与えられた養殖の魚も家畜の肉も食べていない。つまり、ここまでで『ガンのリスクがかなり低い』。さらに、強い塩味のラーメンのたぐいも食べていない。あっさりした和風だしの『しなそば』の時代です。


お茶は日本茶。『飲むショートケーキ』のたぐいの高カロリーのキャラメル・マキアートであるとか、クリーム、ミルク、たっぷりギトギトの『飲むチャーハンなみの高カロリーのコーヒー』を知らない。抹茶にまでミルクを入れて甘くする『砂糖地獄』を知らないわけです。

唐辛子の辛さと砂糖の甘さには、感覚がマヒして、次第に鈍感になって、どんどんエスカレートする人が多い。友人のフレームビルダーには,辛さにマヒして、手元には1kgの一味唐辛子を手放さない人がいた。何にでも唐辛子をかけていました。味噌汁にも上に数ミリ積もって真っ赤になるほど入れ、卓上のすべての食べ物に唐辛子をかけていた。当然、血圧は上がりくも膜下になった。いまはすでにこの世の人ではない。

たぶん、そういう人は、食生活の偏りから、味覚障害にもなっているのだろうと思う。

アメリカの人にはポップドリンクの甘さから、甘さに鈍感になり、頭が痛くなるくらい甘いチョコレート・ファッジをコンサイスの辞書3つ分ぐらい食べる人がけっこういる。日本も徐々にそういう人があらわれている。体重は3ケタ。

私は基本的に、母の食事は2食私が調理している。ここ20日間ほど、どうしようもなく忙しかったので、なんとか負担を減らせないかと、オリガミ弁当とか、うしのやのカレーとか、総菜屋とか見て歩くのですが、まず高齢者が食べられるものがない。

うしのやのカレーもクミンと胡椒がやけに多く、クローブが強すぎ。タイなどでは生胡椒の料理をよく食べますが、『胃にくるので、食べ過ぎないことは常識』。からなず、ひとこと、家庭料理では注意を促される。高齢者にはその手のカレーは食べさせられない。

大多数の『インドに住んだことが無い日本人の間の誤解は、辛いもの、激辛が本格という過ち』だ。『スパイシーということは激辛を意味しないし、ましてや、それが強い胡椒でつくられることはない』辛くなくてスパイシーであることは出来るわけで、スパイスを知らない人向けにコリアンダーとクミンを入れまくって香料くさいカレーを作り、あとはやたら辛くする人たちがインドにはいる。私は向うに住むまで知らなかったが、現地には『ツーリスツ・カレー』、つまり旅行者向けのカレーというのが存在する。

以前に書いたが、タゴールが来日した時、彼は日本に長期滞在したかったのだが、周囲の人間は彼にカレーを毎日のように出し、それを辛くした。タゴールは、日本は興味深い国でもっと長期滞在したいが、カレーがあまりに辛く、こんなものを食べてはいられない、と早々に帰国してしまった。

いつのころからか、外食すると米に『シンがある』ような『炊き損ないの御飯』がけっこうある。弁当もおにぎりでもそういうものがかなり増えた。これが高齢者にはかなりこたえる。蕎麦もうどんもパスタも、『茹で損ない』のものがけっこうある。『半生、シンがあるパスタをアルデンテと誤解している勘違い野郎がかなりいる』。ある喫茶店でイタリア料理屋の調理人と話していて、一度もイタリアへ行ったことが無いというのを聞いて『へ〜〜〜っ!』と思った。看板もイタリア語、インテリアもそれらしいのですがね。まがいものなのです。

この『シンがある』のは、デパ地下の総菜屋のサラダでも、『かさを増やすのに、ブロッコリやカリフラワーの茎の部分がやたらに多いところがある。それが食べられればよいが、『割りばしを食べているようなブロッコリの茎のサラダ』はけっこうある。こういうのも高齢者には食べさせられない。


あと総菜には現代ではものすごく高い比率で唐揚げのたぐいの『あげもの』がある。デパ地下、デパート系のスーパーから『あげもの』と『からあげ』をとったら、ほとんど残らないのではないか(笑)?毎日、コロッケ、カツ、天麩羅、唐揚げ、フライで生きていたら、血管は無事では済まない(爆)。


たまに行く喫茶店のマスターは、かつて某チェーン店のケーキ屋の社員だった。彼が言っていたことは、そこではイチゴを洗わなかった、という(笑)。彼は断言していました(爆)。そういう指導だったそうです。洗えばキズが付いたり、指で押したあとがついたり、見栄えが悪くなるので、そのまま洗わず使えとキツく言われていた(爆)。残留農薬などと気にする余地はない。


私は母向けには、インド料理屋へ行って『マイルド』のカレーを頼んでテイクアウトする。やさしい味の中華があるので、そこのものもテイクアウトする。その2軒以外には、ちょっと90歳半ばにならんとする高齢者の日々の食事にするのは、私のエリアではむずかしい。

100歳時代というけれど、いまの20代〜60代はその食生活で、健康な状態で90代に到達できるのかな?と思いますね。

象徴ということ

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人間の記憶というのは、どこか分子構造にも似て、連想をジャングルジムのように構成して、星雲のような記憶を作る。

これは人間が『こころを持つようになったのは、記憶をエピソード記憶するようになったから』というのと深く結びついている。

たぶん、『ひとつの象徴の後ろに膨大な記憶をたばねる』やりかたはヒンドゥ―教や仏教のなかの密教が最も古く理論づけたのではないか?と私は考えている。ひとつの佛尊のお経をひとつ記憶して、そのお経の短いヴァージョンを作り記憶して、その中に書かれている様子を絵に描いて記憶して、それをさらにひとつの字、種字にまで圧縮させる。

クライスト教もそうしたものはある。クライストのつづりを分解して並べ直すと、『イクテュス』魚の意味になり、これは最後のサパーを連想させ、魚を捕っていた網を捨てクライストについていった『人をすなどる者としよう』と言ったエピソードなどとも重なる。そしてゴッドから人への上下の愛と、人と人との友愛の水平が、交わってクロスする2本の直線、さらにはりつけ、これも2本のクロスする直線で象徴される。

この『象徴』というのはじつに重要で、自分にとっても重要だし、他の人がどういう象徴を持って歩いているか?みると、だいたいその人のすべてがみえる。

自転車でも自動車でも、ブランド品でも、『その人がどういう象徴を評価しているか?』見える。また『そう見て欲しいと期待しているか』という現れである場合がほとんど。

それが、その通りになるかどうかは、保証の限りではない。

なぜかというと、『その象徴を、他人は違う風に読み解く』場合が少ないからだ。

たとえば、伊太利亜の超車に乗って、後ろから火を噴いて、カッコ良いつもりでロンドンの市中でバカでかい排気音をバラバラ言わせて、喜んでいる『油息子たち』がいる。たまに自分の排気炎でクルマが炎上したりする。

彼らの中では、『結婚式で花火の替わりにカラ仕ニコフを空に向かってぶっ放している中東マインド』でお祭りさわぎで楽しんでいるのだろう。砂漠の真ん中でバラバラ独りでふかしていても、誰も見てくれないから、わざわざロンドンまで来てやっているのだろうが、それは『彼らの文化レヴェルが低い』としかみられない。他人への迷惑も考えず人の国へ来て騒音を出しているだけ。そのクルマをみても、部ガッティだ、笛ラーリだ、猿ツオだ、乱暴ギーニだ、というだけで、『誰も、オマルだ、阿武ドラだ、詐ダムだ、とは言ってくれない』。『この地球環境問題が騒がれている中で、そういうものに乗って歩くのがカッコ良いと思っているのか?教養なさすぎだろう』とみる人もかなりの割合でいる。

一方で『象徴』を表に出さない人たちもいる。007の作者のイアン・フレミングはアームストロング・シドレーに乗っていたが、あれにはW.O.勉トレーがかかわっている。さんざん経験を積んだ最晩年の作だからかなり完成度は高い。それを『他人の眼を気にせず、自分だけの満足で乗る』というところがホンモノの奥ゆかしさだろうと私は思う。最後は種字ひとつまでもってゆく。

ノートルダムが燃えて、屋根のデザインを公募するという。『う〜〜ん』。もとどおりではいけないのか?『象徴』が燃えて、何か新しい別の『象徴』にしようという意図があるのかな?と私などは勘ぐってしまう。なにしろガラスのピ羅密度のてっぺんに赤いランプを付けたところの前で就任演説をした大棟梁のことですから、ノートルダムの新しい屋根のうえにPI羅密度など付けかねないと思う。

私はスカイフォール以後007を観ていない。なんだか、『ムカムカ、ジリジリ来る残酷シーン、過激シーン、くだらないアクションが多くて、洒落てスタイリッシュなものがない』。敵があまりに胸クソが悪い。クァンタム・オヴ・ソラス以降、だんだんその傾向が強まり、もはや週末にピカデリーのオデオンで映画を観て、そのあとどこかで食事というようなものではなくなっている。なんでも、最近のボンドの家族の話の設定は、バーバラ・ブロッコリ(アメリカ人)の個人的な体験が反映されているらしいが、もはや、『英国のボンド』ではない。『米国の過激ボンド』になり下がりつつある。

象徴としてのボンドはもはや別の者になっている。

さて、非虎ーが台頭してくる前夜、独逸では何者かによって火を付けられた国会議事堂が焼け落ちている。『議会』という話し合いの象徴が焼け落ちて非虎ーが出てきたというのはけっこう意味深だと思う。

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